【第七章 炎の申し子】

4 炎の祝福


 そろそろウィルも、最低限の護身は出来るように、簡単な護身術を始めてみよか。男の子やし、なによりベンの息子なんやから、きっとすぐに体が覚えはるよ。

 そんなリュンの一言から始まった、ルドウィルの特訓。講師は、ギャランハルダでの仕事がある夜以外は基本的には暇をしているリュンがやってくれるのかとルドウィルは思っていたのが、違かった。リュンに指定された場所、ディア湖の畔へとルドウィルが向かってみればそこには、いくつかの木刀を携えたパヴァルの姿があった。
「おう、時間よりも早く来たじゃねぇか。遅刻ばかりのベンスと比べりゃ、お前は優秀なようだ」
「……」
「さっそく始めるか。まずは……――」
「あ、あの、ちょっと待って。パヴァルのおじさんが、教えてくれるの?」
「そうだ。ラントもリスタもディダンも、お前の親父も、俺に扱かれて一人前になってきた。……ラントは、まだまだクソッタレの半人前だが……」
「……?」
「まっ、それはいい。早速、この中から気になったヤツを適当に選びやがれ。ただし、〈聖水カリス〉と〈聖堂カリヴァナ〉以外でだ。その二つは、既に後釜が決まってるもんでな」
「後釜って、誰なの?」
「訊かないほうが、身のためだ」
 そんなパヴァルの足下には、九本の木刀が並べられていた。形は見たことのあるものばかりであり、まさに〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の〈畏怖アルント〉を除いた全ての型が存在していた。
 右から、聖剣〈聖堂カリヴァナ〉、炎剣〈革新リボルヴァルッタ〉、水剣〈聖水カリス〉、冥剣〈三日月ルヌレクタル〉、二対の宝剣〈丘陵ルズベラ〉、雷剣〈獅子レオナディア〉、霊剣〈不死鳥レイゾルナ〉、獣剣〈咆哮ベイグラン〉、偽剣〈道化師ジェイスク〉。
 無論、ルドウィルに迷いはない。取った木刀はただ一つ。
「本当にこれでいいんだな」
「うん」
 平たい刃。それと柄には雄叫びをあげる獅子の意匠が施された、剣〈獅子レオナディア〉を模したもの。ルドウィルが手に取ったのはそれだった。重さも本物と同じ重量に作られているのか、木であるわりには鉄のように重い。
 そんな剣を選んだルドウィルを、パヴァルはしげしげと見定める。
「〈三日月ルヌレクタル〉じゃなくていいんだな?」
「これでいい。父さんの剣は反り返ってて扱い辛そうだからさ」
 お前の親父の剣より、そいつのほうが扱い辛いんだがな、と言いながらパヴァルは他の木刀を適当にまとめて、そこいらに放り投げる。そしてルドウィルに、木刀を地面に降ろすようにと指示を出した。
「え? これ、使うんじゃないの」
「なに、選べと言っただけだ。それを振り回して良いとは言っていないだろう」
 パヴァルはルドウィルの右腕を乱暴に掴む。その握りしめる力の強さに、ルドウィルは痛いと声を洩らしそうになるがそれを堪える。ここに向かう前に、たまたま会ったラントから忠告されたのだ。誰がお前の相手をしようとも、その相手の前で「痛い」などの弱音を絶対に吐くんじゃないぞ、と。助けて、も絶対に駄目らしい。
「この程度の細腕で、いっぱしに剣を振り回せるとでも思っているのか?」
 細腕。今の今まで、誰にもそんなことは言われたことがなかった。故にルドウィルは気にも留めていなかったのだが、改めてよく見てみる自分の腕はとても細かった。細くて白くて、見るからに軟弱そうな子供の腕。筋肉なんてものが引き締まっているわけもなく、少し腕を動かせば二の腕はふるふると揺れる。
「さぁて、手始めにこの湖の周りを一周で良い、走ってこい。その後は腕立て伏せを三十回、腹筋を四十回、それを繰り返し二回」
