【第十五章 輝きは此処に無く】

2 されどもここに、我はあり


「ホントですよ。大丈夫ですって。この程度の切り傷、なんてことありませんから」
「いいから見せなさいゆーとんの。これは上官からの命令や、リッタ。黙って見せといたほうが、あんさんの身のためやで」
 本当の本当に、なんてことない切り傷。リュンがうっかり落としてしまった短剣をリスタが取ろうとした時に、その切っ先が手首を滑り、うっかり手首を軽く切ってしまったのだ。意図的につけた傷ではなく、単なる事故により出来た傷。その証拠に付き添いで医務室に来たリュンは、ひたすら両手を合わせてごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいと謝り倒している。それでもユインお手製消毒液に綿を浸しているヴィディアは依然リスタを睨みつけたまま、そして疑ったままだった。
「でも本当に軽い傷ですから、そんなわざわざ手当てするほどのものでも」
「あんなぁ、リッタ。あんさんのそーゆう言葉が、一番信用ならへんのや。ランちゃんにもエレナちゃんにもダンちゃんにも、同じことはゆわれとるやろ?」
「でも、あれはもう昔のことですし」
「昔? なんかあったの、リッタ」
「おりゅんちゃんには関係あらへんことや。それよりリッタ、あんさんはその昔に失った信用を、取り戻せてないっちゅーことや。まぁアレだけのことを仕出かしてくれた以上、一生信用されんと思うといたほうが賢明やね」
「そんなぁ……」
「だったら、怪我したり病気したらすぐに仲間に相談すること。おりゅんちゃんやベンちゃん、ダンちゃんに相談できんのは分からんでもない。けどなぁ、ウチやパヴには報告してもらわんと、ウチらのほうが色々と困んのや。キャースのあほんだらに目くじら立てられるんよ」
 ヴィディアはリスタの服の袖をめくると、傷口を綿で叩く。
「ウチもパヴも、秘密は守るから。もう少し信用してくれてもええんやで? まあでも、キャスはあんまし信用出来へんけどなぁ。秘密は守っても、他はなんにもせぇへんから。……かといってウチも片腕やし万能やぁないからなぁ。してあげられることも限られるし。となると、パヴに頼るのが一番なんやろか」
「万能の化けモノだしね、あのジジィ。だからこき使っても全然大丈夫」
「おりゅんちゃん。それパヴに聞かれとったら、あとで絞められるで?」
 気が付けば、あの事件から六年が経っていた。
 体の傷は中途半端に癒え、心の傷はいまだ癒えぬまま、過去からは目を逸らして、リスタは今だけを見て過ごしていた。
 リスタの首には今でも、薄く索痕が残されている。あの男の手の痕と、その後自分で括った痕も。
 あの時、自分がどういう心境に立たされて、首を吊ろうとしたのか。それはリスタ自身、あまり覚えていなかった。きっと、突発的な衝動だったのだろう。自分の体はもう不純で、よからぬものに犯されてしまった。だから、もう生きてる価値なんてない。そうでも、思ってしまったのだろうか。
「……」
 それでも。リスタは思う。どうして自分は今、ここに生きているのかと。どうして立って歩けて、こうして喋れているのだろうか。不思議でならなかった。
 回復したあとでエレイヌから聞かされた話だが、自分は長いこと、それも半年くらいのあいだ、脳死も同然の状態だったという。〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまですら、回復は絶望的だと見切りをつけたくらい深刻な状態に陥った。にも関わらず、完璧にとはいわないが、体は元の状態に戻った。それがどうにも、理解出来なかったのだ。
「どしたの、リッタ。なんか、雰囲気が重いけど」
 半年の植物状態のあと、当然脳には重い障害が残された。言語障害や運動障害、知能障害。
 理解していた言葉の全てを忘れ、体を自力で動かすことも出来ず、全てが始めに戻った。それを再度培う、または思い出させていく過程で、辛いことは少なからずあったし、周りにどれだけの迷惑を掛けているのかと考えると、いっそのこと消えてしまいたいとさえ感じることもあった。
