【第四章 ギャランハルダの踊り子】

4 吹き荒ぶは旋風つむじかぜ


 それから更に月日は流れ、アルダンに相棒だという山犬(という名の大きな狼)サフィヤンを連れたファルロンがやってきて、〈咆哮ベイグラン〉という名を受け賜ったころ。十本の剣のうち残された剣は、表向きは三本となっていた。
 残された剣は三つ。〈道化師ジェイスク〉、〈不死鳥レイゾルナ〉、〈獅子レオナディア〉。
 だが〈道化師ジェイスク〉と〈不死鳥レイゾルナ〉の枠は、事実上埋まっていた。
 〈道化師ジェイスク〉の剣を賜わっているのは、リュンより四つも年下の、天才というべき狡猾な少年、ディダン。リュンより先に入隊(それも三歳で入隊とかもうワケが分からない)していたのだが、年齢が年齢であるが故に、叙任ノ儀はまだ執り行われていないという。……まあ、それ以外にも理由があるとかないとか囁かれているのだけれども。
 そして〈不死鳥レイゾルナ〉の剣を賜わっているのは、いかにも《光帝シサカ》様と血縁がありそうな金色に輝く髪に、透き通った藍色の瞳をもった、キリッとした眉が印象的な容貌端正の美貌の持ち主リスタだ。リスタについてはラント曰く、一言では説明できないほど複雑な事情が絡みに絡み合っているため、どういうわけか叙任ノ儀が執り行えないらしい。それにリスタに関する詳しいことは、誰ひとりとして語ろうとしてくれない。隠蔽体質のパヴァルは勿論、ヴィディアもケリスも何も言わない。ラントもエレイヌも、ディダンですらも例外ではないのだ。きっとリスタは、とんでもない面倒事を抱えているのだろう。そう察したリュンは、リスタに関することには首を突っ込まないことにしている。
 けれども、そんな隠し事だらけのディダンとリスタとは対照的に、入隊してきたファルロンという人物は、まるで自分には隠すようなことは何一つございませんという感じだった。あっけらかーんと自分の昔のこと、暮らしていたサラネムの山であったことを、頼んでもないのにべらべらと喋ってくれたりもした。
 その話の大半は、ふざけた話ばかり。友達連中と、ちょっとの口論から殴り合いの喧嘩に発展して、それで打ち負かしてやったとか、逆に村の長の娘と喧嘩になった時に、女だからと舐めてかかったらボッコボコに打ち負かされたとか、その長の娘には聖獣と呼ばれる人語を喋る毒舌な獅子が付き従っていて、そいつに滅茶苦茶に罵られたとか、隣の部族に好きになった女の子がいたけれども、そいつの育ての親のジジィが面倒臭くて、結局恋破れたとか。あとは獅子や狼、鹿や山羊は、こうでこうだから可愛いとか面白いとか、逆にこれをすると怒って襲われるとか、そういう話ばかりだった。ありきたりで平凡な、思い出話の数々。けれどもリュンにとってそれらはとても新鮮で、もっと聞きたいと、不思議にも思わされたものだ。
 ファルロンの話の中でリュンは、サラネムの山にて猛獣と共存している一族、ラムレイルグを知った。そしてファルロンは獅子に甘噛みされた痕だとか、うっかり怒らせてしまった時に負った怪我の痕だとか、その中で鍛えられた己の肉体だとか、そういったものを自慢げに、誇らしげに見せびらかしてくれた。そんなファルロンの姿も、なんだかとても新鮮だった。
 ただ、あまりにもファルロンが上裸になりまくるから、過去にはエレイヌに「はしたない!」と叱責されたりもしている。因みにその件以降、ファルロンのすぐ脱ぐクセは無くなった。
 そんな性格もあってか、ファルロンが〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉に溶け込むのは割と早かった。
 ――……とはいうものの、ファルロンは初対面でリスタの顔をいきなり殴りつけたということもあり、ファルロンとリスタの仲が悪いというのは、アルダンの中でも有名な話である。それに乗じてディダンもファルロンを何気に嫌っていたりするし、パヴァルもファルロンへの剣術指南は断固として拒否している。リュンのように教えてくれない明確な理由を示してくれている、というわけではないことから察するに、多分パヴァルはファルロンのことが嫌いなのだろう。まあたしかに、ファルロンには激情家な節はあるものの……そこまで嫌うほどだろうか。リュンにはよく分からなかった。
 と、ファロンが云々というのは措いといて、残りの剣は一本。
 〈獅子レオナディア〉。
 だが、その枠を埋めるのに関してはまあ、色々とゴタゴタあった。





