【第十六章 胡蝶の夢】

2 修羅の目にも涙


 ディダンは神国軍の拠点内に用意された天幕の中で、一人考え事に耽っていた。どうにも、納得がいかない。あれ、これ、それ、どれ。昔の記憶全てを一度見直し考えなおしてみると、思いのほか全ての辻褄が合っているようで実は合っていなかったのだ。それを紙に適当に書き出していく。
「……」
 何百年も実際に処刑が執り行われることもなく、ただ形だけのお祭りとなっていた悪魔狩り。それがあの時、何百年ぶりに執行されたのだ。
 処刑された少年の名はキアノ・コスロム。サイランの町でその日暮しをしていた、孤児の少年だというらしい。けれども記録によれば、その少年の目は処刑対象の赤ではなく、〈大神術師アル・シャ・ガ〉のような赤紫だったらしい。だが十字架に架けられた直後、少年は突然消え去ってしまったのだという。そしてその少年は未だに行方不明のまま、結局なにがなんだか分からず仕舞いで事件は迷宮入りとなった。
「……結局、あれの犯人もよく分からないまま、迷宮入りしてますし」
 昔、スザンが召喚状を受け取ったとかで王都にやってきたとき。彼はフーガルという男と一緒に、王都に来ていた。そしてシャレーイナグラのとある酒場付近で連れの男だけ、剣〈獅子レオナディア〉を持った兵士らしき不審な男に殺されたのである。
 時を同じくしてカレッサゴッレンでは、パヴァルと共に町を歩いていたユインが町中で剣〈獅子レオナディア〉を盗まれていた。突然真っ向からぶつかってきた男に掏られたと彼女は証言していたし、パヴァルもそういう主旨の供述していた。目撃証言も取れており、そこに疑う余地は無いはずだった。
 けれども、その日の晩。フーガルという男を殺したとされる兵士の遺体が王宮裏で発見された。それからその遺体は『〈大神術師アル・シャ・ガ〉からの命令』として焼却処分され、だが出てきた焼骨は人ではなく鼠だと、憲兵団を大きく揺すぶることとなった。
「……ユインでもなく、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまでもない。ならば……」
 鼠を人の姿に化かした。それは間違いなく神術により成し得た技であり、疑いの目は真っ先に〈大神術師アル・シャ・ガ〉に注がれた。シクも〈大神術師アル・シャ・ガ〉からユダヌの祠で、フーガルを殺したということを連想させるだけの言葉を投げかけられたと言っていた。
 だが〈大神術師アル・シャ・ガ〉は憲兵団と接触した覚えは無いと、シクとも会っていないと容疑を否認した。それに憲兵団が〈大神術師アル・シャ・ガ〉からの命令を受けたという時間帯に、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はカレッサゴッレンの酒場ギャランハルダに居たことが確認されているし、シクがユダヌの祠で〈大神術師アル・シャ・ガ〉と会ったと言っていた時間は、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はシルスウォッド卿と会談をしていた。それはディダンもケリスも知っているし、会談の一部を扉越しに聞いたくらいだ。よって〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、紛れもなく白だった。
 となると疑いの目は、同じく神術の扱えたユインに向けられた。なによりフーガルを殺めた剣は彼女の剣、〈獅子レオナディア〉。でも、それを立証できるだけの証拠がなかった。
 出てきたユインに纏わる証拠といえば、彼女の無実を証明するものばかり。剣がないと人ごみの中で慌てていたとか、それで道のド真ん中でパヴァルに説教を食らっていたとか、フーガルやスザンが襲われた時間のその直前に彼女は露店を出していた薬草師と揉めていたとか。けれども彼女の疑いは晴れぬまま、また無実を証明できる決定的な証拠も出ないまま、時だけが過ぎ、そして《光帝シサカ》継承ノ儀に至った。
「……彼らに濡れ衣を着せようとしてるのは、誰なんだろうか。彼らは誰かしらから強い恨みを買っていたのか、それとも単に利用されただけなのか……」
 儀の直前、スザンはユダヌの祠を訪れたらしい。そこでユインから告白されたと、彼は言っていた。フーガルは俺が殺した、と。