「え、あ、おじさん、ちょっと待っ……」
 ディア湖を一周。距離の想像が付かない。なにせルドウィルが今居る場所からは、対岸が霧で霞んで見えないのだ。生憎の曇天もあるが、常にディア湖とはそんなもの。とても大きい湖。それをよく知っている。
「問答無用だ、走れ!!」
 ルドウィルは、パヴァルに尻を〈聖水カリス〉を模した木刀で叩かれる。
「ハイッ!!」
 パヴァルから逃げるように、ルドウィルは駆け出す。水辺の湿気った環境、ぬかるんだ地面に足は取られるし、じめっとした不快な空気が肌に纏わりつく。ルドウィルが後ろを振り返ってみば、ゆっくりと走るパヴァルの姿があった。まるでルドウィルが「やめたい」と言いだすのを待っているかのような、したり顔を浮かべてさえいる。
「どうした? やめるか?」
 畜生、と聞こえないように小声で吐き捨てると、ルドウィルは大きく手を振り全速力で走りだした。
「そんな全力で走って、後で体力が尽きても知らんぞ」
「……」
「体勢がなってない、顎を引け」
「……」
「腕を大きく振りすぎだ! そんな馬鹿みてぇにブンブン振り回してたら、その隙に両腕を切り落とされるぞ!」
「……」
 背後から嫌味が、矢継ぎ早にルドウィルへと降り注ぐ。嫌味は躱して助言は無言で実行しつつ、ルドウィルは黙々と走る。走り続ける。と、その時突然、背後から風を切るような音が聞こえた。そして次の瞬間、首筋すれすれのところから木刀の刃先が顔を出した。
「……ッ?!」
「周囲に気を配れ! 隙だらけだ!!」
 次第に木刀は妨害をし始める。背後から、容赦なく木製の刃がルドウィルに斬りかかってきた。背中を叩き、腕を叩き、尻を叩き、足を叩く。頭さえも叩き始めた。
「どうだ、痛いか? これが実際の鉄の刃なら、今頃お前はズッタズタに切り刻まれてるぞ!!」
 そんなパヴァルの台詞の直後。シュッと大気を裂く小さな音を、ルドウィルは聞き取った。そして左下から右上へと向かう、僅かな空気の流れを背中で感じ取る。パヴァルは左利き。だから今、木刀を振り上げたのだ。だとすれば今度は振り下ろすだろう。そして頭上右側から左下へと降りかかる速く強い風圧を受け、ルドウィルの柔らかい髪が揺れた時。反射的に小さな体は、右側へと反れた。
「……本気を出してきたようだな」
 パヴァルの目が、ギラギラとした輝きを放ち出す。
 強者は強者であるからこそ、更なる強者を求める。いずれ自分を打ち負かし否定する者を、探しているが故に。その目の輝きは、原石を見つけた際の期待の眼差しだった。
 かつてラントやベンスにも注がれた、その視線。だがアイツらは、期待外れだった。一人は覚悟が足らず、未だに人一人ですら斬れぬ器。そして一人は、護りに徹するあまりに自ら攻撃を仕掛けることがなく、思い切りが足りない。だから、今度こそ。引き攣る口角、歪む口元。けれども内なる水龍神は、これ以上はやめてやれ、子供が可哀想だと叫び声をあげていた。
 ちらりと横目にパヴァルを睨む、淡褐色の瞳。その目つきが、先ほどまでのへなへなとした軟な少年から、集中している際のベンスそっくりの、鷹のように鋭いものへと変わっている。
 流石、親子だ。コイツもベンスと同じ、叩けばその分だけ強くなる。パヴァルはそう、確信した。
「逃げる際には何も考えるな! 無心で、ただ周囲の空気の流れに集中しろ! 流れが乱れれば、自然と次の攻撃が読め、逃げ込むべき道も読める」
 次々に攻撃を繰り出しながら、パヴァルは徐々に攻撃間隔を狭めていく。先ほどまでは全て体に当たっていた木刀は、今や空気を裂くだけになった。
