【第十一章 猛獣の覚悟】

2 その龍神、善を問う


「ユライン夫人から何か聞けたりでもしたのかな?」
 王宮の庭園で待ち合わせをしていた〈大神術師アル・シャ・ガ〉が、クルスムの顔を見るなり一言、そう言った。その横でメクとウィクは、互いに威嚇の応酬を浴びせている。
「まぁな。でも一遍に色んな情報が頭ン中に入ってきやがって、もうこんがらがって仕方がないよ。しゃが様が医術師だとか、アタシの名前はアレクサンダー・コルトだとか、もうサッパリさ」
「それも、無理はないだろう」
 ははは、とクルスムは苦し紛れに笑う。〈大神術師アル・シャ・ガ〉もははは、と笑った。
「正直私も、始めの頃は馬鹿げた夢だと思い込んでいた。けれども、同じような夢を見た人間が複数居たものでな。実に奇怪なものだよ」
「夢?」
 クルスムは首を傾げる。おかしな夢、というのはここのところ特に見てもいない。それどころかクルスムは、滅多に夢など見やしない。それこそ数えるほどのもの。だがどれも、別にこれといっておかしな点があったわけではない。
「……君も、何か見たのではないのか?」
「いや、アタシは別段何も見ちゃいないが」
「てっきりそれでユニくんに話を聞きに行ったのかとばかり、私は思っていたのだが……」
「それは違うよ、しゃが様。単に《光帝シサカ》継承ノ儀の時のユンに対する態度が気になっただけさ」
「お前ェサンは鋭いんだか、直感がいいんだか、それとも運だけで生かされてるのか。よく分からねぇなァ、まったくヨ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の横に佇んでいたメクが、ぶるりと体を振るわせる。黒い羽根が抜け落ち、地面に落ちる。羽根は青白い光を放つと、燐光を放ちながら消散してしまった。まるで昇華されたかのように。そして羽根が消えたのと同時に、メクの尻の毛がブワッと広がる。唸るウィクの毛並みも、逆立った。
「まあな。私自身、この話の確証が得られたのも最近のようなものだ」
「へぇ。しゃが様ほどの御方でも分からないことはあるってのか」
「当り前だ。私はただの人間、それ以上にはなれんのだ。……なろうとも、思わんがな」
「……?」
「とにかく、私は最上の存在では無いのだよ。全く、なにが歩く知の宝物庫だ。知らないことだらけで泣きたくもなる」
 ふっ、と〈大神術師アル・シャ・ガ〉は小さく笑う。その笑顔の意図。クルスムには汲み取ることが出来なかった。
「こんなところで長話をしていたら、誰かに聞かれるかもしれない。さて、神術師の舎にでも向かおうか。そこなら誰も、人はいないだろうからな」
 神術師の舎に向かう〈大神術師アル・シャ・ガ〉とメクの後を、クルスムとウィクは付いて行く。近くに居るというのに相手がとても遠くに居るように感じるような、不思議な空気感が、そこにはあった。




 神術師の舎。クルスムは古臭い石造りの家を想像していたが、決してそうではなかった。〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の事務所となんら変わりはない、もしくはそれ以上に豪勢だ。だが、ところどころに埃が被っていたりなどしていて、どうやらあまりここは利用されていないらしいということが見て分かった。
「クルスムくん、君はそこにでも座ってくれ」
「ああ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉が指定した椅子に、クルスムは腰を降ろす。アルダンの事務所にある固い椅子とは比べ物にならないくらいに、それはとても柔らかかった。
「さてと。私から全てを語る前に、君の考えを聞かせてもらおうか」
 手頃な椅子に腰を下ろした〈大神術師アル・シャ・ガ〉の横に、メクも足を折る。遅れてやって来たウィクも、クルスムの座る椅子の横に伏せた。
「考えっていうほど立派なモンは、まだ纏まっちゃァいないんだが……」
「構わんよ、それでも。小出しでも良い。そこにある紙きれにでも箇条書きにしてみるのも良い」
「そうだねぇ、まず……」
 クルスムはふと視線を少し上げた。〈大神術師アル・シャ・ガ〉の横に座るメクの青い目と視線が交差する。メクの嘴の端が笑ったように上がったような、そんな気がした。
「アタシの名前がアレクサンダー・コルトだってことは分かったよ。そんでファンの野郎が、ファロン・ライオネルとか言ってたっけか。そんで、しゃが様が……」
「アルスル・ペヴァロッサム。叡知の化身でも何でもない、ただの医者。脳神経外科医だ」
 そう呟く〈大神術師アル・シャ・ガ〉の顔は、王宮内で一際目立つ自身に満ち溢れた姿とは遠くかけ離れていた。
「他にも私たちと同じ、この世界の為に作られた純粋な生命でない者たちが存在している。ユンくんとユニくんもそうだが、例えば武ノ大臣であるケリスも同じだ。そしてラント、エレイヌ、噂によればディドラグリュルやベンスなどもそうらしい。だが、当人たちはまだ気付いても居ないだろう。あの二人を除けば、な」
