【第十五章 輝きは此処に無く】

3 穢れた華の、香に溺れ


「どうかしましたか、ユイン」
「ううん、別に。なんかリスタって変だよな、って思って」
 クルスムが猛獣舎にいることが当たり前になってきた頃、ユインはよく猛獣舎に顔を出すようになっていた。
 ユインは時折、スザンや赤子だったルドウィルとその母親フリアを連れて来たりもしていたが、大抵の場合は一人で、怪我の多いファルロンのために薬の補填に来たというのを口実に、なんだかんだでくつろぎに来ていた。
 そしてリスタが鷹匠としての一日の務めを終えて、鷹たちを獣医代わりのクルスムに預け、猛獣舎に戻り、広間で一段落していたころ。今日もまた、ユインは猛獣舎に遊びに来たのだった。
「それはユイン、あなたにだけは言われたくないですよ。わざわざ男装をし……」
「あー! それは黙ってくれるって、あの時に約束してくれたじゃん! というかリスタだって、王宮で開かれる舞踏会の警護に行くときは、バッチリ女装キメてんじゃんよ!!」
 年に一度、王宮で開催される舞踏会。その警護に毎年アルダンは駆り出されていた。それはリスタも例外ではない。その為にリスタは毎年変装をしなければならないのだが、舞踏会の際だけは女性の姿で入るようにしていた。
 女性ものの茶髪の鬘を装着して、青いドレスに身を包み、真っ赤な口紅を引いて。レゼットではない別の誰かになりきり、ディダンと共に会場を歩き回るのだ。それをここ十年ほどやっているが、未だに男だとバレたことは一度としてない。今となってはバレてないことに快感や清々しさすらも見出している。年に一度の娯楽のような、そんな感じだ。
「それは、それですよ。変装しなければ王宮に立ち入れないんですから」
「そりゃそうだけどさ、でもなんで女装するの? 別にレゼットくんでも良いわけじゃん。それなのに、どうして青いドレスを着て、真っ赤な紅を引くわけ? ただでさえ元が綺麗すぎる女顔なのに、もう女にしか見えなくなるっての」
「……女顔ッ?!」
 だが、だからといってリスタが、自分自身を女顔と思ったことはない。何故なら、一人の男としての自分の顔に少なからず自信を持っていたからだ。男として、だ。女顔だなんて、そんな。
 つまりリスタは、ユインのその言葉を侮辱として受け取った。
「そんなことが、あるわけないじゃないですか」
「あるね。だって、そうだろ。事実を述べたまでだよ。眉毛はディダンほどじゃないけど、長くて濃いし、割と太め。けどディダンみたく男らしい眉というより、クッキリハッキリした女性の眉ってカンジ。睫毛だって俺より長くて上向いてるし、下睫毛だって長い」
「確かに長いとかはよく言われますけど、でも」
「切れ長の目だって、切れ長だけど鋭さがない。ちょっと女性っぽい柔らかさがある。それこそ第二分家当主のイゼルナさまにそっくりじゃない?」
「……あの、それは」
 イゼルナと似ているのは、当然だ。血の繋がった、実の兄妹だから。それにどちらの目も、母親のシェルティナに似ているとよく言われたものだ。だから似ているのも、仕方がない。
「それにリスタって超なで肩だから、肩幅が狭いだろ? それになで肩であるからこそ、女性っぽい丸みを帯びた線が生まれる。だから腕が筋肉でガッチガチでも、男だってバレないわけさ」
「なで肩は事実ですけど、だからって」
「あとさ、リスタって髭ってものがないよね。剃ってるような痕もないし。童顔なディダンですら今は髭を剃ってるってのに、リスタが剃刀を持ってるとこなんて想像もつかないし、見たこともないんだけど」
「……」
 ユインの考察通り、そろそろ良い歳に差しかかるリスタだが、人生で一度たりとも髭など生えてきたことはない。パヴァルが言うには、薬の副作用でホなんとかに異常が起こり、体がおかしくなっているのだと言うらしい。それにリスタは育ち盛りだった十代の頃から薬漬けの状態であるため、もうパヴァルですらも手の着けようがないのだという。