 けれども先日の晩、ユインとリスタはそれを否定した。儀の直前はシエングランゲラの部下たちに監視されていたから、ユダヌの祠になんて行けるはずがないと。また、王宮きっての古株、侍女長レグサ・エンゲルデン・ベルナファスも、シエングランゲラの部下に監視されるユインとリスタの二人を見ていた。
 だからどちらの情報を信用するかと問われれば、スザンではなく後者の方になるのだ。それにユインが湯浴みの最中に溺れかけ騒動となったというのは、神国軍の内部者に確認が取れた。だから余計に、謎が深まるのだ。一体フーガルという男を殺したのは、誰なのか。犯人像が全く掴めないのだ。
 ならば。
「ダメもとで、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまのところにでも行ってみるかぁ……」
 会戦までは、まだ時間がある。神国軍の拠点から〈大神術師アル・シャ・ガ〉の拠点まで、そう時間はかからない。馬で往復しても、会戦には十分に間に合うことだろう。
 ディダンは要点を纏めた紙をぐしゃぐしゃに丸めて、天幕を照らしていたカンテラの火の中に放り込み燃やす。そして天幕の外に出ると愛馬のキャナッシュロドンに跨ると、ディダンは〈大神術師アル・シャ・ガ〉の拠点を目指し走り出した。




「単刀直入に言おう。全ての黒幕はメクだ。私もずっと、それこそ昨日まであれに騙されていた。独眼の水龍があれの正体を見破らなければ、今も気付くことは無かっただろう。それほどまでに、相手は 老獪ろうかいで狡猾だ。だからこそ、ブッ潰す。あやつが作り上げたこの虚構の空間ごと、消し去ってやるのだよ。神だかキミアだかケミストリーだかアルケミーだか知らんが、あれの鼻を叩き折ってやるわ!」
 サラネム連合軍からも神国軍からも離れた砂漠の中にぽつりと佇む、砂色の簡易天幕の中。〈大神術師アル・シャ・ガ〉はディダンを前に、舌打ちをする。勿論ディダンに対して向けられたものではないが、それでも普段はあれだけ温厚な〈大神術師アル・シャ・ガ〉が舌打ちをするとは、どうやらその怒りの深さは計り知れないようだ。
 そしてその後ろでは、ぐったりとしたラントが長椅子の上で横になっており、その隣には付き添うようにエレイヌが座っていた。
「メクといいますと、あの大きな黒い鳥ですか。鳥が、全ての黒幕だと?」
 ディダン自身は、あまりメクという鳥を見たことがない。ただ大きいな、という印象だけはあった。例えていうなら、パヴァルが至極気に入っている西アルヴィヌ産の黒馬、大柄でありながらも動きが機敏なアルヴェンラガド。あれはとても大きな馬だ。ディダンの愛馬、南アルヴィヌ産の小柄だが体力だけはある黒馬のキャナッシュロドンと違って、とにかく大きな馬である。だからメクといえば、そんな馬と同じ大きさはあるだろう、それは巨大な鳥だった。
 だが鳥に、人を騙せるほどの知能があるのだろうか。聖獣でもあるまいし。とてもディダンには、信じられなかったのだ。
「……トリ?」
「あれは鳥ではない。鳥の姿を借りているだけの、神そのものだ。主神《秩序ウカル》や《業火シレイヌ》、《霊水ヴィテナ》、《息吹アニェン》、《光帝シサカ》、《幻影ノクス》といった、概念だけでしかない六大女神とは全くの別物だ。実存する種族としての神、それこそ十の剣に封じられた武神たちと同じようなものだ。それがこのシアルン神国を影から間接的に支配していた。だからこそ」
「種族としての神? それはどういうものなんでしょうか」
 ディダンの中で神といえば、それは即ち“存在しないもの”に繋がる。祈ったところで無駄な相手。超然的な大自然を神格化したものに過ぎない。そんなものに種族があるというのだろうか。ディダンは〈大神術師アル・シャ・ガ〉の頭を疑った。
「貴様だってその種族としての神を嫌というほど見ているだろうに、随分と鈍いなぁ全く。独眼の水龍パヴァル・セルダッドが連れている龍神カリスが、まさにその例。カリスは神だ。あれこそが神という種族の一例よ」
「あんなのがですか?!」
「あれはまた特殊な例でな、今のカリスという神は完全ではないのだよ。その力の大半をあの男に譲り渡している所為でな。だからあの男が、ああして無双が出来るわけだ」
 そう言う〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、目を伏せながら呟く。人の身で神になるという禁忌を冒した大罪人、と。だがディダンにはその声から侮蔑の念は感じられず、どちらかといえば偉業を遠回しに褒め称えているかのようにも聞こえていた。その証拠に〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、どことなくほくそ笑んでいる。人類の勝利だ、と今にも叫び出しそうな不敵な微笑みだ。
