【第十四章 回る天に、慟き哭け】

3 蹂躙する影


「クルさん、少しお時間頂けますでしょうか。……内密に、話がありまして」
 そうディダンに呼び出されたクルスムは、鋼鉄の首輪を首に嵌めさせたウィクを〈大神術師アル・シャ・ガ〉に預けると、ディダンと二人でユダヌの祠に訪れていたのだった。
「それでディドラグリュル、話ってのはなんだい」
 いつものように静まり返っていたユダヌの祠の空気に、草を踏む音が沁み入っていく。だがその音が持つ波動のようなものは妙に大人しいもので、それは嵐の前の静けさのようにも思えていた。
「ユインとリスタのことで」
 少しだけ顔を下に向けるディダンは、小さな声でそう言う。
「ラズミラにはリュンから報告に向かうよう命令したので、今頃猛獣舎で話を聞かされているとは思いますがー……」
「ユインは、死んだよ」
 眉間に皺を寄せ短い眉根を上げたクルスムは、ディダンを睨んだ。キッと鋭く、剥かれた獣の凶牙のように。
「あと、その名前を出さないでおくれ。不愉快だ」
「彼女は死んでなどいません」
「……なに馬鹿なこと言ってんだい・アタシはこの手で確かめたんだよ。あの体に、脈動が無かったのを」
「死んでないというか、まあ確かにユインは一度死にました。けど息を吹き返したというか、なんというか……」
 う〜ん、と顎を指で包むディダンは目を閉じ、適当に言葉を濁す。言うべきか言うまいかを迷っているというわけではなく、かといって言葉を選んでいるということでもない。とてもわざとらしい態度が、その証拠。バレバレの演技を敢えてしているのだ。
 そんな彼の言動に苛立ちを募らせたクルスムは、ディダンにぐっと詰め寄り、顔を顔に近付ける。そして再度彼を睨みつけると、ディダンは待ってましたとでも言いたげなにこやかな笑みを浮かべてみせた。
「わけあってユインは、蘇りました。それは事実です。なんならリュンやパヴァルにでも聞いてみればいいでしょう。私含め彼らは、自分の意思で動いていたユインを目撃しています」
「……分かった、ユンは蘇った。そうなんだろ。でも、それがどうしたっていうんだい?」
 とは言いつつも、毛頭信じる気はない。そんな疑心に満ちたクルスムの表情を見ながらも、ディダンはそれでも言う。
 ユインは、蘇ってるんです。でもオブリルトレの女王としてじゃない新生ユインとしてです、と。
「何が言いたいんだい、ディドラグリュル。アタシには何がなんだかサッパリ……」
「クルさん。アンタだって勘が鋭いんだ。どうせ、エレナの姐御のように気が付いてたんでしょう。ユンとリスタの二人が、どんな仲だったのかを」
「……何のことだよ、それ」
 ディダンから離れ数歩後退ったクルスムは、顔を引き攣らせた。あの二人の間に何かがあったような、そんな言い方。奇妙だった。訳が分からなかった。
「一体、どんな仲だってンだよ? あの二人は、敵対していた。そうじゃないってのかい?」
 奇妙だった。
 あの二人は、変に仲が良かった。馬が合っているというような、そんな感じ。きっと、相性が良かったのだろう。友人として、仲間として、いや、それ以上に。
「まさか、その真逆だ」
 それもそうだ。動的で男性的で無邪気な子供のようなユインと、受動的で女性的でとても冷静なリスタ。全く違うものを持ち合わせているからこそ、互いが互いのないところを補い合える。そんな望ましい組み合わせな二人だったからだ。
「真逆?」
 そしてユインは束縛されることを酷く嫌っていた。とても自由で、開放的で。
 だがファルロンは、どうだっただろうか。ユインを自分の色で縛りつけることで守っていると、愛していると錯覚しているきらいがあった。
 そしてリスタは、どうだっただろうか。
「すっとぼけても私には通用しませんよ、クルさん」
 あなたは、あなただ。
 ファルロンの言うこと全てに、自分を押し殺してまで従う必要はない。
 男装をしたければすればいい、書き物をしたければすればいい、髪を短くしたければそうすればいい。
 ただ、それだけのことじゃないか。
「……」
 そうするとファルロンが、機嫌悪くするから。
 いつからかそれが口癖になっていたユインを、そう叱りつけていたのは、誰だっただろうか。
「クルさん」
 思い返してみればユインは、リスタと居るときが一番輝いていたのかもしれない。リスタが傍に居るときは、表情が豊かになっていた。笑うときは笑ってたし、怒るときは怒ってたし、拗ねるときは拗ねていた。そしてリスタの部屋の中で、あの二人が二人きりになっていたとき。泣いてる声が、嗚咽が、閉められた扉越しからよく聞こえていたものだ。
