【第十三章 忌み子】

1 病魔


――西暦四二四五年 空中要塞アルストグラン――


「助けっ……て……―――!!」
 雨の降り注ぐ暗い路地の裏、そこに女は倒れていた。
 女の細い腕に抱かれていたのは二つの幼き薄命の魂、造り出された人工の生命体。乳のように白い肌、柘榴のように赤い目。アルビニズム、先天性色素欠乏症。そう呼ばれるこの病は、この二つの命がまだ胚だった頃に浴びせ過ぎてしまったアバロセレンの光が原因だとされていた。

 あともう少し。
 もう少しで、弟、レーニンの家に着くのに。

 非情にも、雨は降り注ぐ。腕の中に抱かれた赤子が二人とも声をあげて泣き始めた。

 技士官が自分の命を代償に、私に彼女たちを託したというのに。

 コツ、コツ、というヒールを踏みならす音が近付き、やがて雷が落ちたかのような轟音が路地に響く。
 果たして彼女は、動くことは無かった。





「ラニー! 開けてよ、ラニー!! アタシよ、エリーヌ。早く開けて!!」
 ドアを乱暴に叩く音、女のキンキンと気に触る叫び声が、徹夜明けの疲れで居眠りをしていたレーニンを叩き起こした。
「どうしたんだ、そんな焦っ……――」
 開けた扉のそこに、ずぶ濡れになりながら立ち竦む赤毛の女――レーニンの婚約者であるエリーヌ・バルロッツィ――の姿があった。その肩に背負われていたのは、動く気配すらない実姉テレーザ。そして婚約者の胸に抱かれていた二つの頭は、双子で生まれてきた、父親も分からぬ姉の娘たち、ユンとユニだった。まだ頭頂に一握りしか生えていない白い髪と赤いその目。見間違えることは無かった。自分と同じ、アルビノだからだ。
「……テレーザ?!」
 レニーンは動かぬ姉をベッドへ運び、そこに寝かす。エリーヌは双子の赤子の濡れた衣服を脱がし、その柔い肌を柔らかいタオルで拭い、おしめを取りかえ、前にテレーザが置いて行った新品の子供服をそれぞれに着せた。そして食器棚から哺乳瓶を二つ取り出し、手早くミルクを作り、与える。飲み終えたところで赤子をうつ伏せにするよう持ちあげ、背中を叩き、げっぷをさせる。一連の動作を終え、二つ用意されていた木製のベビーベッドにそれぞれを寝かしつけると、双子の赤子はすっと眠りに着いていった。
「……ラニー。テレーザはどう……?」
 振り返ったレーニンの赤い目に、温もりは感じられなかった。
「……死んでたさ。でも、取り敢えず救急車は呼ばないとな」
 額に張り付いていたテレーザの金色の髪は、悲しい光を照らしていた。もう二度と、開く事はないだろう青い瞳は硬く閉じられ、唇は青紫に変色している。本来上下をしているべきものである胸も、動くことはない。
「ラニー……」
「エリーヌ、お前も濡れてるんだろ? 早くシャワーでも浴びて来いよ」
 目線を合わせることなく、できるだけいつもの調子で、無理をしながらエリーヌに対してそう言ったレーニン。その赤い目が更に赤くなっているのをエリーヌは確かに捉えたが、それを咎めることは敢えてしなかった。





 あれから幾年の時が経ったのだろうか、とエリーヌは思い返す。気がつけば、泣きじゃくることしか出来なかった赤子たちは、基本的にはまだ拙いながらも、ある程度のことは一人でこなせるようになっていた。
 七歳。
 そりゃ私もラニーも老けるわよね、と資料に目を通すレーニンをエリーヌ見やった。掛けている眼鏡のレンズも、そろそろただの近眼用ではなく老眼用にするべきか、などと言い出し始めているのだし。おじさん、と呼ばれるようになるのは時間の問題なのかもしれない。
「おはよ」
「おねぼうさんのユニちゃん、おはよう」
 目覚めたばかりでまだ眠いのか、目を擦りながらユニ―――腰まで伸びた長い髪の毛で見分けることができる―――はエリーヌの右横に座った。ユニは髪の毛を結って欲しい時、そしてエリーヌがリビングに居る時は必ず、この長椅子に座るという習性のようなものがあった。そして慣れた手つきでエリーヌはユニの長く柔らかい白い髪を、一本の太く長い三つ編みに結いあげる。
「ユン坊は、まだ起きないのかしら?」
 ユンとユニの部屋の、閉められた扉を見つめながらエリーヌは呟く。
 ユン坊、という呼び名は、ユンが男の子のような服装や髪形、玩具などを昔から好むところから付けられたものだった。スカートやワンピースは昔から絶対に穿くものかと拒み、挙句の果てには泣かれた事もあったものだ。以来エリーヌは、男の子用の衣服の中から彼女に合うサイズのものを探して、買い与えている。
 性格は、無鉄砲でやんちゃ。御世辞にもお淑やかな女の子とはいえない。そんなユンの姿は、学生時代のレーニンをどこか彷彿とさせた。憎らしくもある半面、それがとても愛おしかった。
 そして、そんなユンとは正反対にユニは、ピンク色、フリルのワンピース、キュロットのスカートといった“女の子”というべきものを好んだ。
 何もかもが、対照的。
 目鼻立ちなどは似ているものの、好きな物や性格面では双子とは思えないほど、面白いくらいに正反対だった。ユンとユニとは直接的な親子では無く、あくまで亡くなったテレーザから引き取った養子であるものの、ユンがレーニンに似ているのであれば、ユニはエリーヌに似ていた。買い物に出た際には、エリーヌはユニとは非常に馬が合い、ユンはレーニンと馬が合っていた。それはそれで、楽しかった。
「ユンならね、起きてるの。けど起きてこないの」
「それって、どういうことなの?」
 分かんない、とだけ言うとユニはキッチンへ向かい、冷蔵庫から牛乳を、棚からはシリアルの箱を取り出す。そして食器棚から底の深い皿を一枚取り出し、それにシリアルを注ぎ、牛乳も注いだ。
「パパ。私、ちょっとユン坊を起こしに行ってくるから」
 レーニンにそう言うも、返って来たのは「んー」という、話を聞いているのかすらも分からない、とても曖昧な返事のみだった。




