【第九章 《光帝》継承】

3 金の髪の女王


「ねぇ、ダン」
「そんな猫撫で声を出したところで、私からは何も出て来やしませんよ」
「猫撫で声って……!」
「事実、そうじゃないですか」
「うるさいなぁ、もう。これが地声なんですー!」
 厄病神のラン兄よりも、悪魔ディダンはタチが悪い、と口を尖らせたリュンは、この日ばかりは珍しく踊り子の衣装ではなくて、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の隊服である青の鎧を身に纏い、ギャランハルダの舞台では無く、輝かしいシアル王宮の中を、ケリスの後ろを歩くディダンの、更に後ろを歩いていた。
「で、どうかされたのですか」
 左目に嵌めた金縁の片眼鏡をきらりと輝かせながら、ディドラグリュル大臣補佐官、またの名を〈道化師ジェイスク〉ディダンというそのチビはキザに微笑んで見せた。片眼鏡についた青い宝石も、揺れた拍子に窓から差し込んだ光をきらりと反射させる。きらきら、きらきら。それが余計に、リュンにとっては胸糞悪かった。
「別に、大したことじゃないよ。ただ」
 リュンはディダンの前を歩く白髪の男を見る。そして少しだけ声を潜めて、言った。
「……キャス、痩せた?」
「……やはり、そう感じましたか」
「ダンは気が付いてたの?」
「踊り子のあなたと違って、私は毎日顔を合わせているんですから。そりゃ気付きますよ、けど」
「けど?」
 ディダンは顔を下に向け、重苦しい息を吐く。そして小声で、本音を漏らした。
「……本人は大丈夫だ心配など要らぬの一点張りで、無理ばかりして。そろそろ長い休みをとってもいいのではないかと思うのですがね」
 一ヶ月くらいであれば、私一人で十分に武ノ大臣の職務を回せるのですが、とディダンは苦笑する。
「〈聖水カリス〉についても、同じことが言えるのですが。というか、あれのほうが重症です」
「パヴが?」
「ええ。〈革新リボルヴァルッタ〉のように適当に動いて適度にサボり、あとは動ける人材を適切な場所に配置するということが出来る人であれば、ある意味では心配をすることはないのですが。〈聖水カリス〉についてはもう……論外です」
 頭を抱えたディダン。声は次第に低くなっていった。
「ここ二週間ほど、あの人が寝ているところを見かけたことがないのです。今までは時折、仮眠をしているところを見かけることがあったのですが、最近は全く」
「えっ。パヴっていつ寝てたの」
「笠を深く被って、顔を隠しながら俯いて座っている時は、大抵眠っている時です。……まさか、知らなかったのですか?」
 ディダンは馬鹿にするような顔で、リュンを見る。王宮内という場所もあり、ディダンの口調は非常に丁寧ではあるのだが、その裏に見え隠れする毒の塗りたくられた刃に、リュンは苛立ちを募らせ始めた。
「うん、初めて知ったよ。ボクは馬鹿だし鈍感だし」
「まあ、そんな光景をここのところ見かけないものでしてね。それに昨日の夜、〈聖水カリス〉が執務室を訪ねてきたのですが、彼もまた痩せたような気がしてならないのです」
「ボクも一昨日、リッタをどういうわけか尾行してたパヴを見たけど、そんな痩せてたかなぁ?」
 うーん、とリュンはその時のことを思い出そうとする。
 一昨日の夜、リュンはギャランハルダの窓からパヴァルの姿を偶然見かけた。パヴァルの動きが早いのもあり、あまりよくは見えはしなかったものの、痩せたという印象はあまり受けなかったような気がしなくもない。「……そうは、見えなかったけどなぁ」
「頬骨のあたりが、ゲッソリとしてましたよ。目元も普段以上に落ちくぼんでいるようでしたし」
「それって、いつもじゃない? だって、パヴって元々そんな顔してるじゃん。ほっぺが痩せてて、それに顔だって、アルヴィヌの北の人だから濃いし、メッチャ鷲鼻だし、目が落ち窪んでるように見えるーってのも昔からじゃない?」