 正体不明の薬を断てば正常に戻るらしいのだが、それをするとまた寝たきりに戻るとかで。ならば、髭くらい諦めてやる。そういうところだ。
「それにリスタが女顔って、別に俺だけがそう思ってるわけじゃないからね。ディダンだってそう言ってたし、エレナの姉御だってそう。ヴィッデもそう言ってたっけか。あとクルスムも言ってたぜ、リスタは絶対女装のほうが似合ってるって。あとリュンも。ベンスだけは、リスタの女装は勘弁してくれって言ってたけど。冗談抜きで女にしか見えなくなるから、過呼吸起こすってさ」
「……」
 なんてことだ。 
 まさかアルダンの隊員にそう思われていたなんて。
「あと、パヴァルもつい昨日言ってたな。レゼット“くん”をやめてレゼット“ちゃん”にしたほうが良かったか、ってな」
 パヴァルまで、そう思ってたのか。
 味方だと思っていたのに。
「……女顔だなんて、そんなぁ〜……」
「事実だからいっそ潔く認めちゃいなよ、リスタちゃん」
 項垂れるリスタは、顔を真っ赤にする。ニヤニヤとした笑みを浮かべるユインは、満足げにしたり顔を浮かべるのだった。
 因みにこの頃、アルダンのおおかたの隊員たちはまだユインの性別を「男」だと思っていた。馬鹿なベンスやリュンは勿論のこと、ディダンやヴィディア、ケリスなども見抜けていなかったという。ラントはよく分からないが、パヴァルとエレイヌは当然見抜いており、またファルロンやクルスム、ラズミラといった彼女の同郷の幼馴染たちも知っていながらも敢えてそのことは口外していなかった。当然、リスタも口外することは無かった。自分の秘密を口外されたくなければ、相手の秘密も口外してはならない。
 ユインとはつまり、そういう関係だ。
「……それで、一体僕のどこが変だというんですか?」
「ほら、今の口調。やっぱ変だよ。いつもと違う」
「はい?」
 普段と変わらぬつもりで喋っていたリスタだが、それがおかしいと指摘をされ、笑顔の呪縛が一瞬解ける。一体、どこが? リスタには、全く以て思い当たる節が無かったのだ。
「いつもと変わらないと、思いますけど」
「口調っていうか、一人称? いつもリスタって人前だと丁寧に“私”って言うのに、特定の人の前だと“僕”になるよね。パヴとかキャス、ファンの前だと“私”だけど、ダンとかクルスム、あと俺の前だと“僕”みたいな。……どういう基準で使い分けてるの?」
「……そう、ですか?」
「もしかして自覚なしだった?」
「全く気にしてませんでした」
 思い返せば昔、ディダンにもそんなことを言われたような気がしなくもない。「なんで僕の前じゃ一人称は“僕”って言うのに、パヴァルとかの前じゃ“私”なの?」と。そしてディダンが言うには、髪を結んでいるか、それとも下ろしているかによって雰囲気も違うらしい。結んでいる時は普段以上にニコニコしてるのに、下ろしている時はなんかピリピリしてる、と。
 だが、どれもリスタが意識してそうしているわけではない。けれども、そういう変化が起こるらしい。当人であるリスタにはよく分かっていないのだが。
「……一人称なんて、特に考えて使い分けてるわけじゃないですから」
「だから変なんだって、リスタは」
 うーん、と考え込むリスタ。そんな時、猛獣舎の出入り口が開く。戻ってきたのはクルスムとウィクだった。
 また来てたのかよ、ユン。呆れたようにそう言うクルスムだが、そんな彼女は別にうんざりとしてるという風ではなさそうだ。
「仕事ほっぽり出して、まーた水龍さんにドヤされても知らねぇぞ?」
「全然だいじょーぶ。パヴァルだって別に怒ってるわけじゃないから。第一、俺に仕事を割り振らないキャスがいけないんだ。それよりさ、クルスム」
「なんだい?」
「リスタ、女顔だと思う?」
 突然何を言い出すかと思えばソレかよ、と呆れるクルスムは、リスタの顔をまじまじと三白眼の目で見る。同時にクルスムの横に四本足で立つウィクも、リスタの顔をじーっと睨むように見た。その視線を受け、リスタは妙な緊張を覚える。
 そしてクルスムは口を開いた。「女顔には見えない」
