【第八章 独眼ノ水龍】

2 暗きに踊る影


 「アルヴィヌの義賊」事件から数年の時が経ち、風化し、人々の記憶から消え去りつつあった頃。パヴァルは王都に拠点を移していた。
 とはいえ、環境が変われどパヴァルの生活が大きく変化することは無かった。仕事を請け、事前に報酬を頂き、その分の仕事をする。それだけ。とはいえ王都は《光帝シサカ》のお膝元。依頼主たちはアルヴィヌ時代と比べると、報酬を弾んで寄こしたものだ。
 そうして貯まりゆく財産。だが欲というものが無かったパヴァルは、その金をいたずらに貯めていくばかりで、使い道に困っていた。
「……ジャラジャラと邪魔臭いったらありゃしねぇぜ……」
 ただ、いつからだろう。王都の子供たちの間で、ある唄が流れるようになっていた。



 夜のとばりが下りた頃
 蒼い風が町を斬る

 ああ大変だ 悪者たち
 靡く首巻
 蒼い首巻
 微笑わらう悪魔の参上だ

 逃げても逃げても
 逃げられない
 悪魔の魔の手は すぐそこに


 微笑わらう悪魔。それが自分を指していることに、パヴァルは薄々勘付いていた。蒼い首巻、それは仕事の際にパヴァルが着けている襤褸の首巻のことだろう。顔を隠す為だけに使っていたのだが、その姿を他人に見られたのだろうか。
「なぁ、そこのアンタ。一晩ここの軒を借りても構わないか?」
 パヴァルは紫紺の羽織を纏った男に、そう声を掛ける。男はこの店の店主で、ちょうど一日の仕事を終え、店仕舞いの準備に取り掛かろうとしていたところだった。
 パヴァルは運悪く雨傘を持ち合わせていなかった。頭に被った笠からは水が滴り、縒れた黒羽の羽織は濡れている。生憎の雨と言うべきか、幸運の雨と言うべきか。へへっ、と困ったような苦い笑みをパヴァルが浮かべると、店主の男は快く頷いた。
「ああ、別に構わんよ。それにしてもアンタ、どちらさんだい? 黒羽なんてモンを羽織っちゃいるが……。 もしかしてアルヴィヌ領民アルヴァンか? それも北部だろう」
「旅の者ってところだ。それにアンタの言うとおり、出身はアルヴィヌの北だ。よく分かったな」
「やっぱり、そうか! その蒼い目は王族か、アルヴィヌの北にしか居ないってのは聞いたことがあってね」
「へぇ」
「だったら、羽織は黒じゃないほうがいいだろうよ、旅のヤツ。その色じゃ、何かと物騒な奴らと思われるだろうから。烏の黒羽の一味とか、暗殺者とかにな。羽織るならサイラン領民サシランの職人や、十本剣の奴らなんかが着てる藍染めの藍晶が一番お勧めだ。その次が一番無難な亜麻色の羽織、砂掛すなかけだよ」
「頭の片隅にでも入れておくよ」
 今宵の標的は、この男。パヴァルは黒羽織に隠れた背にそっと手を回し、腰に差した短刀の柄を掴む。
「どうせなら、上がっていったらどうかね。冬先の雨は冷えるだろう?」
「なら、お言葉に甘えさせてもらおうか」
 近付いてきた男からは愚かにも、警戒の色は感じられなかった。見るからに人の良さそうな初老の男。こんな男が、一体何を起こして恨みを買ったのか。パヴァルですらも、そう感じた。
「――……と、言いたいところだが」
 だが少なくとも依頼主は、目の前にいるこの男に対して根強い恨みや妬み、嫉みの感情を抱いていた。
 商人からの、同業者の暗殺依頼で一番多いのは、自分のシマを奪われた逆恨みによるものだ。かつて名うての商人であった自分の両親も、そうだった。何故彼らが、商人が多く集う北アルヴィヌで、一代にして巨万の富を成せたのか。それは好敵手、否、嫌敵手たちを情け容赦なく潰してきたからだ。社会的にも、物理的にも。全ての策を敷き、人を、道具を全て使い、亡き者にしてきたのだ。敵も、道具も、その全てを。
 だからパヴァルは、目障りこの上ない親兄弟を葬り去ったのだ。
「すまねぇな」
