【第十二章 山犬の咆哮】

3 白羽の烏


 ギャランハルダが焼け落ちてから、三日が経った。
「どうした、ラン。今日はヤケに顔色が悪いじゃねぇか」
 またレグサからの門前払いを食らったラントは、事務所の一階客間に置かれた長椅子に座り、ただ何も考えずにぼーっとしていた。そんなことをかれこれ何十分かしていたとき、事務所に戻ってきたパヴァルに声を掛けられたのだ。
「今日は、というよりも、今日も、か」
「……」
「お前もエレイヌも、どうしたもんだか」
 あの日以来、エレイヌはずっと泣いている。事務所の一室を今は借りそこで寝泊まりをしているが、そこに籠り、一人でずっと泣いているのだ。
 そして俺は、俺はどうなのだろうか。俺も今は、何も手につかない。ラントはそんなことばかりを、ずっと考え続けていた。何も出来ない。それは、何でなのだろうか。そんなことを考えているからこそ、何も出来ない。馬鹿らしい、とは思っている。うだうだと考えに 耽ふけって、職務が疎かになっているこの現状が。現にそんな自分自身に嫌気がさしていた。
「……羽根?」
「あっ」
 パヴァルがラントに近付く。すると手を伸ばし、ラントの頬に触れた。そしてブチッという音と共に、パヴァルの指が掴んでいたもの。羽根だった。白い、羽根。同時に抜かれた部分から少し滲み出た血液。パヴァルの片方しかない目が強張る。ラントは思わず、パヴァルから視線を逸らした。
「ラント」
 パヴァルの声の調子が、低くなっていた。これは苛立っているときか、考え事をしているときか、説教の前触れか。その三択のうちのどれか。だとすれば、どれだろう。そんなことを考えるよりも先に、関係のない言葉が口から出ていた。
「……なんだよ、そんな怖い顔して」
「ちょっと、付いて来い」
 ぎらりと光る蒼い目。その眼に燈った光は説教でもなく、かといって苛立っているわけでもなかった。何故だか獲物を狙う虎のような、そんな光。だからこそ、気味が悪かった。パヴァルが今、何を考えているのか。それが全く以て読めないからだ。
「付いて行く?」
「ちょっくら神術舎までな。いいから黙って、俺に付いて来い」
 そうしてパヴァルは事務所の外に出て行く。ラントは均衡感覚の狂い始めた体で覚束ない足取りながらも、早足で歩くパヴァルに必死に追いつこうと歩きだした。




「羽根?」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉は目を瞬かせる。そしてラントの顔を覗き込むように凝視すると、ふむ……と腕を組み眉間に皺を寄せる。そして一言、分からん、と言った。
「そりゃそうだろうな、〈大神術師アル・シャ・ガ〉よ。お前には分からない。なんてったて、この俺ですら分かってないんだからな」
「……」
「それに用があるのはお前じゃない。そこの鳥だ」
「俺かェ?」
 パヴァルは片方しかない蒼い目で、〈大神術師アル・シャ・ガ〉の背後に佇んでいたメクを睨み付けた。ぶるぶるっと身を振るわせるメクの尻の毛が、驚いた猫のようにぶわっと膨らむ。だがメクのもさもさとした頭の毛から垣間見えた蒼白い虹彩は、何かを知りながらも白を切っているかのような、人を見下している視線をパヴァルに送り付けてもいた。
「まァた独眼の水龍さんは、なァーにを勘違いしてなさってるのかねェ?」
「テメェこそ、いつまでシラを切ってやがるつもりだ」
「俺にゃァ何のことだかサッパリ分からねェがヨ」
「そうか。なら……」
 メクに詰め寄ったパヴァルは、懐から硝子製の細い管のような容れ物を取り出した。そしてパヴァルはそれの蓋を開けると、メクの羽根を数本まとめて引き抜く。イデェッ、と声を上げるメク。パヴァルは抜いた羽根を、その管に詰めた。
 すると、どうだろうか。その羽根は一瞬にして形を失い、管の中で液体と化した。きらきらと青白い燐光を放つ、すこし粘り気を帯びたような液体に。細い管に蓋をし、中身の液体をかき混ぜるようにパヴァルは数回横に振る。と、瓶を羽織った藍晶の裏にしまった。
「……チッ。痛ェじゃねぇか、えぇ?」
「お前さんの体に痛覚があったとはな。神サマよ」
「何言ってんだ、俺は女神さまに仕える聖獣サマだぜ」
「その嘘が〈大神術師アル・シャ・ガ〉にいつまで通じるか、見物ってところだな。さっ、ラント。次だ」
「次ッ?!」
 パヴァルはラントの肩を掴むとメクに向かって去り際に、にやりと笑ってみせる。おい待て溝鼠!と呼び止めようとするメクを完全に無視し遠のいて行く二人の男の背中を見ながら〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、一人わけも分からずポカンと突っ立っていたのだった。