「いつも以上に、だから言ってるんじゃないですか。と、それと」
 ディダンが渋い顔をして、リュンの低い鼻を指で弾く。
「――……今、王宮内では“リスタ”ないし“リストリアンス”は禁句です」
「え? なんで、なんで?」
「それも今は神経質な話ですから。聞きたければ猛獣舎にでも行ってください。近頃〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまと親しくなされているクルさんあたりなら、きっとベラベラと喋ってくれることでしょう。けれども、ユンにこの話題は絶対に振ってはいけませんからね」
「なんで?」
「だから、神経質な話なんですよ。サラネム山とブルサヌ砂漠のいがみ合いは、今も健在ですから」
 いがみ合いねぇ、とだけ言い、リュンはそれ以上問い詰めなかった。何故か。それは今、ケリスに横目で睨まれたからだ。
 年老いてもなお、ケリスの独特な眼光の鋭さは今も変わりはない。視線だけで射殺されるのではないのかというような恐怖を、ひしひしと感じさせる力や光がある。それがきっと、〈聖堂カリヴァナ〉たる者の威厳なのだろう。あと二〇年ぐらいはまだ生きてるんじゃないのか。そんな気さえも、芽生えさせた。
 まるで樹齢何千年という大木のような、神聖なおごそかさを連想させるのだ。
 ……独眼の水龍の「本気で殺しにかかってくる」威圧よりかは、まだ生優しくはあるのだが。
「……はぁ。よく分かんないけど、なんだか不穏なご時世になったもんだね。二〇年前はもうちょっと平和じゃなかった?」
「我々が平和ボケしていただけ……――」
「キャス!!」
 突然、背後からラントらしき声が上がる。そしてディダンに見惚れていた余りに、仕事も忘れて突っ立っていた多くの黒ずくめの女中たちを掻き分け、ラントはその銀色の頭を現した。そしてディダンの横で止まると、息を切らしたように肩を上下させながら、ケリスを見た。
「何用だ、〈畏怖アルント〉」
 あくまで落ち着いた声で、ラントを静かに見下ろすケリス。「己を持ち場を離れるほど、重要な用件なのか」
「シェリアラさまなら〈三日月ルヌレクタル〉に託してある。それで、先ほどエレイヌがここに来たんだが」
「〈畏怖アルント〉。用件は、何だ」
「アイツが……倒れた」
「アイツでは分からぬだろう。一体誰が、倒れたというんだ」
 まさか、とディダンが息を呑む。「……ついにカリの字の片棒が……?」
「パヴァルが、倒れたんだ!」
「そうか。それで今、〈聖水カリス〉は何処に居る」
 ケリスの表情が、ここにきて初めて歪む。〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の中で、中核を担う二つの聖、〈聖堂カリヴァナ〉と〈聖水カリス〉の二柱だけは、絶対に欠けてはならぬ主柱とも言うべき剣。
 そしてそれ以上に、パヴァルというのは主戦力だ。
 そんな重要な戦力が、機能しなくなるということはつまり、危機的状況だということを言っている。
「ギャランハルダだ。〈獅子レオナディア〉が傍についていると、エレナは言っていた」
「なら、問題はない」
 そう言うケリスの顔は、問題はないというようなものでは決してなかった。
「お前は職務に戻れ。後のことについては私が決める」
「……承知」
 ラントはどこか歯痒そうに、その場を後にする。
「まだ〈聖水カリス〉には、仕事をしてもらわなければ困るのですがね」
 抑揚も無く、そう吐き捨てたディダンは、リュンを見る。
「〈丘陵ルズベラ〉、あなたは今すぐ〈三日月ルヌレクタル〉のもとに向かい、共に猛獣舎に向かうよう伝えるのです。いくら獣が居るとて、〈咆哮ベイグラン〉だけでは頼りないですから」
「え、猛獣舎? ギャランハルダじゃないの?」
 何気なく疑問を述べたリュン。だが、ディダンの顔が一瞬、ピクッと引き攣った。