 パヴァルは浮かべていた笑顔を消す。音も無く、殺意も無い牙は男の左胸を突き刺し、頸部を斬った。
 出来るだけ苦しまず、死の自覚もないままに息を絶てるように。それが殺めを生業にする者に出来る、最大にして最期の慈悲。
「恨むなら俺でなく、俺の依頼主を恨んでくれ。……心当たりがあるかどうかは、知らねぇがな」
 人間の心理とは実に醜く汚く、穢らわしく、複雑で、歪んでいる。
 依頼主の老女もまた、この一角で商いを営む商人の正室だった。きっと、この男が商売をしていく上で目障りになったのだろう。だから殺せと、依頼してきたのだ。
 可哀想に、と毛頭思ってもいないことをパヴァルは呟く。報酬は事前に、たんまりと頂いていた。金貨三十枚の三百ガレティグ。故に、その分の見合った仕事はこなさなければならない。
「……金貨三十枚ほどの、命の重さか」
 蒼い首巻を取り出すと、パヴァルはそれを首元に巻く。できるだけ顔を隠すように。
 青い首巻の悪魔がこの店から出て行くのを誰かが見ていたとすれば、この犯行は何者かに仕組まれた暗殺ではなく、“微笑う悪魔”の通り魔的犯行にすり変わるのだ。何故民衆の認知がそうなるのかは、それは民衆のうちには含まれないパヴァルには分からない。けれども、微笑う悪魔は暗殺者ではなく、単なる殺人鬼、通り魔だと認知されているらしい。ならばそれを利用するしかなかった。
 パヴァルは店を後にし、人気もなければ光もない路地裏へと身を潜める。そこで首巻を外し、血塗れた黒羽を脱ぎ捨てた。そうして何食わぬ顔で、大通りへと出た。そこは繁華街カレッサゴッレンの深部。繁華街の闇は、入口付近とはまた違う賑わいを見せていた。
 そこに、行商人や踊り子たちなどはいない。居るのは性欲と金を持て余した男たち。それとそんな男どもを食い物にする、風俗街シャレーイナグラの娼婦たちよりも節操のない遊女たちだ。そんな繁華街深部の象徴は、カレッサゴッレンでも最奥にある遊郭。別名、セティナ・カルヴェの城だ。
 端金で買った少女たちの体を高額で売りつけ、一瞬限りの快楽を提供させるためだけに従事を強いる。そうして使えなくなれば、城の外に放り出す。そんな遊郭をパヴァルは、どこか否定的に捉えていた。遊郭に吸い込まれるように入っていく男たちのことを、パヴァルは以前から白い目で見ていたりもしていた。
「ねぇ、そこのアンタ」
 服とは呼べぬ布切れを身につけた若い女が、猫撫で声でパヴァルに擦り寄ってくる。安い宿を求めに来ただけとはいえ、カレッサゴッレンの奥に来てしまったわけなのだから、女がすり寄ってくるのは当然のこと。だが、パヴァルに女と一夜を過ごす趣味はない。故に無視を決め込む。すると女は、声を荒立てた。
「そこの冷めた蒼い目をしたアンタだよ、アンタ。無視しないでってば、冷たいわね」
 大体の女は無視を決め込めば諦めて他を当たってくれる。だが何故かこの女は違かった。しぶとい。諦めていないのだろうか。女はパヴァルの前へと回り込むと、半ば強引に腕を掴む。パヴァルは目も合わせず、無言で女の手を跳ねのける。それでもなお、その女はパヴァルの腕を掴んだ。
「少しくらい、話を聞きなさいよ!」
「生憎だが女と遊ぶような趣味は無い。他を当たれ」
「そんなの顔見りゃ分かるわよ! 鼻の下を伸ばしてないどころか、無表情で歩いてるんですもの。それにさっきからアンタは、宿の料金表しか見てない。そんな人が、遊ぶためにここに来たとは到底思えないわ。……って、それよりね。人の話を聞かずして、人を遊女だとか勝手に決めつけないでくれないかしら」
 深い緑色をした女の目が、パヴァルをキッと睨み据える。
「なら、用件はなんだ」
「……アンタ、武人でしょう?」
 女は声を潜めて、そう尋ねる。武人、と言われればそうなるのかもしれない。暗殺業も大きい括りでいえば、武術を扱う者であるのだから。