 ある日エレイヌのもとに舞い込んだ、一つの不思議な噂話。それは王都で白い射手を見た、というものだった。
『白い射手?』
『おおよそ、シャグライってところでしょうね。……あの子じゃなければ、いいんだけど』
『シャグライ? それってなんですか、姐さん』
『シャグライは、シャグライよ。きっとファロンちゃんに訊いたら分かるでしょうね。彼が惚れたっていう女の子は、きっとシャグライの子だろうから』
『へぇ。シャグライ。そうなんですかぁー』
 白い射手、幻の民とも呼ばれるシャグライ族。持ち合わせた豊富な知識と、彼らが扱う奇怪な文字、色素の薄い白い容姿と紫色の瞳から、大昔は悪魔だと決めつけられ、惨い迫害を受け続けていた部族だという。固い結束と絶対の誓いの下、部族を治める長老に絶対的な忠誠を誓い、弓矢を用いて獲物を借り、そして山と同胞を守る。その姿から俗に「白い射手」とも呼ばれていた。
 ラムレイルグは同じサラネムの山の中でも麓に住んでいるのに対し、シャグライというのは山奥のほうに住んでいるのだという。山奥、と聞けば鬱蒼とした霧の立つ地を連想しそうだが、エレイヌやパヴァルが言うにはそうでもないらしい。湖の畔、風光明媚なところに住んでいるのだという。
 山の外に出ることはないといわれる彼らなのに、それが何故か王都に居る。それこそまるで奇跡なんじゃないのか。無知なリュンはそう思った。だが、ファルロンは眉を顰めていた。
「仮に、だ。エレイヌの持ってきた噂が事実だとして、それがシャグライの誰かだとしよう。だとしたら」
 事務所の広間に集まったアルダンの全隊員。各々が好き放題に好きなことをしながら、ケリスのだるい話を聞き流している中、長椅子を独り占めし、ふんぞり返って座っていたパヴァルが、そのとき初めて口を開いてケリスの話を遮る。話を遮られたケリスの顔は、とても機嫌が悪そうだった。
「だとしたら?」
 ディダンが興味深げに眼を輝かせながら、小さな体で前へと乗り出す。
「馬鹿犬。お前は、それが誰か分かるか」
 パヴァルはそう言うと、ファルロンを片方しかない目で凝視した。ラントも珍しく真剣そうな面持ちで、ファルロンを見ていた。ヴィディアの顔にも焦りの色が浮かぶ。けれども、場の空気がよく把握できていないベンスやリュン、リスタは、何が何だか分からないと顔を見合わせていた。
「――――……ン、だろうな」
「メズンの弟子、だろ?」
「……パヴの言う通りだ」
 ファルロンはそう言うと、重苦しい溜息を深く吐く。瞼をそっと閉じた。そしてパヴァルは、話を続ける。
「だとすれば、時間の問題だろう。シャグライといえば“烏の黒羽”どもの格好の獲物だ。男だろうが女だろうが、高い値がつくからな。それにシャグライの体を燻して粉砕し、粉にしたものを飲めば、どんな大病でも治る、なんていうとんでもない俗説もあるからな。飛んだ嘘っぱちの話でしかねぇが、信じている馬鹿な輩が未だに数多く存在しているのも事実だ。あまりタラタラやってっと、馬鹿な理由で殺される死人が出かねない」
 パヴァルはそんな怖いことをさらりと、至って平静に言ってのける。正直言って、怖かった。
「これらを踏まえた上で、さてどうする。〈聖堂カリヴァナ〉サマよ。俺としちゃ、関わらないってのが賢明な判断だと思うぜ。お前も、烏の黒羽連中との面倒事は出来れば避けたいだろう? 俺も、アイツらとの衝突は極力避けたい。それが脆い王政の為だ。あの組織が動こうものなら、今の王政は、あっという間に潰れちめぇだろうからよ」
 パヴァルのその言葉の節々には、血が通っていなかい。客観的な分析から成り立つ、冷静な判断。それは冷静であると同時に、冷酷でもあった。そしてこの時からリュンは、パヴァルという男のことを本当に怖いと感じるようになった。
「……」
 ケリスの視線は泳ぎ、ファルロンは瞼をゆっくりと開ける。そしてファルロンは呟いた。
「……まだ可能性は、あるかもしれないだろ」
「そうだな、馬鹿犬。あるにはあるだろう。だが、限りなく無いに等しい。まあ、メズンの弟子の評判にゃ俺も聞いちゃぁいる。なんてったって、弓の腕前が凄いらしいじゃないか。そうだな、仮に確保できれば、それなりの戦力にはなり得る可能性もあるだろう。保護という面目で探し出し、残る一席として招き入れるという手も、無きにしも非ずってところだな」
