【第十七章 天翔る白き翼】

1 神の落とし子


「シエングランゲラ、出てくるんだ。お前に話がある」
 どちらにも手を貸さぬと、いう中立の意思表示である黒の軍服を纏ったシルスウォッドは、シアル騎士団の拠点に足を運んでいた。切れ味鋭い細剣はいつでも引きぬけるように携え、警戒するよう周囲に神経を研ぎ澄ませながら、彼は赤い天幕の前に立つ。背後に〈聖堂カリヴァナ〉ケリスと〈道化師ジェイスク〉ディダンの二人を侍らせ、シエングランゲラが姿を現すのを待っていた。
「……父上?」
 上げられた天幕の裾。そこから姿を出したのは、少々露出の多い気もする赤い鎧を着用した、シエングランゲラだった。
 お団子に結い上げられた金色の髪。その髪を留めるように挿されている鈍色の櫛は、いつかシェリアラがシエングランゲラに贈った品だったような気もする。そして彼女が左手に握る槍は、朝ぼらけの日に照らされ、ほんのりと赤く染まっていた。
「お下がりください、シルスウォッド卿。この者は槍を」
 シエングランゲラの握る槍に少し遅れて気付いたケリスが、シルスウォッドの前に出ようとする。だがディダンはケリスの腕を強引に引っ張り、それを止めた。
「〈道化師ジェイスク〉、お前は一体何を」
「察しろよ、ジジィ」
 ディダンは即座に察したのだろう、シルスウォッドの思惑を。
 それにシエングランゲラの利き手は右。明確な殺意がある、もしくは警戒をしているのであれば、利き手である右手に槍を持っているはずだ。だが彼女は今、左手に槍を携えている。明確な殺意があるとは思えない。だからディダンは、ケリスを止めた。シルスウォッドの計画を邪魔させないために。
「今は職務中だ、口の 利きき方に気をつけッ……――」
「もし仮に、最悪な事態が起こったとしても、アンタよりシルス卿のほうが強いから、シルス卿は対処できる。でもアンタは出来ない。だから雑魚の老害は出しゃばるな。それにな、オレはアンタの部下じゃない。俺が忠誠を誓ったのは実力者である上官パヴァルにであり、無能なアンタに忠誠を誓った覚えはないさ。だから老害は黙って死んどきな。無能のゴミクズ、虫けら風情が。喋るヒマがあるなら自分の墓穴でも」
「〈道化師ジェイスク〉、続きはあとでやれ。〈聖堂カリヴァナ〉も今は下がるんだ」
 荒れ模様なケリスとディダンの関係に、シルスウォッドは釘を刺し封じると、二人に下がるよう命じる。そして不安げに揺れるシエングランゲラの青い目を、シルスウォッドはじっと見た。
「シエングランゲラ、ついて来るんだ。お前と二人だけで話がしたい」
「……分かりました」
 少し俯き気味なシエングランゲラは、黙ってシルスウォッドの後をついて行く。まるで、お説教前の子供じゃないか。そう呟いたディダンは、ケリスに向かって舌を出す。そしてケリスに背を向けると、ディダンは愛馬に跨り、ある場所を目指して走り出した。