 それでも、今がこうしてある。
 たしかに誰かに生かされている今が、ここに存在していた。
「ああ、いえ。気にしないで下さい」
 といっても、脳は完璧に元通りになったわけではない。
 まず、リスタの目に見えている世界には色がなかった。全てが無彩色に彩られているのである。これはもう、どうしようもできない障害である。
 そして時折現れる右手首の激しい痙攣は、パヴァルから処方される薬でどうにか誤魔化していた。
「はい、これで終了。次からはちゃーんと報告するんやで」
 キュッとリスタの手首に巻いた包帯を締めるヴィディアは、再度リスタに釘を刺す。深く胸に刻み込んでおきます、とリスタは肩を竦めた。そんなリスタの膝の上に、リュンは茶髪の鬘を置く。そして紙きれもその上に置いた。
「さっき、ユン兄がリッタのこと探してたって、ラズミラちゃんから鷹が来たよ。猛獣舎で待ってるって書いてあった」
「ユイン、ですか。また何故……」
 正直のところ、この頃のリスタは、アルダンに入隊したばかりのユインに自分は嫌われているものだと思い込んでいた。
 何故ならユインが女性だということを、とある事故で知ってしまっていたからである。
「……ユイン……」
 運悪く浴場で鉢合わせてしまったという、あの事故で。
「なんかあったの、ユン兄と」
「いやぁ、そういうのではないんだけど」
「あっ! もしかして、あの鼻血事件?!」
「……うん、それもあるかなぁ」
 ははっ、と適当に笑って誤魔化し、リスタは鬘を被る。よっ、美男。そう囃し立てるリュンを軽く躱して、リスタは猛獣舎へと向かった。




 猛獣舎に常駐している衛生兵兼癒し役のラズミラに案内され、リスタは猛禽舎に来ていた。
「……ユイン?」
 猛禽舎にいるのは、三羽の鷹だけ。全てオスだ。“鷹紙飛ばしファラ・シャ・ルグ”の為に調教されたラズミラの鷹、メルデス。それと試験的に戦闘を行うよう調教を行っている鷹、ラルガスとエルサス。その三羽である。
 そして猛禽舎には、一日の訓練を終え、丁度昼飯を食べていた鷹たちの様子をしゃがんでじっと観察している、とある人影が居た。薄暗い舎内で、その髪は白く輝く。リスタの無彩色な視界の中でも、その髪が白いことは把握できていた。
 ユインだ。
「あ、やっと来た。遅いよ」
 リスタのほうにちらりと向くユインのじと目は、不機嫌なのか、どことなくムスッとしているように見える。反射的にリスタの口から、言葉が漏れた。
「すみません」
「何もそこまでかしこまらなくたっていいよ。それより、ほら見てこれ」
 ユインが指差すのは、エルサスに出されていたウサギ肉だった。メルデスとラルガスは既に平らげているというのに、エルサスのものだけは三、四くち啄ばんだ程度。そしてユインはウサギ肉の前で縮こまるエルサスの背を撫でながら、言った。
「見ての通りエルサスに食欲がない。でも病気とかじゃなさそうだし、単に選り好みしてるんじゃないのかなって思うんだ」
「選り好み、ですか」
「多分だけど、ウサギ肉が嫌いなんじゃないのか。だって、今まではウサギ肉をあげてなかったんだろ?」
「ええ、ハトやウズラでしたね。食用に出されているものを購入したり、時に狩りをさせて調達していたんですけど」
 ユインの指摘通り、以前は鷹たちにウサギ肉を与えてはいなかった。
 ハトやウズラ、スズメといった鳥類の肉を与えていたのだが、最近は王都の人間のあいだでハト肉、ウズラ肉が美容に効果があると人気になり、その所為で値段が高騰して買えなくなってしまったのである。
仕方無く今は、リスタやラズミラ、ファルロンが狩ってきたウサギや、どうしてもという時は舎で飼育しているニワトリを殺して与えているのだが、考えてみれば餌を変えてからというもの、エルサスは食欲をなくしたような気がする。ウサギ肉のときは、特に食いが悪い。ラズミラとは何かの病気にでも罹ったのでは、と話していたのだが、ユインが言うには違うらしい。単なる選り好みだと。