 箱入り息子として育てられ、外で同年代の子供たちと駆け回ることはしないのは愚か、常にあのクソ眼鏡から託されたどうしようもない天才、いや天災に付き纏い、本ばかりを貪り食うように読みふけていた少年に、この道の才能などあるわけがないと思っていた。きっと早々に音を上げて投げだすだろう。そうなる前提で特別に指導を請け負ったとはいえ、まさかこのように劇的に進化するとは。パヴァルは予想もしていなかった。才覚は、遺伝するものなのだろうか。そんなことがふと、頭をよぎる。
「怒りを原動力に変えるんだ! 躱してみろ!」
 湖も一周を回り終え、始めの地点にあと一歩という距離になったとき。パヴァルは最後に、渾身の一撃、その百十一歩手前程度の一振りを繰り出した。
 大昔、まだ軟なガキであった頃のラントに、ルドウィルと同じようにディア湖の周りを走らせ、その最中に邪魔をするというのをやったことがあった。その時のラントはルドウィルと違い、全ての攻撃をものの見事に食らっていたものだ。最後のこの一撃も肩に食らい、脱臼もした。それに対してベンスは、最初から最後まで全てを躱しきり、息を上げることもなく走り終えていた。
 まともに食らえば、子供の体なら脱臼や骨折など容易い威力。さあルドウィル、お前は躱せるのか。パヴァルが木刀を振りおろした矢先、木刀から指へと伝わってきたのは固いものへと当たった感触だった。だが当たったのは、子供の肩ではない。
「……面白いじゃねぇか」
 パヴァルを真正面から睨み据えるルドウィルが、その小さな両手で握りしめていたのは〈三日月ルヌレクタル〉を模した木刀だった。三日月のように湾曲した刃に、〈聖水カリス〉を模した木刀の刃を引っ掛け、うまく受け止めている。この使い方は、パヴァルが教えたわけでもなく、ベンスが自然のうちに習得した斬撃の躱し方だ。受け止め方やその構えなどは、父親の型と全て同じである。流石ベンスの息子と言うべきなのか、それともこの少年がそれだけ父親を観察していたのか。その判断はつきかねるが、この少年に剣術の才覚があることが明らかとなった。
「ラントはこの攻撃をまともに食らい、脱臼をした。そしてお前の親父、ベンスは、ただ躱しただけだった。どちらもお前と同じ状況で行った結果だ」
「……」
 にやりと笑うパヴァルは、スッと木刀を下ろす。
「新しいな、攻撃を受け止め……ッ?!」
 その瞬間、地面から吹き上げるように、パヴァルの目の前で上がった燃え盛る炎の壁。それはルドウィルを中心に、円を描くようにして広がっていく。
「何のまやかしのつもりだ、こりゃ」
 その中心でルドウィルは、携えた刃の先をパヴァルへと向けていた。目は虚ろで、魂が何処かに抜け落ちているかのようにも見えている。
「……まるで〈炎ノ聖獣使いシラン・サーガ・レイ〉の嬢ちゃんがしていた話と、そっくりじゃねぇか……」
 そうぼやきながらパヴァルは、慌てた様子で駆け付ける長身の白い髪の女と、小柄なわりに筋肉だけは付いている茶髪の男を見ると、遅ぇってんだよ、と呟いた。






 ルドウィルは、目の前で腕を組み仁王立ちになっているフリアと、じっとこちらを見ている子狐リシュ、それと痣の手当をしてくれているユインを交互に見る。普段なかなか見られぬその光景に驚きながらも、ルドウィルは赤鬼と目が合う度に、その視線を床に逸らすということを何度か繰り返していた。
「……ルドウィル」
「……」
 ファルロンから渡された氷袋を痛む箇所に当てながら、ルドウィルは稚拙な言い訳を考えていた。
 ただディア湖の周りを走っていたら、転んだだけ。そこにパヴァルのおじさんとユン姉ちゃんが駆けつけてくれたんだ。
 ……なんて言ったところで、どうせ嘘でしょうって見破られるかぁ……。
