【第五章 神なる血脈】

3 猛獣、四体


 お前にとっての金になる良い仕事ってのは、王宮に行けばゴロゴロ転がり落ちてるだろうさ。だってお前、腕はどうかは知らんが吟遊詩人なんだろ? なら丁度いい。王宮内をほっつき歩いている貴族連中を褒め称える詩を適当に作って、適当に歌って、しっかり金を搾取すればいいだけさ。あいつらは褒め称えられることが大好きだからな。それっぽく褒めちぎっておけば、鼻高々になって馬鹿みたいな金額を、それはもう簡単に、ポーンっとくれるぞ。俺の知り合いの詩人は、時たまコッチに来ちゃあそうやって金稼いでるっつってたしな。
 というユインの言葉を丸きり信じ込んで、ユインに付いてきたスザンであったのだが。
「随分と獣臭いですね、ここ。蠅も元気いっぱいに飛び回ってること……」
「そりゃそうだ、ここら一帯は猛獣舎の敷地だからな」
 そういうわけだ。
「猛獣舎?」
「おう。山犬とか山獅子とかを飼育する施設さ。ついでに、鷹紙飛ばしファラ・シャ・ルグ(書簡を届ける鷹のこと、ないしその技術)のために育てられた鷹もいる。試験的に狩りの練習もさせたりもしてるんだ。 鷹匠たかじょう姿のリスタは、キマっててカッコよくてさ。もう 画えになるわで」
「だってリスタさん、普通に歩いてるだけで画になるじゃないですか。なにを今更」
「そうだった。そこを忘れてたわ。いやぁ、毎日顔を合わせてると、リスタがそこまで美男に見えなくなってくるんだよねぇ。欠点ばっかりが目について、どうしようもないドジ野郎ってしか思えなくてさ。逆にパヴァルは毎日顔を合わせてると、段々渋カッコよく見えてくるから困っちゃうんだわ」
「あの、じと目さん」
「ときたま前髪を掻き上げた時とか、コイツ意外とカッコいいんだなぁって気付かされるんだよね。いやぁ、気付かなければ幾らでも顔面殴れたのに。もう殴れる自信がないわ。エレナの姐御がパヴァル大好きなのも、なんとなく分かる気がするよ。アイツ、隠れたすげぇイイ男。鷲鼻にキリッと男前な眉毛、くっきり二重の垂れ目にくすんだ蒼の瞳。ガッチムチでシュッっとした無駄のない筋肉に、日焼けした肌、それとどんな暴れ馬も乗りこなすあのお尻! まさに不精髭の似合う北アルヴィルの男って感じ。人格に関しては絶望的だけど、もうそんなの関係ないッ!」
「あのー、そのー」
「そう、そういえばベンスとリュンも結構可愛いんだよね。まだガキだから華奢だけど、ありゃ将来有望のぷりケツ。でもやっぱ、お尻といえばヴィッデは凄い。ヴィッデはいいお尻してるよ、あれは本当に最高。ずっと見てられる。で、リスタは」
「もう充分です!! じと目さんが、アルダンのみなさんを愛してるのはよく分かりました!」
「皆じゃないよ、好きなのは」
「え?」
「ファルロン、あいつはゴミだ」
「……いやぁ、みんな好きってことにしておきましょうよ、そこは」
 勉学に疎い上に、細かい作業が大の苦手な猛獣部隊隊長ファルロンに代わって猛獣部隊の、というより〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉に関係する帳簿という帳簿全てを一手に引き受けているのが、この変態ユインである。
 そして今日のユインは、猛獣舎にて猛獣部隊の予算に関する話を全て終わらしてから、それを王宮内の執務室に鎮座する武ノ大臣、即ち〈聖堂カリヴァナ〉ケリス・シャドロフに提出しに行くという予定であるというらしい。そのついでにスザンを王宮に連れて行く、というつもりなのだという。
 アルダンの事務所とシアル王宮は、同じ敷地内にあるが故に、距離は目と鼻の先というほど。子供でもおつかいで行けるような距離だというのに。スザンには理解が出来なかった。なぜ王宮に行くと言った自分が今、王宮から遠くかけ離れた地、王都ブルサヌの郊外にある猛獣舎に来ているのかと。
「それより、勝手に入っていいんですかね、ここ」
「俺が来ることくらい、あっちも承知なんだ。勝手に入っても問題はないだろ。鍵も掛かって無いし」
「こんな無防備じゃ盗みに入られたりとかしないんですか」
「こんな外れじゃ盗みに来るやつも居ないだろうし、第一盗むほどの物もないからな。なにより獣の唸り声ばかりが聞こえるようなところに、盗みに入る奴はいないだろ。ここに一歩でも踏み入れれば、常人じゃ命が何個あっても足りないだろうし」
「……言われてみれば、そうかもしれませんね」
「それにここの獣は、山でも一番の天才だって言われてる調教師のヌアザンにしっかりと調教されているし、その上で自称天才調教師のファンに調教されているから、侵入者には容赦ない。今は昼間だから問題はないが、夜中だったら敷地に立ち入っただけで、あっという間に噛み殺される」
 自称天才、という言葉に少々引っ掛かる。けれども、噛み殺されるのは誰でも怖い。
「ちょっと怖いこと言わないで下さいよ」
「俺も一度、左腕噛みちぎられてるからな」
「じゃあなんで、今のアンタには左腕があるんですか」
「傷口にくっつけておきゃあ治るんだよ」
 そう言いながらユインは左腕の袖を捲し上げ、スザンに腕を見せつける。二の腕のあたりには、鋭い牙で噛みつかれたような跡が茶色く残されていた。
「やっぱりアンタ人間じゃないでしょ」
「そうだけど。サラネム山の誰しもが恐れた、化け物さ」
 そう言いながらユインは、鍵も掛けられていない猛獣舎の扉を開ける。そしてずかずかと、中に上がり込んでいくのだった。
「……」
 猛獣舎の辺り一帯に広がるのは大草原。猛獣舎があるのは、王都でも外れのほうにある郊外の町だ。
 町とはいえ、ここは十数年もの間、人は一切住んでいないのだという。大昔はここは農地だったというのだが、その面影は何処にも残されていない。辺り一面はひどく荒れ果て、草は生え放題の、どうしようもない状態へと化していた。
 そんなだだっ広い草原の中にぽつりと佇むのは、それなりに豪華な一棟の舎屋。それと大きな茅葺小屋が六、七棟ほど。舎屋は(一応)猛獣部隊の事務所、その実は別荘のようになっていて、茅葺小屋のほうには猛獣が何十体か飼われている。因みにここに居る全ての猛獣は、サラネム山のラムレイルグ族が選りすぐんだ獣たち。どれも優秀な獣たちなのだという。それらを育ててながら調教をしているのが〈咆哮ベイグラン〉ファルロンと、〈不死鳥レイゾルナ〉リスタ、それとサラネムより派遣されたファルロンの妹なのだということらしい。