「ふぅん。で、その二人ってのは誰なんだい」
「答えを聞くだけじゃァ面白かァねぇだろ」
 メクがそう口を挿むも、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はそれをシカトする。その様子を、ウィクは鼻で笑いながら見ていた。
「ペルモンド・バルロッツィ高位技士官僚。そしてシルスウォッド・エルトル博士。名高き天才、その二人だ」
「シルスウォッド?!」
 驚きのあまり立ち上がるクルスムはそう大声をあげ、足を一歩踏み出す。もにっ。何かを踏んだ。
「……ッダッ!! おい、クルスム!!」
「ぬあぁっ?! おあ、ウィク! ごめんよ、ごめん!」
 伏せていたウィクの前足を、クルスムは思いっきり踏みつけていたのだ。身を起こしたウィクは全身の毛を逆立て、踏まれた前足を庇いながらクルスムを睨んでいる。まだ襲いかかられていないだけマシか。そんなことを考えながら、どーどー、とクルスムはウィクを治めた。
「……で、シルスウォッドってあの……」
「そう、あのシルスウォッド卿。考古学者の、エルトル博士だ」
「政ノ大臣の?」
「そうだ。何度も言わせるでない。そして五賢人が一柱、まさに真なる叡智の塊、稀代の大天才とも言うべきペルモンド・バルロッツィ高位技士官僚。それこそが……」
「誰?」
「……」
 突然、〈大神術師アル・シャ・ガ〉は黙り込む。明らかに、何かを訝っていた。それは果たしてクルスムをなのか、それとも誰かを明かすことについてなのか、はたまたその人についてなのか。その辺りはクルスムには判別がつかない。が、とにかく〈大神術師アル・シャ・ガ〉は黙ったまま、クルスムをじとーっと見つめていた。
「どうしたんだい、しゃが様」
「……」
「しゃが様?」
「これについては、言ってしまうと私が殺されるかもしれないな」
「しゃが様が殺される?!」
 一体どんな相手なんだよ、と声を上げたクルスムに対し、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はニコニコと微笑んでいた。そうして〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、右目を手で隠してみせる。右目が、どうかしたのかい? クルスムは一瞬固まったが、ハッと全てが繋がった。
「……そりゃ本当なのかい、しゃが様よ……」
「なんのことだかサッパリだなぁ。私は何も、教えていないぞ?」
 右目に眼帯、嫌味な笑顔。そう言われれば思い当たる人物と言えば、一人しかいなかった。
 独眼の水龍、パヴァル・セルダッド。
 それ以外に、誰が居ようものか。
「……信じられねぇな。あの人が、しゃが様以上の天才だって? まさか、そんなわけが」
「君は、彼のその顔を見ていないから分からんのだよ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の赤紫の目が歪む。その視線が窓を見ていた。クルスムも窓を見る。
「…………」
「……ハハハ。流石だな、水龍さんは」
 窓から覗いて見える影。その横顔、冷めきった蒼い目が静かに、だが厳しい視線で〈大神術師アル・シャ・ガ〉を睨み据えていた。





「お前な」
 パヴァルの冷ややかな眼差しが〈大神術師アル・シャ・ガ〉に右上から注がれている。
「……つい、うっかり」
 そして左上からは、シルスウォッド卿が冷徹な目で〈大神術師アル・シャ・ガ〉を見つめていた。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉ともあろうお前が、何という思慮のなっ……――」
「思慮がないだ云々については、お前が言えることじゃないだろうシルス。死に急ぎが、よく言ってくれるもんだ」
 嫌味な笑顔を浮かべるパヴァルは、今度はシルスウォッド卿を見る。
「それなら、お前にも言われる筋合いはない。後先を考えないで突っ走る猪のようなお前に、私が何度振り回されたことか」
 シルスウォッド卿も負けじとパヴァルに噛みついた。
「だが俺はお前とは違って、それ相応の結果は残してるぞ? 少なくともドジ踏んで汚名被って、後世に史上最悪の大悪党として語り継がれる羽目には陥っていない」
「だが、機関にハメられ史上最悪の大失態を犯し、手を貸してくれと私に懇願をしにきたのは何処の誰だったかな?」
「……」
「…………」
「……分かった、貸し借り無しだ」
「そうこなくては」
 阿吽の呼吸。
 そう例えるべき遣り取りが政務室の薄暗闇の中、パヴァルとシルスウォッド卿の間で交わされる。王族と暗殺者、異色な組み合わせ。そして、そんな遣り取りをクルスムとウィクの二人は傍観していた。
 率直な感想を述べると、気味が悪い。そんなところだ。
「で、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃん、なんて歳じゃないよ」
 パヴァルがクルスムのほうに向く。

 この人が、世紀の大天才?