「父上」
「シエングランゲラ、正直に答えるんだ。お前が、リストリアンスを影で支配していたのだな」
「……いえ、私はリストリアンスなど」
「正直に、答えるんだ。私は怒りも怒鳴りもしない。ただ事実を知りたいだけなのだから」
 抑揚はなく、単調だが沈んだ声色でそう言ったシルスウォッド。彼の顔に表情は何も浮かばず、ただ冷めきった瞳だけがシエングランゲラを見下ろしていた。それに対して、シエングランゲラの視線は地面を彷徨う。彼女は怯えていたのだ。
「……」
 いつだって、彼女は怯えていた。自分の父親であるはずの男に。
 幼い頃。彼女に仕えていた従者、カリラとジェンダンの二人は、そして親愛なる従姉シェリアラは、彼女のことをシエラと呼んでくれていた。とても可愛らしい、その愛称で。
 けれども父であるシルスウォッド卿は、絶対にその愛称で彼女を呼ぶことはなかった。シエングランゲラ。いつだって、その名で呼んでいたのだ。今みたいに、とても単調で感情など籠っていない声で。
「……そうです、父上」
 父と遊んだ記憶はない。まず、父と会う機会すらそれほど用意されていなかったからだ。何せあの広い宮殿の中で、シエングランゲラは隔離されていたのだ。基本的には誰とも会えぬように、常に従者に監視されていた。
 だが彼女に仕える従者というのは大変間抜けなもので、隙ばかりを見せる。だから彼女はその隙をついて、昔はよく脱走を企てていた。
 そうしてシェリアラの部屋に逃げ込むが、そうすると〈畏怖アルント〉が嫌な顔をする。けれども〈畏怖アルント〉はほんの少し、短い時間だけならとシェリアらの部屋に居させてくれた。そうして時間が経つと摘まみ出され、王宮を行き交う者たちから白い目で見られながらも自室に戻る。そして時たまパヴァルが王宮に居たりすると、パヴァルから様々な話を聞かせてもらったりしていた。
 王宮の外の世界について、〈畏怖アルント〉の間抜けな昔話について、アルダンの隊員たちについて、その他諸々。毎日毎日、その繰り返しだった。でも幼かったシエングランゲラは、その生活に何一つとして疑問を抱いていなかった。だから、幸せだった。楽しかった。
 でも。
「私が」
 いつかは気付いてしまう。その狭苦しい鳥籠に、箱庭の世界に。
 あるとき、王宮の外でイゼルナとすれ違ったのだ。あれはシエングランゲラが十三のとき。よりによって多感で、傷つきやすい年頃だった。
 その頃、彼女にとってイゼルナというのは、憧れの対象だった。イゼルナはシェリアラとは違う、とても自由な髪形をしていた。長い髪をお団子に結ってみたり、ただ一本に束ねてみたり、時には横で結ってみたり、左右に分けて三つ編みにしてみたり。お召しものだって、シェリアラよりも華やかで色鮮やかだった。青、赤、緑、黄色、橙、桃、紫。シエングランゲラも着てみたかった。でも、駄目だった。何故かシエングランゲラとシェリアラには、白い衣服しか着ることが許されていなかったからだ。
 そしてイゼルナの周りには、常に人が居た。従者もシエングランゲラ以上の人数が居たし、従者じゃない人間も彼女の周りには集まっていた。彼女の周りに集まる人々は皆、彼女のことが大好きだった。彼女は皆から愛されていたし、彼女もそんな人々を同じくらい愛していた。
 だが、シエングランゲラは違う。廊下を歩けば、従者たちは自然と道を開ける。その従者たちの目は、シエングランゲラをまるで恐れているかのようだった。そしてあとから聞こえてくるのは、侍女たちの小さな声たち。

 どうして彼女は王宮に居るの。
 母親は一体誰なんだろうね。
 ああ、忌々しい。
 あの子はまるで、忌み子だよ。

 その声が、シエングランゲラの無垢だった心にヒビを入れ、翳を落としていった。
「……そう、私が」
 縛るしがらみも少なくて、皆から好かれ愛されるイゼルナ。
 憧れは次第に歪んだ感情に変わり、いつの間にか憎悪になり果てた。シエングランゲラは徐々にイゼルナからは目を逸らすようになり、従者たちがイゼルナの話をすれば耳を背けるようになった。だがそれをする度に、憎悪は募る。そしてある時、それが爆発した。

 いやぁ、そっれにしてもだ。イゼルナさまのお転婆っぷりにゃあ、流石の俺も焦りっぱなしだったぜ。アルヴィヌの貧困街に連れて行ってくれ、その光景を目に焼き付けておきたいんですってせがまれたときにゃ、どうしたもんかと思ったよ。

