【断章 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の夢】

断章 〈大神術師アル・シャ・ガ〉の夢


 今でも偶に見るあの夢は、夢であるはずなのに、夢なのか現なのか、その判別が未だに付かずにいた。
 仮にあれが夢だとすると、どうも腑に落ちない点が幾つか現れる。そのうちの一つ、特に疑問に思う点は、夢だとすれば何故ここまで鮮明に覚えているのだろう、ということだった。
 青白い光に照らされ、鈍く光る無機質な鉄の塊。青白い光を内側から発している、どろっとした気味の悪い謎の液体。それが己の体に繋がれた管から体内へと、血液を通じて流れ込んでくる。異物を拒否した血管は悲鳴を上げ、いっそのこと張り裂けてしまったほうが楽とも思える痛みを伝える。止まらない全身の痙攣。朦朧としていく意識の中、震える手が辛うじて掴んだのは、すぐにその手の隙間から零れて逃げていく水。そうして自分は水の中に、水槽の中に居るのだという結論に至った時、歪に歪む視界の片隅に見えたのは、女の狂った笑顔だった。
 夢はそこで、いつも途切れた。そうしていつも、嫌な汗と共に目を覚ますのだ。
 目が覚めるということはつまり、夢なのだ。けれどもあの水の手応えは何故か体に染みついていて、気を抜くとその感覚が白昼でも襲いかかってくるのだ。
 もしかすると、あれは過去に自分が実際に経験したことなのかもしれない。最近はそう考えるようにもなったが、結論は未だに出ないまま、時だけが延々と過ぎていっている。
 そして最近また、同じ夢を見た。内容は以前と殆ど同じ。けれども前のどの夢よりも遥かに鮮明で、人の声、言葉すらも全て完璧に聞こえていたのだった。
 夢の中に意識が入ったとき、真っ先に現れたのは、目の前で殴るわ蹴るわの乱闘を繰り広げていた白衣の男女だった。いや、正しくは男のほうが一方的にやられていた。男の容姿は色白の肌に、銀色の髪。〈畏怖アルント〉、あの男によく似ていた。けれども瞳の色は無彩色ではなく柘榴のような赤色で、そしてその男のことを女は「レーニン」と呼んでいた。女のほうは黒髪に緑色の瞳、名を「ユラン」と呼ばれていた。そして私もその夢の中では「アルスル」と、そう呼ばれていた。
 「レーニン」は、その部屋の隅で 蹲うずくまる二人の子供と、「エリーヌ」と呼ばれた赤毛の女を庇っていた。その子供たちはシャグライのような白い髪をしていたが、けれども怯えているその瞳は赤色だった。そして子供たちはどちらも、十代半ばの少女であるように見えていた。
 片方の少女には、ハッキリと意識があった。やめて、なんでこんなことをするの、と叫んでもいた。けれども、もう片方の子供は「エリーヌ」の腕に抱き抱えられたまま、ぐったりとしていて、意識は今にも消えてしまいそうだった。気だるげに、中途半端に開かれた目に生気はなく、けれどもその胸や肩は呼吸をしているように膨縮を繰り返していた。その体の中には、生命こそ辛うじて宿っているようではあったが、魂は丸きり抜け落ちているようだった。
 そんな様子を私は、水槽の厚いガラス越しから、水で歪むフィルターを通して傍観していた。体は、自由に動かせない。いつものあの痛みが頭を支配し、体は痙攣していたからだ。それに思考を巡らせられる余裕もないほど、意識は混濁していた。ただ傍観していることしか、出来なかったのだ。
 そして時間が経つ。歪む視界越しから見ても分かるほど、その部屋には赤い赤い血が飛び散っていた。「レーニン」は終に事切れた様子で、うつ伏せの姿勢のまま、ピクリとも動くことはない。それまで白かった衣服も、皮肉なほど綺麗な紅に染め上げられていた。
 そして「ユラン」の標的が、「レーニン」から「エリーヌ」へと移る。「エリーヌ」は子らを庇うよう二人をその両腕に抱きしめ、「ユラン」に背を向けてその場に座り込んでいた。だが、彼女は呆気なく散った。「ユラン」の手に握りしめられた一本の刃物。その鋭い切っ先が「エリーヌ」の喉首を、瞬きの間に掻っ切ったのだ。飛び散る飛沫。劈く子供の悲鳴。
『エリー、ラニー、死んじゃ嫌だよ。病気、絶対に治すって言ってたでしょ。ねぇ。このままどんどん壊れてっちゃう姿なんて、私は見たくないよ。ねぇ!』
 少女の上げた号哭を、「ユラン」は愉しそうに、悪戯な笑みを浮かべながら聴き惚れている。
『私ならその病気、治せるけど……どうする、お嬢さん?』
 「ユラン」は如何にも裏があるという笑顔を浮かべながら、血に染まった赤い手を、少女へと差し伸べている。
『嫌だ、近寄らないで……』
 白い腕を握る赤い手。
『嫌だ、やめて、離してよ!』
 握ったその腕を、更に強く握る。
『やだ、助けて、やだよ!! 』