「ですよね!」
「――……と言えば、嘘になるさ。どっからどう見たって、その顔は女よりだよ、リスタ。神速のリュンよりも、アンタのほうが女装がサマになってるくらいなんだから」
 ガハハッと笑い始めたクルスム。やっぱりそうだよな、と同じく笑うユイン。嘘でもそこは否定してもらいたかった、と項垂れるリスタに、ウィクだけが慰めの声を掛けた。
「でもよぉ、リスタ。お前ェサンが美男であるってこたぁ事実だぜ?」
「……」
「まぁそれも男らしいカッコよさとかじゃなく、男装の麗人と言われりゃ納得のいく綺麗系統の美しさじゃァあるんだが。美男、って言葉がこれほどお似合いの男もそうそう居ねぇぜ?」
「なんなんですか、もぉー。こぞって僕を虐めて、そんなに楽しいんですか!」
 抱いていた自信が、粉々に打ち砕かれた気がする。そして 自棄やけを起こしたリスタは、拗ねた子供のような口調で喋り出した。勿論、無自覚で。
 ハハッと笑うユインに、苦笑うクルスムと、溜息を吐くウィク。いいですよ、もう。そうやってむくれるリスタの頬をムニッと摘まむと、軽く諌めるようにクルスムは言った。
「虐めてるんじゃない、褒めてんだよ。それぐらいリスタが綺麗だってことをサ」
「女顔と褒められても、全然嬉しくないですって」
「悪かったって。だーけど事実だしよぉ、女顔ってのは」
「ほらまた!」
「だから悪かったって、そう怒るなよリスタ」
 それにしても、ホントにリスタってのはわけが分からねぇったらありゃしねぇぜ。そう洩らしたのはウィク。
 冷静で大人な嫌な奴と昔ァ思ってたが、案外ガキっぽかったり単純だったり何も考えてなかったりするしよ。そう頷くのはクルスム。
 だってリスタは、ドジで馬鹿で空気読めないアホだし。そう罵るのはユイン。
「あなたたちは、どうしてそんなに僕を虐めたいんですか!」
「怒り方がまるで、あの〈水ノ聖獣使いシラン・サーガ・セク〉の吟遊詩人にソックリだぜ」
「まぁ落ち着けよ、リスタ。そう怒るな」
「そうだぞ、リスタ。俺たちは事実を述べてるだけだ」
「……もういいです、分かりましたよ。僕は女顔です、そうですよ」
「今度は凹んだぜ」
「……はぁ。だからリスタのそういうところが、スザンみたいで男らしくないんだよなー。虐め甲斐はあるけど」
「おい、ユン。アンタ……」
「なんでもないよ、気にしないで」
「……ユインなんて、もう大嫌いです」
「あー! ごーめーんーってばー! だから俺のこと、嫌わないでーッ!!」





 また、別の日の夜。その日も猛獣舎に訪れていたユインは、今日は泊まっていくと言い出した。
「……」
 とはいえ猛獣舎には王宮敷地内にある事務所同様、空き部屋は幾らでもある。ユインが泊まっていくことにより困ることは特にないし、猛獣舎に彼女の部屋があったのも事実。なにせ猛獣舎に彼女が泊まっていくこと自体は、さして珍しいことでもなかったからだ。それどころか最近は、その回数が増えて行くばかりだ。
「……メルデスは選り好みしないが、ラルガスはウサギ肉のほうが好き、か。エルサスと逆だなぁ。餌も、どうしようか。最近手に入らないんだよなぁ、ウサギ……」
 暗くなった夜空に、満ちた三つの月が昇りきった真夜中。手元を明るく照らすカンテラの光を頼りに、リスタはそんな鷹たちのことを書き留めていた。
 リスタがこうして趣味でもない書き物をするのも、パヴァルにもやれと勧められたからでもある。
 パヴァルは勧めてきたその時に、脳細胞がどうたらこうたらと説明していたが、リスタはそのパヴァルの話を全く理解していなかった。今でも。というより、パヴァルが何を言っていたかという内容すらも忘れていた。
 けれどパヴァルがこう言っていたことだけは、覚えている。別に理解しなくても良い、お前の今の頭にそれは求めていないから、という言葉だけは。理由はどうにせよ、パヴァルがそう勧めてきた以上、リスタにはそれを断ることが出来なかった。

 昔に、他人の助け無しでは身動きが出来なかった頃に、戻りたくはないだろう?