「一体、お母さんに黙って何をしたって言うの?」
「……それは……」
 アルダンの事務所の一階、応接間に用意された長椅子二脚と机一脚。その机の上一面に広げられたユインの道具を、ルドウィルは見つめていた。出来るだけ母とは、視線を合わせたくない。どんな顔をしているのかと思うと、見たくもなかったからだ。
「ルドウィル、言いなさい」
 フリアがルドウィルへとにじり寄る。それとほぼ同時に、事務所の重い扉が開けられた。そこからひょっこりと顔を出したのは、全ての元凶であるリュン。そんなリュンはルドウィルを見るや否や、慌てて駆け寄り、体中に刻まれた痣を見やるのだった。
「うわぁー、大変だったみたいだねぇ。よう頑張ったよ、ウィル。今頃泣いてるんやないかぁ思うて、慌てて店飛び出して来たんよ」
 ぽんぽん、とリュンはルドウィルの頭を撫でる。どこか子供扱いされているようで、ルドウィルには少し不愉快な気分になった。「偉かったねぇ、ウィル。鬼軍曹のパヴ相手に泣かんかったみたいやな」
「パヴ?」
 フリアの声が途端に低くなる。だがそんなことにも気付いていないのか、リュンは特に何も考えていないかのように、商売用のアルヴィヌ訛りでベラベラと喋り始めた。
「そうなんよ、フリアちゃん。ウィルったらもう偉いんよ。ウチが男の子なんやからそろそろ自分の身は自分で護れるように護身術でもやってみいひんか、って薦めたらなぁ、自分からやりたいゆうて。せやからウチからパヴに頼んだんよ。けどなぁ、パヴの指導はえらいしんどいことで有名やさかい、泣いてないか心配だったんよ。ほんま偉いわ。よう頑張りましたなぁ、もう」
 リュンは、ルドウィルのくせ毛の髪を更にくしゃくしゃに掻き乱す。
「護身術?」
 母、フリアの声はどんどん低くなっていく。もう顔を見たくない、とルドウィルは視線をユインへと移した。ユインはただにこりと一瞬だけ笑みを浮かべると、ルドウィルの腕に布を巻き付けてキュッと縛る。そして布の上から優しく、ルドウィルの細い腕を撫でてくれた。ルドウィルの強張っていた口元と目もとが僅かに綻びる。
「何ニヤついているの、ルドウィル」
「……」
「まあ落ち着きなはれや、フリアちゃん」
「それよりリュンさん、その喋り方がとても鼻につくのですが」
「あ、そう? ごめんね。商売用のアルヴィヌ訛り。お客さんからは評判がいいんだけど。ほら、色気が出るっていうの?」
「そうですか。私はそうとは思いませんけど」
「あっ、それでね。もうすぐベンも来ると思うよ。アイツったら、ウィルがパヴの特訓受けてんだよーって言ったらさ、素っ頓狂な声上げて、キャスに早退きの手続きしてもらうって慌てて走ってったんだ。そのお陰で、ベンの残りの仕事はダンが今やってるらしいけどね」
「ダン兄ちゃんが? 出来るの?」
 ひ弱なディダンに、父が普段やっているような走り回るばかりの仕事が出来るのか。ルドウィルには、そんなことをやっているディダンの姿が想像出来なかった。
「うん。というか会議に出席中のシルス卿の、書類を整理するっていう仕事だったらしいよ。ほら、整理ってのはベンの苦手分野であって、ダンの得意分野だし。だから、丁度良かったんじゃない? それにディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス大臣補佐官様サマは、毎日キャスの書類の片付けをやらされてるわけだしさ」
 有能な部下が居るってのは、キャスにしても相当心強いんだろうねー、ともリュンは言う。