 叫び声を聞いて駆け付けたのか、それまで閉め切られていた部屋の扉が開き、誰かが入ってくる。やってきたのは二人の男。
『私の愛しのウェインスと、良き友カイザーじゃない』
 不敵に笑う「ユラン」。
『君は一体、何をしているんだ』
「カイザー」は呆然と立ち竦んでいる。
『流石、僕のユランだ。邪魔者を排除してくれてたようだね』
「ウェインス」はその顔を卑屈に歪ませながら、床に転がる二つの死体を黒の革靴の妻先で蹴り飛ばした。
『ただの邪魔者じゃないわ、実験台の一つよ。そんな乱暴に扱わないで頂戴』
「ウェインス」を軽く諌める「ユラン」。そして傍観している“私”の水槽に近寄る一つの影。
『アルスル、アルスル!? 生きているのか、生きているなら返事をしてくれアルスル!』
 水槽を叩くその影が「カイザー」であると目視で確認できたとき、その影が横へと吹っ飛んだ。「ウェインス」に突き飛ばされたのだ。
『ウェインス、あなたは……――――』
 水槽のガラスに顔を近づけ、“私”に気味の悪い笑顔を向ける「ユラン」。そのとき、焼けつくような痛みが更に脳を蝕む。水の中でもがいてるうちに、気を失った。

 そうして、その日は目が覚めたのだ。






「起きたかェ、〈大神術師アル・シャ・ガ〉」
 王宮敷地内、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の事務所と真反対の場所に位置する神術師の舎。〈大神術師アル・シャ・ガ〉は珍しく、昨晩からここに泊まっていたのだった。
 とはいうものの、元来ここは〈大神術師アル・シャ・ガ〉の仮住まいとして建てられた舎屋であり、〈大神術師アル・シャ・ガ〉である彼が利用することには何一つ問題はないのだ。
 けれども、あくまでここは王宮敷地内の一角。〈大神術師アル・シャ・ガ〉の仮住まいとて装飾の派手さは抜きんでている。その豪勢さを今代の〈大神術師アル・シャ・ガ〉である彼は気に入らず、あまりここを利用する機会が無かったのだった。
「お前サンにしちゃ、随分と寝てたじゃねぇかェ」
「どうやら、そうみたいだな」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉が外を見やると、既に日は高く昇っている。現在は光ノ刻システ(正午)前、といったところであろう。
「偶には、固くない寝台というのも悪くはないな。固い床や地面で寝るより、よほど安らげる」
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉とて、あの男の相手じゃ疲れるってモンだろうサ。シルスウォッド・シャグリィアイグ・シアル。もれなく独眼の水龍が付いてくる。いやァ、実に疎ましい男だゼ」
「……うーむ、疎ましいとまでは思わんが。腹の底を探れぬ男ではあるな。けれどだ、先代の政ノ大臣シロンリドス卿と比べれば、よっぽど話の通じる相手ではあるだろう。……だが、どこか彼の言葉は、誰かに言わされているような気もしなくはないのだが……」
「そりゃァ、ちと考え過ぎだゼ。まァ、そりゃァ措いといてだ。疲れてンだろ、〈大神術師アル・シャ・ガ〉。寝たけりゃァヨ、もうちっとでも寝ててもらっても構わねぇゼ」
 午後の要件はどうでもいいのばっかだったから、全部断っといてやったヨ。黒羽の大烏メクは、低く 嗄かれた声でケケケっと笑った。
「メク。断ったというのは、どういうことだ」
「気にスンナ。全部貴族連中の、『ワタシの人生、占ッテー〈大神術師アル・シャ・ガ〉サマー』っていうやつだったからヨ。占いなら占術師のところに行けってんだゼ」
 それか、と〈大神術師アル・シャ・ガ〉は苦笑する。「だが占いをやるだなんてことは、一度も口に出した覚えがないのだが……」
「この前、ギャランハルダのエレイヌを占ってただろ? 大まか、噂の根源はそこだろーヨ」
「天下の情報屋、だったか」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、エレイヌという女を思い出す。紅をこよなく愛し、大英霊ラントを虜にしたと有名な、酒場ギャランハルダの女店主だ。下心を持って近付こうとする者は乱舞姫に道を阻まれ、尻に触れようとした男の手首は水の牙によって斬り落とされる、という噂もある。
 どうであるにせよ、あまり関わらないほうがいい相手であることは確かだ。
「そうヨ。まず十本剣の連中と繋がりがあるってんだから、情報網も広いだろうしなァ。政ノ大臣御用達の懐刀とも、まるで親子みたいに親密らしいじゃァねぇかェ。ありゃァまるで、どうしようもねぇ親父と世話焼きの娘だ。まァ、あの情報通二人が手を組みゃ掻き集めるのも広めるのも、あーァっという間ってェわけだ。便利な親子ってモンだェ」
「ああ、便利すぎる親子だ」
「それでェ……なんだがな」