 あのニヤニヤとした気味の悪い笑顔で、そう言われるからだ。それにリスタだって戻りたくはない、あの頃にだけは。だから面倒臭かろうが否応なしに、地道に取り組むしかないのだ。あまり好きでもなければ得意でもない、書き物とやらに。退屈だ、と思わず零す愚痴。そんな時、リスタの部屋の扉がコンコンっと叩かれたのだ。
「……リスタ、まだ起きてる?」
「ええ、起きてますよ」
 聞こえてきたのは、あくび混じりのユインの声。こんな時間帯に何の用ですか、と言いながらリスタは戸を開けた。
 戸を開けた瞬間、匂ってきたのはねっとりと鼻腔に纏わりつくように甘いカルッグの香り。それも、とても強烈な香りだった。あまりにも強烈なカルッグの香りに、リスタの目からは涙が零れる。そしてカルッグの香りは、頭をガツンと攻撃してきた。
「……あっ、リスタ!」
 急に襲ってきた強い目眩がリスタの均衡感覚を狂わせ、足元がふらつき、体重が後ろに傾く。床に落ちかけたリスタの体は、寸でのところで引き留められた。リスタの腕を、ユインが引き止めたのだ。
「だ、大丈夫だった?」
 そんなユインの姿恰好といえば、破廉恥そのもの。風呂上がりらしい白い髪は濡れて顔に張り付き、服らしい衣服は身に着けておらず、素裸の上から白のローブを羽織っているだけだった。
 えぇ……、とリスタの思考が混乱により動きを止めているうちに、ユインはリスタを後ろへ、後ろへと誘導していく。よく見れば部屋の戸は既に鍵を閉められているし、ユインの髪が揺れるたび、あのカルッグの甘ったるい香りが匂ってきた。
「……カルッグ……」
 カルッグといえば安眠に効果があるということを、リスタはリュンから教えられたことがあった。だからリュンは就寝前に、水で薄めたカルッグの香油を枕元で焚くのだという。
 ということは、ユインは自分を眠らせようとでもしているのだろうか。
 けれども、どうして。
 ユインの不敵な笑みに押されるがまま、リスタは徐々に後退していく。何故ユインが笑っているのか、その笑顔が何を示しているのか、そして何故その顔が物悲しく見えるのか。リスタにはさっぱり分からなかった。でも、何故か気になった。知りたかったのだ、彼女の奥にあるものを。
「……ユイン……?」
 気が付けばリスタは、部屋の隅に設置されていた寝台まで追い詰められていた。ユインは一体何がしたいのか。リスタにはわけが分からないまま、知らないままだ。
「知ってる? カルッグの香油には睡眠作用もあるけど、別の使い道もあるって」
「……いいえ、知りません」
 リスタの両肩に手を置くユインは薄気味悪い笑みを浮かべたまま、リスタを寝台に突き倒す。そして倒れ込んだリスタの上に覆い被さるように彼女は乗ると、彼の額に唇を落とした。彼女の甘い吐息とともに、甘ったるいカルッグの香りが彼の頭を脅かしていく。
 まるで風邪を引いたときのように、靄が掛かったように、意識はぼうっとして、ハッキリとしない。体も熱をもって、気だるくなっていた。それに少しだけ、眠い。
「でも今は、教えない。秘密」
 ユインは左手でリスタの頬に触れながら、右手で器用にリスタの服を剥がしていく。それを止めようと腕を上げようとしたリスタだが、思うように手が動かない。そうこうしているうちにも彼女は作業を終え、羽織っていたローブを脱ぎ捨てていた。
「でも、ごめん。今晩はちょっと、付き合って」
「……付き、合う……?」
「つまり、こういうこと」
 唇と唇が重なり合い、女王蜂の甘い蜜に囚われていく。カルッグの濃厚過ぎる香りが目に沁み、涙が滲んだ。その涙が瞬きと同時に目から零れ落ちたとき、漂う香が意識を奪っていった。




 リスタ、ちょっとリスタ!