 そしてこの舎屋を最近、我が物顔で使っている者が居る。
「よぉ、ユン。それとー……なんだっけか、そこのー……」
「スザン、です」
「ああ、そうだった。スザン。で、今日は何の用だい?」
 それは〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉でありラムレイルグの長の娘であるクルスムと、〈風雷ノ聖獣シラン・キウ〉の毒舌極まりない獅子、ウィクだ。
「この間だかにファンが、草が茂りまくってる辺りで牛とか馬とかを飼いたいって言ってただろ。あの件についてキャスから、予算内であれば検討するっていうのを言われたから、その相談に。まあ牛についてはキャスもパヴァルも良い顔しないだろうけど、馬なら足になるし。検討する価値があるんじゃないのかってな。それに、馬は馬でもアルヴェンラガドならパヴァルも喜ぶし」
「アルヴェンラガドだって? あんな高級馬を、どうやって手に入れるのさ。それに手に入れられたとしてもだよ、暴れ馬だって言われてるアルヴェンラガドを調教出来る奴なんか、どこにも居ないってもんさ」
「それが今、ソルドっていう名前の赤ちゃん馬が王都に居るんだ。噂によるとアルヴェンラガドの、黒馬らしくてね。それも飼い主の貴族さまは、ソルドがあまりにも暴れるもんだから、手を焼いてるらしくてさ。それで誰かソルドを無料でいいから引き取ってくれる奴はいないかって呼びかけを、今まさにしてんの。ただし条件は、ソルドを大人しくさせられた者だけっていうらしいんだけど、まだ誰もソルドのお眼鏡にかなう奴が出てないらしくてね。噂によれば、ソルドが六十三勝してるらしい。……まだこの話はパヴァルに持ちかけてないけど、アイツなら絶対この話に乗るだろうし、それにアイツは絶対にソルドを手に入れるだろうしね」
「赤ちゃんだとしても、アルヴェンラガドは十分に大きいだろ。ブリッシェロドンの大人馬より大きい場合もあるって聞くし、それが暴れ馬じゃ……――いくら水龍さんでも、無理じゃないのかい? だって水龍さん、いうほど身長は無かっただろう。大男って感じじゃぁねぇし、振り落とされんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、パヴァルはそこまでチビじゃないし。そりゃキャスと比べりゃ小さいけど、そこいらの男と比べれば背は高いほうだよ? それにパヴァルは死人を出すような暴れ馬でさえも言うこと聞かせてみせるから。過去にとんでもないアルヴェンラガドの暴れ馬を、会ったその日に乗りこなしてみせたっていう伝説も打ち立てているくらいだし。それにゴミ調教師ファルロンじゃないんだ。独眼の水龍さまを侮っちゃ駄目だよ、クルスム」
 と、そのとき。「うるせぇぞユン!」という図太い怒鳴り声が、何処からか轟く。壁や床が、僅かに振動した。そしてユインの常に気だるげな表情は、うんざりとしたものに変わる。
「……怒鳴り声だけは一丁前のファルロンさん、ってわけか」
「聞こえてンぞ!」
 ファルロンの声こそは聞こえてはいるものの、ファルロン自身が姿を現す気配は一切ない。一体どこで何をやってるんだろう、とスザンが考えていると、誰かが吹き抜けの二階から顔を出した。
「ユイン、あなたを待ってましたよ……」
 顔を出したのはリスタだった。そしてリスタは二階から、一階へと降りてくる。藍晶という名の藍羽織を纏い、煤けた茶色のハンチング帽を被って、右腕には鹿革の餌掛けをはめているその姿は、鷹匠を連想させるには十分すぎる材料だった。
「ファロンなら今、上の事務室で手当てを受けてます。本人曰く甘噛みだったらしいのですが、ガルヤンに噛まれた傷が思った以上に深くて。医務室にいるラズミラに消毒をさせてるんですが……――これくらいの傷なら大したことないと言い張って、医務室に行かせるのも一苦労だったんですから」
 苦い笑みを浮かべるその顔も、まあ画になるやらなんとやら。リスタという美男を、スザンは少々妬ましく感じるのだった。
 と、そこでクルスムはハハッと笑う。
「あー、ガルヤンか。ありゃ元気盛りの頃合いだろうからなぁ」
「ガルヤン?」
「ガルヤンってンは、先月産まれたばっかりのサフィヤンの子供のことさ。まあ父親のサフィヤンも、母親のタグランも純の山犬だから、生後一ヶ月っつっても、そこら辺の野良犬たぁ比べモンにならねぇくらいにはデカいってもんよ。そうだな、だいたい……サイランの外れ、《神託ノ地ヴァルチケィア》の砂漠に居る白砂狼シャグディロゥと同じくらいか?」
白砂狼シャグディロゥ、ですか?!」
 白砂狼シャグディロゥとは、とても大きな砂漠狼のことである。その大きさは、アルヴェンラガドの仔馬と同等と言われている。つまり、襲われれば大の男であろうが一溜まりもないというわけだ。
 白砂狼シャグディロゥはその名の通り、綺麗な白い毛並みを持っている狼だ。それは彼らの生息地である《神託ノ地ヴァルチケィア》砂漠の、光輝く白砂の中に溶け込むためのものだとされている。その白い体毛が、陽の光に照らされて金剛石のように光り輝く姿は、誰しも一度は拝んでみたいと思うものだが……――襲われてしまえば、一巻の終わり。何故ならば、自分より二周りも体躯の大きい熊を一瞬で仕留めてしまうといわれている、とても凶暴な狼だからだ。人間が白砂狼シャグディロゥに襲われたとき、どんな結末を辿ることになるのかは、誰霜容易に想像することが出来るはずだ。
 そんなこんな、スザンは思う。あの白砂狼シャグディロゥと同じくらいの大きさだという山犬に襲われて怪我をしても、それでも医務室に行くのを拒むというその神経が、やはり自分には理解することが出来ない、と。そして驚きながらも、ムゥ……と眉間に皺を寄せるのだった
「それででして、適当に例のヤツを片づけておいてくれというのをユインに伝えといてくれ、というのをラズミラを介してファロンから預かってきたのですが」
