【第十一章 猛獣の覚悟】

1 貴婦人、過去を解く


 〈大神術師アル・シャ・ガ〉からの紹介で、ウィクを連れたクルスムがエレイヌと共に訪れたのは、王都ブルサヌの外れにあるユライン邸だった。
「ごめんね、クルちゃん。それにウィクっぺそんまで。無理を言ったりなんかして、ごめんなさい」
 馬に乗ったエレイヌはすまなさそうな笑みを浮かべながら、ウィクの背に跨ったクルスムにそう言った。対するクルスムは、気にすんなよ、と手を左右に振る。
「アタシも貴族様のお家に行くのに一人じゃ不安だったから、高貴なお方の相手に手慣れてそうなアンタも来てくれるってのは却って有難いくらいだよ」
 この件については貸し借り無しさ、とクルスムは言いながら前を見つめる。ユライン邸と思しき建物は、もう見えてきていた。
 何故、クルスムが〈大神術師アル・シャ・ガ〉に紹介してもらってまでユライン邸に行きたかったのか。それはユライン夫人ことユニに関係していた。
 ある時、ルドウィルが言っていた。ユライン夫人は、どこかユン姉ちゃんに似ている。まるで双子みたいにそっくりだ、と。そしてユニが《光帝シサカ》継承ノ儀の時に見せた、ユインに対する親しげな態度。つい最近顔を合わせたばかりのような関係のはずなのに、その空気感に対してクルスムは疑問に思うのと同時に、まだ確証のないある仮説に辿り着いたのだ。
 自分で言うのも何だが、その仮説とやらは相当馬鹿げていた。まともな顔をしてその説を唱えようものなら、憑きものに憑かれたとして酷い目にあうだろう。それほど、馬鹿馬鹿しかった。
 でも、仮にこの説が正しい、もしくは限りなく真実に近いのだとすれば、前にメクや〈大神術師アル・シャ・ガ〉の言っていた言葉の意味が理解できるようになるのだ。

 この神国に生きる己を、否定しろ。そして思い出すんだ、過去を。

 そんな、〈大神術師アル・シャ・ガ〉の言葉も。

 そこの獅子のまやかしに、惑わされるンじゃァねぇぜ?

 そんなメクの言葉でさえも。
「どうやら門の外にまで、夫人が出迎えてくれたようだね」
「そうみたいね」
 アレクサンダー・コルト。
 メクが言っていたその名前を小さく呟いたクルスムは、クルスムらに対して手を振っていたユニに対して、手を振り返した。