「起きなさい、ユン坊」
 淡い青の毛布に包まっているのか、ベッドの上にはこんもりとした水色の山が出来ていた。それを引き剥がし、エリーヌは現れ出た背中を平手で軽く叩く。普段であれば、これをすれば一発で起きるのだが、どういうわけか反応も何も無かった。
「こらユン坊、起きなさい。休日で学校が無いからって、寝坊していいわけじゃないでしょう?」
 胎児のように膝を折り、横を向いて寝ていたユンを、エリーヌは無理矢理仰向けにさせる。
「ユン坊?」
 様子がおかしかった。ユニが言っていた通り、起きてはいるのだ。けれど起きない。
 目は覚めている時と同じくらい開いているし、赤い瞳は確かにエリーヌを見ている。けれども、起き上がろうとしない。この子は私をからかっているのか、と思った矢先、彼女の口がもごもごと動いた。
「どうしたの?」
 聞こえてくるのは言葉にならない音。うー、おー、というような呻き声のようなものでしか無かった。必死に聞き取ろうと耳を傾けるほどその声は、トレモロが掛けられたかのように揺れていく。
 泣いている。
 この子が泣くだなんて、何年ぶりなのだろう。
 そう気が付いた時にはエリーヌは既に、その白く細い身体を強く抱きしめていた。
「身体は、動かせるの?」
 ゆっくりとした口調で、ユンに問い掛ける。自らを落ち着かせる意味合いも込めて。ユンは首を僅かに横に振った。ノー。そういうことなのだろう。
「なにがあったのか、覚えてる?」
 またも首を横に振った。
「喋れる?」
 首を横に振る。
 何がどうなっているのか、学者でも何でもないエリーヌには分かりっこなかった。嗚咽を漏らしながら、ぽろぽろと大粒の涙を大きな目から零すユンを抱き上げ、一度リビングへと引き返した。科学者のレーニンなら何か分かるのかもしれないと、それだけを思って。


「……残念だが、俺には分からないな」
 長椅子の上に寝かせたユンの額に手を置いてみたり、腹を触ってみたりと、彼は彼なりに手を尽くしたらしいのだが、結局はその結論に至った。
「どうなるのよ、ユン坊は!!」
「あくまで俺には分からないだけだ。その道の専門じゃないからな」
 俺には、というのを強調して言ったレーニン。希望は、ある。眼鏡の下の赤い目はそう言っているようだった。
「じゃあ、あなた以外の誰に頼れって言うのよ! 今日は土曜日だから病院だってどこも閉まってるに決まってるわ! それなのに」
「知り合いの大学病院なら、年中無休だ。今からそこに行く」
「知り合いって……誰よ」
 レーニンを信用していないのか、訝りの念を見せるエリーヌ。ユニはそんなエリーヌの後ろで、今にも泣きそうだという顔をしていた。
「アルスル・ペヴァロッサム。腕は確かだ、安心しろ」





 エリーヌは、目の前で喋るこの男、アルスル・ペヴァロッサムを「腕は確かだ、安心しろ」と言い切ったレーニンを信じられずにいた。
 彼はレーニンと歳は然程変わらぬと言うのだが、エリーヌの目には歳下にしか映っていなかった。それも十代半ば。髪だって、青空を溶かしたようなふざけた色をしている。黒ぶち眼鏡を掛けて聴診器を首から下げ、白衣を着たその姿でも、どうもお医者さんごっこをしているふざけた学生にしか見えなかったのだった。
「……以上のことを鑑みて、若年性のアルツハイマーかヤコブ病である可能性が高いといえる」
 眉根を顰めるレーニン。エリーヌは膝の上にユニを抱えながら、話が分からないといった表情を浮かべていた。「それって、どういうことなんですか?」
「どちらであろうとも、将来的には痴呆というような状態になると言う事だ。現時点での断定は難しいが、今回現れたのは歩行障害、もしくは軽度の無動無言。最悪の場合、後者がほぼ確実となる」
 表情を一切変えること無く、淡々と事実を述べていく。言っている事はきっと、惨い事なのだろう。その証拠に、レーニンの表情は聞けば聞くほど、雲っていっていた。
「今日、行ったのはMRIの検査のみ。それでも比較的僅かではあるが、脳の委縮が認められた。明日と明後日で脳波と随液検査を行う。よって、入院してもらう」
 入院。その言葉を聞いて、それまで必死に堪えていたものたちが爆発した。
「ねぇ、先生。ユンは死んじゃうの? 治るの?」
 追い打ちを掛けるようにユニが発した、悪意の無い言葉。エリーヌは自らの目から涙が溢れ出ていたことに気付いていなかった。