 今、何か変なことでも言った? リュンがそう訊ねようとした時、ディダンは殺気立った。
「猛獣舎には誰がいる?! ユンとクルさんだろう!! けれど! 護衛のウィルは今、抜けてンだ! だからあの馬鹿犬だけじゃ頼りねぇからテメェらがウィルの代わりに入れっつってんだよ、話分かれやボンクラポンコツ惚け茄子がァッ! お前のオツムはベンスと同じか!? それでよくパヴに馬鹿だの何だのと言えたもンだなァ、オイ!!」
「だってパヴは、アイツは馬鹿なんだと自分に思い込ませてないと、コッチが怖すぎてやってらんないんだもん!!恐怖に打ちのめされちゃう!!」
 ディダンは声を荒らげ、リュンを罵倒し倒す。
「三下は四の五の言わずに、黙って命令に従え!」
 そういえばベンスが、この間、ディダンが最近優しくないどころか怖いだのなんだのと愚痴を漏らしていたな、というのをリュンは思い出す。こうして今も、可愛らしい弟分を装っていた化けの皮が一瞬で破け、剥がれ落ちた。
 これは確かに、怖い。
「キャス、それで良いだろ!」
 周りに集っていた黒装束の女中たちが、一誠に散り始める。それまで黒かった周囲は、白に変わっていた。
「ああ、異論はない。行け、〈丘陵ルズベラ〉」
「しょ、承知ッ!」
 リュンはその速い足で、ディダンから逃げ出す。ベンスのもと、即ちシェリアラの部屋へと、大急ぎで向かっていった。
「鷹の目のベンスが本当の意味で役に立つ日が来てしまったとは、あまり嬉しくないものですね」
 嬉しくないと口先だけの言葉を言ったディダンは、王宮用の人格に戻る。
「……あの二人だけで間に合えば、良いのだがな」
「間に合うのではないでしょうか。まだシエングランゲラやリストリアンスが動いたという話は聞いてませんし……」
「既に、彼らは動いていてもおかしくはない」
「まさか」
「パヴァルという我々が唯一保有する情報網が機能していない以上、その情報が入ってきていないだけという可能性も、十分にあり得る」
「だとすれば!」
 猛獣部隊に割り振られていたリスタは、猛獣舎のずさんな警備態勢も、侵入経路も全て、掌握していてもおかしくはない。
 ならば。
「……パヴァルという駒が動けないというだけで、これほどの痛手を負うことになるとはな……」
 ケリスは考える。仮に、倒れたのが他の駒であったのであれば、これほどまでにはなっていなかったことだろう、と。ユインの時も、替えが利いた。だがあの男には、替えは利かない。
「〈聖堂カリヴァナ〉」
 一つの駒を、頼りすぎていたのかもしれない。このままでは、この組織は。
「どう対処したものか、この惨状を」
 笑うしかない。全てが急に、動きを加速させ始めた。たった十人で、どうにかできるものではない。
「山火事のことで山ノ民サラニンが、いつ神国に反旗を翻してもおかしくはないというのに、ここで女王に何かがあったとなれば、火に油を注ぐようなものだ」
「女王? なんですか、それは」
「シャグライの祖先だとされている、オブリルトレ王家の女王だ。太古の昔、民衆の圧倒的な指示を以てして、サラネムとサイランの一帯を支配していたという伝説がある。だがシアルの王女シサカに領地を攻め入られたために、滅んだとされる女王だ」
「聞いたこともないですね、そのような話は」
 ディダンは首を傾げる。
「それも当然だろう。私もシルス卿から、つい先日聞かされた話だ。そのシルス卿も、あのメズンという男に聞かされて知ったのだというのだからな」
「太古の昔と言うと、どれくらいなんでしょうか」
「神国が制定される前だという話だ。開国神話の時代だとも言われている」
「そんな昔ですか?!」
 と、そこでディダンは疑問に思う。そんな昔に滅んだ女王を、今どうしてケリスは危惧しているのだろう。
「……それで、そのオブリルトレの女王というのは……」
「ユイン、彼女だ」
「……はい?」





