【第七章 炎の申し子】

5 藪を叩いて蛇を出す


「ここに居たのか」
 ルドウィルの足下にすり寄ってきた、九尾の子狐リシュ。リシュはその湿りっ気を帯びた冷たい鼻面を、ルドウィルの手の甲に押し付けた。
「冷たっ」
 猛獣舎の一角、山犬たちを飼育する施設の裏手。ルドウィルはそこでいじけたように膝を折り、下を向きながら鼻を啜っていた。
 リシュのもふもふとした柔らかい毛に濡れた手の甲を押し付け、ルドウィルは拭う。そうして子狐を抱き上げ、顔を上げた時。目の前には眼帯の男が立っていた。男の蒼い目と、ルドウィルの淡褐色の目が合う。男、即ちパヴァルはルドウィルの頭を大きく骨ばった手で鷲掴むと、そのまま上に引き上げ、無理矢理立ち上がらせた。そして猫背気味になっていたルドウィルの背を、パンッと平手で叩く。
「シャキっとしやがれ、ガキが」
「……パヴァルのおじさん」
 嫌味にニヤッと笑っているパヴァルは、リシュの首根を掴んでひょいと拾い上げる。一瞬空中に投げ出され、短い足をバタつかせたリシュであったが、すぐさまパヴァルの来ていた藍晶の肩に爪を立てて、しがみ付く。そうしてパヴァルの肩の上へと落ち着いた。
「また派手にやったそうじゃねぇか。あの天災が、珍しく他人を心配してたぜ」
「…………」
「まあ、テメエの人生はテメエが決めるモンだ。親だろうが何だろうが、血が繋がってようが、体でも繋がってねぇ限りは他人でしかない。他者の意見以上に役に立たない上に、的外れなもんはねぇしな」
 パヴァルの肩の上から、リシュはルドウィルを見る。そしてわざとらしく、クゥーンと狐らしい鳴き声を上げた。
「それでだ、ルドウィル。何故お前は、武術をやりたいと思ったんだ」
「ん……」
 リュンに誘われて、興味を持ったから。父さんみたいに強い人になりたいから。そんな下らないような理由も、あるにはあった。でも何故、どうしてもやりたいんだと、リュンに向かってあのとき言ったのだろうか。でもそれを具体的に説明しろと言われれば、どう表現すればいいものかがルドウィルには分からなかった。
「強くなって、護りたいから」
「自分の身をか?」
「ううん、違う。それもあるけど……」
「《光帝シサカ》を、か?」
「それも、ちょっと違う。でも護りたい人がいるんだ」
「ほぉ、それは誰だ」
「誰って言われても」
「恥ずかしくて言えないか?」
 まるでどっかの馬鹿犬と同じだな、とパヴァルはせせら笑う。「おおよそ、そいつと同じ奴のことだろうがな」
「……それじゃあ、おじさんは何でアルダンに入ったの?」
 馬鹿にされるだけでは気に食わない。ルドウィルはルドウィルなりに、パヴァルに反撃をした。
「単純さ」
「単純?」
「時の〈道化師ジェイスク〉、今の〈聖堂カリヴァナ〉ケリスに、ヴィディアと俺、それとガキんちょだったエレイヌは捕まっちまったのさ。それも、まっとうに隊商の用心棒をやってた時にな。だがシルスウォッドと取引をしたのさ。全員纏めて処刑か、もしくは神国に身を捧げて生きるか、とな」
「処刑って?」
「ありとあらゆる様々な罪を理由に、馬四頭に四つ裂きにされ死刑に処される、ってことだよ」
「様々な罪って……?」
「それを聞くか?」
 顎を上げ、目を瞑り、指を折りながら、パヴァルはありとあらゆる様々な罪の数々、その一部を語り始めた。
「強盗、強奪、暴行、詐欺、殺人と未遂、自殺教唆、その他諸々。それも殺人に関しちゃ俺でも数えきれねぇほどやってきた。けどまぁ、暗殺家業ってのはボロ儲けでな。業界の端金ってのは、庶民にゃそりゃぁ口から胃袋ぐらいの額で……」
「おじさん」
「おう?」
「それ以上は、聞きたくないかも」
 パヴァルという男が、命というもになんの価値も見出せない冷めた人間だというのは、ルドウィルも知っている。だが、まさかそれほどまでのものだとは……少なくともルドウィルは思ってはいなかった。
 そこで、話題を変えようと試みる。「あの、うんと……その、おじさんの右目ってどうなってるの」
「右目か」
 眼帯に触るパヴァル。「態々、人サマに見せるようなモンじゃぁねぇよ」
「そう言われると余計に気になる。リシュもそうでしょ」
「いや」
 リシュは首を横に振る。「俺は見たくもない」
「なんで?」
「なんで?! そ、そう言われてもな……」
 言葉を濁すリシュを横に、パヴァルは頭の後ろの眼帯の結び目を解いた。
「……これでどうだ」
