【第七章 炎の申し子】

2 山犬となれ


 クルスムには最近、悩みが幾つか存在していた。思ったことをすぐ口から吐き出しちまうような性格なら悩みもなさそうだよな、などとはよく言われるのだが、そんなクルスムにも悩み事の一つや二つはある。それも自分のことではなく、お節介ともいえる気質からか、その大半は他人に関することばかりだった。
「……あのクソジジィもクソジジィだが、ウィルもウィルだなァ……」
 だが、今、目の前に存在している悩みの種は、他人のことというよりも、自分のことという分類に分けた方が正しいのだろうか。
「へぇー。じゃあ、ヒェンディグ草の根っこは、毒があるから食べちゃいけないんだね」
「まあな。毒っつっても大したモンじゃァねぇが、その根に触っただけでも指は痺れるし、食べたら尚更だろうなァ」
「おじさん、食べたことあるの?!」
「イヤ、流石にそりゃァねぇなァ。……独眼の水龍は、敵にそれを食わせてるみたいだが……」
「えー、おじさんは食べたことないんだ。つまんなーい」
「おいおい坊主、お前ェサンは俺を殺す気かェ?」
 事務所の一階、応接間。図鑑らしき分厚い本を膝に乗せたルドウィルは、あれやこれやとその隣に座るメズンに、思いつく限りの質問を全てぶつけている。その様子を陰で見守るクルスムの横で、盛大な溜息を吐いたのはルドウィルの母、フリアだった。
「……はぁ」
「ユン程度で収めておきゃぁいいモンを、遂にウィルはユンの更に上を行く偏屈ジジィに手ェ出しちまったわけか。つい心配になってこう、遠巻きながらも監視したくなるアンタの気持ちも、分からんでもねぇよ」
「……本当に、困った子です」
 クルスムもまた、偏屈ジジィことメズンにはほとほと困り果てていた。とはいえクルスムが困っているのはメズンのことだけではなく、またファルロンについても同じだった。アイツら、狂気的なまでにユンに入れ込んでやがる、と。
 メズンは月一で王都に降りてくるようになったし、ファルロンについては精神に異常をきたしている。二人の間に割り込んでくる者は何人たりとも容赦はしない、そんな雰囲気すらファルロンは出すようになっていた。
 ……けれども、本人らがそれほどまでに仲がいいのかと問われれば、それには疑問符を付けざるを得ないだろう。ユインがあの件以降何も喋らなくなった上に、感情表現の一つや二つさえしなくなったからだ。
 だがそんなユインも、リスタとは……――。
「まぁなァ、でもアレくらいの歳になったら、親はそこまで干渉しなくてもいいんじゃぁねぇのか? アレはダメ、コレもダメ、とか否定する前に、適当にやらせておくってのもアリだと思わなくもない。ただし、どうなろうがァそれはテメェの責任だ、って突き放すことも時には必要さ」
「でも、やっていい事と悪い事の区別は、ちゃんと躾けないといけないと思うんです」
「親が無理に躾ける必要もないだろうさ、こんな変人ばっかりの巣窟にポツンと置き去りにされりゃぁよ。嫌でも分別が付くようになるだろうさ。水龍さんなんていう、これ以上にない反面教師もいるわけだし」
「そうだとは、思えませんけど……」
「案外そんなもんだよ、子供ってのは。意外と素直じゃねぇんだ。斜めに捉えて、それを自分なりに判断して、最終的な決断を下すのさ。男の子は、特にそうだよ」
「でも……」
 そして彼女ら親子の関係もまた、クルスムの悩みのうちの一つだった。顔を合わせればルドウィルとフリアは大喧嘩を起こし、そしてルドウィルはどこかに逃げ出すのだ。それにフリアは夜中にも、ベンスと息子のことで毎晩のように喧嘩をしている。よく離縁しないモンだ、と思えるくらいに夫婦喧嘩は実に酷いものだった。
「こう言ったらなんだが、アンタは自分の考えや価値観をルドウィルに押し付けすぎてんじゃねぇのか? 息子に道を踏み外してほしくないのは分かるが……」
「そんなことは……ッ!」
「アンタは自覚ないかもしれないが、誰かの為っていう行動は同時に、自分のためでもあるんだよ。アンタは自分が安心したいから、息子を自分の目の届くところに置いておきたいんだ。それをウィルは、見抜いてるんだよ。だから巣立ちたがってんだ」
 下を向き、黙り込むフリア。ちぃとキツク言いすぎたか、とクルスムは思ったが、これはまた自分のため。夜中に喧嘩の声で起こされることを、少しでも無くすためだ。
 フリアの赤紫の目は泳いでいる。やっぱ言いすぎたか、説教臭くなっちまってすまねぇな、とクルスムは心の中では短く謝った。
「まっ、アタシが言いたいのはそれだけさ。結局はアンタら親子の問題だ。他人が口を突っ込んだところで、傍迷惑なだけだろうし」
 頑張れよ、とだけ言うとクルスムは事務所の外に出る。外でだるそうに待っていたウィクの背に、クルスムは手早く鞍をつけて跨ると、次なる悩みの種、ファルロンが居るであろう猛獣舎へと向かった。






