【第十章 湖の白烏】

3 神剣〈畏怖〉


 青い鎧に身を包んだラントは、時の《光帝シサカ》シェリラの御前に跪く。その様子を、ケリスやヴィディア、パヴァルやエレイヌ、リスタやディダンらは遠目に忍び見ていた。
「我、汝に命ず」
 シェリラの落ち着いた物腰柔らかな声が、静まり返った謁見の間に響く。会場はあまりない異様な緊張感に包まれていた。
「神を護りし十の剣、その一剣となり」
 〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の叙任ノ儀、兼ねて承認ノ儀。それは神国軍に入隊した騎士たちに対して一斉に行われる大規模な叙任ノ儀とは違い、《光帝シサカ》自らが入隊した騎士に対し一人一人に剣を授けるとして知られていた。
「神を護る盾となり、神の振るう剣となれ」
 シェリラが握る剣は白銀に煌めく細身の突剣、神剣〈畏怖アルント〉。その剣の平が、ラントの肩に触れた。
 神剣〈畏怖アルント〉。
 《光帝シサカ》により神国の大英霊へと授けられた伝説の剣だとされ、持主の意思に応じて自由に形状を変化させられるという逸話の残る、由緒正しき剣であり、騎士であれば誰もが望む誉れの象徴でもあった。
「汝の名は〈畏怖アルント〉。さぁ、受け取るがよい。この剣を」
 シェリラの御手より渡されたその剣を、ラントはしかと頂戴する。すると立ち上がり一歩後ろへと下がると、玉座の前に立つシェリラに対して頭を深々と下げた。




「なかなか格好良かったじゃないの」
 王宮敷地内の〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉事務所に戻ったラントを真っ先に出迎えたのは、つい先日、王都随一の繁華街カレッサゴッレンに酒場を開店したばかりのエレイヌだった。その身に一帳羅の赤いドレスを纏ったエレイヌは、婀娜っぽく笑ってみせる。その耳元には、いつかラントが贈った翠石のピアスが揺れていた。
「見直しちゃったわ、ランのこと」
 そうして赤い手袋をはめた指先でエレイヌは、ラントの鼻を爪弾く。赤くなった鼻を手で押さえ悶えるラントを見ながらエレイヌは、悪戯に笑った。
「なんてね。嘘よ、ウソ。アンタは今でも、ぶー垂れ駄目ラントなんだから」
 独眼の水龍さまを超えた時には、褒めてあげる。エレイヌはそう言う。それに対してラントは、それなら永遠に無理だろうな、とパヴァルの嫌味な笑顔を思い出しながら返した。と、そこにディダンをおんぶしたリスタが戻ってくる。
「……あぁっと、どうやら邪魔をしたようですね」
 すみません、と軽く謝りながら、リスタは深く被っていたハンチング帽を外す。帽子の中に束ねて押し込んで隠していた、金色の煌びやかな長い髪が露わになった。
「そんなことないわ、気にしないで頂戴」
 あるとき、パヴァルが突然連れてきたリスタという少年。彼は十三歳になったばかりの、出自出生その全てが隠された謎多き不思議な少年だった。
 その年齢と不釣り合いなほどに、大人びた口調や態度、それと物腰柔らかな姿勢。礼節も弁えており、そんなリスタを見るたびにラントは、自分がとても情けなく思えた。自分が十三だったとき、一体何をしていたのだろう、と。パヴァルからの特訓の所為で痣ばかりを増やし、エレイヌからその度に馬鹿にされ、その度に喧嘩腰になっては打ちのめされ、ケリスとヴィディアの二人に呆れられていた。少なくとも、こんな大人びた少年ではなかった。
「ふーん」
 然程興味がない、とでも言いたげな表情を浮かべたディダン少年は、リスタの背中から降りる。彼もまた、パヴァルがアルヴィヌで拾ってきた少年で、まだ年も三歳と幼い。だが、三歳だからといえ舐めてはいけない。何故ならこのガキは、とんでもない悪魔であるからであるからだ。
「叙任ノ儀も、なんとか終わりましたね」
「そうねー。ランがヘマしなくて良かったわ、本当に」
 ふふっ、とにこやかに笑うリスタ。その笑顔に妙な寒気を覚えたラントは、首を微妙にかしげた。ディダンもヤケにニコニコとしている。
「それにしても」
「なんだ、リスタ」
「珍しく、あの駄目ラントが格好良く見えました」
「……己、リスタアアアァッ!! お前まで俺をコケにする積りかァッ?!」
 リスタに対して、わっと掴みかかったラントは、その煌びやかな金色の髪の毛を、そして顔までもを揉みくちゃに捏ね繰り回す。止めてくださいよ、と嫌がるリスタ。それを無視して、ラントは続ける。すると、「大人げない上にみっともない!」と怒ったエレイヌの尖ったヒールの爪先が、天誅とばかりにラントの背中に突き刺さったのだった。