「それにしても長いよね、ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインスって名前さ。やっと最近名前を全部覚えたんだよね。ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス。だからディダンって呼んでって言ってたんだねー。こんだけ長けりゃそりゃ……」
 ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインス大臣補佐官。
 それが四年ほど前にディダンが、未だ定まらぬ《光帝シサカ》の代わりに〈大神術師アル・シャ・ガ〉から賜った正式な官職だ。文字通り、文武資法の四大臣と政ノ大臣を補佐することが仕事である。そして、ディドラグリュル・ダナディラン・ドレインスという長い名は、彼が貴族の出であることを表していた。
 ドレインス家。かつて南アルヴィヌを五代に渡り治めていた一族で、悪政に次ぐ悪政を敷いていた悪名高気一族だ。けれどもそんなドレインス家も、あっけなく終わりを告げる。親の悪行を見かねた齢三つの幼き御曹司が、家に火を点け火事を起こしたのだ。そのうえに御曹司は傭兵を雇い、家の地下金庫から財産全てを盗み出させ、それらを南アルヴィヌの町中に全てばら撒かせたという。そうして財産を失ったドレインス家は、滅んでいったとされている。
 一族を滅ぼした御曹司の名は、ディドラグリュル卿。
 今の〈道化師ジェイスク〉ディダンその人なのである。
「もしかしてダン兄ちゃんがあの、ドレインス家の……」
「そうだってね。ダンの野郎ったら笑いながら言ってたよ。そう、私があのドレインス家の悪魔です、ってね」
「悪魔……」
 神も悪魔も、見方によっては立場は逆になるのかもしれない。神は実はとんでもない悪者かもしれないし、悪魔こそ救世主なのかもしれない。少なくとも当時のアルヴィヌの町人たちにとっては、お金を町にばら撒いてくれた悪魔は救世主そのものだったのかもしれない。
「悪魔、う〜ん……」
「そっれにしてもさぁー、最近の宮中でのダン人気は凄いもんがあるよ、ホント。前はラン兄が歩けば『キャー、アルントサマー!』って女中さんたちが黄色い悲鳴あげてたのにさ、今は『ディドラグリュル様ぁ〜!』だから、時代は変わったんだねえ。いつのまにか小生意気なキノコ頭のチビすけが、しゃきーんと背筋伸ばした頭の冴える切れ者にして、女の子なら目配せくらっただけでクラッときちゃうような弟分系な甘〜いお顔になっちゃってさ。政権交代っていうの? 今頃妬いてるんじゃないのかな、ラン兄ったら。ユン兄……じゃなくてユン姉もそう思うでしょ?」
「……?!」
 同意を求めるように、リュンはユインのほうへと向く。それに対してユインは、一瞬戸惑ったような表情を見せたものの、こくりと頷いた。そんな中ユインの後ろに突っ立ち、珍しく無言のままでいるファルロンは、応接間から覘いて見える事務所の出入り口を見ている。
「どうしたのさ、ファロン」
「お父上様のご到着だぜ」
 その言葉と同時に開けられた事務所の扉。顔を現したのはファルロンが言ったとおり、ベンスだった。青鎧を身に着けたままの姿から察するに、手続きを終えた後は慌てて飛び出してきたのだろう。くせ毛の髪は更に乱れてぐちゃぐちゃになり、息を切らしているのか顔は赤く、肩は激しく上下していた。
「父さん……」
「ルドウィル、一体何があったんだ」
 ベンスはルドウィルに駆け寄ると、ルドウィルの両肩に大きな手を置く。
「あの、えっと、その……」
「パヴァルから指導を受けた。それは構わない。自分からやりたいと申し出たというのは偉いことだし、あいつもお前には才能があると褒めていた。だが問題はそこじゃない」
「え……?」
