あの時代は、どこまでも劇的で、震懾 な夢を見ていたようで。常に流動して一定でない水のように、目眩 く変わる日々だった。
彼は、橋の下を流れ行く気紛れな川。私は、橋の上から流れを見下ろす者。
「……奇跡が、起きたみたいね……」
それは、二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。
少しだけ長い時間が空いていたとはいえ、数えるのも面倒になるほど、彼とは顔を合わせていたはずだった。それなのに。
「…………」
彼のくすんだ蒼い目は、漠然と天井を見つめている。ベッド脇に設置された椅子に座る彼女の存在に、彼が気付いている様子はなかった。
彼女はしばらく、息を殺して待っていた。いつ私に気付いてくれるのだろうか、と。しかしどれだけ待てども、病室の真っ白な天井を見つめる彼の目は動かない。
痺れを切らした彼女は椅子から立ち上がると、彼の視界に入り込む。シラを切るような笑顔を浮かべた彼女は、彼の顔に自分の顔を近付けるのだった。
「……あら、目を覚ましたのね」
上からまじまじと見つめてくる彼女の視線に、彼は不快感を露わにした。顔を顰める彼に、彼女はそっと話しかける。
「どんな感じかしら。死の淵から生還して、二週間ぶりに目を覚ました気分は」
そう言って、彼女はくすっと笑う。すると彼は、眉を顰めてこう言うのだった。
「……どういうことだ?」
彼はベッドに横たわっていた彼の体を起き上がらせると、挙動不審に辺りを見渡しはじめた。そして一通り部屋の中を観察し終えると、次に彼の左手首に繋がれている点滴と、指先につけられたパルスオキシメーターを視力の残っていない目で見る。それから彼は、白い壁に蒼白い光で投射されていたデジタル時計を見るなり、困惑したような表情を浮かべるのだった。
「今日は、西暦四二二〇年。七月二十八日よ」
彼女がそう言うと、彼は目を見開く。彼は自身が置かれている状況をまるで呑み込めていないようだ。そこで彼女は、状況を彼に説明することにした。
「シルスウォッドの話によれば、あなたはいきなり倒れ込み、気を失ったそうよ。だから彼が慌てて救急車を呼んだの。そしてあなたはこの病院に運び込まれたってわけ。これで二回目ね、あなたがこの病院に搬送されるのも」
「……」
「救命医が言うには、あなたは突発性の脳出血を起こしていたみたい。ただ、原因がはっきり分からないって。それにしても、死んでもおかしくない……というか、ほぼ死んでいたに近い状態にあったっていうのに、持ちこたえたどころか、全てが嘘だったみたいに快復しつつあるなんて……――あなた、どんな体をしているのよ?」
彼女の話に、彼はますます混乱していく。自分の置かれている状況に対しても、そして目の前に居る“彼女”という存在に対しても。
すると彼はほんの少しだけ、首を傾げる。彼は彼女に対し、思いもよらぬ質問をぶつけたのだった。
「……ところで、お前は誰だ?」
彼女を見つめる彼の目は、まるで初対面にも関わらず馴れ馴れしく話しかけてきた要注意人物を見るようなものだった。
「……あぁ。そういえば自己紹介が、まだだったわね……」
なんとなく、だけど。こうなるだろうと予感はしていた。
彼女は自分にそう言い聞かせ、笑顔を取り繕う。そして彼女が思い出すのは、彼と初めて出会った時のこと。
二年近く前のあの日。父親に連れられて訪れた病室に居た、呆然とした顔の青年。自分のことが誰かも分からず、自分の置かれた状況も分からず、代わる代わる訪れる医者たちに敵意を見せていた、傷だらけの……――
「私は、ブリジット。ブリジット・エローラよ。よろしくね、ペルモンド」
彼女は彼に手を差し出して握手を求めた。しかし彼は応じない。彼のくすんだ蒼い目には、彼女に対する疑念が宿っていた。彼女は気まずそうに手を引っ込めるが、それでも浮かべた笑みは崩さない。
「私、実はあなたと同じ大学に通ってて。私は、医学部なんだけどね。それで私は、あなたの友人であるシルスウォッドの友人で、ここの病院の精神科に勤める脳神経内科医リチャード・エローラの娘でもあるの。多分だけど、覚えているでしょう? きっとあなたのことを昔、父は質問攻めにしたと思うから。……その節は、本当にごめんなさいね」
二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。しかし彼は、彼女の存在を忘れてしまっていた。