 右目の眉上から頬の辺りまで刻まれた傷痕。だがそれは刃物で斬りつけられたような傷ではなく、どちらかといえば獣の鋭い爪で引っ掻かれたような痕だった。
「引っ掻かれた……?」
「いや、正確にはくり貫かれた、だな」
「くり貫かれた?」
「俺の命と右目の目玉。それらを、武神の力と交換したのさ」
 閉ざされていた右瞼が開く。長らく眼帯の下に眠っていた目は、外界の光に一瞬だけ目を眇めさせたが、やがて完全に開かれた。パヴァルの右目。そこには人ならざるもの、異形の眼が埋め込まれていた。
「これで気が済んだか?」
 例えるならばそれは、蛇や蜥蜴、鰐といった硬い鱗に身を覆われた爬虫類の眼だ。
 人であれば白くあるはずの強膜は、所々に青い筋の入った黄色になっている。それに真っ黒な瞳孔は人のような円形をしておらず、眩しい光に目を細めた猫のように縦長の形をしていた。
「おじさん」
「どうだ」
 パヴァルは再び眼帯を着け、頭の後ろで紐を締める。
「怖いだろう」
 ルドウィルは無言で頷く。
「お前の体から火が上がったのは覚えてるな」
「……覚えてはないけど、そうだったってユン姉ちゃんとファン兄ちゃんから聞いた」
「要するにだ」
 パヴァルの普通な左目が、ルドウィルに焦点を合わせる。そしてパヴァルは、眼帯の下の目を指差した。
「お前も、人の道を違えばこうなるってことだ」
「……!?」
「だが、安心しろ」
 その時、どこからかファルロンの声が聞こえてくる。けれどもパヴァルはそんな声など気にも留めず、続けた。
「俺を反面教師にすれば、少なくともお前は、人の道を踏み外すことはない。それにお山の女王様が居れば、心強いもんだろ?」
「お山の女王様?」
 ルドウィルの頭にパッと思い浮かんだのは、クルスムだった。彼女はラムレイルグの族長の娘だし、数々の男衆を相手に独り勝ちをしてきたという伝説をもっている。「クルスム姉ちゃんのこと?」
「違ぇな、アレはお山の大将だ」
「え……?」
「なにより、その名前は女王様より直々に賜った名前だ。名前ってのは親の血よりも、よっぽど魂と深く強く結び付き、その者の人格や人生そのものを左右するもんだ。母親のことは嫌いになっても構わんが、名前だけは嫌いなるなよ」
「だからおじさん、女王様って誰なの」
「ルドウィル」
「……」
「炎の申し子、それがお前の名前だ」
「ほのおの、もうしご?」
「〈天界アルラウン〉の炎を扱い、万の兵士を焼き払ったという伝説が残されている、山の女王に忠誠を誓った戦士の名だ。その戦士の名であるルドウィルを、お前は賜った。その意味が、分かるか?」
「……」
「まあ、いずれ望まぬとも解るだろう」
 リシュが、パヴァルの肩からルドウィルの肩へと乗り移る。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉とて恐れるあのオブリルトレの女王からの寵愛を、お前は受けているんだよ、ウィル。その分の借りを、いずれお前は女王へと返さなきゃならん」
「だからさ、その女王様って」
 ふん、とリシュが鼻先をルドウィルの後ろへと向ける。ルドウィルが振りかえるとそこに、息を切らしたスザンと、涼しい顔をしたシクが立っていた。
「居ましたよぉ、ルドウィルくん」
「本当か!」
 そんなスザンの声のあと、ファルロンは姿を現した。ファルロンのその顔もまた、真っ赤に染まっている。「ウィル、お前どこほっつき歩いてたんだよ!!」
「……ごめんなさい」
「俺とスザンとユンとで、王都中駆け回ってたんだからな! シャレーイナグラにも行ったし、カレッサゴッレンのエレナの姐御ンとこにも行って……」
「とはいえ怪我もないようですし、良かったんじゃないんですか?」
「どこがだッ!!」
 笑顔で場を治めようとしたスザン。けれどもファルロンはスザンを否定し、ルドウィルの肩をがっしりと掴んだ。リシュは驚いたように地面に飛び降り、パヴァルの肩によじ登る。
「分かるか、ウィル。ここは猛獣舎だ。猛獣舎には何が居る?」
「何って、山獅子とか山犬とか」
「猛獣だ。うちにいるのはあくまで獣であり、人じゃねぇんだよ。ウィクのように理性があるわけじゃねぇんだ! 俺のようにな、日常茶飯事顔を合わせてにおいなんかも覚えられてる人間ならまだしも、そうじゃない人間が迂闊にこの土地に入り込めば、容赦なく体を噛み千切られるんだぞ!? 今はこいつらを放していないから良かったが、普段は……」
 そんな風に説教をするファルロンの背後からも、ファルロンの大声に苛立ちを表し始めた獣たちの低い唸り声が聞こえ始めていた。