 否定もせず、肯定もせず、時には少しばかり辛辣な冗談を交えながらも、基本的には笑顔でただ受け止めるだけのリスタは、誰にとっても居心地のいい居場所だった。ラズミラもよく話を聞いてもらっていたし、クルスムもなんだかんだで愚痴はよくリスタに漏らしていた。そしてそれはユインも同じ。きっと様々なことを彼には、打ち明けていたのだろう。楽しいことも嬉しいことも、悲しいことも辛いことも。
 そう、彼女には感情の捌け口が必要だったのだ。
 誰よりも強がりで、誰よりも弱いユインは、感情を定期的に吐き出さないと、一人で全てを抱え込んで、最終的には気がおかしくなり暴走してしまうから。
 だから。
「……そうだよ、アタシは知ってたさ」
 そして作り笑顔が常套のリスタも、ユインが傍に居る時は本当に笑っていたような気がする。あのドギツい毒舌すらも、ユインの前では中和し和らぐのだ。
 それに普段はどんな時でも微笑みを絶やさないリスタでも、彼女の前では笑顔以外の表情を浮かべることもあった。ユインの唐突な注文に対し戸惑うような表情を浮かべたりもしたし、感傷に浸っているかのような物悲しげな表情を浮かべることもあったし、時には 眦まなじりを上げて怒ることもあった。
 彼にもまた、自然と素に戻してくれるような存在が必要だったのかもしれない。笑顔という固い仮面を、易とも簡単に打ち砕いてくれるような存在が。
「……あの二人は仲が良かったんだよ、特別な意味でな」
 お互いの欠けている部分を埋め合わせるために、お互いを必要としていた。
 それは決して体の関係などという脆いものではなく、もっと精神的なもの。
 そういうものを人はきっと、“愛”とか“恋”などと呼ぶのかもしれない
「……やっぱり、分かってるんじゃないですか」
「それで、ユインは今どこに居るんだ」
 そう尋ねたクルスムに対し、ディダンはにひっと笑う。
「彼女は今、リストリアンスと行動を共にしています。そしてこの王宮にはいないことは確かです。でもどこに行ってどこに向かおうとしているのか、それは下っ端である私なんかには教えられてないんですよ。独眼の水龍にも、馬鹿にされているものでしてね。あっ、この件については内密にお願いしますよ。あの馬鹿犬に知られてしまえば、一体何をしてくれるものだか分かったもんじゃありませんからね……」
 むぅ……と腕を組み眉を顰めるディダン。そのとき、ユダヌの祠の奥に広がる草の生い茂る茂みが揺れたような気が、クルスムにはした。
「ディドラグリュル」
「どうかされました?」
「……どうやらこの話、内密じゃあなくなっちまたようだよ……!」
「なんですとッ?!」
 ディダンが裏返った声を上げたその瞬間、頭上に広がる木々の隙間を裂いて人影が姿を見せた。その影の真下を避けるようにクルスムとディダンは数歩後ろに下がる。すると、その空いた空間に人が降り立った。茶髪に眼帯、藍羽織。それは紛れもなく、パヴァルその人だった。
「〈道化師ジェイスク〉、テメェは今すぐシアル騎士団団長リノス・ベント・フェルデと憲兵団団長ゲルダグ・エンゲルデン・ベルナファスのもとへ向かえ! サラネム連合軍と明日の早朝《神託ノ地ヴァルチケィア》にて会戦する、全兵万全に備えよと伝えて来い!」
 大声を上げるパヴァルは、そう言いながら頭上に合図を送る。するとそこから、ウィクが飛び降りてきたのだった。
「ウィク?!」
「よぉ、クルスム。さっきぶりだな」
「アンタ、しゃが様と居るんじゃなかったのかい?!」
「わけあって水龍神サマに連れ出されたのさ」
 そう言うウィクは、クルスムの真横に移る。そんなウィクの髭は、不機嫌そうに下向きに垂れていた。
「待って下さい、会戦は七日後じゃ……」
「それはリストリアンスが出したものであり、それをシエングランゲラが取り消したんだ! 分かったのであればさっさと行け、三下がァッ!」
「承知ッ!」
 パヴァルは羽織った藍晶の内側から二束の書簡を取り出すと、それを投げるようにディダンに渡す。それをディダンは受け取ると即座に駆け出し、憲兵団の事務所へと向かっていった。
「クルスム、ウィク。お前達はこれをラムレイルグ族族長ヌアザン氏、もしくはシャグライ族族長イェガン氏に渡して来い。ウィク、お前の足なら王都からサラネムまで、そう時間はかからないんだろう」
 パヴァルがクルスムの前に翳したのは、一封の書簡。
 それは正式な宣戦布告を意味する書だ。それを自分が渡しに行ってしまえば最後、もう二度と取り返しのつかない事態に陥るだろう。
「……クルスム、どうすんだよ」
 ウィクは下から、クルスムを見つめる。
 だが引き返すことは、もう出来ないようだ。
「承知した」
 ふんだくるように文書を受け取るクルスムはウィクの首輪を外し、その背に跨る。