 てっきり、その点について怒られるとばかり思っていたルドウィルは、目を点にする。ならば父は、どうしてここに駆け付けたのだろう。軽い打撲程度の怪我の一つや二つで、職務を放棄し途中で抜けてくるような人では無いのに。
「ルドウィル。お前の体から火が上がったと、お前とパヴァルの様子を遠巻きに見ていたというランから聞いた。どういうことなんだ」
「なんですって……!」
 フリアも驚き、目を見開いた。それまで子狐の姿であったリシュも、ブルッと身を震わせ、元の姿――おおよそウィクと同じ大きさ――である麗しい九尾の狐の姿に戻る。
「……何故だ? ウィルは〈炎ノ聖獣使いシラン・サーガ・レイ〉の息子ってだけで、そうであるってワケじゃないってのに」
「分からないの、リシュ?! それでも聖獣なの!?」
「聖獣だってなぁ、万能じゃあないんだよッ!!」
「万能じゃないなら胸張らないでよ、この役立たず!!」
「なァっ?!」
 リシュは毛を逆立て、威嚇をする。フリアもまた、どこからか長い斧槍を取り出すと、その槍の切っ先をリシュの喉首へ向けた。殺気立つフリアとリシュ。そんな一人と一匹の間、呆れた面持のリュンは割って入り込む。
「やめやめ、やーめーてー。問題は聖獣が万能かどうかじゃないでしょ? ……で、何が問題なんだっけ」
「お前が一番問題だ」
 ファルロンから、突っ込みが入った。
「問題はウィルの体から火が上がったということだよ。だがウィル、お前は多分覚えてねぇんじゃないのか?」
「あっ……」
 ルドウィルの記憶は、パヴァルの「躱してみろ!」という声以降、一時的に途切れていた。残っている記憶といえばその後、ファルロンの肩に仰向けに担がれひっくり返った視界の中、薬箱を担いだユインが見え、そこから事務所に運び込まれるまでの出来事からだ。
「おれの体から火が上がった、の?」
「ほらよ。なあ、メラメラと上がってたよな、ユン」
 ルドウィルは戸惑い、視線を目の前のユインへと移した。ユインはこくりと頷く。するとユインはリュンに対して、自分の傍へ寄るようにと手招きをした。
「へ? なんでボクなのよ」
「いいから、ちょっと口貸せ」
「口貸すって、どういうこっ……イダァッ!!」
 ファルロンが強引にリュンの腕を掴み、ユインの横へと座らす。困惑するリュンに構うことなく、ユインはその白い手でリュンの目を覆い隠した。するとリュンの口が開き始める。
『ルドウィルの体、正しくは足元から火が上がったのは事実だ。だがその炎は見えるだけ。パヴァルの扱う水と同じく、滅多なことがない限りこの次元に干渉はせず、この次元のものを燃やすことはない。謂わばそこの〈炎ノ聖獣シラン・レイ〉、リシュの尻尾にともっている炎と同じようなものだ』
「……え?」
 リュンの口から聞こえたのは、リュンの女々しい甲高い声では無く、落ち付いた低めの女声、聞き覚えのあるユインの声だった。
「ユン、姉ちゃん?! 声、声はどうしたの!!」
『相手の体を一時的に奪い、操る術だ』
 よく見ればリュンの体は、力が抜けたように腕や脚はだらりと投げ出されている。
「要は神術だ。扱えない俺たちが考えたって分からねぇ代物なんだから考えるな」
 ファルロンは乱暴にそう言い放つ。取りあえずユンの話を聞いてくれ、と。
『それでだ。ルドウィルから上がった炎は、フリア、君とは何の関連もない。それだけは確かに言える』
「それはどういうことなの?」
 フリアはリシュを押しのけ、身を前に乗り出す。その手に握られていたはずの斧槍は、いつの間にか消え去り、何処にも見当たらなかった。