 父がいる政務室の前を通り過ぎようとしたとき、そんな声が聞こえてきた。その声は、パヴァルだった。どこかパヴァルを自分の味方だと感じていたシエングランゲラは、その時はとても傷ついた。あのパヴァルが、イゼルナの話をしていると。と同時にその声は、イゼルナが王宮の外に出ていたことも教えてくれていた。
 そしてシエングランゲラは思ったのだ。どうしてイゼルナは外に出れるのに、私は出れないのかと。不公平だ。そう憤った。殴り込んで、父上さまに異議を申し立ててやる。そしてシエングランゲラが政務室の扉に手を掛けたとき。愉快そうに笑う声が聞こえてきた。
 仕方もない、どうかイゼルナを許してやってくれ。彼女には、まだまだ知りたいことが山ほどあるのだろう。だから偶にで良い。付き合ってやってはくれないか。
 あれは父、シルスウォッド卿の声だった。とても生き生きとした、和やかな声色だった。シエングランゲラが聞いたこともない声だった。それを聞いた時、シエングランゲラの中で何かが壊れる音がした。
「私が!!」
 あれから、シエングランゲラはパヴァルを避けるようになった。避けるといっても、もともとパヴァルのほうから近寄って来ていたわけじゃない。だから縁がなくなるのも速かった。
 結局パヴァルという男はその程度の相手でしかなかったのだと知ったとき、彼女は既に神国軍に入隊していた。一兵卒として、全ての身分を捨て。従姉上さまをお守りしたい。表向きは、そんな理由で。
 たしかに、そう思っていた。シエングランゲラを唯一愛してくれているシェリアラを守れるのであれば、それが本望だった。だが一番は、王宮に居たくなかったのだろう。そうしてシエングランゲラから従者は居なくなり、カリラとジェンダンの二人も、彼らの故郷であるサイランへと帰って行った。今では音沙汰もない。
 彼らもそう、結局はその程度。
 仕えるよう命じられていたから、従者の役を演じていただけ。
 その程度だった。
「リストリアンスという哀れなあの男を、操っておりました」
 そうして時は経つ。色仕掛けと金で男たちを手玉に取り、師団長という地位にまで上り詰めた頃。彼女の耳に、一つの噂が飛び込んできた。