「餌、戻したらどうなんだ」
 ぎろり。ユインのじと目が、リスタを睨み据える。
「いや、でも高いですし。エサ代はバカになりませんから」
 リスタはそれに反論した。なにせ猛獣舎に、金は無い。ケリスが割いてくれないのだ。
「お金とエルサスの命、どっちが大事なんだよ」
「でもねユンちゃ、猛獣舎はカツカツなんだよ。ユンちゃだって知ってるでしょ?」
 ラズミラも援護射撃を飛ばすも、ユインには通用せず。ユインは、リスタとラズミラを交互に睨む。きりりとリスタの胃が痛み、そして折れた。
「……分かりました。自腹を切ってでも、どうにか調達できるよう努力してみます」
「えぇ?! リッタ、それでいいの!?」
 金切り声をあげたラズミラに反応した鷹たちが、ざわざわと羽根をバタつかせる。まるで威嚇でもしているかのように。それに気付いたラズミラは途中から声量を落とすと、続けた。
「……ただでさえアルダンって、給金が低いって有名なのに」
「アルダン隊員の給金が低い理由は、衣食住その他雑費が全て経費で賄われ保障されているからです。正直こんな条件の下で、更に給金が出されること自体が……。それに私としても、大体のことは経費で落とせる環境の中で、更に渡される給金の使い道があまりにもなく困ってたものですから、そうすることが最善の選択かと」
「……言われてみれば、そうだよね。全部が経費で落とせちゃうんだもん。となると、私も自腹で協力しなきゃだ」
「そうして頂けると有難いです」
 はぁ、と溜息を吐くラズミラ。リスタも少し下唇を噛み、俯く。
 給金の使い道がないとはいえ、いざという時に蓄えがないというのは不安が残る。でも、だからといって鷹を餓死させるわけにはいかない。
 目の前の命か、今後の金か。
 その選択を迫られてしまえば、来るかも分からない未来のことより、目の前にあるものを優先するしかなくなるだろう。そう、だから仕方がないんだ。仕方がないんだよ。そうして必死に、無意味な自己暗示を掛けようとした。
「でも、今の市場でハト肉やらの値段が異常なまでに高騰してるのは確かだもんな。女どもがいっぱい群がって飛ぶように売れてるせいで、銀斑鳩リルティガランなんかは近いうちに絶滅するかも、とか言われてるし。俺もどうにか商人に駆け寄って、今の状況を鎮静化するよう働きかけてみるわ」
「ユンちゃ。商人に駆け寄るって言っても、ツテとかあるの?」
「繁華街カレッサゴッレンの女帝が、ギャランハルダには居るじゃないか」
 ハト肉が美容に効果があるだなんてのは、金に目がくらんだ商人どもがでっち上げた真っ赤なウソだしね。ユインはそう言うと、猛獣舎から去っていく。
 後日、陰で誰かが情報を操作したのか、あっという間に王都で取引されるハト肉の値段が元に戻っていった。代わりに麦酒を飲むと良いという根も葉もない噂が広まり、カレッサゴッレンのあの酒場が女性で溢れ返るようになったというらしい。





 聞きたいことがある。
 ユインにそう呼び出されたリスタは、猛禽舎の中を掃除しながら、ユインが現れるのを待っていた。
 場所を「猛禽舎」とわざわざ指定してきたのだから、また鷹たちのことだろうか。けれどもリスタが見る限り、鷹たちに異変のようなものは感じられない。そんなことを考えながら、床に敷いていた藁の交換を終え、リスタが一息ついたとき。コンコン、と戸を叩く音が鳴る。どうぞ。リスタがそう言うと戸は開き、ユインが姿を見せた。
 薬箱を携えたユインは、神妙な面持ちでリスタを見ている。どうかされましたか。リスタがそう言うよりも先に、ユインが喋り始めていた。
「なんで猛禽舎に呼び出したか、分かる?」
「鷹のこと、でしょうか」
「……ディダンの言ってた通りだ。頭良さそうで用意周到そうな顔してるのに、案外鈍くて、察しが悪い上に馬鹿っぽい。空気も読めない。演技じゃなくて、本当に」
「……ば、ばッ、バカ……ッ?!」
「ここにリスタを呼んだのは、リスタの天敵ファンがここにだけは絶対に足を運ばないから。それとバカにバカって言って、何が悪いの」