 そう言いながらリスタは、一枚の紙きれをユインに差し出す。ユインはそれを受け取り、紙に書かれた内容にざっと目を通す。やがてユインは顔を上げると、不機嫌そうな目でリスタを睨むのだった。
「どういうことだよ、これ。全部、俺に丸投げってワケ?」
「ユイン」
「なんだよ」
「僕に言われても、困りますよ」
「……そうだよね、ごめん。リスタは何も悪くない。ファンのクソ野郎がゴミだからいけないんだ。ディダンの言葉を借りるなら、ボンクラにしてポンコツのボケナス野郎、だよ」
 クソッ、とユインは小声で呟き、舌打ちをする。と、ユインは視線を二階、医務室へと向ける。そして何を思ったのか、急に声を張り上げ、叫ぶのだった。
「……ファン! テメーにやる気がねぇんだってんなら、この件チャラにしても良いんだぜ! 俺にゃあどうなろうが関係ねぇ話だからな! それにキャスも、あんまり良い顔はしてねぇし! パヴなんかもっと良い顔してなかったぜ!! 少なくとも独眼の水龍サマは、この件にノリ気じゃねぇよ!」
 その途端、二階のほうから慌ただしい物音がする。待ってよ!という女性の悲鳴と、走っているようなドタバタという足音。そして吹き抜けから顔を出したのは、顔面蒼白のファルロン氏であった。ファルロンの右腕の肩口を締め付けるようにして巻かれている包帯は、まだ処置が終了していなかったのか、今にも全て解けてしまいそうである。そのうえに生々しい傷口が、赤く染まりつつある白い包帯の隙間から、顔を覗かせていた。
「で、どうする。チャラにするか?」
 ユインは口角を吊り上げ、赤味が強めの薄い唇を歪ませる。笑顔ともつかないその表情は、挑発めいた不思議な女性の色気を帯びていた。
 それに対して、ファルロンは噛みつく。吹き抜けから身を乗り出し、その体は今にも一階に落ちてきそうでもあった。
「ンなことさせて堪るか! 漸ようやく、あのお固いキャっさんから承諾を貰えたんだ。なんとしても……」
「キャスからの正式な承諾はまだだけどな。許可が下りたってのは、話を進めていいかどうか、っていうそれだけだ」
「……つまり?」
「話を進めたところで許可が下りるかどうかは、また別問題ってことだよ。それにさ、お前はどうやら忘れてるみたいだけど、アルダンの最高司令官はケリス・シャドロフじゃねぇから。全ての決定権を握るのはシルスウォッド・シャグリィアイグ・シアル卿であって、つまり事実上の最高司令官はシルスウォッド卿に仕える参謀役、パヴァル・セルダッドになるわけだ。だから俺が最終的に誰にアルダンの経理報告書や予算案を提出するかっていうと、それはパヴになるんだよ。……俺が言ってる意味、分かるよな?」
 ユインのその言葉に、ファルロンは目を見開く。そんな彼の表情は、もう終わりだと言いたげだった。
 と、そこで何かを察したクルスムがふいに噴き出す。
「ハハッ! だっからテメェは“馬鹿犬”って呼ばれんだろうが!」
「なっ、なんだよクルスム!!」
「こういうのはちゃーんと、一個一個丁寧に計画立てしてから勧めるもんなんだよ。馬鹿犬のアンタは知らないかも知れねぇがな。思いつきだけの企画が、そう簡単に通るわけねぇってもんだい。お役所仕事となれば、尚更にってもんさ。牛やら馬を飼うのは、諦めるってのが無難だね。大型の動物となりゃ、一頭当たりの値段がバカに出来ねぇしよ」
「そうそう、牛は高いんだよね。馬はもっと高い。そこはパヴも指摘してたわ。それに最近、牛一頭当たりの相場が上がっててさ。それなのに牛を飼う、それも複数頭とかなんか言い出したら、王宮の金庫番である資ノ大臣エディス・ベジェンさまの怒りを買って、衣食住の保証を停止されちゃうかも分からない。噂によるとシアル王宮、シルス卿が思い切って税の徴収額を引き下げてからカツカツらしいしね。城下町やアルヴィヌ領は徐々に活気を取り戻してきた半面、王宮内はどこもかしこも節約節約って感じだから」
「……うッ……」
「けど山羊なら比較的安価で手に入るし、草も食ってくれるし、そっちの路線で行ったらどうだい? ヤギ糞の処理は手間が掛かるが、堆肥にならないこたぁない。山羊が整えてくれた土壌で、野菜を作るってのもいいんじゃないのかい。幸いにもこの辺りは芋を育ててた農地だったっつー話だし、アタシもさっき見てきたが、ここの土はなかなか良いよ。ちゃんと整備さえすれば、野菜は育つさ」
「あっ、山羊ちゃんっていう手があったか! それならファンの給料を三年分くらい削ればどうにかなりそうだし、パヴも渋々承諾してくれそうだよ。流石はクルスム、どっかの馬鹿犬と大違いだわ」
「さ、さ、三年分?!」
「衣食住が保証されている上での給料だぜ? 何に使うわけでもなく、来るかどうかも分からん老後のために、ただ溜め込んでるだけなんだからさ。三年ぐらい、別に削って半分にしたっていいだろ。それで念願の夢が叶うんだ。それに、なにもラントみたいに、給料が二倍になるか零になるかを賭けろって言ってるわけじゃないんだから。つーか、お前もリスタを見習えよ。リスタなんか一年くらい、鷹の餌代を払うために給料の全部を犠牲にしたことだってあるんだから」
「夢っつーほど、大したもんじゃねぇだろ、コレ!?」
「あっそ。ならチャラにしてもいいってことですね、了解。パヴにもそう伝えておくわ」
「あぁぁぁあッ! 待て待て待て!!」
 慌てふためくファルロンをからかいながら、ユインとクルスムの二人は腹を抱えて笑いこける。そうして数ダルが経ち、ファルロンも落ち着きを取り戻したところで、ユインはこう切り出した。
「まあいいさ。そんじゃファン。どこで話を進めるんだ」
 ユインは紫色のじと目で、舎屋の中を見回す。すると二階から、一人の女性が駆け下りてきた。
「ユンちゃ! それなら医務室でお願いできる?」
 呼吸を荒くしながらファルロンのもとへと駆け寄ったのは、茶髪茶瞳の小柄な女性。おおよそラムレイルグ族であろう彼女はファルロンの横に並ぶと、その肘でファルロンのお腹を小突いたのだった。
「見ての通り、こいつの怪我の処置がまだ終わってないの。それをやりながらでも、別にいいでしょ?」
 ファルロンの腹を小突いた彼女の名前は、ラズミラ・セス。ラムレイルグ族より調教師として派遣された、ファルロン・セスの実妹である。