 どう考えても、信じられねぇよ。

 そんなことを考えながらクルスムは、パヴァルの蒼い目を見つめていた。
「俺から見れば、お前さんらはまだまだガキんちょ、お嬢ちゃんだ。で、お前はどれほどのことを理解している?」
 先程の〈大神術師アル・シャ・ガ〉と同じ、とても漠然とした答え辛い質問だった。
「どれくらい、っつわれてもねぇ。取りあえずアタシがクルスムって名前じゃない、ってことは分かってるよ。あと、世界は一つじゃなくて幾重にも重なってるってことをね。地層みたいになってるんだっけか?」
「どこぞやの学会では、そういう見解を発表していたな。他には、どうだ?」
「シャングリラがどうのとか言ってたっけなァ。機械で作りだした世界を、人の頭で管理するとかいう実験がどうたらこうたらって。それとユンとユニの二人は双子で、それでユンは病を患って……――」
 そこでクルスムの口は、閉じられた。そして代わりにパヴァルが言葉を続ける。
「憐れな双子はその体を、悪戯に弄ばれた。お前さんの噂は小耳に挟んじゃいたが、自力でここまで辿り着けたとは、流石ダグゼン……いや、ダグラス・コルトの娘と言うべきだ。上等だ、アレクサンダー・コルト。シルス、お前もそう思うだろ?」
「ああ、そうだな。探偵の娘とは、恐ろしいものだよ」
 にたりと不敵な微笑を浮かべるパヴァルと、そっと微笑むシルスウォッド卿。〈大神術師アル・シャ・ガ〉の視線は宙を彷徨っていた。
「じゃあ訊くぞ、嬢ちゃん」
「……なんだい?」
「真実を全て知ったうえでそれを全て受け止め把握し、そして俺たちに手を貸してくれないか?」
 蒼い目と青い目がクルスムを見る。クルスムの足元で伏せをしていたウィクは何かを感じ取ったかのように立ち上がり、パヴァルとシルスウォッド卿の二人に対して低く唸り出した。
「手を貸すって、何を?」
 パヴァルに対し尋ねるクルスムの足を、ウィクは前足で踏みつけた。
「やめとけクルスム、こいつらは危ないぞ」
「ウィク、アンタは今関係ない。黙っときな」
「関係大ありだ。俺の主が悪事に手を染めるのであれば、俺は仕えるものである以上、それを止める義務がある」
「なにも悪事と決まっちゃいないだろ?」
「いや、アイツの目をよく見るんだ。あれがこれから善を働こうとする人間の目か? 違うだろ?!」
「ウィク」
 ウィクはクルスムの前に立ち塞がると、パヴァルを睨み据える。するとパヴァルは、そんなウィクを鼻で笑った。
「何が善で、何が悪か。それを決めるのは、果たして誰なのか」
「人に決まってんだろ!」
「立場が異なれば、見方も異なるだろう。見方が異なれば、得られる結論も異なるだろう。そうじゃないのか?」
「そうだな、それがどうかしたってのか!?」
「ならば、それは善悪にも同じことが言える。誰かにとっては善でも、また誰かにとっては悪になり得る。それは何にでも起こり得ることだ。完全なる善などない。同時に完全なる悪もない。ならば、善悪とは何だ?」
「さっきから詭弁をタラタラと連ねやがって、テメェは一体何が言いたいんだ!!」
 怒り、苛立ちが沸点に達したウィクは威嚇の態勢をとり、吠え声をあげた。その緊張感に釣られたのか、どこからか姿を現した水龍神はパヴァルの腕に纏わりつくと、ウィクをじっと見つめる。二股に分かれた細い舌が素早く出し入れを繰り返す。シャァーッ、シャァーッ。そんな、嫌な音を立てながら。
「……詭弁、か。都合のいい言葉だ」
 フッ、とウィクを嘲笑うパヴァルは浮かべた笑みを崩さぬまま、身を低くし唸るウィクを上から見据える。冷めきった、乾ききった目だった。目元は一切、動いていない。でも口元は、笑みを超えて引き攣りを見せ始めていた。