「それでだなぁ、ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス補佐官。あのメクを騙る神が、貴様が疑問に思っているだろうフーガルという男の事件、全ての犯行のカギを握っているのだよ。きっと書きだした疑問とやらの点をメクという中間点を通して、線で繋いでみるといい。自ずと答えが出てくるはずだ」
「中間点を通す、と言いますと……?」
「まず、メクは神術が扱えた。このシアルン神国という空間そのものを支配している神だから当然のことだがな。そうすると、鼠の説明が付くだろう。大まか、人に化かした鼠に王宮仕えの兵士の鎧を着せ、そいつにユンくんの携えていた剣を盗ませ、そのままフーガルという男を殺させたというところだろう。それにわざわざ兵士の髪を白にして、ユンくんに濡れ衣を着せようとしていたんだ。実に狡猾だと言わざるを得ない」
「……ふむ」
 少しばかり強引で無理矢理にも思える仮説だが、それで納得できないことはない。神術という不可解な力を使えば、それも可能になるのだろう。現にその神術の一番の使い手である〈大神術師アル・シャ・ガ〉がそう言っているのだ。鼠を人に化かすことくらい、朝飯前なのかもしれない、とディダンは考えを巡らす。そして〈大神術師アル・シャ・ガ〉は続けて話した。
「因みにだが私はフーガルという男が酒場で殺された時間帯は王宮に居て、メクなどに構っている暇は無かった。聡明で用意周到、疑り深い君のことだから確認は取れていると思うがね」
「はい、勿論です」
「あとその後に、〈水ノ聖獣シラン・セク〉の一角獣シクがユダヌの祠で私と会ったと証言しただろう? だがその時間、私はシルスウォッド卿と政務室で会談をしていた。勿論、メクなど傍に置いていなかったし、君も武ノ大臣殿と二人、その話を盗み聞きしていたから分かるであろうがな。だとすればそのユダヌの祠に現れた私とやらも、メクが化けた姿だと考えるのが妥当だろう。……全く、この名を出すだけで胃がムカムカとしてくれるわ……!」
 話せば話すだけ、〈大神術師アル・シャ・ガ〉の口調は早くなっていく。そんな〈大神術師アル・シャ・ガ〉を前に、ディダンは普段以上に緊張せざるを得なかった。
「次に、だ。《光帝シサカ》継承ノ儀の際に、青髪の吟遊詩人がユダヌの祠でユンくんとリストリアンス卿に会ったと言っていた、と君は言っていただろう」
「はい。けれどもユインもリストリアンス卿も儀の前はシエングランゲラの部下に監視されていて、王宮の外に、ましてや用意された部屋から外に一歩も出ることなど無かったと言っていました。その様子を見たという侍女長レグサの証言も取れています」
「儀の直前、クルスムくんと別れたあとに私は独眼の水龍と二人きりになっていた時間があった。僅かな時間ではあったがな、その吟遊詩人がユダヌの祠に訪れたという時間と見事に一致するのだよ。そしてその時、メクの姿は私の近くには無かった。だとすれば、これもメクの仕業であろう」
 これで繋がっただろう、と〈大神術師アル・シャ・ガ〉は言う。
「これは全て神のお遊び。神のきまぐれ、神のわざわいだったのだ」
「……神の禍、ですか」
「だから私たちは、あの神の鼻をへし折ってやるのだ。このシアルン神国を消し去るというカタチでな。これから起こる戦争は、その為に打ち込んだ楔だ。どちらにせよ、この世界に救いは無い。命乞いは無駄ということだ。もし仮にこの世界に未練があるのだと言うのであれば、それをすっぱり切り捨てることだ」
 それで筋道が通るといえば通ってしまうし、それで全ての謎が繋がるといえば繋がってしまうし、納得が行ってしまう。だがディダンは、納得したくなかった。そんな神という不確定で不明瞭な存在に全ての答えを押し付けてしまっていいのかと。
 うぅむ、と唸るディダン。そんなとき、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はディダンに対して近くに来るよう手招きをした。そしてディダンは〈大神術師アル・シャ・ガ〉の真横に移る。近付いたディダンの耳に〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、ひそひそと囁いた。