「あー、そうだね。というか俺がコイツの手当をチャチャっと済ませちゃうよ。脳筋馬鹿の治療は慣れてるから、ラジーは休んでて。……てか、うっわー。なにこの酷い傷。これ四針ぐらい縫わないといけないヤツだよ。あのさ、お前ホントに馬鹿なの? これだけの傷を放置してたら、普通に死ぬよ。分かってんの、そこ」
 ユインが発した“脳筋馬鹿”という言葉に、眉根を顰めるファルロン。けれどもそんなファルロンの頭を、妹であるラズミラは容赦なく叩く。脳筋なのは事実でしょ、と。
 そうしてユインはファルロンを引き摺って、二階へと昇っていく。その去り際、ユインはスザンに「三〇ダルぐらいで終わるから待っててくれ」とだけを伝えてきた。
「……本当に三〇ダルとかそこらで終わるんだろうか」
 ぼそりと呟くスザン。
「あいつらンことだからそう早くには終わらねぇだろ。早くて精々二チグムじゃねえの?」
 クルスムには、そう返された。





 そうして、時間は流れる。クルスムの予想は、見事に的中した。
「三〇ダルくらいで終わる、って言ってましたよね。じと目さん」
「そうだったな。まあ実際それくらいで終わっただろ」
 逆に、何故スザンが怒っているのかを問い尋ねたそうな表情を浮かべるユインは、しれっとそう言い放つ。対してスザンの怒りは、治まらなかった。
「どこがですか?! 僕はその三〇ダルくらいって言葉を信じて待ってたんですよずっと。そしたらどうですか、もう二チグム以上経ってますけど?!」
「二チグムは、つまり一二〇ダル。三〇ダルと一二〇ダルじゃあ対して変わんねぇよ。誤差の範囲だ」
「それは誤差の範囲とは言いませんけれども?!」
「俺にとっちゃ誤差の範囲だ」
 この通り、常識というものが通じるような相手では決してなく。
「ユインの相手をまともにやろうだなんて、馬鹿な真似は止したほうがいいですよ。思うところはあったとしても、軽く受け流しておくのが身のためです」
 と、スザンはリスタから耳打ちで助言を頂いたほどだ。「……ははは、そうでした……」
「なんだよお前ら、人を見ながらコソコソと耳打ちしやがって。感じ悪っ。失望したわ、特にリスタ」
「王宮に行くのであれば、ラントにだけは気をつけるようにと忠告しただけですよ。彼には悪い噂ばかり付き纏っていますし、何より彼が誰かれ構わず手を出すというのは有名な話ですから」
 にこり、とリスタは笑顔を繕う。そうして、軽く嘘を吐いてのけた。
 と、スザンはそこで、以前ユインから聞かされた話を思い出す。

 邪眼のラントがなんたら、とか言っていたような。
 そして誰かれ構わず手を出す、というのは要するに血が流れ……っ!?

「あー、確かにランはアブナイからな。あの鬼より怖いエレナの姐御ですら、アイツの女癖には手ェ焼いてるくらいだし。この間なんて『いっそのことアイツの睾丸を、石で前と後ろから牛の去勢みたく 擂すり潰してやる』だなんて言ってたらしいしな。パヴなんか挽肉にしてやるとか真顔で言ってたぞ。真顔、だぞ?」
 ファルロンは軽い調子で、サラッとそんなことを言う。ユインとリスタの二人も、それに肯定の意を示すように頷いた。
「実際にそうなったとしても、あのランじゃ仕方ないってもんだよ」
 そしてスザンは、ラントという男を思い出そうとした。
 白髪とはまた違う、独特な輝きを持った銀色の髪をしていて、スザンよりも背は高くて、瞳は灰色で、目つきはキリッと鋭く、眉毛も凛々しかった。一言でいえば、女性に好かれそうな男だったような気がする。とても真面目そうで、しっかりしてそうで、誠実そうで。けれども、どこか近寄りがたい印象で。
 ……まあそれは、第一印象が最悪でしかないからなのだろうが。
 そしてスザンは思う。この人たちの話を聞いていると、ラントという男は女誑しである、というような印象を受けざるをえない、と。だが少なくともスザンの目には、ラントが女誑しであるとは映っていなかった。
 けれどもそんなスザンを置いてきぼりにして、三人の会話は進んでいく。クルスムも三白眼の目を、ぱちくりとさせていた。
「ですね。シェリアラに手を出してないのが不思議なくらいです」
「それだけは永遠の謎だよなぁ。シェリアラさまほどの美人なら、ちょっと魔が差して……ってのがあってもおかしくはないし、俺だったら魔が差してるね。絶対に。寝台に押し倒してる」
「……おい、待てよユン。お前、女にも手を出すってのか?」
「悪いかよ、ファン。俺は二刀流なんだ、どっちでもイケる。というかどうせなら、女の子の方が好きだね。やっぱ男は、自分のことしか考えてなくてつまらないし」
「……ま、マジかよ……」
「ユイン、胸を張ってそんなことを言うもんじゃないですよ」
「やぁだな、もう。睨まないでよ、リスタ。そんな顔してると、夜中に部屋に上がり込んで、服を剥いでやるぞ!」
「やれるものなら、やってみたらどうです?」
「なんだよ、絶対に不可能とでも言いたげな目じゃないか」
「あなたの知らないところで、パヴァルとディダンは常に目を光らせています。……とだけ、言っておきましょうかね。パヴァルはともかく、ディダンも敵に回すと、なかなか手強い相手ですよ?」
「うぐっ……。無垢な白百合にも、荒野に咲く赤薔薇みたいに、厄介な守護者が居るのか……。まあ、それもそうか。こんなドジ娘を放っておいたら、何しでかすか分かったもんじゃないし」
「……」
「パヴァルも大変だよねー、こんな娘が居てさー。エレナの姐御を野郎共の汚い手から守らなきゃいけないってのに、こっちも見てなきゃいけないんだから。ディダンもそうだよ、目が離せない厄介なお姉ちゃんを持っちゃったもんだよね。可哀想に。ディダンなんか心配すぎて年がら年中、王宮じゃなくて猛獣舎に居たいって嘆いてるんだもの」
「あのですね」
「あー、分かってる分かってるって。リスタちゃんは女顔だけど、男性でございますからねぇ? でも美男は女顔、美女は男顔とは昔からよく言うもんだし、恥じることでもないと思うよ」
「そういうことじゃ、ないんですが……」
