【第七章 炎の申し子】

3 紫の首巻


 活気にあふれた街、繁華街カレッサゴッレン。リスタを通じてパヴァルから許しをもらったルドウィルは、ユインを連れて繁華街を訪れていた。
「……カレッサゴッレンに来てみたはいいけど、どこに行けばいいんだろ……」
 しゃっしゃと滑るペン先。崩されたシアル文字は、紙の上を細く流れるように綴られていく。右耳が聞こえないから、出来れば左側に来てくれないかな。紙には、そう書かれていた。
「ユン姉ちゃん、右耳聞こえないの?」
 無言で頷いたユインは、右耳が本来あるはずの場所に掛かっている髪を右手で掻きあげた。そこに耳はなく、代わりに傷痕だけが残されている。削ぎ落とされた。その表現が最適だということは、齢八つのルドウィルにもよく分かった。
 ルドウィルはユインの左横に並ぶと、ユインの白く細い左手を、まだ小さい右手で包むのだった。
「ユン姉ちゃん」
 やっと、その呼び名にも慣れてきた。
 今まではずっと「兄ちゃん」と呼び続けていた相手が、実は「姉ちゃん」なのだととクルスムに教えられてからは、呼び方を改めてる努力をしていた。けれども、今でも偶に前までの呼び名で呼んでしまうことがある。
 ユン兄ちゃん。
 それが抜けない。けれどこの日は何故かすんなりと、ユン姉ちゃん、そう言えた。
 服装の所為なのだろうか。普段のユインは男ものの服を着た体を、藍晶に包んでいた。それはパヴァルを始めとした、アルダン隊員の普段着と同じ姿である。ルドウィルの父親であるベンスも、休日はそんな身なりをしている。
 けれども、それがどうだろう。今のユインの服装はといえば、すれ違う町女たちの身なりと何も変わらない。ふんわりとした白い袖口の服に、少し肌蹴ている胸元。首元を隠すように巻かれた群青の首巻は、少し縒れていてどこか貧相に映っている。そして下は、足首までの長さのある黒の巻きスカートに、緑色のぺたんこな靴。つい何日か前まで、兄ちゃんと呼んでいたその人と、同一人物であるようにはとてもじゃないが思えなかった。
「服、さ」
 生気の無い紫色の目が、ふとルドウィルに向く。
「いつもと違うね」
 再びペン先が、紙きれの上をするすると滑り出し始める。そして渡された紙きれを受け取ると、ルドウィルは目を通した。