 己の名を呼ぶ声で、はたとリスタは意識を取り戻す。どこかを彷徨っていた魂が体に引き戻された瞬間、リスタは真っ先に、自身が無意識のうちに犯した過ちに酷く後悔した。
「……はっ!」
 一体どれだけの時間が経過したというのだろう。さっきまで真夜中だったはずなのに、外はやや薄ら明るくなり始めている。それに意識がぶっ飛ぶ前はちゃんと服を着ていたはずなのに、下着も含めてリスタの衣服は、全て寝台の外、つまり床に落ちていた。そのうえユインはユインで下着姿だし、仰向けになって寝ていたリスタの上に跨るように乗っていた。
「リスタが戻ってきた! あー、良かったぁー」
 一瞬頭の中が真っ白になり、そして驚いたリスタはユインを思わず突き飛ばした。毛布が舞い上がり、それが突き飛ばされたユインに降りかかる。そして正気に戻った彼の口から飛び出した言葉は、いつもの常套句だった。「すみません……」
「ううん、リスタは謝んなくていいよ。全部、俺が悪いんだ。カルッグの量を間違えたから」
「……」
「言い忘れてたんだけどさ、カルッグの原液っていうのは催淫剤になるんだ。でも世の人たちが思い浮かべるような媚薬の効果はあんまなくて、効果といえばちょっと体をほてらして、判断力を奪う程度。でさ、人間って温かくなると眠くなるでしょ? えっと、つまり、リスタはカルッグの所為で気絶しちゃってたってワケ。ごめん、本当にごめん」
「……気絶してただけ、ですか?」
「ああ、うん、そう。違う、そうじゃない。えーと……」
「僕は、何をしたんですか!?」
「そう焦らない。大丈夫、リスタは何もしてない。ただちょっと、一瞬意識が戻ってきたかと思ったら急に泣き出して、それを宥めたらまた気絶しただけだから」
「……泣いた?」
「うん。でも、それは俺がいけなかった。そりゃいきなり襲われたら、誰だって怖いもんね……。なんていうか、その、もう少し段階を踏むべきだったかなって」
 ははは、と苦い笑みを浮かべるユインは、そっと手を伸ばしてリスタの頬に触れる。そして苦い笑みは、悲しげな微笑みに変わった。
「ずっとリスタのことを穢れなんか無い白百合だと思っていたけど、ちょっと違ってたみたいだね。純白そのものだったけど、誰かに酷く汚されて、穢れてしまった自分の姿に怯えてる子供みたい。……ずっと、どうしてリスタみたいな人が首を括ろうとしたのかが謎だったんだけど、なんとなく分かった気がするよ」
「……」
「限界を超えて追い詰められると、生き物は死に逃げ込みたくなる。でもそれは人間だけじゃなくて、他の動物もそう。ウサギなんかは、顕著に現れる。だから生から目を背けたくなるのは、もしかすると本能からくるものなのかもね」
「う、ウサギ?」
「――……でも、追い詰める側は、追い詰められている側の苦しみを理解することが出来ない。ファンなんかがそう。アイツは人を、一方的に陥れる。暴力という手段を用いて、恐怖を植え付けるんだ。表向きは、凄く明るいいい奴なんだけどさ」
 ふふっ、と小さく笑うユインだが、その笑顔にはまた翳りが見えた。気丈に振舞っているようでも、隠しきれてない翳がある。ずっと気になっていたのはこれか、と鈍感なリスタは漸(ようや)く気付くのだった。
「……あの」
 そして、ファルロンと何かがあったんだろうというところまでは見えた。だが、それ以上はよく分からない。
 ならば。
「なに?」
 考えるよりも訊いたほうが先決だ。
「ファロンと、何かあったんですか?」
 もし訊ねた人間がディダンであったのであれば、彼はきっと、もっと賢く自然なやり方で問い質したことだろう。誘導尋問といった方法で、答えを引き出せたはずだ。だがリスタの頭には単刀直入に、そのまま訊くという方法しかなかった。