「いいか、ウィル。ここに来るのであれば必ず、俺かクルスム、ラズミラのうちの誰かと来い。さもなくばお前は、ここの猛獣に噛み殺されッ……――」
「まあよ、それくらいでいいじゃねぇか」
 ファルロンの背後から、その口を塞ぐように手が伸びる。現れたのはクルスムと、ユインの二人だった。クルスムは右手でファルロンの口を塞ぎ、左手でファルロンの目を覆い隠す。そのままクルスムはファルロンを後ろへ倒し、海老反りの態勢にさせると次の瞬間、手を離した。地面に仰向けの状態で倒れたファルロン。その腕を、ユインは通り過ぎざまに踵の高い靴で踏みつける。そしてルドウィルに近づくとその場で長い脚を折り、地面に膝を付いた。
「……うおわぁッ?!」
 ヒェンディグの甘い香りが、仄かに香る。ルドウィルの顔に当たる白い髪。がしっと抱かれる胴。わしっと掴まれる髪の毛。でもそれは先ほどのパヴァルのように乱暴なものではなく、かといってとても優しいというわけでもなかった。それでも、思わずルドウィルの顔は赤らむ。そうして解放され、紫色の瞳と目が合ったとき。バチンという音が鳴る。ルドウィルの体が、右横へと倒れ込んだ。
「おいおい、ユン。まだウィルは子供だってのに、なにもそんな強烈な張り手をしなくても……」
 一瞬、何が起きたのかとルドウィルは分からなくなった。けれどもすぐに、結論に至たる。じんじんと痛みだした左頬は、紅く腫れ始める。そっか、おれはユン姉ちゃんに打たれたんだ。けれども、どうして打たれたのか、その理由が分からないルドウィルは、叩かれた左頬をさすりながらユインを見た。
「さっき、ファンも言ってたけどよ」
 するとユインの言葉を代弁するように、クルスムが喋り始める。
「ここはお世辞にも安全たぁ言い切れねぇような施設だ。侵入者にゃ容赦なく襲いかかり、場合によっちゃぁ噛み殺すよう訓練されている猛獣が、ゴロゴロ転がってんだ。迂闊に一人で入り込んで、それを犬にでもなんにでも見つかってみろ。即座に、アンタは腕を噛み千切られることになるだろうさ。それはウィル、お前だけじゃねぇ。獣の扱いに長けてるアタシらでも、おんなじなんだよ。ほんの少し怒らせただけで、理性なんて欠片もねぇケダモノは牙を剥く。アタシだって大昔にゃ犬の毛をうっかり櫛で逆撫でしちまって、頬を引っ掻かれたもんさ。ファンも調教してた獅子に左の米神を切られてっし、ユンも怪我の治療をしてた犬の傷口を消毒してる際に一度、腕を噛み千切られてる。まあその後に、腕は無事にくっついたわけだが」
 差し出されたユインの手を借り、ルドウィルは立ち上がる。
「そういうわけでだ、ウィル。ちょっと舎のほうに来てくれやしねぇか」
「え?」
「アンタに是非ともお会いしたいっていう方が来てるのさ」
 皆目見当が付かぬルドウィルは、意味深に笑うクルスムを見つめる。「母さん、じゃないよね?」
「違うさ。あの子は猛獣舎を嫌ってるからねぇ、ここに来るわけがない」
「じゃあ、誰?」
「それはだな」
 ファルロンやスザン、パヴァルまでもが知らぬのか、目元を強張らせていた。
「まあ、会えば分かるさ。それと、ユンと水龍さんも一応来てくれ」
「……まさか、アイツじゃなかろうな?」
「水龍さんのいうアイツが、誰を指してるかにもよるね」
 そしてクルスムは、ファルロンとスザンに向けて、追い払うような手振りをしてみせた。
「テメェらは用なしだ、おら、とっとと居なくなりやがれ」
「はぁ?! クルスム、お前な。その言い方はねぇだろ!」
「うるせぇ、黙って散りやがれ。アンタらには関係のない話だよ」
 立ち上がったファルロンの尻に一発、クルスムは強烈な蹴りを噛ます。すると悲鳴を上げたスザンは脱兎の如く、その聖獣と共に逃げ去っていった。






「……やっぱり、テメェらか」
 パヴァルが零したその一言。普段であれば常にニヤついているはずの口元は、嫌そうに引き攣っていた。
「何もそんな嫌そうな顔をしなくったっていいではないですか、〈聖水カリス〉殿」
 パヴァルの視線の先の人物は、にこりと愛想笑いを浮かべると、片眼鏡についた翠玉の飾りを揺らす。身に纏う青を基調とした軍服は〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉らしくある一方で、貴族や王族以上に近づき難い高貴な印象を与えていた。
「そんなに、私のことがお嫌いなのですか?」