「……それが、どうかしたのか」
「なら、頼みたいことがあるの。ついて来てくれない?」
 初対面の女について来いと言われたところで、のこのことついて行く馬鹿が何処にいるだろうか。
「その内容にも依る」
「いいから、来て。来なさいって!」
 女は強い力で、パヴァルの腕を引っ張った。だが、その女の腕をパヴァルは、簡単に振り払うことが出来るはずだった。けれども、その時はそれをしなかった。それは、何故だろう。単に面倒臭かったのか、それとも。
「……結局、宿じゃねぇか」
 そうして女に連れてこられたのは、とある宿屋の一室。この一角の中でも、最低といえるほどに粗悪で汚い宿だった。
「だからって別に、体を売りつけてアンタから金を毟り取る気はないわ。第一、そんな格好をしている武人さんが、お金を持っているとは思えないしね。お互いお金のない同士なんだから……――あっ?!」
 パヴァルは胸元に入れていた、小さな麻袋を取り出す。袋の紐を解き、中身を女に見せた。中には金銀の貨幣が隙間なく詰められている。それを見るなり、女はあんぐりと口を開けた。
「それだけの大金があるなら、もっと、こう……それ相応の身嗜みだしなみとか、なんかあるでしょ?!」
「身嗜みなんざに興味はない。第一、金の使い道は武器か食費か宿賃か、それくらいしかない。有り余って困っているくらいだ」
 そう言いながら、パヴァルは麻袋をしまった。
「羨ましいわね、そんな台詞が吐けるだなんて」
「そうか?」
「そうよ。ならその余ってる分、アタシに少しは寄こしなさいよ」
「欲しけりゃ幾らでもくれてやる」
「……じょ、冗談だってば。真に受けないでよね。でも、これで安心した」
「安心した?」
 すると女は、どこか淋しそうな笑みを口元に浮かべた。
「もう一度訊く。アンタ、武人よね?」
「ああ」
「アンタ、さっき女と遊ぶ趣味は無いって言ってたわね。それは本心?」
「ああ」
「じゃあ、女の子に手を出したりしないわね?」
「ああ。……それが、どうしたっていうんだ?」
「そう。なら……――」
 女はそう言うと、誰かを呼ぶように手招きをした。すると物陰から姿を現し、女のもとに駆け寄ってきたのは一人の子供。両目の色が違う、赤毛の少女だった。年は、五歳もいっていないだろうか。
「この子の名前はエレイヌ。私の娘」
「そうか。だが初対面の俺に対して、娘を紹介してどうするんだ」
 女はその場に膝をつき、娘だという少女を抱き寄せる。一度目を瞑り、深呼吸をした。そして何かを決心したように目を開くと、パヴァルを見た。
「この子、頼めるかしら」
 娘は母親を見る。母親は娘の顔を見れないのか、その視線は下を向いていた。
「……何を言ってるんだか」
 子供を預かれ。呆れたパヴァルは外に出ようとする。だが、女にまた腕を掴まれた。
「アンタも外でアタシを見た時に、娼婦だと思ったでしょう?」
「そうだ」
「実際に、私は娼婦なの。今はもう、自分のこの体を売ってでしかお金を稼げない。この子を食わせてやれないのよ。それに、そこまでアタシは若くないの。収入も今は殆どないわ」
 若くない、と言いながらも、その外見はパヴァルと年は同じくらいに見えていた。けれども、十四、十五が当たり前の娼婦としては、二十二、二十三という年齢は限界なのかもしれない。
「けど、今のアンタはお金が余りすぎて、却って困っているっていう状況なんでしょう? それに、女と遊ぶような趣味もない武人であるなら、どうかこの子を……!」
「無理だ」
 不幸な境遇に居る子供を一人助けたとして、それが他の親たちに知れ渡れば、一体どれだけの貧しい親が泣きついてくることになるだろう。そんな子供を受け入れられる余裕は、パヴァルにはない。それは金の余裕ではなく、心の余裕だ。パヴァルは子供が嫌いだった。一人では何も出来ぬ上に泣くことしか能のない、役立たずな生物。そんなものを一人押しつけられただけでも、心の余裕は限界にほど近くなることだろう。