 遥か遠くにうっすらと、紅い頭の集団が動いているのが見える。
「……」
「ベン、なんか見つけたの?」
 走る馬にしがみ付きながら、リュンは前を走るベンスに声を掛ける。ベンスの頭が少しだけ、前に出た。それは何かに気がついた時の、ベンスの癖。少し顔を前に突き出して、目を凝らすのだ。
「シアル騎士団御一行が、猛獣舎から出てきたようだが……」
「はぁ?! なんでアイツらが!?」
「それは俺が訊きたい」
 そして二人の横を、赤色の軍勢が通り過ぎていく。その中に一つ、赤い布が被せられた荷車が混ざっていた。
 何かが、変だ。ベンスの唯一鋭い嗅覚が、そう脳に訴えかける。死人が出るような戦に出るというのであれば、あのようなものを数台、引いて行くこともあるだろう。だが猛獣舎に出向くだけの為に、あんなものが必要あるのか。何かを隠している。とすればそれは、何だ。そこから先は、俺には分からない。
「ディダンかケリスは、何か言っていたか」
「何かって? ダンにならボロクソ言われたよ」
「例えば、どんなのだ」
「ボンクラとかポンコツとかボケ茄子とか、お前のオツムはベンスと同じかーとか」
「いや、そういうのじゃなく。神国軍について、なにか聞いてないか」
「うーん。神国軍ねぇ……。やっぱそういうのはパヴに……っ?!」
 大事なことを忘れていた。リュンはハッと思いだす。
 顔を真っ青にしたラン兄が、肩で息をしながら、キャスにパヴが倒れたとか伝えてた。そんでウィルは今、パヴが居るっていうギャランハルダに……――
「ア――――ッ!!」
「どうした、何か思い出したのか」
「うん、パヴ。パヴが!」
「パヴァルが、どうしたんだ」
「倒れたってラン兄が言ってたんだ! それで今、ギャランハルダでウィルに介抱してもらってるって」
「なッ?!」
 手綱を後ろに引き、馬の脚を止めさせたベンスは振り返り、リュンを見る。
「アイツが倒れたって……本当か!?」
「ボクもラン兄からの情報だけだから知らないさ! でもきっと、ラン兄の情報源はエレナ姐さんだろうし、あの時のラン兄の焦りようは尋常じゃなかったから、信憑性は高いと思う」
「……」
 どうすべきか。ベンスは無い頭を回し始める。このまま猛獣舎に向かうか、カレッサゴッレンへ引き返すか。
「ベン、どうする」
「取り敢えず、猛獣舎に向かおう。神国軍も猛獣舎から出てきたんだ。きっと、そこに行けば事情の一つや二つは聞けるかもしれない」
「……ウィルは、いいの?」
「大丈夫だろう。ルドウィルは俺とは違う、上手くやってくれている筈だ」
「そう、なら大丈夫だね。じゃっ、猛獣舎に向かおうか」
 手綱を振りおろし、拍車を掛ける。二頭の馬が雄叫びとともに二足立ちになり、背を後ろへと逸らした。
「……何も起こっていなければいいんだがな……!」
「神国軍が絡んでる時点で、その可能性はスッゴク低いだろうけどね!」
 てぃヤッ!とリュンは綱を馬の体に打ちつける。
 少しだけ強かった追い風が、弱い向かい風に変わっていた。