 なにせ彼は、昔と違って頭が足りない。そうなってしまうのも、仕方がないといえば仕方なかった。だがそれもまた、彼という人間が美男でありながらもそこまで憎まれずに、なんだかんだで愛されている理由でもある。その証拠にユインは、不快感を示すどころか笑い転げている始末。どうして遠回しじゃなく、そんなにも率直に訊いてくるのさ。ホント、リスタって変だよ。けれども笑われている当の本人はいたって真面目で、どうして笑われたのかが理解出来ないとでも言いたげに首を傾げているのだった。
「大丈夫、心配は御無用だから。ファンとは別に、何かがあるわけじゃないよ。だってアイツ、好きも何も言ってこないし。それに俺もアイツはただの友人だって割り切ってるから、特に入れ込んでもないのさ」
「ただの友人……だったんですか?」
「他になんだと思ってたんだよ」
「てっきり恋人同士かと。他の人たちもそう言ってましたから」
「それは誤解さ。少なくとも俺はそう思ってない。けど」
 途端に曇る、ユインの顔色。やっぱり抱えている何かの原因とやらは、ファルロン関係らしいようだ。
「……アイツのほうは、そうじゃないみたいでさ。言葉に出さないだけで、きっと勘違いしてる。でもアイツには正直、俺は惹かれないんだ。なんでもそう、全てが強引過ぎて、結局は自分のことしか見えてない。リスタみたいに、優しくなくて」
「彼ってそんな強引でしたっけ?」
「そうだよ、本当の顔は。表向きは物凄く気さくで社交的で明るくて脳天気っぽいけど、実際は全然違う。短気だし、全てが自分の思う通りに進まないとすぐ怒るし、手が出る。それに自分の世界を満たすためなら、他人だって束縛する。昔はそれで妹のラジーが色々と酷い目に遭ってたんだよ。ラジー本人はそんなことはないって言うけどさ」
「……」
「……だからアイツが一度でも、言葉で好きだとかそういうことを表現してくれれば、俺はそれを断れるんだ。けど、アイツがそういうことを何も言ってくれない以上、どうしていいのかが分からなくて。下心なんてない単純な厚意かもしれないっていう可能性がある以上、無碍にできないし。だから最近、アイツに縛られてる感じがあって、ちょっと窮屈でさ。だから、その、憂さ晴らしに付き合わせちゃったりなんかして、ごめん」
「いえ、僕のことなんか気にしなくても別に……。でも」
 ちょうど、この瞬間からだった。
 ユインに対して何も思ってもいなかったリスタが、明確な興味、好意を抱き始めたのは。
「僕は、あくまで僕はですけど、何にも縛られずに自由を謳歌しているあなたの姿がとても好きです」
 そして愚かなまでに鈍いリスタが、彼女が他でもないリスタに助けを求めに来た理由に気付いたのも、ちょうどこの瞬間だった。
「人の手で飼い馴らされてない、自然に生きる鷹みたいで。大きな翼を広げて、大空を悠然と翔ける鷹みたいに輝いてて。それがとても素敵で。羨望すらも抱くくらいに自由なあなたが、僕は好きだ」
 リスタがそう言い終えた瞬間、ユインは視線を逸らし俯く。大丈夫ですか。そう声を掛ければ、彼女は顔を上げた。彼女は泣きながらも、笑っていた。
「どうしてリスタは、そんなに優しいの。俺みたいな、こんな異形の化けモノ相手でも」
 問題の解決という意味での救済を求めるのであれば、人は誰しもパヴァルを頼ることだろう。彼はどんな問題に対しても万能に力を発揮して、問題を根本から解決する術を心得ているからだ。だが、リスタは違う。いうなればリスタはパヴァルの正反対。彼自身は問題を解決することが出来ない、何故ならその全てをパヴァルに頼り切っているうちの一人だからだ。だからそんなリスタに、問題の解決をユインが求めているとは、到底思えやしなかった。
「……」