 太く濃い眉と、年の割には大きな目に、くっきりとした二重瞼。あどけなさがどこか抜けずにいる笑顔からは、悪魔という仇名は連想されなかった。
 だからこそ、彼は悪魔なのだ。
 普段は執務室の椅子に腰かけ優雅に紅茶を啜りながら、笑顔の裏で策を敷く。それこそが〈道化師ジェイスク〉である、ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス大臣補佐官、通称「ドレインス家の悪魔」なのである。
 そして、そんなディダンの隣にどっしりと腰を据えた大柄の男は、武ノ大臣である〈聖堂カリヴァナ〉ケリス・シャドロフだった。老人のように真っ白に塗り替えられた髪と、額に刻まれた深い皺の数々は、もうすぐ七十に差しかかるという年齢を感じさせた。
 そんなケリスと比べれば、同い年だというパヴァルは白髪の一本も見当たらず、非常に若々しいものである。ヴィディアですらも白髪が目立ち始め悩んでいるというのに、化け物というのは正にパヴァルのような人間を指すのだろう。ルドウィルにはそう思えた。
「……おい、お前。そんな小細工で、俺を騙せるとでも思ったのか?」
 クルスムに案内された部屋の隅。壁に凭れかかるように立つパヴァルは、左目でディダンを睨み据えていた。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉、変装が下手糞だぞ。やるなら完璧に化けてみせやがれ」
「流石〈聖水カリス〉殿。どうやら貴殿の目だけは誤魔化せないようだ」
 ディダンが白手袋を嵌めた手を一回、パンッと叩いてみせる。その瞬間、部屋に立ち込めた白煙が、視界を遮った。
 やがて煙が収まり、視界が良好になった時。ケリスの横に立っていたはずのディダンの姿は消え、そこには見慣れぬ一人の男が立っていた。
「バレッバレなんだよ、その他人行儀な喋りが。ディダンなら、もっと人を小馬鹿にしているような喋りをするからな。なぁ、ユン?」
 ルドウィルの後ろに立っていたユインは、無言でこくりと頷く。クルスムは三白眼の目を更に見開き、白黒とさせていた。
 アル・シャ・ガ。そう呼ばれた人物は、フリアのような赤紫色の目をしていた。そして髪の毛は、到底人のものとは思えないような、晴れきった空のような水色をしている。両頬には紫色の謎の刺青が彫られていて、頭には濃紺のフードを被っていた。
 見た目の服装などは、先ほどのディダンの姿とは比べ物にならないほどに質素なもの。だが、それ以上の神性さを、何も知らないルドウィルは感じざるを得なかった。
「ほいで〈大神術師アル・シャ・ガ〉サマ。この度はこんなところまで 態々わざわざ来ぃはって、おおきにはばかりさんどしたなァ……?」
 ルドウィルには聞きなれない北アルヴィヌ訛りで喋るのは、パヴァル。嫌味ったらしく遠回しな喋り方で、何故お前はここに来たんだと文句を言っているのだ。
「そんな厭味ったらしく言わんでも、貴殿が言いたいことの一つや二つくらい分かるわ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉もまた、睨むようにパヴァルを見る。そしてケリスの横に用意されていた椅子に腰を下ろした。
「私の目的は三つだけだ。叙任と除名、そして保護だ。詳細は〈聖堂カリヴァナ〉から聞け」
 すると〈大神術師アル・シャ・ガ〉は身を乗り出し、ルドウィルにぐっと近づく。
「君が、ルドウィルくんだな?」
 今まで一度も会ったこともないような相手に、名前を当てられた。〈大神術師アル・シャ・ガ〉とルドウィルの目が合う。その赤紫色の瞳は母とはまた違う、異なる光を燈していた。まるで長く見続けていたら生気を吸いこまれ、いずれ干乾び死んでしまうのではないかと思わせるような、強くも乾いたその光。恐怖のようなものを感じたルドウィルは、思わず身をブルッと震わせた。「は、はいっ……!?」
「君は〈聖水カリス〉殿の下、武術を始めたそうだな」
「……はい」
「その覚悟、いかほどのものかな?」
「……はい?」
「ふむ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の手の中、短剣が握られる。短剣の切っ先は、ルドウィルの後ろを向いていた。
「ならば、これはどうだッ!!」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の手から離れた短剣は、光のように飛んでいく。光の筋が向かった先、ルドウィルは頭で判断するよりも先に、体を動かしていた。