「王宮からここまで、さぞかし遠かったでしょう? 私のほうから王宮に出向ければ良かったのだけれど……ダルラが私一人での外出を許してくれなくてね」
 ごめんなさいね、と小さく謝りながらユニは、机に用意された三つのティーカップに淹れたての紅茶を注いでいく。角砂糖は好みで入れて下さいね、と言うと陶器のティーポットを銀盤の上にそっと戻した。
「なに、王宮から猛獣舎までのほうがよっぽど遠いってもんさ。これくらいなんてことないよ」
 そう言いながらクルスムは、紅茶の中に角砂糖を一つ投入する。エレイヌも二つほど、頂戴していた。そしてウィクは、クルスムの足元で早々に眠りについている。ひゅー、ひゅー、と寝息を静かに立てていた。
「それで、私に訊きたいことっていうのは?」
 ユニはクルスムとエレイヌの二人を見る。クルスムは窓の外の景色に視線を逸らしながら、短く一言だけを言った。
「ユンのことを、色々とね」
 王都でありながらもユライン邸の周りには民家というものがあまりなく、離れたところに点々と数えるほどの家が散らばるように建っているだけ。
「あとそれとちょっと、アンタの過去についても良ければ聞きたいのさ。まあ別に、無理だって言うなら話してくれなくても構いやしなけどね」
 クルスムはエレイヌを見る。エレイヌも無言で頷いた。どうやら二人の聞きたいことは大凡、同じだったらしい。
「ユンのこと、ねぇ。……一体、どこから話せばいいのかしら」
 ユニの目が泳ぐ。クルスムは紅茶を啜り、エレイヌは焼き菓子を摘まんでいた。
「先に、これだけは言っておくわ」
 クルスムの目を見たユニは、一度呼吸を整える。そして今度はエレイヌの目を見ると、顔を少し俯かせ、言った。
「私がこれから話すことは、あなたたちにとってはとても馬鹿らしくて嘘臭い話に聞こえるかもしれない。昔の私ならきっと、この話を聞いたとしたら、荒唐無稽だって笑い飛ばしていたと思うから。でも、これが真実なの。とっても馬鹿みたいな、歪んだ真実」
 ユニが顔をあげ、クルスム、エレイヌの二人を見る。
「私の話を信じてくれると信じて、あなたたちには話すわ。心の準備は出来てる?」
「ああ。アタシはいつでもドンと来い、だよ」
 クルスムはそう言う。
「私も、大丈夫。話して」
 エレイヌもそう言った。するとユニは、少しだけ外に視線を逸らすと、語り始めた。
「これは、この世界とは別の世界の話。〈下界シャンライア〉と呼ばれている世界の、更に外の世界」
「……別の、世界?」
「世界は一つじゃない。幾つもの次元が、層を形作るみたいに重なり合っているの。その集合体が、世界」
「へぇ?」
 クルスムは首を傾げる。エレイヌも分からない、という顔をしていた。
「まるで地層を作るかのように、幾重にも次元が重なっているの。下から始点、一次元、二次元、三次元……ってね。どこまで続くのかは、私も知らない。その仕組みが具体的にどうなっているのかも、私には分からないわ。でもね、重なっているの。この次元の中に居る限り他の次元は見えはしないけれど、見えないところで他の次元はこの次元に干渉している。どこの次元でも同じ。重なり合う部分は互いに影響し合うらしいわ。だから、幽霊を見たなんていうのもその類。見える人には見えるし感じられるけど、普通の人にはそうそう見えやしないし感じもしない。そんなもの」
「あー、うーん……よく分かんねぇな」
「私もサッパリだわ」
 クルスムは焼き菓子を一つ摘まむ。無い頭を使うと、甘いモンが欲しくなるもんなんだな。そう笑いながら、紅茶も啜る。クルスムにはユニの話が、断片的にしか理解できていなかった。
「今の話はそんなに重要じゃないから、気にしないでね。それでこれからが本題。ある時、二人の科学者が二つの過ちを犯したの。人の体を人じゃないものにするということと、人の手で新たな世界を作り上げるということ。後者は彼らが意図的に作ったものではなかったけれど、でも生み出してしまったことに変わりはない。その生み出された世界こそがシャングリラ、ここ、〈下界シャンライア〉だった」
「シャングリラ?」
「そう。シャングリラ。この世界を作った彼らは、そう呼んでいる。だけれどここに住まう人々はシャンライアと呼んだ。呼び方の違い。中身は変わらないわ。そして人間の体を作りかえるというその実験台にされたのが、双子の姉妹だった私とユンの二人だった」
 するとユニはティーカップに手を伸ばす。ふっと微笑んだ。
「多分ね、いつかあなたたち二人も思い出す。二人共、私とユンと関わりがあったから」
「……」
 エレイヌの手がまた、焼き菓子へと伸びる。クルスムは紅茶に、更に角砂糖を追加した。
「ユン、あの子の体は病に侵されてるの。今も寝たきりになっているでしょう? それが、あの子の病気。七歳の時に発病してね。脳の病気だった。発達障害とは違う、まるで痴呆の老人みたいになっていく病気でね。まず一人では歩けなくなって、次第に記憶も人格も曖昧になっていって、最期には呼吸も自力で出来なくなって死んでいく。そんな、惨い病気なのよ。一般的には発症してしまえば余命は二年程度って言われてる病気なんだけど、あの子は頑張って十年も生きた。でも、その命も結局は報われなかったのよね。それが、ユイン。人ならざるものに変えられて、死ぬことが出来なくなったヒトの成れの果ての姿」
「……」
「彼女は確かに、望んでたわ。病気に侵されてない体を。でも、得た体はとても歪んでた。それにね、誰もあの子のことを人間扱いしてくれなかったの。ある人は研究対象としか見てなくて、またある人は彼女を神だと崇めた。彼女が望んでた普通の生活は、結局得られることはなかった」
 ふぅ、とユニは溜息を吐く。そして紅茶を一口啜ると、話を続けた。
「私もそれまでの生活や自分の体も全て、あの人たちに奪われた。私の身体は無機質な機械と融合されて、脳も全て焼き切られて、今頃ただの機械として扱われてるでしょうね。そして私の心は、ユンの体、ユインに宿った。一つの体に二つの人格が混在していたの。だからとても不安定で、すぐに暴走して暴れて。気がつけば体には鎖が繋がれていた。そしてある時、体はまた実験に利用された」
「……」
「それがさっき話した、シャングリラシステム。機械の中で作り上げた仮想世界を、人の頭で管理する。そんな夢物語みたいなお話。けれども彼らは、それを実現させてみせた。だから今がここにあって、私とユンや、あなたたちがここに居る」
 ユニの目が悲しげに歪む。その目は、今にも涙を零してしまいそうな危うささえも見せていた。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉さま。彼はユンの主治医、アルスル先生だった。それにクルスム。あなたはユンの数少ない友達、最後まで彼女のことを気に掛けてくれたアレックス。アレクサンダー・コルト。あなたの友人のファルロンもそう。彼は今とは違って背は高かったし、体格もヒョロッとして細かったけれど、彼もユンの友達だった。名前はファロン・ライオネル。ファロンなんていう女の子みたいな名前だっていうことで彼はいじめられてたけれど、それを助けたのもあなた、アレックスだったわね」
「アタシが、アレクサンダー・コルト?」
「ええ。そしてエレイヌ、あなたが」
「エリーヌ・バルロッツィ。あなたたち二人の……――!」
 その途端、エレイヌは俯き、自分の顔を両手で覆った。どうしたのさ、とクルスムは声を掛けようとしたが、やめた。何故なら彼女が、ごめんなさい、と頻りに言いながら、咽び泣いていたからだった。