 にやり、と歪むのはパヴァルの口元。
「……まだ、判断は付きかねる。暫くは情報を集め、様子を見るとしよう。シャグライが王都に現れたという情報は今のところ、エレイヌのもとに舞い込んだたった一件だけだ。それだけでは、真偽は分からんだろう」
「それもまた、賢明な決断だ。様子見という名の、見殺しってのも。……まっ、王都に居るシャグライ族の噂は五、六年前から出回っていたし、俺も目撃したことがあるんだがな。今更、情報収集もクソもねぇって話だ」
「……〈聖水カリス〉、お前は何を言いたいんだ」
「どないぞすかたんは椅子に座ってもろて、黙って待ってもらいければ、ほして充分でおます」
 嫌な笑みを浮かべたパヴァルは、独特な棘があり、なにより気に障る北アルヴィヌ弁で、ケリスにそう言う。どこか気まずい空気が、場に満ちた。
「……出たー、パヴァルの北アルヴィヌ弁」
「すかたん、ってナニ?」
「……北アルヴィヌの言葉で、見当外れの頓珍漢野郎ってことや」
「あながち外れじゃないよね、すかたん」
「……ダンちゃん、思うてても言うちゃあかんこともあるんやで!?」
 そんなこんな、パヴァルの話にリュンはついていけない。リュンはちらりと横に立っていたベンスに視線を送ったのだが、ベンスはリュンの視線に気づいていながら、リュンのことをガン無視した。俺に訊くな、というところだろう。いかにも理解力が少したりないベンスらしい反応である。
「まあ、それはいいとして。動くなら分担決めなきゃだね」
 パヴァルの難しい話についていけているのか、ディダンは嬉々とした声でそう言う。
「いや、その必要はないだろう」
 そしてラントが、ついに口を挿む。とんでもないことを言い出すのだった。
「ユライン家だ。あそこの御子息であり次期当主の、ダルラ卿について一つ、レグサ伝いでユライン家執事から話を聞いたんだ」
 不気味な笑みを浮かべるラント。その顔は、なにか悪だくみをしている時の顔そのものだった。
「知ってるか、白い貴婦人ってヤツを。聞いた話によればシャグライであろう女が雪の中、道端で倒れていたらしくてな。それを偶然通りかかったダルラ卿が、お情けか一目ぼれかで助けたらしい。そして今、その女がユライン邸の一室に居るそうだ」
「〈畏怖アルント〉、それでお前はどうするつもりなんだ」
 ケリスが眉を顰めて、不信感を顕わにする。
「どうするって、決まってるだろ。一つだけしかないじゃないか」
 ラントは白い歯を見せながら、ニコッと笑う。これは最高に危ないヤツだ、狂気同然のヤツがくる。そう思ったリュンの勘は、見事に的中した。
「拉致する。それだけだ。それに〈大神術師アル・シャ・ガ〉様も協力して頂けるそうだ。あの〈大神術師アル・シャ・ガ〉様だぞ。最強の後ろ盾だとは思わないか?」
 この時の〈大神術師アル・シャ・ガ〉様は先代の方で、とてもご高齢のお婆さんだった。リュンを含め、周囲の人間の目が点になる。ケリスですら、呆然としていた。けれどもそこでただ一人だけ、腹を抱えて笑いだしたのがいた。
「流石だなぁ、ラント。お前って奴は本当に馬鹿だぜ! 計画性も皆無! お前のやる事なす事全て、おふざけの度が過ぎてらぁ!」
 パヴァル、その人だった。
「ははは、それは褒め言葉と取っても宜しいのかな?」
 パヴァルもそうだが、ラントもラントだ。引き攣った笑顔でラントは、パヴァルにそう返す。
「……幾らなんでも、無謀過ぎや……」
 ヴィディアは、ぼそっと呟いた。
「とか言って、ランのことだから実際は、その女の人を独り占めしたいだけなんじゃないのー? 貴婦人って言われてるくらいだから物凄い美人だとか勝手に思ってたりしてなーいー?」
 子供らしからぬ笑みを浮かべながら無邪気な声でそう言うのはディダン。そんなディダンを当人であるラントは、そんなわけがあるか、と一蹴していたが、その灰色の目はディダンから視線を反らし、右下のほうを向いていた。
「図星だ! ハハッ、さっすが変態スケベの大英霊ラントさまだ!」
「……っるせぇぞ、キノコ頭! 誰が変態スケベだ!」
「あ〜。口が悪くなってるー。エレナの姉御が今の聞いたら、どう思うかなー?」
「エレナの名前を出すな! 卑怯だぞ!!」
「え〜、どこらへんが卑怯なの〜♪」
 ラントをおちょくるディダンもまた、何かを企んでいるかのような薄気味悪い笑みを浮かべているのだった。