 ユインさまと共に町を歩く、リストリアンスさまの亡霊を見た。
 死んだはずのリストリアンスさまを追いかけるダルラ卿の姿を見た。

 その噂はあっという間に広がり、侍女たちは飽きもせず昼も夜も騒ぎ立てたが、それもあっという間に鎮火した。裏でパヴァルが動いたという説も出た。その亡霊に呪い殺された人が出て、皆恐ろしくてその名を口に出せなくなったのだろうと言いふらす男も居た。とにかくシエングランゲラは怪しいと勘付いたのだ。その異様な鎮火の速さに。そうして彼女は調べ始めた。リストリアンスという男について。
 人伝には聞いたことがあった。リストリアンスとは、随分昔に亡くなったイゼルナの兄だと。十三歳の誕生日という日に、両親と共に殺害された哀れな子だと。けれどもその遺体は今も見つからず、行方も知れぬと。だが逆手にとればその情報は、今もなお生きている可能性があるということを指し示していた。
 だから彼女は、調べ続けた。あらゆる情報網を駆使して、やがて辿り着いた。
神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の居ないことにされている一席、〈不死鳥レイゾルナ〉の存在に。そしてパヴァルに仕えている、レゼットという名の碧眼の従者が、持ち主がいないはずの〈不死鳥レイゾルナ〉を持っていたという噂に。だが、それだけの情報では、攻めるには些か頼りがない。だから彼女は、もっと調べた。
 そうして〈不死鳥レイゾルナ〉は、レゼットという男はリストリアンスなのだという確信を得られたとき、また別の情報が舞い込んできた。
 オブリルトレの女王、ユイン・シャグリィアイグ・オブリルトレ。
 〈獅子レオナディア〉であったユインは男でなく女であり、そしてリストリアンスとは恋慕う仲にあるということ。
 そして、いにしえから続くシアルとオブリルトレの確執。
 それらを知り得たとき。シエングランゲラの頭の中では、ひとつの台本が出来上がった。
「私が、そう、この私が!」
 狂ったように高笑うシエングランゲラ。だが上から注がれるシルスウォッドの視線は、あくまで冷めたまま。シエングランゲラの笑いなど、気にも留めていないようだった。
「……やはり、そうだったのか」
「全ては父上、あなたがいけないんだ! 私を、私のことを」
「君は何か、重大な誤解をしているようだね」
 シルスウォッドの言葉に、シエングランゲラはピタッと動きを止める。その声が、口調が、不思議と丸みを帯びていたからだ。今まで、一度たりとも自分に向けられたことがなかったそれ。それが今、自分に向けられていたのだ。
 嬉しいはずだった。でも何故か、悲しかった。
 嫌な予感が、シエングランゲラにはしたのだ。
「そもそも私は、だ」
「父上?」
 上からシエングランゲラを見下ろすシルスウォッドは、微笑みを浮かべていた。いやに優しい、その笑顔。それが却って不釣り合いで、奇妙さを醸し出していた。
「私は」
「父上、待って下さい。あなたは一体」
「シエングランゲラ、君の父親ではない」
「父上!!」
「私は、君の父親ではない。何度でも言おう、私は君の父親ではない。だから父上と呼ぶんじゃない。分かったか、シエングランゲラ」
 和やかな笑み。だがその目は、相変わらず冷たい。まるで化け物をみるような、汚物を見るような、人を蔑む目だった。
「ならば私は、私は誰の娘だというんですか!」
「それは私のほうが訊ねたいことだよ。君は誰の子なんだ。ある日突然、私の目の前に現れ、私のことを父と呼んだ。全く、不気味で仕方がない」
「そんな……っ、わ、私は……!」
「まず、だ。妻を持たぬ男に、どうやって子供が出来ようものか。男一人で子供を作る。そんなことは、今の文明技術では到底不可能」
「神の血を継ぐシアル王家なら、出来ないことはないのでしょう?!」
「神の血だと? そんなものなど、人には存在しない」
 その途端、シルスウォッドの表情は元の無表情に戻ってしまう。シエングランゲラの手からは握っていた槍が落ち、槍はカーンと頼りない音を立てた。
「金髪碧眼。それが神の血を継ぐ者の証。神話には、そう記述されていた」
「そうです、だからその通り私たちは」
「そんなものなど、存在しない。所詮は人種の違いに過ぎぬ。猫の毛色が個体によって違うように、人の髪色も虹彩の色も肌の色も、個体によってまた変わる。それは自然なことだ。その細胞には確かに優劣が存在しているが、それによって人の優劣が決まるわけでは無い。それが金色の髪で青い目をしていたら神の血を継ぐ者だと? 笑わせてくれるものだな」
 そう言うシルスウォッドは、静かに細剣を抜き、構える。そしてシエングランゲラを睨んだ。
「さぁ、槍を構えろシエングランゲラ」
「どうしてなのですか、父上?!」
「私には政ノ大臣として、ここで果たさねばならぬ責務がある。シエングランゲラ、貴様を反乱分子として処分せねばならないからな」
「わ、私はッ!」
「問答無用!! 貴様は、今ここで私と死合うのだ。私を先にやらねば、貴様が死ぬことになるぞ、それでもいいのか!」
 そう言いながら、容赦なくシエングランゲラに斬りかかるシルスウォッド。一番の攻撃をなんとか避けきったシエングランゲラは、槍を拾い上げると目を閉じ、我武者羅に槍を突く。
 手ごたえを感じた。
「……そんな、父上……!」
 柄を掴まれた槍は、誘導されるようにシルスウォッドの腹を突いていた。深く、体を貫くように。けれども、それをしたのはシエングランゲラではなかった。
 シルスウォッド本人だったのだ。
「父上!! 何故です、父上!」
「……君は、実に優秀だった。誰に教えられたわけでもないのに、あれだけの者たちを束ねる術を知っていたのだから。けれども、君は力の使い方を誤った。それも全て、教えなかった私の責任なのだろう……ッ!」
 気がつけば鈍色の槍は、血染めの槍に変わり果てている。
 シエングランゲラは顔を青くし、後退ることしか出来なかった。
「父上、そんな、嘘だ」
「……シエングランゲラ」
「なんで、こんなことを……!」
「……君とは、偽物の親子ではない、もっと別の出逢い方をしていれば、きっと……――――」
「父上っ。……父上ッ!!」
 力なく倒れたシルスウォッドの体。そしてシエングランゲラは、倒れた彼の体から槍を引き抜いた。
 赤い色、それは神国軍の象徴。その色に染まった槍を見つめながら、彼女は一人、奇妙な笑い声をあげる。
「こんな世界なんて、こんな世界なんて!!」
 嘘だらけでしかないのなら、壊れてしまえばいい。
 一通り笑い終えると彼女は、その場を後にする。そして叫んだ。
「全軍、最終準備に掛かれ! 会戦はもうすぐだ!!」
 うおー!という猛々しい雄叫びが木霊する。彼女はそれを微笑みながら聞いていた。
 そんな彼女の耳には、偽物の父親の最後の言葉など、届いてもいなかった。