 笑顔を少しだけ崩し、口角をピクピクと引き攣らせるリスタと、してやったりと満面の笑みを浮かべるユイン。なんだか怪しげな会話を繰り広げる二人の話を、スザンとクルスムは顔をちらちらと見合わせながら聞き流す。そんな中、大粒の冷や汗を額から垂れ流し、目をカッと見開いているファルロンは、この二人の会話を今すぐにでも打ち切らねばと考えていた。そして、行動に移す。強引に会話に割って入ったファルロンは、ラントの話へと話題を戻そうとした。
「……そ、それもそうだけどよ。俺にはラントのどこが良いんだか、サッパリ理解出来ないぜ。仕事に対してやる気はないし、手抜きだし。というか完全にサボってやが……――」
「えー! そういうことじゃないって、じゃあ何でそんなに怒ってるんだよー!」
「わざわざ口に出すようなことでもありません」
 けれども、当の二人はファルロンの声など耳にも入っていないようであった。
「口に出さなきゃ伝わらないことって、世の中いっぱいあるんだよ!? 言ってくれなきゃ、何も分からないって!」
「いや、ですから、言いたくないんです」
「だーから!」
「ですから!!」
「そうかい、そうかい。リスタのことなんか、大ッ嫌いになってやる」
「ご自由にどうぞ」
「キャスに洗いざらい、全部話してやるもんねー」
「そうなさるおつもりでしたら、こちらにも考えはありますよ。あなたを一瞬でサラネムに送り返す方法なんて、そこら中に」
「あーん、もう! リスタの意地悪、ドジ、間抜け! そんなこと出来るパヴァル並みの頭も、とっくの昔に自分から望んで捨てたくせに!」
「……」
「……」
「…………」
「あっと、その、ごめんなさい。……ちょっと今のは、言い過ぎた」
「…………」
 無視されてやんの、と呟いたクルスムは、ごつんと肘でファルロンを小突く。リスタは常套であるはずの笑顔を消し、冷めた目でユインをじっと見つめている。そんなリスタに対し、薄らと目を赤くしながら、ただひたすらに謝り倒すユイン。そんなユインの姿を見ながらスザンは、なんともいえない表情を浮かべていた。





 目の前に広がる、煌びやかな宮殿。ユインとリスタの二人が和解したのを見届けてから、猛獣舎をユインらと共に後にしたスザンは今、シアル王宮の目の前に立っていた。
「……改めて見てみると、シアル王宮は凄いや……」
 白と金、赤が織りなす高級感。そして白く眩い輝きは「下賤の者は近寄付くべからず、見るべからず」と言わんばかりに、貧乏の出であるスザンの目に暴力を振るい始める。そんなスザンらの足元には、綺麗に整えられた青い芝生が、庭や花壇には綺麗に飾られた木々や花々が植えられていた。
「……〈天界アルラウン〉っていうのは、きっとここみたいな景色なんだろうなぁ……」
 庭の中には人工の小川のようなものが作られており、ゆらりゆらと揺れる水面は陽の光を照り返し、自らが太陽であると主張しているかのようにキラキラと輝いている。ここが桃源郷だと言われたとしても、何も疑いはしないだろう。それくらい、シアル王宮は美しかった。
 王宮の中を行き交う人たちもまた、服装だけは美しい。でも人そのものは、立ち居振る舞いこそ美しいが、顔まで美しいものはそう多くはなかった。リスタのように、顔も美しければ立ち居振る舞いも完璧だという者は、一切居ないに等しいことだろう。
 そんなこんな、スザンがシアル王宮の美しさに感動していると、そこに水を差すようなことを言う者が現れる。
「また王宮ってンは、随分と無駄に豪勢でデカいモンだねぇ」
「地図でもなけりゃぁ迷っちめぇそうだな」
 〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉クルスムと、お昼寝から目覚めたばかりで眠たそうな目をしている〈風雷ノ聖獣シラン・キウ〉のウィクだ。
「だろ? これが王都民シアランサイラン領民サシランアルヴィヌ領民アルヴァンの一部の富裕層の血税で作られたってンだから、とんだ笑い話だよな」
 それと、王都ブルサヌと貴族、王族がとても大嫌いな猛獣部隊隊長ファルロンも来ていた。
「そういえば、なんであの人たちまで来てるんですか」
 疑問に思ったスザンはユインにそう尋ねてみるも、ユインはう〜んと首をかしげる。
「ファンは建前で一応連れて来なきゃいけないんだけど、クルスムとウィクは……――知らん。見物ってとこなんじゃないの?」
 曖昧で適当、且つ大雑把な返答が返された。
「でもさ、居ても居なくても別に問題はないだろ?」
「まあ、そうなんですけど……」
 せっかくの金稼ぎ兼王宮見物に来たというのに、後ろからあーだこーだと文句を連ねる客が居る、それも大声でというのは、あまり気分がいいものではない。それをスザンは言いたいのだが、どうやらユインにはそこが分かっていないようだった。
「……だから、あの人に怒られるんですよ」
「あの人って誰さ」
「誰って、リス……――」
「あぁ、レゼットくんか。変なとこ神経質で困っちゃうんだよね、ホント。だからイジリ甲斐があるってもんだけど」
「レゼット?」
「――……ってことになってるんだよ、王宮では。流石にあの髪の毛をもろに出して、王宮の中は歩けないだろ? だからアイツは、いつも茶髪のかつらを被って変装してんの。それがパヴァルに振り回されてる従者、北アルヴィヌ出身のレゼットくん。よく覚えといて」
 そんなユインの話を聞きながら、スザンは憎らしげに王宮を睨んでいるクルスムの横顔を見る。そして思った。
 ラムレイルグとシャグライは、過去に王都ブルサヌと様々なゴタゴタがあったというのはスザンも知っている。けれども、だ。それはあくまで過去の話だし、それに六千年も昔の出来事だ。開国神話の時代の話である。それを言うならば北アルヴィヌの商人とブルサヌの貴族が紛争を起こし、何の縁もないのに焼け野原にされ、未だに復興が進んでいない東西南のアルヴィヌ領の話のほうが、百年前とよっぽど最近の出来事であるし、よっぽど酷い仕打ちである。
 それなのに何故、彼らがそれを未だに根に持ち続け、ぶつくさと言い続けているのか。スザンにはよく分からない心境だ。でも、過ぎてしまったことは過ぎてしまったことだし、全てを綺麗サッパリ水に流して、一から関係を築きなおそうとは考えないのか。それがとても、スザンにとって不思議でならなかったのだ。