【次話へ】
彼は、橋の下を流れ行く気紛れな川。私は、橋の上から流れを見下ろす者。
「……奇跡が、起きたみたいね……」
それは、二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。
少しだけ長い時間が空いていたとはいえ、数えるのも面倒になるほど、彼とは顔を合わせていたはずだった。それなのに。
「…………」
彼のくすんだ蒼い目は、漠然と天井を見つめている。ベッド脇に設置された椅子に座る彼女の存在に、彼が気付いている様子はなかった。
彼女はしばらく、息を殺して待っていた。いつ私に気付いてくれるのだろうか、と。しかしどれだけ待てども、病室の真っ白な天井を見つめる彼の目は動かない。
痺れを切らした彼女は椅子から立ち上がると、彼の視界に入り込む。シラを切るような笑顔を浮かべた彼女は、彼の顔に自分の顔を近付けるのだった。
「……あら、目を覚ましたのね」
上からまじまじと見つめてくる彼女の視線に、彼は不快感を露わにした。顔を顰める彼に、彼女はそっと話しかける。
「どんな感じかしら。死の淵から生還して、二週間ぶりに目を覚ました気分は」
そう言って、彼女はくすっと笑う。すると彼は、眉を顰めてこう言うのだった。
「……どういうことだ?」
彼はベッドに横たわっていた彼の体を起き上がらせると、挙動不審に辺りを見渡しはじめた。そして一通り部屋の中を観察し終えると、次に彼の左手首に繋がれている点滴と、指先につけられたパルスオキシメーターを視力の残っていない目で見る。それから彼は、白い壁に蒼白い光で投射されていたデジタル時計を見るなり、困惑したような表情を浮かべるのだった。
「今日は、西暦四二二〇年。七月二十八日よ」
彼女がそう言うと、彼は目を見開く。彼は自身が置かれている状況をまるで呑み込めていないようだ。そこで彼女は、状況を彼に説明することにした。
「シルスウォッドの話によれば、あなたはいきなり倒れ込み、気を失ったそうよ。だから彼が慌てて救急車を呼んだの。そしてあなたはこの病院に運び込まれたってわけ。これで二回目ね、あなたがこの病院に搬送されるのも」
「……」
「救命医が言うには、あなたは突発性の脳出血を起こしていたみたい。ただ、原因がはっきり分からないって。それにしても、死んでもおかしくない……というか、ほぼ死んでいたに近い状態にあったっていうのに、持ちこたえたどころか、全てが嘘だったみたいに快復しつつあるなんて……――あなた、どんな体をしているのよ?」
彼女の話に、彼はますます混乱していく。自分の置かれている状況に対しても、そして目の前に居る“彼女”という存在に対しても。
すると彼はほんの少しだけ、首を傾げる。彼は彼女に対し、思いもよらぬ質問をぶつけたのだった。
「……ところで、お前は誰だ?」
彼女を見つめる彼の目は、まるで初対面にも関わらず馴れ馴れしく話しかけてきた要注意人物を見るようなものだった。
「……あぁ。そういえば自己紹介が、まだだったわね……」
なんとなく、だけど。こうなるだろうと予感はしていた。
彼女は自分にそう言い聞かせ、笑顔を取り繕う。そして彼女が思い出すのは、彼と初めて出会った時のこと。
二年近く前のあの日。父親に連れられて訪れた病室に居た、呆然とした顔の青年。自分のことが誰かも分からず、自分の置かれた状況も分からず、代わる代わる訪れる医者たちに敵意を見せていた、傷だらけの……――
「私は、ブリジット。ブリジット・エローラよ。よろしくね、ペルモンド」
彼女は彼に手を差し出して握手を求めた。しかし彼は応じない。彼のくすんだ蒼い目には、彼女に対する疑念が宿っていた。彼女は気まずそうに手を引っ込めるが、それでも浮かべた笑みは崩さない。
「私、実はあなたと同じ大学に通ってて。私は、医学部なんだけどね。それで私は、あなたの友人であるシルスウォッドの友人で、ここの病院の精神科に勤める脳神経内科医リチャード・エローラの娘でもあるの。多分だけど、覚えているでしょう? きっとあなたのことを昔、父は質問攻めにしたと思うから。……その節は、本当にごめんなさいね」
二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。しかし彼は、彼女の存在を忘れてしまっていた。