「しっかりしなさい、ラント!」
「ラン、気を確かに持つのよ!!」
 それまで〈大神術師アル・シャ・ガ〉の拠点で安静にしていたラントを背に括りつけたディダンは、短足の馬でひた走る。その横をエレイヌも、別の馬で追っていた。
「でもダンちゃん、急にラントを連れ出したいって言ったけど、どうしてなの?」
 前を向き、時に拍車を掛けながらエレイヌは、大声でディダンにそう疑問を投げかける。それに対してディダンはエレイヌのほうを向くこともなく答えた。時間がないのだ、と。
「シルス卿です! 最期に、息子の顔を見せてやったほうがいいかと思いましてね。あの人、捨て身の作戦に出やがいましたから。正直、もう間に合う自信もありませんがー……」
「ダンちゃん!!」
「なんですか!」
「なんで、シルス卿とランのことを知ってるのよ?!」
「パヴァル……いや、あなたのお父さまから、砂漠を越える最中にあらかた聞き出しましたのでね!! だから私は、今から最期まではやりたいことをやるって決めたんです! 無能のケリスに、言いたいことをぶちまけてやった。だから次が、コレなんです! あとは死ぬだけ!!」
「なんてことを……!!」
 まるで死ぬことが大前提であるかのように語るディダンに、エレイヌは驚く。だが目を泣き腫らしているディダンは恐怖に怯えているというわけでもなく、かといって平然としているわけでもない。自棄(やけ)を起こしているような、どこか焦っている顔だった。
「どうしましたか、姐御。そんなに私の言葉が信じられないと?」
「当り前でしょ! なんで死ぬのが前提みたいになってるのよ。まだ戦争で、負けたとも決まってないのに!」
 当然の疑問ともいえる質問を投げつけたエレイヌに対し、ディダンはハッと鼻で笑う。そして大声でエレイヌを罵った。
「バカですか、姐御は。この戦争に勝ち負けなんてありません。最期は全員、この世界ごと滅びるんですよ!みんな死ぬんです!」
「ハァ?!」
「って、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまとパヴァルが! その為には、管理者であるユインの意識を一度ブッ壊して、システムから切り離さなきゃならないそうです! あと、異常な動きを感知し、潰す役目を持ったシエングランゲラも破壊しなければいけないそうですよ! それでユインもシエングランゲラも、破壊するに足りるキッカケはもう作ってあるから、あとはその時を待つだけだって、パヴァルは言ってました。もしかして姐御、聞かされてないんですか?」
「初耳よ、そんなこと!! ふざけないでよ、どーいうことなのよ!」
 ぷんすかと怒り始めたエレイヌの声に反応したのか、それまで自力で動く気配すらもなかったラントが、唸り声をあげる。そしてくぐもった声で、ぼそぼそと喋った。
 ユンを、また壊すのか。
 そんな言葉を、ディダンは聞き取った。
「ええ、そうですよラントさん。パヴァルは今度こそ、ユインを完全にブッ壊すつもりだって。リスタも死んだ今、確かにぶっ壊れたほうが精神的にもラクかもしれませんしね!」
「ダンちゃん、待ってよ!! リッちゃんが死んだ? それってどーいうこと?!」
 エレイヌの質問は、まだまだ続くようだ。
「文字通りですよ! リスタが死んだ! 話によれば、ファルロンに殴り殺されたんですって! それも、ユインの目の前で! あの馬鹿犬、死んでも死にきれない生き地獄を味わわせてやりたい!!」
「殴り殺された?! ファロンちゃんに!?」
「ユインはリスタを好いていた。リスタもユインを好いていた。だからそれが気に食わなかったんじゃないんですか? あくまでこれは、私の憶測ですけど」
「だからって殴り殺す必要はないじゃないの!!」
「私はあの馬鹿犬じゃありません! 私を責められたって、困りますよ!」
 そんな遣り取りを繰り広げている内に、神国軍の赤い天幕が近づいてくる。もうすぐだ。お願いします、まだ、どうか生きていて下さい。存在するかしないかも分からぬ神に、ディダンは祈りを捧げた。
 そのとき、拠点からは男たちの勇ましい雄叫びが上がる。
 もしかすると、シエングランゲラとの話とやらはもう終わっているのかもしれない。
「……これは、まずいぞ!」
 ディダンは馬に鞭を打ち、更に速く走るよう指示を出す。ぐんぐんと速さを上げていく馬。ちょっとダンちゃん、待ちなさいよ! エレイヌの声は、遠ざかって行った。