「はっ、流石は竜王が認めただけの逸材だ! これなら問題もない、そう思うだろう〈聖堂カリヴァナ〉?!」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の笑い声にハッと我に帰り、起き上がる。危ない、と反射的に動いたルドウィルは、背後に立っていたユインを押し倒していたのだ。短剣はどこに行ったのだろうか、とルドウィルは部屋一面を見渡す。短剣は壁に刺さっていた。
「ごめん、ユン姉ちゃん……」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の放った短剣は、ユインの首筋を狙っていた。結果に満足げな笑みを浮かべた〈大神術師アル・シャ・ガ〉を、ルドウィルは睨む。だが〈大神術師アル・シャ・ガ〉は怯む素振りを一切見せはしないことは愚か、却って興奮したように大口を開けて笑いだした。
「この私が、未だ決まらぬ《光帝シサカ》の代わりとなり認めてやろうぞ! 来い、〈獅子レオナディア〉!」
 壁を、床を、窓を、空気を震わす獅子の咆哮と共に、木製の扉を木っ端微塵に吹き飛ばし、雷電を纏いながら〈大神術師アル・シャ・ガ〉の許へと姿を現したのは、雷剣〈獅子レオナディア〉。宙をふわふわと漂うそれの柄を、〈大神術師アル・シャ・ガ〉は乱暴に掴む。そしてルドウィルを見た。
「我が前に跪け」
「……へ?」
 いきなり「跪け」と、あまり良い印象を抱いていない相手に言われたところで、その通りにしようと思えるほどルドウィルは素直ではない。困った様子で立ち尽くしていると、クルスムが「いいからその通りにするんだよ」と促す。そうしてルドウィルは渋々その場に屈み、片膝を立て、〈大神術師アル・シャ・ガ〉の前に跪く。ちらりと見えたケリスの顔。不本意であるのか、ケリスは顰めた眉根に更に皺をよせ、視線は下を向いていた。
「…………」
「我、汝に命ず」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉は鞘から〈獅子レオナディア〉を抜き、ルドウィルの肩の上に剣の平を置いた。そして数回、剣で肩を叩く。剣の平が肩に触れる度に、ピリピリとした微弱な電流がルドウィルの体に流れた。
「武神を封じし十の剣、その一剣となり……」
「……」
「女王を護る盾となり、女王の揮う剣となれ……!」
 最後に一度、〈大神術師アル・シャ・ガ〉は強めに叩くと、〈獅子レオナディア〉を鞘へと納める。そしてその剣を、ユインではなく、ルドウィルへと差し出した。
「どうした、受け取らぬのか」
「でも……!」
 それまで閉口したまま一切の口を利くことが無かったケリスが、漸く口を開く。色の薄い灰紫の目は、冷気を帯びた氷晶のように冷徹だった。
「叙任ノ儀、兼ねて承認ノ儀は終わった。剣を受け取るのだ、ルドウィル・シャネム。今、この瞬間からお前は〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉が一剣、〈獅子レオナディア〉となっている」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉はルドウィルの右手の中に〈獅子レオナディア〉の柄を強引に押し込め、落とさぬようにと握らせる。その様子を見ながら、パヴァルはチッと舌打ちをした。
「おおよそ見当はついていたが、こりゃぁどういうことだ〈聖堂カリヴァナ〉……いや、ケリス。簡潔に説明しろ」
「つまり、〈大神術師アル・シャ・ガ〉が述べた通りだ」
 無言で、呆然と立ち尽くすユイン。クルスムは先んじて情報を知り得ていたのだろうか、彼女にしては珍しく、黙って立っていた。先ほどのケリスと同じ、なんとも言えない微妙な表情を浮かべながら。
「ユイン、お前には〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉からの除隊を命ず」
 ユインが紙とペンを取り出し、文字を書く。どうして除隊なんだ、と。
「お前はその体と精神状態で、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の務めを全うできると思っているのか?」
「…………ッ……」
 声を出そうとしたのか、口を開きかけたユイン。だが零れたのは声にもならない掠れた音。そして激しく咳き込みだす。そしてガクガクと震えだした細く傷だらけの脚は体を支えられなくなり、雪崩のように崩れた。