 メクのモサッとした羽の下から、蒼い目が覗く。「ちと奇妙な話を小耳にはさんでな」
「なんだ。その奇妙な、っていうのは」
「それが、一件ふざけた話じゃァあるんだがな……」
「なんだ、もったいぶらずに早く言え」
「王都内で〈大神術師アル・シャ・ガ〉がお前サン以外に、もう一人居るらしいんだわサ」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉は、まずその言葉を疑った。そしてメクの意図すらも探ろうとした。だが、答えには今一つ辿りつかない。
「どういうことだ、それは」
「まあヨ、聞いてくれ。第二の〈大神術師アル・シャ・ガ〉サマの言動ってンは、お前サンに諸々の悪事の濡れ衣を着せようとしてるものばーっかしでヨ。特に、あの青髪の吟遊詩人の連れが殺された件のなァ」
「濡れ衣?」
 それからメクが話したのは、〈大神術師アル・シャ・ガ〉が起こしたと噂されている事件たち。けれどもそれら全て、〈大神術師アル・シャ・ガ〉には身に覚えがないものばかりだった。
「……ちょっと、待ってくれ」
 〈水ノ聖獣シラン・セク〉のシクは、〈大神術師アル・シャ・ガ〉にユダヌの祠へと呼び出されてそこで会い、フーガルという男は自分が殺したと、そう臭わせるような発言を聞かされたと言っているらしい。だが〈大神術師アル・シャ・ガ〉はその日、シクの姿など見てもいない。それに誰かに会ったといえば、それはシルスウォッド卿、ただ一人だけだった。
「もし、仮に私がフーガルという男を殺したとして、だ」
「態々それを、お前サンがシクに言うたァ思えんのサ」
「だろう? だから、それは私じゃない」
「少なくともオイちんは、お前ェサンのこたぁ疑っちゃいねぇヨ」
 そして、〈大神術師アル・シャ・ガ〉から命じられたとして、憲兵第四小隊がフーガルを殺した兵士と思われる男の遺体を荼毘に付した際に出てきた焼骨。
「私は、憲兵の下っ端とは接点がないぞ?!」
「だから、オイちんは疑っちゃいねぇからヨ。てか、問題はそこじゃねぇってんだィ」
 焼骨。
 それは人のものではなく、鼠の骨だったらしい。そんな突拍子もない展開に、憲兵を束ねる〈聖堂カリヴァナ〉は戸惑いを隠せずにいるという。
 故に〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉は現在、〈大神術師アル・シャ・ガ〉を要注意人物として認識し始めたらしい。
「なァッ!? 私が、私が一体何をしたとっ?!」
「まあヨ、前から竜神にゃァ睨まれちゃァいたが、今や全隊員を敵に回したっつー状況ヨ」
「……私は一体、何をしたら良いのだ……」
 そして、それ以外にも幾つか、〈大神術師アル・シャ・ガ〉が十二分に怪しまれてもおかしくはないという事件をメクの口から聞かされたのだった。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉のフリをして、散々なことをやってくれてる輩は、お前と同等と言っていいくらいにゃァ神術を極めてるみたいでヨ。こりゃあ厄介だゼ」
「ふむ……」
 濡れ衣を着せられるほど、私は誰かに恨まれていただろうか。
 考えたところで〈大神術師アル・シャ・ガ〉には思い当たる節が幾らでも存在し、その中から一人に絞り上げるのは、ただの無駄にも思えた。
「神術を扱える、か。それも私と同等……」
 そのとき、〈大神術師アル・シャ・ガ〉はハッと、思いだした。
 昨晩、シルスウォッド卿と会っていたあの時。
「……いや、あれは私以上だった」
 念の為にと〈大神術師アル・シャ・ガ〉が幾重にも張り巡らしていた結界。けれどもそんな結界は易とも容易く、破られてしまったのだ。
 たしかに、あの時に張った結界というのは、普段と比べれば遥かに簡易的で脆いものだった。だが、それを幾重にも重ね合わせれば、手練れの司祭でも亀裂を加えることすら困難なはず。とはいえそれを、あの時は簡単に破られてしまったのだ。あたかも槍で貫かれたかのように結界に穴が空き、そこから術式が破綻していってしまった。
「……まさか」
 その時、扉越しに居たのは〈聖堂カリヴァナ〉と〈道化師ジェイスク〉のみ。だが、あの二人が、あれほどまでに強力な神術はおろか、初歩的な神術ですらも扱えるとは到底思えなかった。
 だとすれば。
「オブリルトレの女王、とでもいうのか?」
 心当たりは一つしかない。だが彼女に恨まれているという覚えは、少なくとも〈大神術師アル・シャ・ガ〉にはなかった。
「……私は、恨まれていたというのか?」
「さぁな。どこのどなたさんなのかは、神のみぞ知るところってヤツだゼ」
 皮肉めいた笑い声を立てながら、青い目を閉じるメク。
 何かを隠しているというのは、一目瞭然だった。