【第十四章 回る天に、慟き哭け】

5 宣戦布告


 クルスムは《神託ノ地ヴァルチケィア》に張られた天幕のうちの一つの中で、一人の男と睨みあっていた。
「……だがよ、ザン。これだけは理解していて欲しいのさ。この宣戦布告は、シエングランゲラの意思だ。決してリストリアンスの意思じゃない。アイツはあれでも、被害者なんだよ。妹を人質に取られていたから、そうせざるを得なかったんだ」
「少なくとも俺は、理解しているつもりだよ。イェガンもそうだろうし、ダグゼン氏もそうだ。けど、他がどうかは分からねぇ。現にファンの馬鹿犬は、シアルの兄ちゃんの両目を潰してくれたわけだからな」
 “ザン”と呼ばれたその男の名は、ヌアザン・サジュ。ダグゼンの後を継ぎ族長となった、勇猛果敢にして有能なラムレイルグの新たなる統率者であり、クルスムが唯一腹を割って話すことができる友人でもあった。
「……それで今、ユインはどうしてるんだい」
 外から聞こえるのは、犬の遠吠えや獅子の咆哮、やんややんやと騒ぐ人々の喧騒。それらを遠いものを見るように見つめながら、クルスムは三白眼の目を伏せ、溜息を零した。
「ダグゼン氏が、シアルの兄ちゃんとユンを匿ってくれている。リストリアンス、っつったか? きっとアイツも、今頃手当を受けているはずだ。目は、どうやっても戻らないだろうがな」
「そうかい。なら今は、取り敢えず安心だな」
「……だといいんだがな」
 ヌアザンの茶色の瞳に、焦りの色が浮かぶ。
「荒くれどもが、騒いでるんだよ。ユンを傷つけた上に殺そうとした男を、どうして生かしておくのかってな。俺は再三、事情を説明している。でも誰一人として、理解しようとしないんだ」
「仕方ないだろうよ。ラムレイルグなんだから」
「そりゃ、どういうことだ?」
 俯くクルスム。そんな彼女の意味ありげな言葉にヌアザンは、疑問を抱いた。クルスムの目は外を、焚かれた火を囲いながら騒ぎ立てる男どもを見ていた。
「アタシは、どうにもこの一族が好きになれなくてよ。今も、そうだ。いつまでも、被害者ヅラしてやがる。王都民に迫害された、少数部族ってさ。でもよ、それって気が遠くなるほど昔の話なわけだろ? ……その被害者意識に、付き合ってられなくなったんだ」
「やっぱり、そうだったんだな」
「気付いてたのかよ」
「ああな。それに実を言うと、俺もお前と同じことを思ってる。里の連中には付き合ってられねぇって」
「……ザン」
「俺たちラムレイルグは王都との関係を改善して、これからは仲良くしていかにゃならねぇってのに、それを言うと身内からの反発が凄くてな。里のもんは誰も、関係改善を望んじゃいねぇんだよ。だから、王都と山はいがみ合い続けている。それが、この宣戦布告だ」
「……」
「……お前がラムレイルグを捨てたことを、俺は責めるつもりはない。逆に、そんなお前が羨ましいくらいだ。俺も王都に行ってみたい。そこに何があって、人々がどんな生活を送っているのかを、一度は見てみたかったんだ」
 ヌアザンはそう言い、悲しげに微笑む。そして言った。
「クルスム。それでお前は、どちらに付くつもりなんだ」
「ああ、そうだったな」
 珍しくしょぼくれた顔をしてヌアザンの横に伏せるウィクを、クルスムは見やる。
「暫くアタシとウィクは、王都の内部に居るコッチの味方になり得る勢力と、サラネム連合軍との連絡係を請け負うことになったのさ。それで。明日にもこっちに、十本剣さんから加勢が来る予定だよ」
「加勢だと?」
「そうさ。あの独眼の水龍さんが、こっちの応援にきてくれるんだとよ」
「独眼の水龍って、あの百人斬りの……」
「一騎当千、万人斬りの独眼の水龍こと〈聖水カリス〉パヴァル・セルダッドだよ。心強いもんだろ?」
「本当に、居たんだな。独眼の水龍って」
「ああ。革眼帯の、渋いオッサンだよ。……でも、あの人は中立にも近いからな。もしくは神国軍でもない、別の勢力。一応こっちに来て神国軍の数を減らしてくれるとは言ってたが、あんまり期待はしない方がいいだろうよ。加勢なだけで、味方ではないからさ。それと、もしかするとシルス卿の計らいで、憲兵団の一部はコッチにくるかもしれねぇぜ」
 クルスムはそう言いながら、少しだけまた俯いた。
「それで、アタシ……なんだがね。アンタらには悪いが、どっちにも付くつもりはねぇよ。どっかしらの《神託ノ地ヴァルチケィア》が見下ろせる高いところから、この無意味な戦の行く末を傍観させてもらおうって考えてるとこだ。そういうわけだ。……宜しく、言っておいてくれ」
「お前らしい回答だな。俺も出来ることならそうしたいぜ。……だが、俺には族長という立場がある。ラムレイルグが出した答えが会戦である以上、嫌でもそれを引っ張るしか出来ないんだ。嫌なもんだよ」
 ヌアザンも、顔を俯かせる。ウィクはそんなヌアザンに、そっと擦り寄った。
「俺はどうすればいいのか、俺には何が出来るのか。始まってもねぇのに、頭だけ回ってな。こんなんじゃダメだよな、本当に……」
 まっ、精々頑張んな。そう言いウィクの頭をボンッと叩くクルスム。作り笑顔を浮かべる表情の裏側、残り時間を表す砂時計の砂が落ちゆく音に、耳をそば立てていた。