「お前が足手まといにならぬようにと努めるほど、それに付け回る結果は、結局は足手まといになる。隊員の傍に隊員を侍らせるのも、これ以上は限界なのだ。分かってくれ」
「……」
「だが我ら〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉がお前を見捨てたわけではないことだけは、約束しよう」
「…………」
「お前が今まで一人で抱え込んでいた問題が、一人だけの犠牲では済まぬ状況になろうとしているのだよ。問題の解決には、お前の力が必要不可欠なのだ」
 座り込んだユインの狭い肩に、クルスムはそっと手を置く。クルスムの顔色も、どこか血の気が失せた血色の悪い土気色に変わっていた。
「よってユイン、お前を今より最重要保護人物とする。護衛には〈咆哮ベイグラン〉と〈獅子レオナディア〉を当たらせる。念の為、この猛獣舎の敷地を滅多なことがない限りは出ないようにしてくれ。〈咆哮ベイグラン〉には後から私が伝えよう」
「おい待て、ケリス。俺にはそれが最善だとは思えねぇ。寧ろ最悪の選択だ。ルドウィルはまだしも、あの馬鹿犬に護衛を任せりゃ、何を仕出かすか分かったもんじゃない」
 そう言うパヴァルの表情が曇った。ユインもクルスムも同じく、〈咆哮ベイグラン〉という言葉に眉を顰めている。けれどもケリスは、頑として譲らない立場を取った。
「ならば、他に任せられる者が居るとでも言うのか?」
「ああ、居るさ。引き続き、リスタにやらせればいいだけの話じゃねぇか。リスタが問題を起こしたことがあるか? ないだろ。」
「だがリスタには重大な欠陥がある。それに、あいつが問題を起こしたことがないだと? しょっちゅう起こしているではないか!」
「たしかに、そうだな。最近のリスタは特に馬鹿犬と上手くいっていないうえに、小さな騒動を起こしまくっている。腕に三角巾を巻いてない日のほうが珍しいくらいだ。だがな、その原因は全てあの馬鹿犬にあるんだよ。あの馬鹿犬こそ、猛獣舎から引き離すべきだ。もっと言えばアルダンから追放し、山に帰した方がいい。あいつは、危険分子なんだよ! 馬鹿犬さえいなけりゃ、リスタは真価を発揮できるんだ!!」
「〈聖水カリス〉、お前は昔から随分と〈不死鳥レイゾルナ〉入れ込んでいるようだが、私からすれば〈不死鳥レイゾルナ〉のほうが遥かに危険だ。あいつが居る所為で、ディドラグリュルが職務に集中しない。それに」
「リスタとディダンは引き離すべきではない。俺はあの時、そう言ったよな。引き離せばディダンは不安が先行し、目の前の物事に集中しなくなると。今、まさにその状態に陥っているだろ? あのクソガキときたら、非番の際には何かしら理由をつけて猛獣舎に欠かさず行きやがる。何故なら、アイツはそれだけ心配しているからだ、リスタのことを。馬鹿犬が猛獣舎にいる限り、ディダンは猛獣舎に通い続ける。それに心配の分だけ、ディダンの作業能率は落ちる。そういったことを含めて、あの馬鹿犬は追い出すべきなんだよ!!」
「問答は無用だ。それにお前はただ嫌いだから、〈咆哮ベイグラン〉を追い出したいだけなのだろう?」
 ケリスの片眼鏡の硝子が、ぎらりと光る。
「〈聖水カリス〉。〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉全てを、猛獣舎に徴収する。日が昇るまでに全員が集まるようにしろ。それも怪しまれぬよう一斉にでは無く、出来るだけ一人一人の間を隔ててだ」
「……シルスがこれを聞いたのなら、さぞ怒ることだろうな」
 藍晶の裾を翻しながら踵を返し、パヴァルは音もなく立ち去っていく。何処までも無駄がなく、見ていなければ気配を察知することが出来ないその動き。こんな化け物のような人の強さを、自分は得られるのだろうか。握られたままになっていた〈獅子レオナディア〉を、ルドウィルはまじまじと見る。自信なんて、無い。
「……」
 クルスムの手を借り立ち上がったユインは、そのまま椅子に誘導され、そこに座らされていた。立って居たままではまた倒れるかもしれない。そんな不安があったのだろう。案の定ユインの傷だらけの白く細い脚は小刻みに震えを繰り返すばかりで、立っていられるとは到底思えなかった。
「……ユン姉ちゃん……」
「違うだろう」
 薄気味悪く一人笑っていた〈大神術師アル・シャ・ガ〉が、先ほどまでとは全く以て違う声色で、諭すように言う。ルドウィルの頭に、そっと手を置いた。