「……行くよ、ウィク」
「りょーかいだ」
 ウィクが毛並みを逆立てる。己を無理矢理鼓舞させようとしているのか、ウィクはその身体をブルッと震わせた。
「ちょっくら、サラネムに帰るぜ!」





「ユン!!」
 ユインとリストリアンスの二人が、ユライン邸に着いたとき。月は水平線に消え、陽は昇り、空は朝焼けに染まっていた。
 門の前で真っ先に迎えてくれたのは当主ダルラではなく、その正室であるユニ。彼女は減速した馬に近付くと、手綱をリストリアンスから受け取る。そして 厩うまやへと誘導した。
「〈聖水カリス〉さまから話は全て聞いたわ。もう、二人して一体何をしてくれたのよ!」
 飛び降りるようにして馬の上からリストリアンスは下りると、次にユインに手を貸し彼女を下ろさせる。リスタより俺の方が身長はあるから気にしなくてもいいのに、とユインは言うが、女性を相手にそんな不躾なことはする訳にはいきませんからね、とリストリアンスは微笑む。そんな二人を見ながら、ユニはくすりと笑った。
「ユンをちゃんと女性扱いしてくれる男性が現れてくれて、ホントに良かったわね」
「……恥ずかしいくらいだよ」
 リストリアンスから少しだけ視線をそらしたユインは、下を向いて少しだけ下唇を噛む。白い髪の隙間から見えた耳は、熱を帯びてぽっと赤くなっていた。
「まんざらでもないんじゃないの?」
「そんなわけないだろッ!」
「そう素直じゃないところも、また可愛いんですけどね」
「……リスタのいじわる」
「これは失礼」
 ぽんぽん、とユインの頭をそっと撫でるリストリアンス。そんな彼の手を軽く弾き撥ね退けたユインは彼の手首を掴むと、腕を引く。行くよ。そう促しているかのようだった。
「それで、ユニ。パヴァルにはここで物資を調達するようにと言われたんだけど」
「ええ、そうだったわね。《神託ノ地ヴァルチケィア》の砂漠を越えるにあったっての水とかを、〈獅子レオナディア〉が用意してくれていたの。それならこっちよ」
 ついて来て。ユニがそう手招きをし、厩の戸を開ける。すると大荷物を抱えたルドウィルとダルラの二人が、厩の方角へと走り向かって来ているのが見えた。
 どうしたのかしら、とユニは呟く。その時、リストリアンスは見た。朝焼けの空を翔けて行く一羽の鷹を。あれは猛獣舎で飼育されているラズミラの相方、メルデス。急用の書簡を届ける鷹紙飛ばしファラ・シャ・ルグの為に育て上げられた、伝書鷹だ。
「……あれは、メルデス……!」
「メルデスだって?!」
 厩に駆け込んできたルドウィルとダルラの二人。ダルラは抱えてきた荷物を先程停めたばかりの馬の背に積み、鞍を装着させる。ルドウィルもルドウィルで抱えていた荷物を馬に積むと、リストリアンスとユインのほうを向き、言った。
「神国軍とラムレイルグの会戦が、明日の朝になったんだ。今すぐここを出て急ぎで砂漠を越えないと、戦に巻き込まれることになるよ!」
「会戦はまだ先じゃ?!」
「リストリアンス。あなたが失踪した後に、シエングランゲラが改めて宣戦布告を出したのですよ。明日の早朝、《神託ノ地ヴァルチケィア》で会戦すると。噂によれば、サラネムの連合軍は既に砂漠の拠点で待ち構えているようです」
 裏返った声をあげたリストリアンスを。ダルラは静かに諌める。そしてダルラはリストリアンスに、一本の剣を渡した。その剣は不死鳥の意匠が施された〈不死鳥レイゾルナ〉。王宮に置いてきたはずの剣だった。そしてルドウィルは、ユインに弓矢を渡した。
「さっきクル姉と会ってね。ダン兄ちゃんからその剣をリスタに渡すように頼まれたんだってさ。それと弓はクル姉からの餞別。それさえあれば護身用にもなるし、狩りも出来るから持って行け、って。メズンのおっさんから聞いたことはあるけど、ユン姉ちゃんの腕前って凄いんでしょ?」
 寂しそうに笑うルドウィルは二人に対し、馬に乗るよう指示を出す。
「あとクル姉が言うには、ファルロンの足取りが全く分かってないらしいんだ。最後にファルロンを見たっていうスザンも、なんだか様子がおかしかったって言ってたし。あまり考えたくはないんだけれども、途中で急襲が無いとは言いきれない」
「……あのバカが……」
 ぼそっとユインは悪態を零す。そんな横でルドウィルはリストリアンスの手を両手で握ると、淡褐色の猫目で青い瞳をじっと見据えた。
「特にリスタ。ファルロンに変に恨まれていてもおかしくはないから」
 気をつけて。ルドウィルがそう言うとリストリアンスとユインの二人は馬に跨り、そして手綱を引く。
 迷惑を掛けてばかりで、ごめんなさい。
 どちらの声だかは判別が付かなかったが、二人の去り際にそんな言葉が風に乗り聞こえたような気が、ユニにはしていた。