「あの、これは……どうしちゃったのよ?」
 椅子に深く腰を据え、極限まで低く頭を下げたクルスム。
「……おい、どういうことだ……」
 長椅子の上に仰向けに寝て、腕で顔を隠したファルロン。
「ねぇ、ちょっと……」
 部屋の隅で縮こまるラズミラ。
「……誰か、まともに話の出来る奴はいないのか」
 クルスムの足元でウィクは機嫌を損ねたかのように顔を前足で完全に覆い隠しながら、不貞寝ふてねをしている。シクも居たような痕跡は残っているのだが、肝心の姿が見当たらない。
 そしてリュンは一人、そんな重苦しい空気の流れる中で呆然と突っ立っているスザンに声を掛けてみる。が。
「スザンくん、おーい。ここで何があったのー?」
「……あは、ははは、リュンくんに、ベンスくん、ははは……はは……うぅ」
「ダメだね、これは」
 誰も、まともに話せそうな人がいない。
 リュンもベンスも、そろそろ絶望しかけてきた頃。リュンは思い出したようにベンスに話しかける。
「ねぇ、ベン。ところでユン姉とリッタは見つかった?」
 二階から降りてきたベンスは、さっぱり分からないという素振りを見せて、鼻の頭を掻いた。
「さあな。ユンの部屋も随分と荒らされていたが、あのユンのことだ。今頃どこかにでも、気配を消して隠れてるんじゃないだろうか。ただ、リスタについては何も手掛かりはないが……」
「それで、どうするの」
「手分けして探そう。優先すべきはユンだ。お前は一階、俺は二階と三階を一通り探して……」
 突然、それまで項垂れていたクルスムが、勢いよく立ちあがる。そしてリュンとベンスを三白眼の充血した目でギリリと睨み据えると、怒鳴り声をあげた。
「そんなことしたって無駄さ! やめときな」
「……無駄?」
 ベンスの少し動き始めた思考回路が、機能を停止した。
「そう、無駄だ」
 ファルロンもむくりと体を起こす。その目はクルスム同様に、赤い。
「アイツは馬鹿だ。自分から進んで、殺す気満々の神国軍に、捕まりに行きやがった」
「アイツ、とは」
「ユンだ。それ以外に、誰が居る」
 投げやりな言葉に抑揚のない声、覇気のない表情。まるで今喋っているのがファルロンではないように、リュンとベンスは思えてきた。
「ファン」
「なんだ」
「どうして神国軍は、ユン姉を捕まえに来たの? それに、殺す気満々ってどういう意味?」
「はっ。お前ら、キャスから聞かされてねぇのか?」
 首を傾げるリュンを、鼻で笑うファルロン。その目は笑っていないし、嘲笑っているのはリュンではなく、別のもののようにも感じられた。
「聞かされるって、何を? ダンは神経質な話題だって言って、何も教えてくれはしなかった。強いて言うなら、リスタっていう言葉は今、王宮内では禁句なんだって」
「リストリアンス・シャグリィアイグ・シアル。それがリスタの、本名だ。そしてアイツは、アルダンから神国軍へ、寝返った」
「……リストリアンス!」
『今、王宮内では“リスタ”ないし“リストリアンス”は禁句です』
 そんなことをディダンは言っていた。リスタはまだしも、リストリアンスなんて、貴族らしい長ったらしくて変な名前だな、こんなふざけた名前の奴なんて誰だろう、顔が見てみたいもんだよ。その時は、リュンはそう思っていた。けど、合致がいった。
「アイツは色々あって、シルスにその存在を揉み消された、生きた屍みたいな可哀想な奴だったんだよ。それだけなら、幾らでも同情の余地はあった」
「……」
