ウォーター・アンダー・ザ・ブリッジ

***

 どこまでも劇的で、震懾な夢を見ていた。
 常に流動して一定でない水のように、目眩く変わる日々だった。

 彼は、橋の下を流れ行く気紛れな川。
 私は、橋の上から流れを見下ろす者。

「……あら、まぁ。奇跡が起きたみたいね」
 それは、二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。
 少しだけ長い時間が空いていたとはいえ、数えるのも面倒になるほど、彼とは顔を合わせていたはずだった。
 それなのに。
「…………」
 彼のくすんだ蒼い目は、漠然と天井を見つめている。ベッド脇に設置された椅子に座る彼女の存在に、彼が気付いている様子はなかった。
 彼女は暫く、息を殺して待っていた。いつ私に気付いてくれるのだろうか、と。しかしどれだけ待てど、病室の真っ白な天井を見つめる彼の目は動かない。
 痺れを切らした彼女は椅子から立ち上がると、彼の視界に入り込む。白を切るような笑顔を浮かべた彼女は、彼の顔に自分の顔を近付けるのだった。
「……あら、目を覚ましたのね」
 上からまじまじと、自分を見つめる彼女の視線に、彼は不快感を露わにした。顔を顰めさせる彼に、彼女はそっと話しかける。
「どんな感じかしら。死の淵から生還して、二週間ぶりに目を覚ました気分は」
 そう言って、彼女はくすっと笑う。すると彼は、眉を顰めさせてこう言うのだった。
「……どういうことだ、そりゃ」
 彼はベッドに横たわっていた体を起き上がらせると、挙動不審に辺りを見渡しはじめた。そして一通り部屋の中を観察し終えると、次に自分の左手首に繋がれている点滴を見る。それから彼は、白い壁に蒼白い光で投射されていたデジタル時計を見るなり、困惑したような表情を浮かべるのだった。
「今日は、西暦四二二〇年。七月二十八日よ」
 彼女がそう言うと、彼は目を見開く。彼は自身が置かれている状況を、まるで呑み込めていないようだ。そこで彼女は、状況を彼に説明することにした。
「シルスウォッドの話によれば、あなたはいきなり倒れ込み、心肺停止を起こしたそうよ。だから彼が、慌てて救急車を呼んだの。そして、この病院に運び込まれたってわけ。これで二回目ね、あなたがこの病院に搬送されるのも」
「……」
「救命医が言うには、突発性の脳出血を起こしていたみたいよ。ただ、原因がはっきり分からないって。それにしても、死んでもおかしくない……というか、ほぼ死んでいたに近い状態にあったっていうのに、持ちこたえたどころか、全てが嘘だったみたいに快復しつつあるなんて……――あなた、どんな体をしているのよ?」
 彼女の話に、彼はますます混乱していく。自分の置かれている状況に対しても、そして目の前に居る“彼女”という存在に対しても。
 すると彼はほんの少しだけ、首を傾げさせる。彼は彼女に対し、思いもよらぬ質問をぶつけたのだった。
「……ところで、お前は誰だ?」
 彼女を見つめる彼の目は、まるで初対面にも関わらず馴れ馴れしく話しかけてきた、要注意人物を見るようなものだった。
「……あぁ。そういえば自己紹介が、まだだったわね……」
 なんとなく、だけど。こうなるだろうと、予感はしていた。
 彼女は自分にそう言い聞かせ、笑顔を取り繕う。そして彼女が思い出すのは、彼と初めて出会った時のこと。
 土砂降りの雨の日。父親に連れられて訪れた病室に居た、呆然とした顔の青年。自分のことが誰かも分からず、自分の置かれた状況も分からず、代わる代わる訪れる医者たちに敵意を見せていた、傷だらけの……――
「私は、ブリジット。ブリジット・エローラよ。よろしくね、ペルモンド」
 彼女は彼に、手を差し出して握手を求めた。しかし彼は、応じない。彼のくすんだ蒼い目には、彼女に対する疑念が宿っていた。
 彼女は気まずそうに手を引っ込めるが、それでも浮かべた笑みは崩さない。
「私、実はあなたと同じ大学に通ってて、それも同じ学年なのよ。私は、医学部なんだけどね。それで私は、あなたの友人であるシルスウォッドの友人で、ここの病院の精神科に勤める、脳神経内科医リチャード・エローラの娘でもあるの。多分だけど、覚えているでしょう? きっとあなたのことを昔、父は質問攻めにしたと思うから。……その節は、本当にごめんなさいね」
 二年ぶりの再会だった。そして顔を合わせるのは、百数回目。
 しかし彼は、彼女の存在を忘れてしまっていた。
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