 でもこの考えは、あくまで当事者じゃない僕の勝手なもの。
 ……やっぱり、当事者にならないと分からない、っていうヤツなのかな。
「スザン、アンタよ。アタシらが邪魔だって、言いたいのかい?」
 やる気のない殺意が三分の一くらい満ちている三白眼が、汚れも何一つ無い穢れなき白壁から、スザンのほうへとギョロリと向けられる。
「そういうわけじゃないですよ。ただ何か理由があるのかなーって、ちょっと気になっただけです」
「理由なら特にねぇよ」
「……そうです、か」
 クルスムの答えに対して返す言葉が、スザンには特に見当たらない。なので、それっぽい台詞をそれっぽく返しておく。けれども言葉を発した後から、なんとなくその言葉にスザンは違和感を覚えた。
 なんか、会話が噛みあっていないような。
 と、そこでユインはスザンのほうに向き返る。そしてファルロンの肩に、細く白い腕を回して、こう言った。
「俺とファンがキャスに話つけてる間、お前ら三人でどっか適当に歩き回ってたらどうだ? 意外と王宮は狭いし、すぐ周り終えると思うぞ」
「三人……?」
 ユインの言葉に、内心「えぇっ?!」と叫ぶスザン。
「俺とクルスムとじゃあ、なんか不満でもあるってのか?」
 そんなスザンの心を見透かしてるのか、ウィクはスザンを睨めつけた。
「いやぁ、その」
 そりゃあ……不満だ。口の悪い獅子と、年上だし怖い女の人と一緒に居ろだなんて、そんなの嫌だ。じと目さんなら慣れてきたし、どうってこともないんだけど……――。
 えぇー……。
「別に、特に何も」
「そうか、へぇ……」
「あっ、そうそう〜。狭いわりには入り組んでやがるから、迷わないように注意しろよなー」
 ユインはまるで他人事のような口ぶりで、直接的な言葉こそないものの、スザンを突き放した。そしてユインは鼻歌交じりに続ける。
「あと、ランに出くわしたらすぐにでも逃げろよ。スザンは一回会ってるから分かってるだろうけど、アイツ、表向きだけは本当に真面目だからさ。タチ悪いんだよ」
「誑しだとは、僕には見えなかったんですけど。本当にそうなんですか?」
「それこそが、アイツの思うツボだ」
 ファルロンは渋ーい顔でそう言いながら、そしてクルスムの胸を指差す。
「お前の胸はこう……見るからにデケェからよ。クルスムっていうそれの中身はどうであれ、アイツに狙われると思うから、気をつけろよ」
 クルスムの表情が一瞬にして冷める。眉根も口元も瞼もピクリとも動かなくなった。
「だからアイツの銀髪ドタマが見えたら、スザン、絶対に逃げろよ。そんでクルスム、お前も逃げろ。いいな?」
 似合わない真剣な表情を見せるファルロン。「……あ、はい。了解です」
「とはいえ俺としては、殴れるんであれば、ラントを殴るのは全然だいじょ……―――」
「誰を殴るんだって?」
 王宮の二階の窓、そこからひょっこり顔を出していたのは例の誑し、銀髪頭のラントだった。静かな怒りを無言で体現している仏頂面で、スザンらをを見下ろしている。
「……やべぇな」
 小声で呟くファルロン。
「全部聞こえてた?」
 特に動じることもなく、ユインはラントにそう訊ねる。スザンは一瞬、こいつは馬鹿か、と思ってしまった。
 だって馬鹿でしょ。
 普通こんな時に全部聞こえてたかどうかだなんて、わざわざ相手に確認しないでしょうに。
「俺に出くわしたらすぐ逃げろ、というあたりから聞いていたな。……というかな、あのパヴァルの野郎が始めやがった変な印象操作を、お前らもやるのは勘弁してくれ。俺は女に手を出す趣味はないぞ。パヴァルがばら撒いた噂を聞いて、勘違いした女が向こうから寄ってくるだけだ」
「じゃあ大体全部聞いてたってわけか」
 ふーん、と然程関心もないような相槌。自分から訊いておきながらその反応はないと、スザンは思った。
「まあ、それはいい。執務室で〈聖堂カリヴァナ〉と〈聖水カリス〉、シルスウォッド卿がお待ちだ。〈聖水カリス〉とシルス卿はあとに用事が詰まってるようだから、あまり待たせるんじゃないぞ」
 じゃあな、とラントは青い手袋を嵌めた手を一回振る。銀髪の頭は姿を消した。そして見えなくなったその瞬間に、クルスムとウィクの二体の猛獣が、獣の唸り声のような低くおどろおどろしい声を上げる。
「……アイツがラント、か」
「俺も覚えたぜ。いつでも気兼ねなく噛みついてやらァ」
 クルスムの握りしめられた拳がぴくり、ぴくりと動く。ぎりぎりと鳴る歯、獲物を狙う獅子の如く、ぎらぎらと光る目。米神には青筋が入る。それは今にも飛びかからんとする猛獣そのものだった。
 そんな殺気立つクルスムをユインは、どーどーと宥める。
「ラントの野郎に喧嘩売るのは、やめといたほうが良いと思うよ。アイツは何に秀でてるってわけじゃないけど、万能型で、全てにおいてそれなりに強いから。目立った特徴とかはないけど、ある意味で弱点がなくてさ。防御固いし、化け物かってくらい体力あるし、だから喧嘩は相手を疲れさせて粘り勝ちするような人。クルスムとかウィクみたいに、瞬間の瞬発力で決着をつけようとする戦い方の人間とは、相性が悪いよ」
 そんなユインの話を聞き流しながら、ふとスザンは思い出す。ラント、強い、化け物。なんだかそんな話を、以前聞かされたような気がしたのだ。
「化け物、ってこの前に言ってたアレですか?」
 そして思い出されたのは、“邪眼”というものの話だった。
「あの、邪眼がナンチャラって」
 邪眼。
 その言葉がスザンの口から飛び出た途端、周りの者たちの表情が変わった。クルスムは、何故それを知っているのかと言いたげな顔でスザンを睨みつけているし、ウィクはスザンに対して低く唸ってみせている。ユインは一瞬だけ表情を歪め、ファルロンは不快感を露わにしていた。
「何言ってんだ、お前」
 ファルロンの冷たい視線が、スザンの胸に妙な違和感を植え付ける。なんだ、この気分は。けれどもスザンには、違和感の原因が分からなかった。
 もしや邪眼という言葉は、禁句だったのだろうか。
「じと目さんが、この間言ってたんですよ? ラントさんって人に邪眼が云々かんぬんって」
「ランに、邪眼? ンなわけねぇーだろ、なんでアイツが邪眼を」