「アイツにも、《光帝シサカ》になるにあたって必要になる素質、聖光ノ紋章が、シェリアラ様よりもハッキリと出ちまってたもんでな。だから、居るのか居ないのかも分からないような〈光ノ聖獣シラン・シ〉と、チビの頃は意思疎通出来てたんだとよ。だから、それを見たシルスに消されちまったんだ。何も裏の世界なんて知らない、子供の頃のうちに。そんでアルダンにブチ込まれたんだと。けどよ」
「うん」
「アルダンに長く居るうちに、裏の世界に詳しくなっちまった。その中で、下剋上を夢見ちまったんだろうよ」
「……下克上……?」
「手っ取り早いのは、反乱分子だった山を静かにさせて、手柄をあげることだった。中でも、そのお山の女王の首を取れれば、あっという間に上り詰められる、ってな」
「それで、そのお山の女王っていうのが」
「血脈から言えば、今代はユンに当たる。シャグライの本家、旧オブリルトレ家は呪いみたいなもんで女が滅多に生まれないが、生まれたら生まれたで、とんでもない業を生まれながらに背負ってくる」
「……」
「だから、畏れられてきた。まるで神も同然だってな。だからオブリルトレに生まれた女の名前は全て、古代シアル語でユニ、誉れという意味から転じた名前“誉れ高き者ユイン”なんだ」
 暫く沈黙をしていたクルスムが、彼女にしては珍しい、やっと聞こえるか否かというような小さい声で、ボソボソと唇の隙間から言葉を漏らし始めた。
「……だから昔からアイツは、疎まれてた。女王の血が入ってる以上、人のようでも人じゃないからな。……惨いもんだよ、ホント」
 クルスムの視線は、どこにも向いていない。今流れている現実という時間に、焦点が合っていないように、リュンには思えた。
「昔は、誰からも愛されるような可憐な少女だったって、アタシらの親の代の奴らは、口を揃えてよく言ってたモンさ。けどよ、アイツが二歳くらいン時に」
「クルスム。それ以上は、やめてくれ」
「…………分かった」
 再び、重苦しい負の雰囲気だけが場に積もる。黒い靄が、次第に濃くなっていく。気分が悪いし、長居したくない。そう思ったリュンは、横に口をぽかんと開けたまま、呆然と突っ立っているベンスを小突き、耳打ちをした。
「……ベン、ウィルのこと聞かなくていいの?」
「あ」
「それじゃ、ホラホラ〜……ね?」
 ベンスの背を押し、ファルロンの前へとリュンは突き飛ばす。そしてファルロンの前に立ったベンスは、ファルロンと目を合わせることはなく、簡潔に、尋ねた。
「ファルロン」
「なんだ」
「ルドウィルが、ギャランハルダに向かったと聞いたのだが」
「ああ、そうだ。なんてったって、あの独眼の水龍サマが疲労困憊ひろうこんぱいでブッ倒れちまったらしいぜ? その介抱にウィルが駆り出されたのさ。エレナの姐御から直々に、徴集が掛かってな」
 そう言いながら、再び鼻で笑うファルロン。そんな様子に、リュンは口を窄めつつ、憂い気に視線を下に向ける。クルスムの足元で、不貞腐れたように地べたに這いつくばっているウィクと一瞬だけ、目があった。
 と、そこで苦手な考え事をしていたベンスが、疑問を零す。
「……あのパヴァルが、疲労で倒れるものなのか? 俄かには信じ難いが」
「だって、よく考えてみなよ。見た目に老けは現れてないけど、結構な歳だよアイツだって。髪の毛真っ白のキャスと、同い年なわけなんだからさ。それがボクたち以上の重労働してんだよ」
「まあ、そうだが……」
「さぁな、疲労困憊かどうかは知らん。けどよ、こんな時にパヴの野郎がくたばっちまうだなんて、とんだ笑い話だぜ、まったくよ」
 さて、パヴが普段こなしている大量の“汚れ仕事”は、一体誰に回ってくるんだろうな。
 ファルロンはそう笑いながら、全くの感情のこもっていない乾いた声で言う。ベンスを見るファルロンの目は、笑っていなかった。