「……クルスムくんがラムレイルグの里でウィクと共に大暴れしたと、先程鷹が 報しらせてきた。なにやら、リストリアンス卿が危篤らしくてな。彼の顔を見るなら、今のうちやもしれぬぞ」
 それを聞いたディダンは、わっと立ち上がる。ありがとうございました、と〈大神術師アル・シャ・ガ〉に頭を下げると天幕の外で待たせていた愛馬に跨った。
「……リスタ!」
 そうして次にディダンは、サラネム連合軍の拠点へと向かっていったのだった。





 到着したサラネム連合軍の拠点にはシャグライ族の姿はこれといって無く、かわりに武器を丹念に整え、相棒らしき猛獣たちに餌の肉塊を振舞うラムレイルグ族の者だけが溢れ返っていた。
 念の為に軍服の上から肩口に、敵意がないことを示す黒い布きれを巻き付けて拠点に入ったディダンは、その光景にまず驚いた。連合軍と聞かされていたものだから、てっきりシャグライ族も居るのかと思ってたのに、と。だがどうやら実態は違うらしく、武器を携え拠点内をうろついているシャグライの男は一人だけな上に、それはシャグライ族現族長のイェガン氏と見受けられた。
「……彼がシャグライの新しい族長、イェガン氏かぁ……」
 なぜ面識もないのにディダンが彼をイェガン氏だと見抜いたのかと言えば、それは彼が携えている槍を見てのことだった。ユインから過去に聞いた話、シャグライ族の族長は先が二股に分かれた槍“ミズオルゲイルグス”を受け継ぐのだという。
 それはオブリルトレ家に残る家宝の神器が一つ。天から雷を召喚する雷槍で、切っ先は鷹の嘴を見立てたものなのだというらしい。だから名前は、“天空からの鷹の襲撃ミズオルゲイルグス”。けれどもそんな由緒正しき槍を持つ男は、見るからに軟弱そうな体をしていた。
「……宝の持ち腐れじゃなければいいんですけど」
 周りに聞こえない程の小声で、ぼそっと呟くディダン。すると向こうから金色の頭と、銀ろの獅子が見えてきたのだった。そしてゆっくりとこっちに近付いてくる。あ、クルさんだ。ディダンはクルスムのほうに向って、大きく手を振った。
「クルさん! クルさーん!! ちょっとお話いいですかー!」
「ディドラグリュル?」
 駆け足でディダンのもとに寄って来たクルスムとウィクの顔はどことなく沈んでいて、三白眼のクルスムの目は血走っている。何があったのかと聞くまでもなく、ディダンが口を開く前にクルスムが声を出していた。
「聞いたのか、リスタのこと」
「……ええ。危篤だと、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまから」
「その情報は、間違いだな。まあいい、ちょっとついて来てくれ。アンタに見せたいものがあるから」
「はい、分かりました」
 普段のクルスムらしくない低調な声に違和感を覚えながらもディダンは、先を行くクルスムとウィクの後を追いかけた。




 辿り着いたのは、簡易的な構造の簡素な小屋。蹴破られたように前のめりに倒れ壊れた扉のその先、寝台の上に横たわる人の姿が。その光景を心の準備もないままに見せつけられたディダンはその場に一瞬立ち止まり、小屋の中に早足で上がり込んでいく。そして人影の傍まで行きしゃがむと、寝そべっていた人物の顔を見た。
「これでも、綺麗になったほうさ。さっきまでは口から血が出て、顔が赤くて見てられなくてよ。それを水龍さんが拭ってくれたのさ、綺麗に」
 閉じた瞼と、長くて上向き金色の睫毛。長くて濃い精悍な眉と、鼻筋が長くて高い鼻。面長の輪郭と、小さく頬笑みを浮かべた口元。毛先のほうに軽い巻きが掛かっている、金色の長めな髪。鍛えているにしては少し細い首に、終に消えることなく残った手形と紐の二種類の薄い索痕。いきすぎたなで肩のせいで肩幅が狭く見える肩。
 明眸皓歯で眉目秀麗。
 紛れもなく、それは変わり果てたリスタの姿だった。
「一昨日の夜が明ける前は、あんなに笑ってたのにさ。何があったんだよ、なんでリスタばかりがこんな目に遭わされなきゃならないんですか……!」
「……ディドラグリュル」
 リスタの着ているよれた衣服を捲り、ディダンは彼の腹部を見た。殴る、蹴る。そういった暴行が加えられたような青痣が、青くなりかけている肌に生々しく残されている。さっきクルスムは、リスタの口からは血が出ていたと言っていた。ならば死因は、この所為なのだろう。暴行を加えられて、腹部を通る太い動脈や内臓に傷が付いた。そこから出血して、失血死したのだろう。あくまで医術師でもないディダンの憶測にしか過ぎないが。