「シルス卿、シルスウォッド卿!!」
 先ほど、シルスウォッドがシエングランゲラを連れて消えて行った天幕の裏。ラントと肩を組み歩くディダンは、シルスウォッドを探していた。けれども、見つからない。チッ、とディダンは舌打ちをする。と、どこからかエレイヌの悲鳴が上がった。
「姐御?!」
 きょろきょろと辺りを見渡すディダン。すると横のラントが、小さな声で呟くように言った。
「……火ノ三刻サ・シルテ(午前十時)の方角だ……」
 そしてディダンは、ラントの言うとおり火ノ三刻サ・シルテの方角に進んでいく。そこには呆然と突っ立ったエレイヌと、腹を庇い倒れているシルスウォッドの姿があった。
「……やっぱりだ、無茶をしやがって……!」
 ディダンはラントをエレイヌに託すと、すぐさまシルスウォッドに駆け寄り、その横に膝を付く。そしてディダンは白い首巻を外すと、その布をシルスウォッドの傷口に押し当てた。
 幸いにも、傷はそこまで深くない。押さえつければ、なんとか止血出来そうである。けれどもその為には、この程度の布では少し頼りなかった。
 そんなディダンの目に映るのは、エレイヌの赤いドレス。長い長い、腰布だ。
「姐御! そのドレス、裾のほうをビリッと破いてはいただけませんか」
「ええ、いいわよ」
 一切の躊躇いもなく裾を破いたエレイヌは、ディダンにその布切れを渡す。ディダンはその布を受け取ると、傷に押し付けるように当て、上から強く圧迫した。どうやら槍で刺された傷のようだが、傷は動脈には達していないし、腸も傷つけていない。幸運なのか、はたまたそうなるようにシルスウォッドが仕向けたのか。ディダンには、分からない。
 だが今やるべきことは、この出血を止めること。思案に沈むことではない。
「大丈夫ですか、シルスウォッド卿」
「……ディドラグリュルか」
 閉じかけていたシルスウォッドの瞼が辛うじて開き、隙間から覗いた青い目がディダンを見た。意識は残っていたようだ。
「はい、ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインスにつかまつります」
「……私に構う必要はない」
「何を仰られているんですか。出血を止めなければ……」
「……この程度の傷で易々と身罷るほど、私は柔ではない……!」
 呻き声を洩らしながらも、シルスウォッドはゆっくりと腹の傷を庇いながら上体を起こす。彼はディダンから受け取った当て布で圧迫止血を自分でしながら、エレイヌに凭れるように立つラントを見る。そして、言った。
「お前達は、〈大神術師アル・シャ・ガ〉のもとに戻れ。そして、彼奴から指示を受けるんだ。あとの算段は、私とペルモンドでつける」
「シルスさま」
 エレイヌ、もしくはエリーヌはその時、固まっていた。
 今の今まで、自分の知らないところで、何かが動いていたのだ。そして、その中心にはパヴァルが、若しくはペルモンド・バルロッツィという名で呼ばれていた“父”が居た。
 なのに自分は、何も知らなかった。今まで、ずっと。
 そしてディダンは、もうすぐ全てが終わると言う。この世界が、滅びるのだと。
「パヴァルは、父は、何をしようと」
「……贖罪と復讐。それと、自らが生み出してしまった災厄の破壊だ」
「災厄?」
 シルスウォッドの言葉に、首を傾げるエレイヌ。
「……オウェイン実験だ。人間性を失くした、科学の暴走。アバロセレンによる錬金術により生まれた、双子の人造人間ホムンクルスだ」
「ホムンクルス……?」
「レーニン、エリーヌ。お前達が育てた双子の姉妹だ。U-1ユーワンU-2ユーツー、呼称はユンとユニ。あれは人の胎から生まれた子供ではない。作られた生命であり、いずれ」
「待って下さい、シルスさま! じゃあパヴァルは、ユン坊を」