 面と向って“鈍い”、“察しが悪い”、“バカ”、“空気が読めない”と罵られたのは、リスタに取って初めてのことだった。
 あの言葉を選ぶということをしない、歯に衣着せぬディダンにすら、そんなことを言われたことは一度もない。それなのにユインは、遠慮なく言ってきた。
「でも、ディダンはこうも言ってたよ。昔は違った、ってね。逆に、他人の少しの表情の変化も見逃さなくて、ご機嫌取りが得意で、常に空気を和ませる役だったってさ。でも俺が思うに今は、その真逆だよね」
 嫌味ったらしく微笑むユインは、リスタを指差す。ゾクッと嫌な寒気が通り抜け、リスタの背筋が凍った。そしてユインは戸を閉めると、徐々にリスタに近寄ってくる。全部、お見通しなんだけど。そう言わんばかりの、自信ありげな笑みを浮かべて。
「今のリスタは、他人の表情の些細な変化に全く気付いてない。ファンがあからさまに嫌そうな顔をしてても気にせず話しかけたり、突っ掛かったりしてる。悪意なく、無邪気にね。それって相当神経が太くないか、相当なバカか、あるいは何かを患ってるとしか思えない。そうじゃない?」
「あ、あの、言いがかりは」
「言いがかりなんかじゃないよ、事実だ。それに、明らかにある言葉を言っちゃいけない雰囲気の中でも、リスタはその禁句を笑顔で言ってのけるよね。酷いときは繰り返し連呼してる。キャスの眉間にめっちゃくちゃ皺が寄ってても、それに気付きもしない。それでいつも最後には、リスタの言葉をディダンが遮って、ディダンがリスタの代わりに喋るみたいな構図になってるじゃん。空気読めないフリをしてるこの俺でも、そこらへんは流石に弁えてるよ。でもさ、リスタのは異常だ。演技には見えないし、それが素だとしてもやっぱりおかしい」
「何が言いたいんですか、あなたは」
 認知能力、理解能力。
 それが昔より低下しているというのはパヴァルから何度も説明を受けているし、だから発言には厳重に注意しろと忠告を受けているし、控えるよう努力していた。
 そのことをリスタより以前からアルダンに所属している隊員――パヴァルは勿論、ヴィディアやケリス、ラント、ディダンの五人――やエレイヌなどは理解してくれているのだが、リスタ以降に入隊した隊員たち、リュンやベンス、ユインやファルロンなどは知らないし、知らされてもいない。というよりも彼らには隠していた。それはパヴァルが判断した結果。別に知らせるほどのことでもない、と。
 だからリュンやベンスは個性だと受け止めてくれているし、ファルロンにはきっと変な奴だとでも思われているのだろう。でもユインは、違うようだ。見抜かれてる。そんな気がした。
「それと、リスタって右手首を左手で握りしめて押さえつけるクセみたいなのがあるよね。そういう時に限って、右手首がぷるぷる震えてるんだ。まるで痙攣してるみたいに。それに、パヴァルから何か薬を処方されてるよね? それで、その薬を飲んでる時はそのクセがないけど、飲んでない時はそのクセが現れる。そうだよね?」
「……そんな、薬なんて」
「あとさ、リスタ。俺の瞳って、何色に見えてる?」
 リスタの目の前まで近づいてきたユインは自分の右目を指差すと、リスタにそう訊ねた。当然、リスタに色は見えない。何色かと聞かれても、少し明るい灰色にしか感じられなかった。
 それでも、リスタは答えた。
「紫、ですけど」
 それは以前、ディダンが教えてくれたからだ。シャグライ族の人間は、髪が老人のように真っ白で、肌も静脈が透けて見えるくらいに白く、そして虹彩の色は紫だと。
 たしかにユインは他の人間と比べれば全体的に明るく見えるし、髪は真っ白だ。だからきっと、紫色をしているはず。じっとリスタは、ユインの右目を見る。するとユインは、ふっと笑った。
「そうだよ、紫。じゃあさ、どんな紫に見える?」
「どんな? 紫は紫ですし、それ以外にどう言えば」
「一概に紫って言っても、いろいろあるさ。だって紫は、紫だけで存在してる色じゃない。赤と青を混ぜて生まれる色だから。赤寄りの紫とか、青寄りの紫とか、そういうのってあるでしょ? それ以前に色には明暗があって、明るいとか暗いとかもある。濃淡とかもあるし」