「……急に呼び出しちゃったりして、本当にごめんなさいね、ルー坊」
「それはいいんだ。だって、アルダンの衛生兵〈獅子レオナディア〉である以上、それが俺の仕事だし。山の王の獅子は、仲間の傷を舐めてやるんだ」
「……〈獅子レオナディア〉は、衛生兵じゃないんだけどね」
「そ、そ、そうなの?」
「そうよ。ユン坊ちゃんが衛生兵の役割を果たしていただけ。〈獅子レオナディア〉自体は、衛生兵じゃないわ」
 ルドウィルはユインから受け継いだ薬箱から解毒の粉薬を取り出すと、エレイヌが用意した白湯にそれを溶かす。白く濁っていた白湯が、半透明の黄緑色に変化した。
「それでなんだけどさ、姐御」
「なに?」
「姐御は、さ。パヴァルのおっさんみたいな人が一切気付く事無く、毒が盛られたものを飲んだり、食べたりすると思う?」
「思えないわ。自信を持って言える。絶対に、無い」
 エレイヌはルドウィルに、吸い飲みを手渡す。憂い気に伏せられたエレイヌの目は、意識のないパヴァルを見つめていた。
「どんなに微量で、無味無臭で無色な毒でも、パヴァルなら絶対に気付くはずよ。だって、今まで気付かなかったことはなかったんですもの」
「だとしたら、気付いてて態と摂取した、ってことなのかな」
「否定はできないわね。この人なら、そんな無茶もやりかねないわ」
 ルドウィルはエレイヌから受け取った吸い飲みに、薬を混ぜた白湯を移し、飲み口を半ば強引にパヴァルの口へと押し込み、流し込む。
「この薬湯が効くかどうかは分からないけど、効いてくれれば……」
「なんだか運任せみたいに聞こえるんだけれど、大丈夫なのかしら」
 ルドウィルの自身のない一言に、エレイヌは眉を顰める。
「大丈夫かは、分からない。だって、この毒には特効薬がまだ見つかって無くて、本当に運任せだから」
「どうして、見つかっていないの?」
「この毒、トラグロテっていう花の塊根を食べた人は、嘔吐、呼吸困難を起こして、心臓が止まって死に至るって言われててね。それも即効性のある毒なんだ。そんな猛毒だから、治療法が見つかる前に患者が死んじゃうもんで、特効薬が見つかって無いんだよ。だから今、パヴァルのおっさんが辛うじて息をしてることでさえ、奇跡も同然なんだ。だから倒れた直後の姐御の処置が、それだけ良かったってことだよ」
「……でも。そんな毒を、分かっててこの人は摂取したって言うの……?!」
「そうだろうね。本当に、イカれてるよ」
 中身が無くなったのを確認して、ルドウィルは吸い飲みを抜く。
 祈るような思いだった。
 ルドウィルが出した薬は、万能の解毒剤だとしてサラネムで重宝されているという薬草カリテレを乾燥させて、擂り潰したもの。とても貴重で高価で、中々手に入らないものである。
 だが、カリテレは万能の薬草であると同時に、毒草にもなり兼ねない代物だ。致死量を超えてしまえば、トラグロテの毒と同じ効果が表れてしまう。
 だからこそ、その限界の量で攻めた。パヴァルの身長や体重などを考慮して導き出した、限界の量で。
「一体、何があったって言うのよ……」
「それは本人が起きてから問い質すのが、一番いいだろうね。それに、誰か来たみたいだ」
 一階、酒場ギャランハルダに昼間から許可なく上がり込んだ二人分の足音と、「エーレーナー姐ーさーん!」と叫ぶ甲高い声が響いた。
「おりゅんね。……おかしいわね。今日は確か、ダンちゃんから直々に呼び出しがあったとか言ってたのに……」
「それと、父さんも来てるみたい」
「ベンちゃんも?」
「うん、多分ね」
 姐さん何処に居るんですかー!と叫ぶ声に、苛立ちを爆発させたエレイヌは、苦し紛れの笑みを微かに浮かべながら、二階の部屋を出ていく。
「ルー坊、ちょっとパヴァルを看てて頂戴。私は下に行って、あのキーキー五月蠅いバカを黙らせてくるから」
「了解ですよ、姐御」
 エレイヌはすたすたと、一階の裏部屋へ通じる階段を駆け下りていく。そんな彼女の背を見送りながら、眠っているであろうパヴァルの左胸のあたりをルドウィルはポンと叩いた。
「ん?」
 叩いた拍子にぴちゃっと、ルドウィルの指先が濡れた気がした。冷たい。さっき、白湯でも零したのだろうか。そう思い濡れた指先を見る。
「……なんだ、これ。見たこともないな……」
 指先には、どこかきらきらとした輝きを放つ無色透明の水が付着していた。そしてルドウィルはふと、足元を見やる。板張りの床の上、水が満ちているように見えた。だが靴は、濡れていない。
 見えはするが、現実には実態の無い水。それは自分が操る炎に、どこか似ていた。
「……〈天界アルラウン〉の、水?」
――おい、そこの坊主。
 ルドウィルの背筋に冷気が触れる。振りかえればそこに、水の龍神カリスが居た。
――この男なら気にするでない。たかが毒如きで、死ぬような男ではない。放っておいても、いずれ目覚めるだろう。
 カリスの爪が、ルドウィルの頬を掠る。冷気だけが、滑り落ちた。