「そろそろ、お前さんにも一人前になってもらわねぇと俺が困るんだがなぁー」
 王宮と離宮を繋ぐ渡り廊下から出ることのできる、王宮敷地内の庭園。特に庭園には誰も居ない早朝。ラントはパヴァルからの剣術指南を受けていた。
「なんでお前がッ! 困るんだッ!!」
「お前の次が溜まってんだよ。リスタの指導もある上に、ディダンの指導もある。ラント、お前さんばかりに付きっきりにもなってられねーんだ」
 パヴァルは手にした木刀でラントの胴を頻りに叩きつけながら、そう言う。おまけに余所見をしてみせるほどの余裕も、ラントに対して見せつけていた。
「十年もやっていて、大した進歩もないとは。呆れたもんだー」
「……そんなことを言われても、知らねぇってんだよ!!」
 対するラントは顔を赤くしながら、突剣をパヴァルの左胸目掛けて突き出していく。だが、何度やってもパヴァルには避けられるばかりで、未だに一度たりとも突いた手ごたえを得られたことはなかった。
 それは単に、ラントという男に剣の道の才能がないだけなのか、はたまた相手が化けモノというのが悪いのか。
 それは未だに、ハッキリとしていない。
「隙だらけだぞー。集中、集中ーっと」
 完全に余裕だと宣言しているかのような、間延びしたふざけた口調でパヴァルはそう言う。するとラントを襲った激痛。右胸の肋骨を木刀で叩かれたのだった。
「……ッタァッ……!!」
 ラントはその場に膝をついた。木刀はラントの腕の下をすり抜け、胴を打ったらしい。だがその剣が描いていた筈の軌道を、ラントは見切る事が出来なかった。
 自分が見切れなかったのが悪いのか。痛む胸を手で庇いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「これが本物の剣だったら、今頃お陀仏してるな」
 呆れたぜ、と溜息を吐くパヴァル。その横の渡り廊下、そこを偶然シルスウォッド卿が通り過ぎた。
「おお、シルス! お前、今ヒマか?」
 書類の束を数冊抱えたシルスウォッド卿の腕を、パヴァルは問答無用で掴む。ヒマか、と聞いておきながらも選択肢は相手に与えない。アルダン隊員の得意技だ。とはいえそれを、《光帝シサカ》、〈大神術師アル・シャ・ガ〉のその下に位置する政ノ大臣に行使するとは、もう言葉が出ない。
「見れば分かるだろう、暇ではなっ……――」
「まぁ、ちょっと付き合えって。な?」
 特別に嫌そうな顔を見せなかった、かといって嬉しそうな表情を浮かべたわけでもなく、ただ無表情のシルスウォッド卿は、ラントを見るなりすぐさま合致が行ったようで。そういうことか、と徐ろに書類の束を地面に置いた。
「付き合うのは少しだけだ。これでも時間が惜しいのでな、さっさと済ませるぞ」
 ラントはパヴァルを見る。そして次にシルスウォッド卿を見た。
「……シルス卿?」
「喜べ、ぶー垂れ駄目ラント。シルス卿がお前と手合わせをしてくれるそうだ」
「ちょっと待ってくれ。それは一体、どういうこっ……――」
「さぁ、その剣を構えろ。殺す気でかかって来い」
 携えた突剣を引き抜き、そして微かに笑うシルスウォッド卿。その顔には、自信というものがあらわれていた。
「分かりました。なら」
 貴族王族である以上、多少の嗜みとして剣術などはやったこともあるのだろう。だが、シルスウォッド卿は政ノ大臣。座り仕事ばかりをやっている。そんな人間に負けたものでは、〈畏怖アルント〉たるものの威信に関わる。
 まあ、別に余裕だろ。
 そう思っていたラントは突剣を構え、シルスウォッド卿目掛けて突進した。
「……お言葉に甘えて、全力で!」
 シルスウォッド卿の左胸のあたり。空きが見えた。そこを突けば、勝てる。余裕だ。剣を握る腕を後ろに引く。そして前に突き出す。それをしようとした時だった。
「甘いッ!」
 突き出そうとしたその瞬間、ラントの鳩尾にシルスウォッド卿の剣の先が刺さっていた。
「まさに秒殺、だな」
 ニヤッと笑うパヴァル。競技用の殺傷能力のない、とてもよくしなる突剣を収めるシルスウォッド卿。そのときラントは、泡を吹きながら仰向けに倒れていた。
「お前は本当に、ぶー垂れ駄目ラントだ」
「では、私は行く」
「ああ、ありがとな」
 書類を拾い上げ、その場を後にするシルスウォッド卿を見送りながらパヴァルは、倒れたラントの脇腹に蹴りを一発くらわした。
「馬ッ鹿だなぁ、お前も。シルスの得意技、態と隙を見せて相手を吹っ掛ける技にまんまと引っ掛かりやがって。座り仕事ばかりやってっから勝てる、とでも思って余裕ぶっこいてたんだろ? どんな相手が前に立とうとも、油断だけは禁物だって初めて剣を握らせた時に忠告してたろうが。忘れたのか?」
 それに俺だって突剣ではアイツに勝てねぇのによ、とパヴァルはへらへらと笑う。それを先に言ってくれ、と辛うじて意識を取り戻したラントは呟いた。