 お互いに、お互いのことを対局の存在だと思い込んでいた。でも実際は、違かった。体にも心にも傷を抱えながらも、その傷から目を逸らして人前では気丈に振舞う、似た者同士だったのだ。だから対局の存在だと思いながらも、惹かれあっていたのかもしれない。また、人によっては傷の舐め合いだと罵るかもしれない。けれども、仮にそうだったとしても、それでいいと思う。その時は、そう思っていた。




 そしてあの日から、リスタとファルロンの関係は劣悪極まりないものと化していた。
「またあの馬鹿兄貴が? もー、リッタだって遠慮せずに殴り返せばいいのにさ」
 発端はその翌日の朝。いつもの時間にリスタが目を覚ました時に、彼の目と鼻の先にクルスムの鬼気迫る顔とウィクの湿った鼻面があったことから始まった。
 全裸に毛布を被り眠っていた彼の横に寝るユインの姿を見たクルスムは、いつになく恐ろしい顔でユインを見る。そして一言、リスタに言った。リスタ、アンタも遂にユンの食い物にされちまったんだね、と。更にウィクもリスタの髪の匂いをクンクンと嗅ぎながら、ぼそっと呟く。カルッグの媚薬でガツンと理性をやられたってワケか、と。そしてまた更に、クルスムとウィク意外にもその様子を見ていた人間が居た。それこそが、ファルロンだった。
『リスタ。お前、ユインに手を出したのか』
『いや、逆です。逆。彼女のほうが私に襲いかかってきたんですよ!』
『ンなの信じられるわけがあるか! 王都の野郎はどいつもこいつも女誑しばっかりで……!!』
『そりゃぁ偏見じゃぁねぇのか、ファン。アタシにゃ、リスタがそういう野郎だとは思わえねぇけど』
『男ッ誑しで阿婆擦れなのはユンのほうだろ』
『黙れ畜生が! このシアルのクソ野郎を一発殴らせろ!』
『私はたしかにこんな見た目ですけど、シアルの者ではありませっ……――』
『うるせぇ、この誑しが!!』
『落ちつけ、ファン! ……って、うおあぁっ?! おい、リスタ、リスタ! しっかりしろ、リスタ!!』
 それからというものリスタは、ファルロンと舎内ですれ違うだけで因縁をつけられ、殴り飛ばされるなど日常茶飯事になっていた。鼻の骨だって折れたことはあるし、肋骨も何本か折っている。それでも、あれは全て自分が悪かったのだから仕方がないと思い込ませていた。これは全て受けるべき罰である、と。
 そうでも思わなければ、やっていられなかったのだ。
「そういうわけにはいきませんよ。悪いのは私のほうですから」
「えー、ホントにそうかなー?」
 リスタへの手当を終えたラズミラは、どこかユインを彷彿とさせるじとーっとした目でリスタを見る。私はそう思わないけどなー、というような視線。そして次に彼女は、猛獣舎医務室の薬品棚をあれやこれやと漁るユインの背中を見た。「私は、ユンちゃに一番原因があると思うけど」
「……いや、あの、それは」
 それを言ってしまえば、元も子もない。
「ん? なに、ラジー。呼んだ?」
 振り返るユインは会話を全て盗み聞きしていたにも関わらず、あたかも全く聞こえてませんでしたと言わんばかりに白を切る。そんな彼女に、苦笑うリスタ。だがラズミラのほうは、リスタよりも更に愚鈍であるのか、ユインが白を切っているということに気付いていない様子だ。
「なんでもないよ。ただユンちゃってホントに変だなーって思って」
「変だと思うよ、自分でも。けど、それがどうかした?」
「あはは、いや、だからなんでもないよ。……はぁ、ホントにユンちゃってこれだから……」
「だから、なに。なんだよラジー」
「だーかーら、なんでもないってば」
 少なくとも私やクル姉はリスタの味方だし、私から馬鹿兄貴に忠告しておくからね。ラズミラはそう言い、リスタの肩にぽんっと手を置く。ありがとうございます。リスタもそう言い、微笑んだ。
 けれども、ラズミラの忠告は却って状況を悪化させることとなり、孤立、疎外感を募らせたファルロンの暴力により拍車を掛け、そしてよりユインを追い詰める結果となってしまった。