「仮に、その子供が無事に大人になったとする。その時に、お前は俺に報酬を支払えるか?」
「……」
「無理だろう。そんな依頼は、受けられない」
 パヴァルは親子を交互に見た。憐れな貧民。それ以上でも、それ以下でもない。そうとしか、パヴァルの目には映らなかった。
「違う、私の代わりにこの子を育ててくれだなんて言ってない」
 パヴァルの腕を握る女の力が強くなる。「この子だけは、守ってほしいの」
「守るだと?」
「そう」
 娘が母親を不安げに見つめていた。その目は潤んでいる。
「私の旦那は、そこそこの商人だった。家も食うに困らないくらいには稼いでいた。けれどね、殺されちゃったのよ。誰の恨みを買ったのかは知らない。けど殺されたのは夫だけで、私とこの子は死を免れた。それでここに逃げて来たんだけど……」
「……」
「遂に、見つかっちゃったみたいでね。妻と娘も殺せっていう話が出ているっていうのを、人伝ひとづてに聞いたの」
「それは信用できる情報なのか」
「ええ。だって、ここいらの情報屋たちが皆一様に口を揃えて、そう言っているのを聞いたんですもの。だから私と娘には近付くなってね」
 母親は、娘の小さな手を痩せて骨ばった手で包んだ。
「……私は、死んでも構わない。こんなところまで堕ちてしまった以上、未来なんて何処にもないわ。けど、この子は違う。まだずっと先に未来が広がっているし、何の罪もない。だから、お願い。この子だけでいいから、連れて行って欲しい。連れて、逃げて。だってあなた、武人なんでしょう? それだけ稼いでいるなら、腕も確かなんでしょうし」
「俺は確かに武人だ。だが、用心棒や傭兵ではない。あくまで、殺しを生業とする者、暗殺者だ。聞いたことはあるだろう、微笑う悪魔ってのを。それが、俺だ」
 こうでも言えば、諦めるだろう。そう思い、口に出した言葉。だが女は、却って安堵のか笑顔になってしまった。
「なら、尚更よ。だって微笑う悪魔は一匹狼なんでしょう? それに暗殺者は、依頼がなければ殺しはしないんでしょ? それにアンタは、殺しが好きな狂人には見えないし。あと仲間が居ないなら、裏切られるような心配もない。それに、町中で噂になるくらいの強さなんですもの。なら……――」
 自ら娘を、殺人鬼の前に差しだした母親。普通であれば、正気を失っているとしか思えない行為だろう。いや、この女は正気を失っているのだ。自分はどうなろうと関係ない。娘だけでも生き延びさせるには、こうするしかないのだと。そう信じているようだった。
「……」
 パヴァルは娘を見る。娘はただ、パヴァルの感情の籠っていない視線に怯えているようだった。小刻みに揺れている脚、合わせようとしない視線。だがその小さな手は、パヴァルへと差し出されていた。
「……おねがい、連れてって」
 震える声でそう言ったエレイヌの目からは、ぽたぽたと涙が零れていく。涙は頬を伝い、床に落ちる。それでも歯を食いしばり、幼子は必死に嗚咽を堪えていた。
「久し振りに見たぜ、これほどまでの馬鹿を」
 どうやら面倒臭いもんを拾っちまったみてぇだな、とパヴァルは溜息を零す。

 本当に、馬鹿だ。
 どうして人は、他人の為に何かをしようとするんだ。
 まるで、アルヴィヌのあの馬鹿どもと同じじゃねぇか。

「本当に、この娘だけで良いんだな」
「ええ。……アタシまでついて行ったら、余計に狙われるでしょう?」
 さあ、行くんだよ。母親は娘の背を、そっと押す。エレイヌを背負いあげたパヴァルは、武器を携さえ闇にす。そんなパヴァルの背中でエレイヌは、歯を食いしばり、声を堪えながら泣き続けていた。