獅子と亡霊

 西暦四二七一年、空を漂う方舟ことアルストグラン連邦共和国。
「よぉー、ミルズ。アンタ、任務しくじったんだってねぇ? 高位技師官僚に調子をかき乱されちまったがために。情けないねぇ」
「……サンドラ。あなたは態々、私をからかいに来てくれたの?」
「おうよ、そんなとこかな。なんせ暇なんでね」
 首都特別地域キャンベラ、その中央に位置するASI本部にて。最上階の長官室から出てきたジュディス・ミルズを廊下で待ち構えていたのは、黒スーツ黒サングラスの女。ブロンドの長い髪を無造作に首の後ろで結いまとめた、アレクサンドラ・コールドウェルだった。したり顔でにやりと笑うコールドウェルは、ジュディス・ミルズを無言で挑発する。しかし有能な工作員ジュディス・ミルズは、挑発に乗るような真似はしない。
 するとコールドウェルが、つまらなさそうに唇を尖らせた。それからコールドウェルはリラックスしきったかのように――または緊張感皆無な様子で――両腕を真上にぐーんと伸ばして肩の凝りを軽くほぐすと、恥ずかしげもなく人前で大きな欠伸をする。それからだらけきった表情で、コールドウェルは本題を切り出すのだった。
「今の、嘘な。まあ、レムナントともあろうお方なら当然分かっていたんだろうけど」
「それで、用件は?」
「高位技師官僚が何か変なことを言ってなかったか?」
「教えない」
「おいおい、ちょっと待てよ。アンタ、アタシに恩があるだろ? アタシはアンタの正体を知っていながらも、ランドールの前で黙ってやってたんだぞ。鑑識課エイミー・バスカヴィルの演技に付き合ってやったじゃねぇか。忘れたとは言わせねぇぜ?」
「はぁ……。サンドラ、あの方は変なことしか言わない。あなただってよく知ってるでしょう?」
「ああ、そうだな。あのオッサンといえば意味不明なことばかりを意味深長に……――って、そうじゃないだろ。アタシの言いたいことが分かるだろ、ミルズ?」
「ええ、分かってる。でも、あの方は大したことを言っていなかった。本当のことよ」
「んじゃ、カイザー・ブルーメ研究所の地下にはやましいものは無かったかね?」
「今回はあくまで、高位技師官僚の救出がメインだったから。物を探るようなことはしてない。でもガサ入れをしたら確実に、あの研究所からは何かが出てくるはずよ。それはあなた方、特務機関WACEも分かっているでしょう?」
「ああ、そうだな。あるらしい、っていう話だけ。あそこに何があるかは、まるで見当も付いてないんだがねぇ」
「それで。あなたはどうして、ここに来たのかしら? サー・アーサーに命令されたの?」
「違う。けど秘密だ」
 そう言いながら、コールドウェルは二度目の欠伸をする。そんな様子のコールドウェルを見つめながら、ジュディス・ミルズは腕を組む。それから彼女はコールドウェルに、試すような質問をした。
「……教えてあげてもいいわ、サンドラ。バルロッツィ高位技師官僚が、何を言っていたかを。けれどもその前に、あなたの目的を聞かせて」
「目的だって? 今、言ったばかりじゃねえか」
「あなたは、アーサーの差し金? それとも、元老院と呼ばれている別の勢力?」
 そんなジュディス・ミルズの問いかけ。するとコールドウェルは、鼻で笑った。そしてコールドウェルはさも当たり前の大したものじゃないことのように、真意の掴めない言葉を述べる。
「アタシは、アタシさ。名前はアレクサンドラ・コールドウェル。個にして全。それ以外にはなり得ないさ」
「はぐらかさないで、サンドラ。私はASIの局員で、連邦捜査局の連中とは180度異なる訓練を受けてきている。舐めてもらっちゃ困るわ」
 哲学的にも聞こえる固い単語を敢えて用いて、中身のない空っぽの言葉を紡ぐ。それはコールドウェルの常套手段だった。本心や目的を探られたくないときに、話を逸らしたり相手を混乱させたりして、答えをはぐらかす時に使われている。
 ジュディス・ミルズは、アレクサンドラ・コールドウェルという女のそういうところが苦手であった。異国のスパイと渡り合う時のような緊張感を、コールドウェルが否応なしに与えてくるからだ。
 だが、だからといって臆するわけではない。ジュディス・ミルズはコールドウェルという女と腐れ縁の関係にあり、付き合いもそこそこ長く、この常套手段も見慣れたもの。だから対コールドウェル策を知っているそれは無言で、コールドウェルの緑色の目をじーっと見続けることだ。そうすればコールドウェルは降参し、白状する。
 ジュディス・ミルズは黙って、コールドウェルの目を見つめ続ける。するとジュディス・ミルズの予定通り、コールドウェルは降参した。コールドウェルは両手を顔の高さに上げて掌を見せると、こう言った。
「はぐらかしちゃいない。すべて、今言ったとおりさ。アタシは、アタシ。サー・アーサーの差し金じゃあねぇし、元老院の言いなりでもない。アタシはアタシで、アタシが信じたいものを信じ、アタシが信じたとおりにのみ動く」
「つまり?」
「ここに来たのは、アタシの独断専行さ。サー・アーサーも実は高位技師官僚と会ったようなんだが、あの人はそれについて何も言わないんでね。馬鹿正直に直接訊くって手もあるが、その前にちと情報を集めとこうかと思ったってわけさ。だから、アンタに話を聞きに来た」
「そう。じゃあサンドラ、あなたはアーサーを信じていないの?」
「そうだな。彼は、アタシのボスだ。勿論、彼の命令には従うよ。だって死にたかねぇから。従わざるを得ないのさ。だがアタシの心まであの人のものかといえば、そりゃ違う話だろ?」
 少なくとも、今のコールドウェルの言葉に嘘はない。ジュディス・ミルズは、そう感じた。ジュディス・ミルズは不敵な笑みを浮かべると、小さな声で呟くように言う。
「あなたって変な人よね、サンドラ。工作員やスパイって感じではない。まるで皮肉屋で天邪鬼な正義の探偵。ひねくれた態度を取るくせに、心根は真っ直ぐ。この業界の人間らしくないわよ」
「どーも、褒めてんのか貶してくれてんのかは分かんねぇが。で、ミルズ。それはさて措き……」
 今度はコールドウェルのほうが、無言でジュディス・ミルズの目を見つめてくる。ジュディス・ミルズは、くすっと笑った。
「高位技師官僚は本当に、大したことを言ってなかったわ。口座の凍結を解除しろとか、それぐらいよ。とはいえ、そこから先は極秘情報。知りたいなら、そこの部屋の中にいるトラヴィス・ハイドン長官代行に聞いて頂戴」
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