 持ってた服は全部ファルロンに処分されたんだ。その代わりに、女性ものの服を大量に買い占めてきたんだよ、アイツ。だから今はこれしか着れるものがないんだ。

 そう書かれている。
「でも、嫌じゃないの?」
 首を横に振ったユインはまた、ルドウィルに紙きれを渡した。

 仕方無いよ、今はこれしかないから。

「……」
 ユインを黙って見つめるルドウィルは、握っていた手に少しだけ力を込めた。
 そんなとき、ルドウィルが視界の片隅で捉えたのは、なんてことない小さな出店だった。軒先に下がっていたのは、紫色の変わった光沢を帯びた半透明の首巻だった。日の光に照らされきらきらと光る首巻に心を奪われたルドウィルは、そっと足を止める。そして店に近付いて行った。
 アルゲン織り、と昔にヴィディアが教えてくれたような気がするその布。南アルヴィヌの伝統工芸品で、青や赤、黒といった色が多いとルドウィルは聞いていたのだけれども、今、目の前にあるその布は珍しい紫だった。
「ユン姉ちゃん、ちょっと待ってて」
 朝、王宮で偶然すれ違った父親から、お母さんには内緒だぞ、とこっそり渡されたお小遣いは三千ガルッデ。そしてその首巻の値段は、二千五百ガルッデと書かれていた。その首巻をルドウィルがじろじろと見ていると、店主の少し色黒な女性と目が合う。
「おばさん、その紫のヤツちょうだい!」
 ルドウィルがそう言うと、女性は驚いたようにルドウィルを見つめた。
「坊や、これを買ってどうするんだい? まさか自分でつけるわけじゃないだろうに」
「渡すんだ」
「お母さんにかい?」
「ううん、別の人。でもそれ、首に巻くやつでしょ?」
「ああ、まあそんなトコだよ。それにしても、よく知ってるねぇ。でもアンタぐらいの年の男の子じゃ……」
 ちらりと、無意識のうちにルドウィルの視線が、心配そうにこちらを見ていたユインへと向く。その視線に気づいた店主は「ああ、そういうことね」と呟いた。
「え?」
「ユンちゃんだよ。たしかに、あの首巻は貧相だとは思ってたわ。けど、それ以上に可哀想な子だよねぇ、ホント。元は美人で気さくな子だったのに。ちょっと変わってたけどね」
「知ってるの、ユン姉ちゃんのこと」
「ああ、勿論さ。よくこの通りを、レゼットちゃんと二人で歩いてるのを見かけたもんだからねぇ。レゼットちゃんったら大荷物をいつも持たされてて、大変そうだったよ。……けど、それももう五年前の話だねぇ」
 そう言いながら店主は、ルドウィルが手に持っていた財布を指差す。ルドウィルはそこから三枚の千ガルッデ紙幣を取り出し店主に渡すと、店主はその代わりに紙袋を足元から取り出す。それに紫の首巻を入れ、ルドウィルにお釣りの五〇ガルッデ銅貨を十枚と共に渡した。
「十本剣さんってのは、王都民シアランにとっては賊どもから守ってくれる英雄さまだからね。税金さえちゃーんと収めていれば、王族や貴族でなくともお守りして下さる、《光帝シサカ》さまよりも有難い御方だよ。パヴやんやユンちゃんには何度か、ここいらを助けてもらってるからね。頭は上がらないさ。けど今度は、アタシらもその恩を返さないとならない頃合いなのかもねぇ」
「じゃあ二千ガルッデにまけてよ、おばさん」
 どさくさに紛れてルドウィルは店主に対しそう突っ込むも、店主は笑顔でそれを断る。
「とはいえ、アタシらには生活が掛かってんだよ。まけてやりたいのは山々だけど、それは無理さ。あと、おねえさん、と言いな」
 そしてルドウィルも笑顔で「おばさん、ありがとう!」と言うと、走ってユインのもとへ戻っていった。
「ユン姉ちゃん!」
 ルドウィルは紙袋を、ユインに差し出す。何の事だかをさっぱり理解していない様子のユインは、きょとんと首を傾げて、その紙袋を見つめていた。
「いいから、しゃがんで」
 ルドウィルがそう言うと、ユインはそこにしゃがむ。ユインの頭が低い位置に来た。そしてルドウィルは群青の首巻を取り去ると、紙袋から取り出した紫色の首巻をユインに巻く。そして群青のほうを紙袋へ入れた。
「やっぱり、ユン姉ちゃんには青より紫のほうが似合ってるよ」
 喜んでもらえると思い、買った首巻。だがユインは、少しだけ眉を顰めていた。そしてまた、ユインはペンを握って、何かを紙に書く。紙きれを渡された。

 値段は幾らだったんだ。

「幾らって、言われてもな。そこまで高くはない……よ?」
 ユインの目が、スザンを見るときのじとっとした目付きに変わる。完全に、見透かされている。そう感じたルドウィルは、下手に誤魔化すよりも素直に白状することにした。
「……二千五百ガルッデ、だよ」

 ぽん、とルドウィルは頭を軽く叩かれる。そしてまた、紙きれを渡された。

 お父さんからもらった小遣いだろう。もっと他に、自分のことで使い道があったんじゃないのか?
 それに渡すなら、お母さんに渡したほうがいいよ。仲直りしなくちゃ。

「これも、自分のためだもん」
 ユインは外そうと首巻に手を掛ける。その手を止めるように、ルドウィルの手は重なった。
「……それに母さんに渡したら、きっとまた怒られるよ。どこで買ったの、誰にお金をもらったの、って。そしたらまた父さんが母さんに責められるに決まってるし、父さんが凹むとそれを慰めるリュンにも迷惑が掛かるし。だから」
 首巻から、ユインの手が離れる。そしてその手が、ペンを握った。

 なら、大切に使わせてもらうとするよ。

 渡された紙には、そう書かれた。
「うん!」
 久しぶりにユインが浮かべた笑顔。声こそ出ないものの、動いた唇は「ありがとう」と言っていたように、ルドウィルには見えていた。