 手に掛けようとでも、言うんですか。あの子たちに罪なんて、無いのに。

 そう言おうとしたエレイヌだったが、その言葉は途中で引っ込んでしまう。エレイヌの肩に腕を掛けていたラントの腕が、ずるりと落ちたのだ。崩れるように倒れ込むラント。その体が完全に地面に落ちる前に、ディダンは受け止める。
 ラントの体温は上がっていた。だが顔は青ざめている。呼吸は浅く、羽織っている藍晶の袖からは、白くなった腕が覗いていた。
「しっかりなさい、ラント! いつもの軽口はどこに行ったんですか!!」
 ディダンは掴んだラントの肩を揺らすも、ラントの視線はどこかを彷徨っていて、ここにない。畜生ッ。ディダンはそう吐き捨てる。そしてラントを背負うように肩を組むと立ち上がり、どうにかこうにかで馬に乗せた。そしてディダンも、ラントの後ろに跨る。何をする気なの、ダンちゃん。エレイヌが声を上げた。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまのところへ向かいます」
「なんでよ?!」
「私の勘が、ここはシルス卿に従うのが無難だって訴えているからですよ」
 「待ちなさい」というエレイヌの声と、「時間がない、急げ!」というシルスウォッドの声が重なりあい、お互いをかき消す。
「……全ては神のお遊戯で。私たちはその尻拭いに毎度付き合わされる、盤上の駒……」
 そしてディダンは、ある言葉を思い出す。
「……私の役目は、真の目的から目を逸らさせること。愉快に道化を演じて見せる、ディナダン卿……!」

――お前が噂に聞いた、パトリック・ラーナーか。
――あはは、バレちゃいましたか。流石ですね、バルロッツィ高位技師官僚。
――ハナから隠れて諜報するつもりもなかったんだろう? で、お前は誰の手先だ。
――アーサーより遣わされた騎士ディナダン、といったところでしょうか。
――つまりWACEワースか。……相変わらず円卓の騎士ごっこが好きだな、あの野郎……。

「思い出してきましたよ、少しずつですけど……――!」
 《神託ノ地ヴァルチケィア》を見下ろす崖。その上に立つ、〈大神術師アル・シャ・ガ〉の影がディダンの目に映る。あそこまで全速力で馬を駆けさせたとして、会戦までにギリギリ間に合うかというところだろう。
「走れ、このノロマがァッ!!」
 拍車を更に、強く強く掛ける。
 既に日は昇った。時間がない。砂漠の乾いた砂を馬は蹴散らし、ディダンの後には砂の霧が出来上がっている。その霧の濃さは、ディダンの焦りと比例しているかのようだった。