「でも、じと目さんにそう教えられたんですって。本当ですよ、ねぇ!」
 スザンはユインを指差し、他の者らにそう訴える。けれども誰しも、スザンを疑うように睨みつけている。そんな中でスザンに噂を吹き込んだ当の本人、つまりユインは、しれっとした表情で空を見上げていた。
「たしかに俺は、お前にそんな話をした」
「そうですよね!」
「けど、ありゃ嘘だ」
「……え?」
「逆に、だ。あんな、どう考えても嘘っぱちな話を真に受けているお前の神経を、俺は疑いたい」
 ユインの口角が吊り上がる。馬鹿にされてるんだ、僕。スザンはすぐにそれをりかいした。けれども、スザンは投げられたその言葉を素直に受け取る気にはなれず、そのままユインにお返しすることにした。
「その神経が云々って、あなたが言える言葉じゃないと思うんですけど」
「俺も、それについちゃァ同意見だぜ」
「アタシもだよ」
 頷くウィクとクルスム。ファルロンも無言で頷いていた。
「……そ、それより行くぞ、ファン。パヴを待たせると、計画の全てが水の泡になる」
「それは、困るってもんだぜ」
 バツが悪くなったのか、ユインはその場からそそくさと、ファルロンを連れて逃げ出す。残されたのは、スザンとクルスム、そしてウィクの、二人と一頭になった……――はずだった。
「で、クルスムさん。どうしますか……――って」
 スザンの後ろに居たはずだった、二体の猛獣。だがしかし彼らは、まるで神隠しでも起きたのかのように、姿を消していたのだった。





「――……というわけなんですけれども」
「そうか。だがな、生憎俺も忙しいんだ。他を当たってくれ」
「ですけどー」
 渋い顔と冷たい銀色の瞳が、スザンを見下ろす。
「こちとら緊急事態なんだ。〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉は自力で探してくれ。それかディダンのクソ坊主をひっ捕まえて、手伝わせればいい。アイツならいつでも、退屈してるだろうから」
「ですよね。期待した僕がバカでした」
 あの時ユインは確かに、この王宮の中は狭いと言っていた。
 けれど、それがどうだろう。スザンには十分広いようにしか思えなかった。そして広いうえに、王宮内部はとても入り組んでいる。
 要するにスザンは、王宮内で迷っていたのだ。
「……ああ、どうしよう」
 それにスザンは、クルスムとウィクの二人とはぐれてしまっていた。そのうえ〈水ノ聖獣シラン・セク〉は現在行方知れず、失踪中。
 最低最悪のこの状況。そんなこんなで王宮内をスザンが一人迷っていた最中、偶然にも廊下ですれ違えたラントにやっとの思いで声を掛けて、ことの始終を手短に話し、協力を仰いでみたものの、このようにあkっけなく一蹴されてしまったのだ。
「でもせめて、この入り組んだ王宮の出口くらい教えていただけませっ……」
「それより、〈獅子レオナディア〉を見なかったか」
 この人は何を言ってるんだろう、とスザンは一瞬固まる。「それならファルロンさんと二人で、ケリスさんのところに行ってると……」
「その件ならもう済んでいる。あと、ここでその名を呼ぶ時は〈咆哮ベイグラン〉、〈聖堂カリヴァナ〉で頼む」
「ああ、はい、そうでしたね。で、〈咆哮ベイグラン〉さんは」
「アイツが急に消えたから探してくれと、俺に頼んできたんだ。……全く、こんなヘマをしてくれる奴がアルダン隊員だなんて、考えられないってもんだ……」
 正直のところ、そんなことを聞かれたって知りませんよ、というのがスザンの本音だった。「なら、僕は見てないとしか言えませんよ。お役に立てず申し訳ありませんが」
「なら、お前も手伝え」
「何を急に」
 表情こそ平静を装っているようにも見えるラント。けれどもスザンの目には、かなり焦っているように映っていた。だがやはり、自分は自分であり、他人は他人である。スザンはこれ以上他人の面倒事に、巻き込まれたくはなかった。
「あのですね。僕は、この王宮の中で迷ってる身なんですけれども。というか、ユインさんが姿消しただけで何をそんなに焦ってるんですか」
「あいつはアレでもシャグライの者だぞ、分かってるのか」
「えと、それは勿論知ってはいますけれども……」
「シャグライってのは、男だろうが女だろうが高く売れるんだよ。アイツみたいな傷モノでも、シャグライっていう箔が付いてるだけでな。それにアイツには更に、旧王家の出だという箔も付いている」
「えぇと、その、つまり?」
 スザンには、全く以て話が見えてこない。
「もしそれが、黒羽が云々っていう話なのであれば、僕が見た限りでは烏の黒羽は見当たりませんでしたし、大丈夫なんじゃないんですか?」
 烏の黒羽、とは人売りたちや殺し屋たちの俗称だ。
 サイランの彫り師などが好んで着ていたり、アルダンの隊員たちが纏っている藍羽織のことを「藍晶」と呼ぶ。それと同じように、烏の羽のように黒い羽織のことを俗に「黒羽」と人々は呼んでいた。
 一昔前は、少しばかり金を持っている商人達が好んで着用していた「黒羽」。故に、黒羽といえば好機というイメージが付きまとうものだった。けれども今では、違う。黒羽を来ている奴には近付くな、とさえ言われるようになっていた。
 何故か。それは闇に紛れて行動する連中――人売り商の者や殺し屋など、表舞台には姿を現さない者たち――が、夜の闇に少しでも同化するようにと黒羽を着始めたことがきっかけだ。闇を翔ける烏の黒羽、それが転じて闇の住人は“烏の黒羽”と呼ばれるようになっていた。
 そんなこんなで今では、黒羽を羽織っているものは無条件に烏の黒羽とみなされるために、商人達は黒から更に高貴で高級な紫色の羽織、紫紺を代わりに着るようになっている。因みに紫紺というのは、その羽織を作る際に必要な布を織るための糸だけでも金糸並みに高くつくため、決して手が出ない高根の花と庶民からはされている。
「ああそうだ、問題は黒羽じゃない。貴族なんだ」
「貴族?」
 スザンは、庭を歩いていた貴族の男たちを思い出す。いかにも悪そうな顔をした人は、ちらほらと見かけはした。けれども、その中に人売りに手を染めていそうな人など……居ただろうか?