「……」
「明るい赤寄りの濃い紫とか、暗い青寄りの薄い紫とか。そんな感じで、言い方って色々あるじゃん。だから、どんな感じに見える? 言ってみなよ」
 挑発的な視線だった。答えは見え透いているのに、敢えてそれを訊いている。
 下手に隠したところで、もう隠せない。既にバレてしまっているのだから。
 リスタは思考を放棄した。そしてユインが求めている答えをその通りに、白状した。
「……そんなことを言われったって、私には分かりませんよ。色なんて感じられないんですから。全てが灰色にしか見えないのに」
「だよね、やっぱり。藍晶と紫紺の見分けがつかない人に、色が視覚できてるわけがないと思ったよ」
「あ、あれは!!」
「だって、藍色と紫色だよ? 全然違うのに。リスタったら全然気にしないで、フツーの顔して紫紺を羽織って、そんで事務所の外に出ようとするんだもん。あの時のディダンの慌てっぷりったら、忘れられなくてさ。でもホントによかったよね、あの時にディダンがその場に居てさ。ディダンがうまく誤魔化してくれたから、同じ場所に居たリュンとかベンスにバレなかったんだんだよ? 俺に誤魔化しは効かなかったみたいだけど」
 ハハッ、と笑い出すユインはリスタの肩をバシバシと叩く。だがリスタにとっては、笑いごとではなかった。取り繕う作り笑顔も、自然と奇妙に引き攣る。なんだか、嫌な予感がするのだ。
 そして、予感は的中した。肩に置かれたユインの手が、リスタの首筋に触れる。リスタを見るユインの目が、妙に冷たくなっていた。
「リスタさ」
「あの、すみません。手を首に回すのはやめッ……――――」
「昔、首吊り自殺しようとした、もしくは誰かに首を絞められた、または両方あるんじゃないの。薄くだけど、首に索痕が残ってる。大きな手形みたいなのと、縄みたいなのが食い込んだ痕。首を絞められて、一時的に脳に酸素が送られなくなって、それで脳の組織が壊れた。おおよそ、そんなとこじゃない?」
 リスタの呼吸が、止まった。鼓動が早まり、強くなる。体が揺れた。
「空気が読めないのも、ときどき理由もなくに苛立ってるのも、たまに注意力が散漫になるのも、その所為」
「……」
「だから単独行動も許されてない。だからリスタの傍には、よくディダンかパヴァルが居る。リスタは一人になった途端、考えなしの行き当たりばったりな無謀な行動に出て、危なっかしいから。そうでしょう?」
「……」
「だからパヴァルが、慎重に堅実に動くよう指示をしてる。その都度、一つ一つにね。リスタが慎重で堅実に見えるのも、パヴァルが立てている計画と的確な指示があるから。全部、パヴァルのお陰ってわけ」
「…………」
「偶に簡単な言葉すらも理解出来なくて悶々としてたりするのも、意味不明なことを言うのも、読み書きがベンスまでとはいかないけど人より苦手なのも、脳の所為。でも、字は綺麗なんだよね。まぁ、それはいいとして。物覚えが悪いときがあったりするのも障害の所為、そうなんでしょ」
「……」
「ディダンはキツイ性格なうえに短気でキレやすいはずのに、馬鹿のベンス相手に辛抱強く接してるのは、それよりも辛抱強く相手しなきゃいけないことがあったから」
「……」
「右手首の痙攣も、後遺症のひとつ。でもそれを隠さないと、ここに居れない。そうなんだろ、リスタ」
 全てが、その通りだった。反論も出来ないほど、完璧な分析だった。
「……全部、その通りです」
 今までリスタは、ユインのことを馬鹿にしていた。周りが見えてない行動ばかりで、自分勝手にもほどがあると思っていた。自分とは正反対の人間だと思っていた。
 けれども、本当の彼女は違ったようだ。誰よりも、周りを見ていたのだ。
「正直さ、初めてリスタを見たとき。自分と正反対な奴だなって思ってたんだ。周りにいつも人が居て、みんなリスタが好きで信頼してて慕ってて、いつも笑顔で落ち着いてて、カッコよくて」
「それは」