「善も悪も、美も醜も、生も死も、陰も陽も、神も悪魔も、所詮は人が生み出した下らん概念、区分に過ぎぬ。意味もなければ何もない、陳腐なものだ」
「陳腐だと?!」
「ああ、非常に陳腐だ。だからこそっ……――」
「それくらいにしておけ」
 パヴァルの言葉を遮るように、シルスウォッド卿が口を挿む。そしてシルスウォッド卿はパヴァルの肩を小突いた。
「前々から思ってはいたが、お前の頭には白か黒かしかないのか? お前の話は大抵、極論だ。確かにお前の持論には一理ある。だが、その極論は今は必要ない。ここは私に任せろ」
「……分かった」
 溜息を吐きながら、パヴァルは適当な椅子に腰をドカッと据えた。そしてウィクの毛の逆立ちも落ち着きを見せ始めた頃、シルスウォッド卿がクルスムに再び問い掛けた。
「それではもう一度訊こう。君は、我々に協力してくれるだろうか?」
「何に協力するか、にも依るね」
 クルスムは緑の目でじっと、シルスウォッド卿の青い目の裏にあるものを読み取ろうとする。だが、分からなかった。どうしても、掌握できない。瞳はとても澄んでいて綺麗に見えるのに、どうやらそれは表面だけで、その表面を取り攫ってしまえば底なしの沼が続いているようにも思えていた。
「それは」
 発せられたシルスウォッド卿の言葉の直後、ウィクが再び吠え声を上げる。そしてウィクは、シルスウォッド卿の喉首を目掛けて飛びかかろうとした。ウィク! クルスムはそう怒号を上げる。そしてそれと同時にウィクの足に絡みついた水の龍神が、ウィクの動きを封じ込んだ。浮きかけていたウィクの足は床に押し戻され、ウィクの巨体は哀れにも横倒しにさせられる。
「どうせ乗りかかってた船だ。付き合ってやるよ、最後まで」
 クルスムはいつかの時の為に用意していた鎖の首輪をウィクの首に巻きつけながら、シルスウォッド卿の目を見つめて、そう言い放った。
「考えなおせクルスム! そんな大量殺人めいたことなんて……」
「ウィク。主であるアタシ、〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉さまがそう言っているんだ」
「だが!」
「仕える立場であるアンタは、黙って主に従うのが道理なんじゃないのかい? 従わないのであれば、アンタはアタシに仕えている限り、野蛮な猛獣と同じようにずっとこの鎖に繋がれることになるよ。それでもいいのかい?」
 黙り込むウィク。その髭は怒っているように上に向いているし、目は明らかにガン垂れていたが、クルスムはそれを敢えて無視する。そして、そう簡単には壊れやしないサイランの職人に特注で作らせた鎖を手に握り締め、ウィクの黄色い目をじっと見る。するとウィクは静かに、頭を下げた。降参した。その意思表示だ。
「どうやら、覚悟が決まったようだな。歓迎しよう、アレクサンダー・コルト」
 差し出されたシルスウォッド卿の手をクルスムは握り、パヴァルとシルスの二人を交互に見やる。
「中途半端に知っているのは後味が悪いからよ。少しでも知ってしまったンなら、最後まで突き止めたい。そう思えたのさ」
 それは、この世界を抹消することだ。
 シルスウォッド卿は、そう言った。果たしてそれが、善なのか悪なのか。少なくとも彼らは、そんな議題など気にも留めないことだろう。そんなことくらい、分かっている。それにパヴァルのあの発言で、ハッキリとしていた。
 そう、問題はそこじゃない。
 善か悪かだなんていう、ちっぽけな問題じゃない。
 この人たちが見ているのは、もっと先の次元なんだ。
 ならば。
 強く握り返された手の感触を受け止めながら、クルスムはシルスウォッド卿の目をじっと見る。その青い目の奥にある光を、見極めようとしたのだった。