「シルス、ちょっと邪魔するぜ」
 次にラントが連れて行かれたのは、王宮内の政務室だった。扉を開けて中に入ってから、部屋の主に対してそう問いかけたパヴァルに対して、部屋の主であるシルスウォッド卿は、またお前か、という顔で受け答えをした。
「用件は何だ」
 机上に並べられた書類の山。それの一つ一つに目を通しながらシルスウォッド卿は、一切視線をパヴァルのほうにやることもなく、それだけを短く言う。パヴァルもそんなことなどお構いなしに、シルスウォッド卿へ質問をぶつけた。
「結晶だ、結晶。まだ持ってるか」
「結晶?」
「……ユンの目玉だよ。武神ノ邪眼。ケリスからはお前が現在持っていると聞いているが、どうなんだ」
「ああ、あれか。だが一体、何に利用すると……」
 シルスウォッド卿が書類から目を離し、パヴァルのほうに一度視線をやったとき。そのたった一瞬だけだったが、ラントとシルスウォッド卿の視線が合わさった。何故だか、気拙い。何十年かぶりに顔を合わせた親と子のような、一体何を話せばいいのかが分からないという空気が流れる。それを感じていたのはラントだけではなく、どうやらシルスウォッド卿のほうもそう感じていたらしい。一瞬強張った目元。だがすぐにそれは元に戻り、シルスウォッド卿は書類の山の中に紛れていた小瓶を手に取ると、それをひょいとパヴァルに向かって投げた。
「おい、シルス! 瓶なんか投げるもんじゃないだろ!!」
「お前なら受け取れると思ったからだ」
「……お前な、俺じゃなかったらどうするつもりだったんだよ……!」
「お前以外であれば、そもそも投げてなどいない」
「ったく、俺でも投げるな! 危なっかしいだろ!!」
「お前が言うな」
「お前もだ、戯けめが!」
 ブツクサと文句を連ねながらパヴァルは受け取った瓶を開け、中の石を取り出した。そしてそれを、ラントのほうに翳す。宝玉に埋め込まれている紫色の虹彩はラントを睨むように見据え、瞳孔は伸縮を繰り返していた。
「……パヴァル?」
 宝玉の瞳孔が、限界まで開く。紫色の中にぽっかりと開いた黒い闇は、手招きをしているようにぐるぐると渦を巻いていた。吸い込まれる。そう感じたラントは、無意識に後退る。一歩、二歩、また一歩。だがそれと同じように、宝玉を手に持ったパヴァルはラントに歩み寄ってくる。一歩、二歩、また一歩と。
「待て、パヴァル。お前は一体、何をするつもりだ」
 シルスウォッド卿は、パヴァルに対してそう言う。だがパヴァルは彼の言葉を聞き流し、ラントだけを蒼い目で見ていた。
「少し痛いだろうが、我慢しろ。それに、体がだるくなるのは精々一週間ぐらいだ。それさえ乗り越えれば、楽になるだろう。多分、だがな。まだ確証はない」
「……パヴ、何を言ってるんだよ?」
 紫色の虹彩と蒼い虹彩が、ラントを見ている。とうとう壁に追い込まれたラントは壁にへばり付くように立ちながら、漠然とした恐怖に追い詰められ、表情を引き攣らせていた。そんなラントの左頬骨の上、また短い羽根が姿を現す。それを引き抜いたパヴァルは、その短い羽根を床に落とした。
「このまま人でなく烏になるか、それとも人でありながらも烏でいるか」
「なんで、お前がそれを?!」
「俺相手にお前如きが、秘密を隠し通せるとでも思っていたのか?」
 ニッと歪む口元。だが目は、不釣り合いなくらいにぴくりとも動かない。
「パヴァッ……!」
「待て! ペルモ……―――!!」
 パヴァルの手を離れた黒い宝玉が、ラントの目に飛び込んでくる。それは視界の中に入ってくる、という意味ではない。物理的に、ラントの左目を目掛けて飛んできたのだ。
 ラントが瞼を閉じたのも束の間、それさえもすり抜け“武神ノ邪眼”はラントの左目を喰らい尽した。体からは力が抜け落ち、ラントは床に倒れ込む。左目が、開かない。何も見えなかった。中途半端に開いている右目から見える視界は歪み、ものの輪郭が二重三重に増え、ブレて見え始める。吐き気が催され、両目を閉じようとしたとき。パヴァルの胸倉を掴み責め立てる枯草色の髪の男の影が、ぼやけて見えていた。