「……」
「……ンだよ」
「……そりゃァこっちの台詞だってんだ」
 ゴツンと拳を石頭にぶつける。イデッと殴られた箇所を擦りながらクルスムを睨むその目つきが、昔、二年前とは急に変わったなというのをクルスムは感じ取っていた。
「そんなにアンタは、自分以外の人間が」
「別に、そんなことはない」
「そうか? そうじゃなければ、ユンを猛獣舎に」
「メズンのジジィに言われたんだよ、王宮敷地内の事務所より郊外の猛獣舎のほうが安全だろうってな。夜に奇襲仕掛けようにも、これだけ獣がうろついていたらヤムンでも流石に躊躇うだろうって」
「……そうか」
 そう言われてしまえば、返す言葉もない。クルスムがぶつけようとした言葉を飲み込む。その横でウィクは、盛大な舌打ちをした。
「どうも納得できねぇな。独眼の水龍ならまだしも、メズンがそんなことを言うたぁ俺にゃ到底思えねぇぜ。お前の作り話じゃねぇのか、ファン」
 ウィクの疑いの目が、ファルロンを捕らえる。だがファルロンは一切顔色を変えず、それがどうかしたか、とでも言いたげな態度を見せた。
「お前らにとって腑に落ちなかろうがなんだろうが、俺には関係ない」
「おい、そりゃどういうこった」
「アンタな」
「なんだ」
 不思議なほどにまで冷めた、感情の無い目。クルスムの目の前に入るこの男は、実は精巧に作られた蝋人形なのだと言われても、すんなりと受け止められることだろう。アタシの目の前に居るのはあの大馬鹿ファンなのか、そんな疑問すらもクルスムは抱き始めていた。
「ユンに入れ込み過ぎるのも、程々にしな。アイツの抱えている事情は、アンタにどうこうできるようなもんじゃねぇ。だから」
「どうにも出来ないのは、それはお前にも同じことだろ?」
「そうだ。そうなんだがよ」
 確かに自分は、思った以上に非力だ。クルスムはそれを、十分に理解しているつもりだった。
 あの時、あんな生ぬるい手傷程度で無くあいつらの命を全て取っていれば。あの男の首を掻っ切っていれば。状況は今とは変わっていたのかもしれない。だが、それが出来なかった。代わりにウィクが汚名を被った。結局は自分が可愛かったのだろう。自分にも、どうこうできることでは無い。他人に言えたことでは無いのかもしれない。
 けれども。
「でもな、アンタまでアイツと同じ目の色になってりゃ、何にも変わんねぇだろ。どうやったって何もされてない身が、何かされた身と同じ気持ちになんかなれねぇんだから」
「俺が笑ってようがアイツは笑わない。噛み合わないんだよ、なにもかも。だから段々そんなことやってる自分が馬鹿馬鹿しく思えてきただけだ。そしたら自然と、こうなった。それだけのことだ」
 だったら何故、アンタはユンに他の奴らが近づくのを嫌がるんだ。このアタシでさえも。
 クルスムの頭の中にそんな疑問が過ったが、声には出さなかった。これ以上問い詰めたら、どちらかが先に沸点に達して、抑えていた理性という鍋蓋が噴き飛んでしまうと感じ取ったからだ。そしたら、爆発した感情がぶつかり合うだけの、無益な口論に発展する。そうなれば、またユインは自分の所為だと責めて、更に殻に閉じこもることだろう。
「……ただ、俺は族長に託された役目を追従するだけ。それ以外でも、なんでもない」
「役目か。下らねぇもんだな」
「女王を護る、山犬となれ……か」
 それはラムレイルグ族に伝わる、婚姻ノ儀の際に族長が告げる言葉の一つ。簡単にいえば、男は対となるその女を守る役目を、今この場において担うことを命じた、とかそんな意味だったような気がする。由来は神国が成立する遥か昔の伝説、大昔にサラネムの山からサイランまでの一帯を治めていたというオブリルトレ王家の女王が、戦を控えた戦士たちに対して放った号令だとされている。だが、ファルロンは婚姻したわけでは無い。ましてやその前の段階にも立ってすらいない。
「親父……いや、ラムレイルグの族長は何を考えているんだかな」
 と、その時。クルスムの背後から足音が聞こえてくる。振り返るとそこには、何かが書かれた紙を携えたリスタが立っていた。
「これをファルロンに渡せとルドウィルくんが」
 リスタがファルロンに差し出した紙切れ。ユン姉ちゃんと、ちょっと出かけてきます。その紙には、大小様々な大きさの斜めった子供らしい文字で、短くそれだけが書かれていた。
「なんで引き止めなかった!!」
 ファルロンはリスタの襟首を掴み上げると、真っ赤にした顔を、その年齢を感じさせない整い凛とした顔に近づける。けれどもリスタは毅然としていて、ファルロンになど怯むことなく、あくまで笑顔を浮かべていた。
「偶にはこれくらい、許したって良いじゃないですか。ルドウィルくんも王宮から外に出て遊びたいことでしょうし、ユインも奴隷のように足枷を嵌められてばかりでは、溜まっているものもあるでしょうしね。……本当に、可哀想です」
「それはお前が決めることじゃない、そうだろ?!」
「ですが同時に、あなたが決めることでもない。そうでしょう?」
 にこりと笑うリスタは、更に付け加える。
「万が一に備えてディダンが後を追うことを条件に、パヴァルが外出を許可したのです。〈獅子レオナディア〉だけならまだしも、そこに〈 炎ノ聖獣使いシラン・サーガ・レイ〉の御子息が加わっ……」
「だが!!」
 掴みかかっているファルロンは、リスタの耳元で吠えるような大声を上げる。うんざりとした表情を浮かべたリスタは、そんなファルロンを軽く突き飛ばした。青い目の奥には珍しく、苛立ちの色が浮かんでいる。
「〈聖堂カリヴァナ〉と〈聖水カリス〉の命令は、我ら〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉にとっては《光帝シサカ》や〈大神術師アル・シャ・ガ〉の命令よりも絶対。それに異を唱えると、あなたは言うのですか? それに」
「なんだ」
「この件で重要なのはユインではありません。あくまで、ルドウィルくんなのです」
 狭い視野の中では、本当に大事な物事を見落としてしまいますよ。
 そう釘を刺すと、リスタはどこかへ行ってしまった。