『ルドウィルには元々、そういう素養があった。炎の素養に、魂が大きく影響されてるんだよ。それが更に、強い水の力を持つパヴァル、もしくは龍神カリスになんらかの影響を受けて、覚醒したのだろう。火は収めはしたが、またいつ同じことが起こるかは分からない』
「なら、どうればいいんだ」
 ベンスは掴んだままのルドウィルの肩を揺すった。
『簡単だ』
「簡単?」
『制御の仕方を覚えればいい。後はルドウィルの意思次第。それだけ』
「おい、ユイン! 正気か、お前は!」
 更にベンスは、掴んだルドウィルの肩を前後左右に激しく揺する。「ちょっと止めてってば、父さん……」
『正気さ』
 未だ生気の戻らぬ紫色の目は、リュンの頭の後ろからベンスを静かに見据えていた。
『そういった力の制御も、リュンが勧めたという護身術も合わせて、パヴァルに指導を仰ぐのが一番だと思う。だが、第三者である俺や、親であるお前達がどう口を出そうが、結局はルドウィル次第だ』
 ベンスの揺さぶりが止まり、フリアやリシュの視線が、ルドウィルへと一斉に向く。
「どうしたいんだ、坊主」
 リシュの黄色い目は冷たく、どうなろうが自分には関係ないとでも言いたげではあった。「まあ、俺の主はどうせ反対だと言うんだろうが」
「……普段は黙っているくせに、余計な時にばかり口出しをしてくるの、やめてくれないかしら?」
 フリアの赤紫の目は、リシュを睨む。リシュの言う通り、母であるフリアは反対なのだろう。
「ウィル、お前はどうしたいんだ?」
 ファルロンは、パヴァル然とした嫌味なニタニタとした笑みを浮かべている。
「おれは」
「ダメよ、そんな危ないことは私が、お母さんが許しません」
「……よく分かんないけど、このまま続ける。続けたい。父さんみたいに強くなりたいから」
「ルドウィル!」
「うるさいっ!!」
 ルドウィルは立ち上がる。そして母のほうへと向いた。
「母さんはいつもそうだ、おれのやりたいことは危ないとか言って頭ごなしに否定するばっかりで、応援してくれたこと、許してくれたことなんか一度もないじゃんか! なんで、なんでそんなにおれのやることが気に食わないの、本読んでちゃいけないの、勉強してるのもいけないの、ユン姉ちゃんと居るのも駄目なの、猛獣舎に行ってクル姉のお仕事を手伝うのも駄目なの、パヴァルのおじさんの特訓を受けるのも駄目なの?! じゃあおれは、何をしてればいいのさ!?」
「そんなことは無いわ。全部あなたのことを思って……!」
「嘘だ! おれのことなんか、本当は思ってくれてないくせに!!」
 ルドウィルはフリアを睨むと、背を向けた。そして走りだす。事務所の出入り口を開け放ち、外へと駆け出していった。
「待ちなさい、ルドウィル!」
「放っておけ。フリア、今はお前が追いかけるべきじゃない」
 追いかけようとするフリアの前を、リシュが大きな体で塞ぎ、妨害した。
「この間、あの〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉の女に言われただろう。ルドウィルは、親がやることなすこと全てに干渉しないで放っておいたほうが、成長する子供だと」
「けどね」
「そこの木偶の旦那、お前はどう思ってるんだ」
 リシュが視線をベンスに投げ掛けるも、ベンスは気まずそうに俯き、黙り込む。ここでフリアの気に触るようなことを言えば、場の空気が更に悪くなるだろう。それを察してなのか何なのかはリシュには分からなかったが、沈黙は賢明な判断でもあり、その真逆でもあった。
「……呆れたもんだな、お前たち夫婦は」
 ふん、とリシュはフリアたちに背を向ける。リシュは一度身震いをすると子狐の姿に戻り、開け広げられたままの扉から外へ、ルドウィルを追うように出ていった。