「不満げな顔だね」
「……」
「言いたいことがあるなら、遠慮せずに言えばいい」
「……もっと露出の、少ない服は、ないの?」
「すぐに心ノ臓を貫けるよう、そのような服を与えたことくらい、あなただって分かっているはず」

 心ノ臓を貫いたところで、君は死なない。そんなことくらい、分かっている。
 これは、見せしめなんだ。
 山の者達が、シャグライ族の者達が、今まで君にどれだけの傷を負わせてきたのか。
 それを、知らしめるために。

「……だと思った」
 肩や胸元が大胆に開かれた服。両手には金の手錠。足首には錘付きの足枷。首には鋼鉄の首輪を嵌められたユインは、椅子に縛り付けられていた。そしてユインはじとっとした目で、目の前に立っているリストリアンスを睨んでいる。
「そう虚勢を張っていられるのも今のうちだけだよ。継承ノ儀が始まれば」
「……愚かすぎるよ、リスタ。こんなことしたって、無駄なのに」
 リストリアンスの目元が、強張る。
「確かに、そうだろう。僕は、愚かな人間だ」
「……何に、抗おうとしているのさ」
「運命に、だよ」
 そう言いながらリストリアンスは、ふっ、と哀しく笑う。するとユインは言った。
「……なら、無駄だよ。運命は変えられない。足掻いても、変えられやしないよ」
「そうとは限らないかもしれない。変えられる運命も、ひとつくらいはあるはずさ」

 変えられるものならば、どんなに変えたいものか。
 それができないからこそ、“今”がとても苦しいのだから。
 それは自分が、一番良く分かっている。

「無いよ。何故ならば」

 生まれる家を選べれば、どんなに良かったことだろう。
 縛られている、お互いに。
 “王族”という血統に。
 操られている、二人とも。
 誰かの、勝手な思惑に。

「その左目で視えるものこそが全て、とでも言うのかい?」
 そんなことを言いながらリストリアンスは、ユインの前髪を上に掻き上げた。
「運命やら絶対やら不変やら、僕はそう言った曖昧で目に見えないものが大嫌いなんだ」
「なら、どうする気なの」
「その概念を、打ち砕く。それだけさ」
 前髪から手を離したリストリアンスは次にユインの後ろ髪を掴み、剣〈不死鳥レイゾルナ〉を引き抜いた。
「……長い髪は、あなたには似合わない」

 長くなった髪を、もう切りたい。だけど、そうするとファンが機嫌悪くするんだよね。
 そんなことを言っていたのは、誰だったろうか。

「だから切らせてもらうよ」
 あの時は、手元に鋏があった。
 そのときに、切ってやることも出来た。
 だけれども彼女は、断った。

 なんで勝手にそんなことをしたんだって、アイツにガミガミ言われちゃうよ。たかが髪の毛くらいでもね。

「……」
 白手袋を嵌めた手に握られた、白い髪の束。リストリアンスはそれを床に投げ捨てると、剣の先をユインの首筋へ当てる。
「これから、一芝居打ってもらうよ」
「……所詮、無駄な足掻き。《光帝シサカ》になんて、どうやったってなれやしないよ」
「そんなものに」
 刃先を上に滑らせ、左頬にうっすらと傷をつける。
「僕は興味など無い」
 リストリアンスは剣〈不死鳥レイゾルナ〉を、静かに鞘へ納めた。
「……僕が求めているのは、ただ一つだけ」

 束縛を嫌う自由な君が。
 今はどうして、目に見えない鎖で縛られることを甘んじて受け入れているのだろう。

「少なくともそれは、《光帝シサカ》なんて陳腐なものじゃないさ」
 それは最も身近にありながらも、どう手を延ばしても指先が触れることも叶わないような高根の花。
 儚く気高い、美しくも穢れた華だった。
「…………好きにすればいい」
 ユインは口元を綻ばせながら、少しだけ、俯いた。
「結末は、既に決まっているんだから」