「俺なんか周りの人間に迷惑かけてばかりで、いつも支えられてばかりで、誰にも信用されたこともなくて、本当の意味で人に好かれたこともなかった。でもよく見てみると、違った。なんだか自分を見てるような気分になってた」
 リスタから視線を逸らし、ユインは近くの枝木に止まったエルサスを見る。その目は冬の夜のように冷え切っていて、瞳の奥は凪いでいた。
「リスタも逃げて来たんでしょ、身内から。身内に命を狙われてて、殺されそうになった。シアル王家なら、きっと大変だよね。その肩に出てる聖光ノ紋章とかもさ。本家の人間から、相当疎まれたんじゃないのかな。第二分家の子に紋章が出るなんてさ」
「どうしてそれを」
「知ってるのかって? 少し調べさせてもらったのもあるけど、リスタの目を見れば分かる。影の世界に身を隠して光に怯えながらも、自分をこんな目に遭わせた相手に復讐する勇気もない。どこまでも憐れな人間の目をしてる。俺と同じ、同族の匂いがした」
 エルサスは羽をばたつかせると枝木から飛び、ユインの肩の上に移る。薄暗がりの中で黄色い目が、きらんと光っていた。
「リスタの正体だけを一方的に暴くのもなんだし、俺のほうも正体を明かすと、シアル王家の大昔の敵、旧オブリルトレ王家の当主になるはずだった人間、ってなるのかな。……まぁ、今どきブルサヌで、オブリルトレの名前を知ってる人なんていないだろうけどね。オブリルトレ家に纏わる文献は、サラネムにあるもの以外は全て、太古の昔に焼き払われて久しいし、リスタもきっと知らないだろうけど」
「……オブリルトレなんて名前は知りませんね、全く」
「でしょ? オブリルトレの女王なんて陳腐なもの、知ってる人の方が少ないと思う。要は俺がその女王なんだけど、でもこれが酷いんだ。武神ノ邪眼ってのに寄生されてさ、左目が使い物にならなくて。見たくもない未来は見せられるし、体はイカれて人間じゃない化けモノみたいになるし、それで忌み嫌われて一族から追放されて。何度も死にたいって思った。けど、なかなか死ねなくてね。中途半端に生き残っちゃってさ」
「……」
「そんであるとき命からがら家から逃げてきたと思えば、烏の黒羽に十二で売りとばされて、カレッサゴッレンの遊郭で娼婦させられてさ。何度も何度もしたくなかった妊娠して、何度も何度も中絶されて。気が付けば体はボロボロ。サイアクだったよ、ホント。人生踏んだり蹴ったりで。そんな中でアルダン、というかラントに拾ってもらってさ。今はこうしてブルサヌで、一人の人間として生きてる」
 リスタのほうに再度向くユインは、顔の左半分を覆うように垂れた前髪を掻き上げてみせた。露わになるユインの顔の左半分には、醜い火傷の痕が残されている。開けられた左の瞼からは、黒く塗りつぶされた眼球が覗いていた。
 これが武神ノ邪眼、というものなのだろう。その目にリスタは、寒気を覚えざるを得なかった。人ならぬ異形のものが、人の中にある。でも不思議と、そこまでの恐怖は感じなかった。消え失せろと詰ったり、危険分子と決めつけ排除に掛かろうとするまでの恐怖は、なかったのだ。
「リスタは怖くないの、こんなバケモノ。この目を他人に見られる度に、いつも悲鳴あげられて逃げられるんだけど」
 前髪を下ろしたユインは、不思議そうにリスタを見つめる。
「……怖いのか、なんなのか。正直よく分かりません。パヴァルみたいなのを毎日近くで見てるせいで、耐性でも付いてるんでしょうね。それほどまでの恐怖はありませんよ」
 変なの、とユインは言う。あなたに言われたくありません、とリスタは返した。
「でも、このことはお互いに秘密ね。俺もリュンとかに素性がバレて、そこから山に居る身内の耳にでも入ろうものなら、大変なことになるからさ。でも、話せてよかった。少し気が楽になったし」
 はにかみながら、ユインはそう言う。
「僕のほうも、気が楽になりました。障害のことを隠し通すのも、思いのほか神経すり減らすんで」
 リスタがそう言うと、ユインは少し首を傾げた。
「僕? さっき、そう言ってたっけ」