「貴族が人売りですか?」
「違う、一人だけユインに……いや、正しくは別の女性に対して、酷くご執心になられている方が……」
 そのとき、ラントの動きがぴたりと止まる。色のない瞳だけが、宙を漂っていた。
「あの、どうかしたんですか……?」
 すると突然、ラントは無言で廊下を早足で歩きだす。
「あ、あの、ちょっと待って下さいよ、〈畏怖アルント〉さん?!」
 スザンはなんとなく、ラントの背を追いかける。けれどもラントの足は速い。ついて行くのもやっとだった。そしてラントとスザンが王宮の広間へとやってきた際に聞こえてきたのは、ファルロンと思しき大声。ンだと、てめぇゴルァ! 高潔で崇高な、静寂に包まれているべきである場では、決して響いてはいけないであろう下品な怒号が轟いていた。
「どうしたんですか〈咆哮ベイグラン〉さ……あっ!?」
 広間の中心、そこではファルロンと一人の男が対峙していた。
 ファルロンは威嚇する山犬のように、身を屈めて男を睨みつけている。対する男――茶色のくせ毛と垂れたの琥珀色の目が特徴的な、貴族と思しき高貴な衣服に身を包んだ男性――は両腕でユインを抱き、決して離さないというような覚悟の目をしていた。
「……ど、どういう状況ですか、これ……?」
 当のユインはどうやら気を失っているようで、目を瞑り、四肢をだらんと投げ出している有様である。普段は青白い顔は赤くなっていて、熱でも出しているように見えていた。
 それはさて措き。ファルロンは容赦なく男へと突っ込んでいく。男の背中に体当たりを喰らわせた。そして男がよろめいた隙に、ファルロンはユインを奪還する。そんな光景を一通り眺めたあと、ラントは呆れたように溜息を吐いた。
「……やはり、ユライン家のダルラ卿だったか……」
 呆れた、という顔をするラント。すると貴族の男はそんなラントを見るや否や、即座に表情を曇らせた。
「〈畏怖アルント〉、その顔を私の前に二度と見せるなとあの時……」
「何度も申し上げておりますが、ソイツはうちの隊員、〈獅子レオナディア〉のユインでしてね。ダルトレイニアンス卿、あなたさまのご正室であられるユニ夫人じゃないんですよ。〈聖水カリス〉も説明したでしょう、ユニ夫人が見つかり次第あなたに連絡すると。どうかそいつを、巻き込まないで頂きたい」
「……あの晩、お前がユニを攫ったんだ。忘れたとは言わせないぞ!!」
「ああ、ハイ、そうでした。でもその件と〈獅子レオナディア〉は無関係なんですよ。分かっていただけませんかねぇ?」
 両者の睨み合いが、静かに幕を上げる。その場にぴりぴりとした空気が充満し始めていた。仕えの者たちであろう黒装束の人々は、この一角だけを避けるようにして通り過ぎていく。
 なんて気拙いんだ。そう思いながらもスザンは為す術もなく、あわあわと慌てていた。
「〈咆哮ベイグラン〉」
 冷ややかな灰色の視線を、ダルトレイニアンス卿と呼ばれた人物からファルロンに、そしてファルロンが抱きかかえているユインにと移したラントは、低い声でファルロンに命じる。「〈水ノ聖獣使いシラン・サーガ・セク〉と〈獅子レオナディア〉を連れて、事務所に行け。ディダンから事情は聞いてる、そいつには休息が必要だ」
「ハイハイ、了解ですよ。……まったく、相変わらず人遣い荒いな。自分じゃ仕事しないくせによ」
「待て! 貴様、彼女をどこへ連れてくつもりだ!」
「さっさと行け!」
「分かりましたって!」
 来い、とファルロンがスザンに対し手招きをしてきた。そしてスザンは、ラントの背後からさささっ……っと離れ、ファルロンの横に並ぶ。
「なんなんですか、あの人」
 スザンはファルロンにそう訊ねる。後ろからはダルトレイニアンス卿の怒鳴り声と、それをのらりくらりと躱すラントの乾いた声が聞こえてきていた。
「きっとランの天敵ってとこで、コイツみたいなのが好きな変質者とかだろうさ。まっ、そんなのはどうでもいい。今は付いてこい。事務所に戻るぞ」
「そういえばクルスムさんとかは……どちらに?」
 ファルロンの呆れ返った視線が、スザンに注がれる。
「アイツらならもう事務所に居るだろうさ。早々に退屈したとか言ってたからよ」
「……そ、そうだったんですか……」