「……クルさん」
「アタシはさ、昔。それこそ王都に着たばっかの時。正直リスタのことが好きになれなくてよ。シアルの王族みたいな金髪に青い目をしてやがるからとかじゃなくて、いつもニコニコ笑ってるから好きになれなかった。なにか裏で考えてんじゃねぇのかって、いつも疑って掛かって」
「……そうだったんですか」
 場を紛らわそうとしているのか、なんなのか。クルスムは昔話をしはじめる。そんな昔の話、今関係ないでしょう。そう思っても、声には出さなかった。そんな気力すら、今のディダンには残されていなかったからだ。
「でもよ、リスタって意外とバカだったって、ある時ふと気付いたんだよ。ラズミラに教えられた、っつーのもあったけどな。コイツがニコニコしてるのは何も考えてないからであって、偶に笑顔で吐く暴言とかも、何か特別な考えがあるわけじゃなくて、単に思いついたことをそのまま言ってただけなんだって。そう気付いてから、リスタを見る目が変わったよ。よく見てみりゃ毎日のように結構なドジを踏んでくれてるし、大失態をしでかしてくれても、なんだか憎めなくてさ。リスタならしゃぁーねぇーな、って。変な奴だったよ、ホント。藍晶と間違えて紫紺を羽織ったり、ハト肉と間違えてウサギ肉を鷹に出してエルサスに顔引っ掻かれたりしてて……」
「こう見えてもリスタ、障害持ちだったんですよ。昔は、そんなこと無かったんですけどね」
「…………」
「昔です、二十年以上も前。リスタが十四、十五の時でしたかね。あの人、ある貴族に王宮の中で誘拐されて、地下の牢獄みたいな場所に二日も監禁されて、それはもう酷い目に遭わされたんですよ。小太りの脂ぎった汚いジジィに青いドレスを着せられて、真紅の口紅を唇に引かれて化粧をされて、それでその男に好き放題に玩ばれた。頬を何十発も殴られて、首を絞められて、強姦。何度も、何度もですよ。それも、拒む非力な子供に対して。忌々しいったらありませんよ、殺しても殺し足りないくらいだ。それに、あの時だけだった。本気で怒って、感情に任せて男をギッタギタの八つ裂きにしたパヴァルを見せられたのは。……それだけ、リスタに対して行われた仕打ちは酷いものだった」
「……だからリスタは、王宮に行く時にゃ必ず女装してたのか。青いドレスに、真っ赤な紅を引いて」
「そうですよ。そうするとあの時を思い出すからわけもなく緊張して、より一層周りに気を配れるようになるからって。馬鹿じゃないかと思ってましたよ、敢えて自分の首を絞めるような真似をして」
 気が付けばディダンまでも、昔話をしていた。それにヤケに熱くなっている。どこにこのこみ上げる怒りをぶつければいいのか、それに戸惑っているかのようだった。
「……監禁から解放されてから、リスタはおかしくなっちゃって。事務所に帰って来てからも心ここにあらずみたいに一言も喋りもしなければ、感情表現も何もしなかった。それこそいつかのユインのようでしたよ。それ以前はあれほど笑ってたのに、あれほど喋ってたのに、あれほど遊んでくれたのに、そういうのも全部なくなって。それが三日くらい続きました」
「それくらいで済んだなら、まだマシじゃないのか」
「マシ? そんなわけないじゃないですか。リスタが帰って来てから四日目の朝でしたよ。起きてこないから変だなって思って彼の部屋を訪ねてみたら、天井に紐括って、首吊ってたんですから。あの青紫になった顔は、今でも忘れられませんよ。あの時以上に、怖かったことはなかった。人の死が、悲しく感じられることはなかった。だって、自殺以上に惨めな死に方ってありますか? 安楽死ですらないんですよ、自分自身を殺すことしか選択肢が残されてない状況にまで人が追い詰められてるんですよ。それ以上に惨めなことって、あるでしょうか。ないでしょう?! それなのにあの時の私は、そんなリスタに気付いてやれなかった。何もしてやれなかった。それがとても、悔しくて……!!」
 いつになく、饒舌に喋ってるな。ディダンの中で別のディダンが、冷静にそう自分を判定している。それなのに、ディダンの口は止まらない。怒りを、憎しみを、悲しみを、その全てを紛らわすかのように言葉を吐き出す。早口に、止まらないように。そして知らず知らずのうちに、目から涙も溢れていた。おかしいな、親が死んでも涙なんて流したことなかったのに。また別のディダンが、口を挿む。でもどうしようもなかった。