「かの者はそう気安く名を呼べるほど、位の低い者ではない。敬い、畏れるべきだ」
 その時初めて、身近にいたはずの人がとても遠くに居るように、ルドウィルには感じられたのだった。






「……以上。この件について、質問があれば受け付ける」
 猛獣舎に徴収された、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉隊員達。だがその中でただ一人だけ、〈不死鳥レイゾルナ〉を賜るリスタの姿だけは見当たらなかった。だが、ケリスはそれを待つことなく、話を進めた。
 ユインの除隊と、ルドウィルの叙任。
 それらに対し、集められた隊員たちの反応はそれぞれ違っていた。ベンスは戸惑いを隠せずにいるのか、ケリスの横に立つルドウィルを黙って見つめているし、リュンは珍しく至って冷静にそれらを聞き届け、ディダンについては終始首を傾げており、ヴィディアは「何が何だかサッパリ分からないわ……」とぼやきつつ、ラントはただ苦い笑みを浮かべ、ファルロンは納得がいかぬとムッとしていた。
「……どうして、ユンは除隊処分になったんだ」
 ケリスに対し、険悪な眼差しを送るファルロンは疑問をぶつける。
「身体面、精神面から鑑みての判断だってんなら、もっと早くにそうなっていたはずだろ。それをなんで、今更……」
「ユインに除隊処分を下した理由については、私の口からは語れまい。ユイン本人が、他隊員にそれを伝えることを拒んだからな。とはいえ、時が来れば当人自らが語るだろうが……」
「要はユン、アイツは〈聖獣使いシラン・サーガ〉以上の保護対象者に格上げされたってことだ」
「〈聖水カリス〉」
「貴族王族と同等……いや、それ以上に扱えよ? なんてったってアレはオブリルト……―――」
「それ以上は無用だ」
 ケリスの言葉を遮ったパヴァルの言葉を、また更にケリスが妨げた。
「三下に教えるこたぁねぇってか?」
「その通りだ。要点は以上、これをもって解散とする。〈獅子レオナディア〉、〈咆哮ベイグラン〉、〈 三日月ルヌレクタル〉。お前達は少しの間、残ってくれ。〈聖水カリス〉、お前は例のものを」
「……」
「〈聖水カリス〉」
「一応テメェに伝えておくが、シルスウォッドはお前の決断に怒り心頭だ。〈咆哮ベイグラン〉は外すべきだと、アイツも言っている。ついでに言うと、メズンもユインにこれ以上馬鹿犬を近付けるなと言っていた」
「おいおいおい、待ってくれよパヴ。なんで俺が、害虫みたいな扱いをされなきゃならねぇんだ?」
「分かってんじゃねぇか、馬鹿犬。お前は害虫なんだよ。アルダンにお前を入れるべきじゃなかった、今のユインがあそこまで追い詰められているのも、お前に全て原因がある」
「俺がユンを追い詰めてるって言いてぇのか?!」
「その通りだ。テメェが」
「〈聖水カリス〉、そこまでだ。お前は例のものをやれ。解散だ。先ほど指名した三人以外は、早急に部屋を立ち去るように」
 そうしてケリスに指名された三名――ルドウィル、ベンス、ファルロン――以外は、部屋からぞろぞろと立ち去っていく。猛獣舎内の部屋の外からは、クルスムとウィクが悪態を垂れる不機嫌そうな声と、パヴァルの不平不満を垂れる声、そして何かをガタゴトと運ぶ物騒な物音が聞こえていた。
「……一体、何をパヴァルに運ばせてるんだ?」
 ベンスは扉を見やる。その時同時に、クルスムの「なんだこれ、本だけでこんなにも重くなるモンか?!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
「本?」
 ルドウィルが首を傾げる。猛獣舎の中で書物を日常的に読むような人間は居ない。書き溜める人間であれば、一人いるが。
「ルドウィルの荷を、猛獣舎の空き室へと全て運ばせた」
「……お、おれの?!」
 ルドウィルの荷物は、王宮敷地内の事務所の一室に置かれているはずだ。必要最低限の衣服と寝具、机や椅子や文具、自分で買ったり、ユインやクルスム、メズンなどから譲り受けたり、仲良くなった商人たちから譲り受けたりして集めた書物の山など。それを日中のうちに、全てパヴァルが運び出したというのだろうか。だって、朝は普通に部屋にあったし……。自分に何の了承も得ず荷物を運び出されたということより、そちらのほうにルドウィルは驚いていた。「パヴァルのおじさん、やっぱり怖いや……」
「ルドウィルは猛獣舎に移ると、そういうことなのか?」