「どうだったか、ラムレイルグは」
 夜も更けたころ。王宮に戻ったクルスムとウィクは、神術者の舎に居る〈大神術師アル・シャ・ガ〉のもとへと来ていた。
「女王の為に神国軍へ抗う意思は変わらねぇって、野郎共が。族長のヌアザンは、それを好ましくないと思ってるようだけどね。アタシに愚痴を漏らしたくらいさ」
「情けねぇザンなんざ、俺ァ初めて見たぜ」
「……そうか。呆れたものだ、ラムレイルグというのも」
 女王への恩義は忘れない、か。そう言いながら〈大神術師アル・シャ・ガ〉は苦笑する。
「不思議なものだな、人間とは。何千年以上も昔の恩義を、未だに……」
「ああ、本当に面白いもんよ。現女王がその意志を示してもいないというのに、太古の昔、山を守るために自ら身を差し出し滅んだ女王の遺志を継いで、このサラネムを守ると言い張っていてね。もうああなりゃ梃子でも動きやしないさ」
「実に短絡的で脳内筋肉で、それに厄介だ」
「だな」
「イェガンにも話を聞いてきたが、シャグライのほうはこの戦に関わらない方針なんだとよ。人も一切出さない。補助にも回らない。どこまでも無関心らしい。だから事を荒立てたファルロンたちに敵意を向けてる奴らも、中には居るらしいって話さ。けどイェガンだけは、戦場に赴くってよ。ユインが心配なんだとさ」
「ということはサラネム連合軍ではなく、実質はラムレイルグ族を迎え討つということだな」
「……迎え討つ、か。あんまり良い響きじゃぁねぇな」
 クルスムはそう言いながらも、窓から見える夜空を見上げた。月は見えず、夜空には星だけが瞬いている。けれども雲行きは怪しく、《神託ノ地ヴァルチケィア》の方角の雲は雨が近いのを告げているようだった。
「とはいえ迎え討つのは、神国軍の話だ。私たちには関係のないこと」
「あぁ、分かってるさ。アタシらの敵はどちらでもないし、アタシらが為すべきことは別のもの。戦争を止めるのではなく、この世界の基盤をブチ壊す。それだって」
 パヴァルから聞かされた作戦内容とやらは、クルスム理解が及ぶものではなかった。だが別に、クルスムは理解しなくても構わないらしい。不幸が一転幸いして、もう既に必要な条件は整えられたようだとパヴァルは言っていたからだ。だからあとは、その時を待つだけ。
「……でもよ、しゃが様。この世界が仮に動きを止めたとして、その時には一体アタシらは」
「元の場所に、戻るだけだろう。その塩梅は、かの大天才二人に任せるしかない」
「アタシには、その元の世界とかいうのの記憶がないんだが」
「さぁな、それを私に聞かれても分からんというものだ」
 明日が上手く行くことを祈ろう。そう言いクルスムの肩に手を置く〈大神術師アル・シャ・ガ〉の後ろ。普段ならそこに居る筈のメクが、今日だけはそこに居なかった。