 こんな感情、初めてだ。こんなに、悲しくなるなんて。
「……」
「エレイヌとラントがリスタを助けましたけど、それでももう手遅れだった。脳が駄目になっていて、回復は不可能だろうって当時の〈大神術師アル・シャ・ガ〉さますらも見放したくらいでしたよ。だから半年くらいですかね、リスタは本当に駄目になっていました。喋らないし笑わないし目も合わないし、ただ呼吸をしてるだけ。植物人間っていうのになってたんですよ。だからケリスのクソ野郎は言ってたんですよ、いっそのこと殺してやったほうがリスタの為なんじゃないのかって。それでもあの時だけ、冷血漢のパヴァルが待ってくれって言ってたんですよ。可能性に賭けたいって。アイツ、なんかわけの分からない薬作ってて、それをリスタに服用させてたんですよ。ずっと、それこそ昨日まで」
「水龍さんが?」
「そしたらある時突然、リスタが目を覚まして。それでも、当時は酷かった。まともに喋れないし、呂律は回らないし、そもそも言語を理解してなかったし、目もまともに見えてなかったって言ってた。まるで赤子を相手にしてる感じでしたよ、冗談抜きで。だからヴィッデやエレナとランとオレとで、リスタを看病してた。一人で立って動くことも 儘ままならなかったから、補助をして。食事も固形物は食べれないから流動食をランが作って。オレのほうが年下なのに、読み書きも一から教え直して。完全に、とは言いませんけど昨日までのリスタみたいに自立させるまで、とんでもない時間が掛かった。それでも能力は元に戻らなくて、文字通りバカのリスタが出来上がったんですよ。空気読めないし、物事の先も読めないし、自分一人で考えさせて行動させれば無謀な行動に出かねないし、だからパヴァルが一から計画を立ててそれを丁寧に教え込まなきゃならないし。色も見えなくて全てが灰色にしか見えないし、だから同じ明度の藍晶と紫紺の色の違いが分からなくて、しょっちゅう間違えるし。でも」
「……」
「でも、アイツは何も悪いことなんてしてこなかった」
「……ディドラグリュル」
「オレみたいな汚れきった人間と違って、アイツは罪なんてなくて人も殺したことも騙したこともなくて綺麗そのものだった。それなのに、なんで、なんでいつも……!」
「……人ってのは生きてる以上、必ずいつかは死ぬんだよ。善いことをしていても必ず不幸は訪れるように、どんなに徳を積もうが積まなかろうが、死は誰にでも平等に訪れるんだ。それに嘆いたところで、リスタが」
「分かってますよ、でも、それでも!!」
 きつく強く握りしめた拳で床を強く叩いた。バンッという音が鳴り、そしてすぐに消える。止まらない涙が頬を伝い、寝具の上にぽたぽたと垂れた。
「クルさん、リスタを殺したのは誰なんですか!!」
「……ファルロン・セスだ」
「馬鹿犬は今どこに!!」
「やめときな。アタシも殴り込みに行こうとしたけど、アイツの取り巻きが多すぎて近寄れないったらありゃしないよ。それに黒い布を腕に巻き付けてるとはいえ神国軍関係者のアンタが余計な接触を図れば、不要な混乱が巻き起こるだけだ。今は神国軍の拠点に黙って戻るのが賢明、そうじゃないのかいディドラグリュル。頭の良いアンタなら分かってるはずだろ」
「……」
 戦場という不安定な場所で感情に任せて行動すれば、何が起こるか分かったものじゃない。それはディダンが一番理解しているはずだったし、普段は周りにそう忠告する立場だった。それなのに、今は逆に忠告を受けている。それにクルスムが言っていることが正しい。ディダンは黙って、頷くしか出来なかった。
「機会があれば、アイツはアタシがぶった斬る。アンタの分もな」
「……頼みましたよ」
 兄弟と呼べるものが居なかったディダンにとって、アルダンにある日やってきた自分より十歳年上のリスタは兄や姉のような存在だったし、きっと勝手にそう見立てていた自分が居たのだろう。リスタが来る前からラントやエレイヌの二人は居たけれども、あの二人は二十一も年が離れていて、兄貴分と姉貴分ではあったものの、決して“兄”や“姉”という感じではなかったから。
 だから自分が思ってた以上に、自分にとってリスタという人はとても大きな存在だったのかもしれない。
 失くしてから初めて気付くものもある。ふと頭を過るその言葉の重さに愕然としながらも、涙を拭いたディダンは神国軍の拠点に戻っていった。