 眉を顰めたベンスは、何時になく無い頭を全力で回転させていた。
 身体能力に関しては定評のあるベンスであるが、普段の日常生活の中で必要とされる能力――例えば他人の心情を読むことであったり、それを読んだ上で次の行動を取ることであったり、兎にも角にも理解力や洞察力、果ては語彙力など――が明らかに並みの人間よりも欠けていた。つまり一言でいうと、彼は致命的な馬鹿なのである。
「そういうことだ」
 大半の者が初対面では真っ先に、ベンスの高い鼻筋や切れ長の目、あまり感情を表に出すことがない故の表情の無さや、落ち着いているかのような抑揚のあまり無い口調から、「冷静」で「知的」という印象を抱く。だが等身大の“ベンス”という人間は、全く以てその真逆であった。
 空気は読めない。
 物事の先は見れない。
 文字の読み書きは極端に苦手。
 動くことのない静的なものを捉えることも大の苦手。
 女性も苦手。乙女心など露知らず。
 数少ない私物の整理整頓ですら、リュンやフリアの補助がなければ一人では出来ず、パヴァルのような用意周到さなどは「よ」の字もなければ、ケリスから下された命令は、一度ディダンに噛み砕いてもらわなければ、一度聞いただけで理解など出来やしないのである。表情があまり無いのも、声の調子に抑揚がないのも、単に感情表現というものが人の五倍ほど苦手なだけ。自分が何を今感じ取っているかを、自分で分からないほど苦手なのである。
 そして、それらを知っているからこそ、ケリスはベンスに尋ねた。
「だが、ベンス。お前はしかとこの件を理解しているか」
「……」
 ベンスは目を瞬かせる。明らかに、動揺していた。
「お前は、説明ができるか」
「ルドウィルが、猛獣舎へと居を移した」
「それは何故だ」
「何故……」
ベンスの横に立つルドウィルは、ただ父を見つめていた。だがその視線が更にベンスを焦らせ、硬直させ、思考停止にまで陥れた。
「……何故、です、か……」
「やはり、そうか」
 次にケリスの視線がファルロンへと向く。「ファルロン、お前はどうだ」
「え、あ……お、俺?」
「お前だ」
 俺にベンのが飛び火しやがった、とファルロンは心の中で舌打ちをする。「あーと、えーと、そのー……〈炎ノ聖獣使いシラン・サーガ・レイ〉の嬢ちゃんと、ウィルを少しでも隔離するため、か?」
「それも一理あるが、それだけではルドウィルをここに移すような理由にはならん。……先程、呆れるほどに説明したと思うのだが、本当に分からないのか」
「……ハイ」
 がっくりと肩を落としたケリスは、溜息を洩らす。
「〈獅子レオナディア〉、〈咆哮ベイグラン〉。お前達二人には、ユインの護衛の任に就いてもらう。故に〈獅子レオナディア〉、お前はここに常駐している必要がある。それはルドウィル、お前だけでも理解は出来ているな」
「はい、理解してます」
「どうやら息子には望みがあるようだな、ベンス」
「……」
 恥ずかしげに視線をケリスから背け、鼻の頭を掻くベンス。
 息子が優秀なのは、父親である自分に似たわけではあるはずもなく、かといって、冷え固まった溶岩のように融通の利かない、頑固な母親に似たわけでもない。これは全て、サラネムの変人、ユインを筆頭としたクルスム、メズンなどに鍛え上げられ揉みくちゃにされたことによる賜物であることは、悔しい事だが紛れもない事実だ。そして、ディダンといった有能な人物の背中を、幼いころから見続けていたということもあるのだろう。
 そう、息子はケリスの言うとおり、将来有望の期待の新星だったのだ。
「ルドウィル、お前だけでも理解してくれているのならそれで良いだろう。この猛獣舎というのは、事務所と比べれば不便極まりないだろうが、上手くやってくれることだろうと期待している」
 立ちあがったケリスは、恥ずかしさと不甲斐なさのあまり、猫背になっているファルロンとベンスの首根っこを掴み、そして二人の額をぶつけさせる。ゴンッという痛々しい音がした後、床に座り込んだ彼らに、ケリスは冷徹な視線を送りつけながら続けた。
「そして、このどうしようもない馬鹿犬共の調教も、宜しく頼んだ」
「……え、あの、ハイ?」
 痛ェッ……などとほざきながら、赤く腫れ始めた額を、手で押さえつけるファルロンとベンス。
 朝焼けが水平線から顔を出し、山犬の遠吠えが木霊する。パヴァルの「終わったぞ」という声とともに、忙しき〈聖堂カリヴァナ〉は寝る暇もないままに、武ノ大臣の椅子という獄中へと戻っていった。