「あなたは、女性なの?」
「あ、いえ、ちょっと……ていうか違います違います。ボクは男です」
「あら、そうだったのね。ごめんなさい……」
「あ、あの、よく言われることなので……お気になさらずに」
 この日、ラントが王宮に居ないが為に、次期《光帝シサカ》候補であるシアル王家第一王女、シェリアラの護衛をリュンは、どういうわけか任されていた。
 本来、代わりに護衛を請け負う予定だったのはパヴァルなのだが、シェリアラはパヴァルが大嫌いなのか何なのか、己の前に現れたパヴァルに向かって、嫌だと泣き叫びながら、ありったけの枕や座布団を手当たり次第投げつけまくったらしく。それで急遽代わりとして、リュンが向かう羽目になったのだ。
 それで……――リュン以外に手の空いている者は他に人はいなかったのかというと、その答えは居なかった、になるだろう。
 ディダンにはケリスの補佐役という役目があるため、シェリアラの護衛なんてできっこない。それにリスタにはシアル王家の者と会っては行けないという暗黙の了解があって頼めないし、ケリスは〈聖堂カリヴァナ〉として、武ノ大臣としての務めがあるから無理だし、ベンスはシルスウォッド卿の護衛に就いていなければいけないし。ヴィディアだってシアル第二分家当主のイゼルナさまの護衛があるし、ファルロンは基本的に身分の高い人たちが嫌いだし、血の気の多さもあって問題も起こしかねないから、王族なんかに会わせられるわけもないし。
 となると消去法で、リュンになるのだ。それくらい、リュンしかヒマな人間が居ないのだ。
 それにしてもシェリアラは、とても綺麗な女性だった。あの文句が多いラントがこの仕事に関してだけ文句を言わない理由が、なんとなく分かったような気がしたくらいだ。整った目鼻立ちは勿論、藍晶石を思わせる透き通った光を湛えた青い目と、純粋な輝きを持った金色の髪は、彼女が《光帝シサカ》の正統継承者であることを言葉なくして伝えていた。まるでリスタのよう……というより、リスタが《光帝シサカ》さまに似ているのかな。いや、でもリスタのほうがシェリアラさまよりも綺麗なのかもしれない……。
 とかなんとか、そんなことに思考を巡らせつつ、リュンがぼーっとシェリアラを見詰めていると、シェリアラのほうからリュンに声をかけてきた。
「どうなされたのですか?」
「あっ、いえ、気にしないで下さいっ!」
 正直のところ、とても気拙い雰囲気だ。

 逃げたい。
 もう逃げたい。
 早くラン兄来ないかな。
 そしたら早く交代できるのに。
 ラン兄のばーか。
 ばーか、バーカ馬ー鹿っ!!

「本当に、大丈夫なのですか?」
「は、はい、大丈夫です! ですので、お気になさらずに……――」






 しんしんと白雪が降り、辺り一面には処女雪が広がっている。普段であれば日の光や月の光を受けて金色に輝く宮殿には雪が積もっていることもあり、闇夜の中で宮殿は、銀色に光っていた。
 定時になり、リュンも王宮から引き上げ、敷地内にあるアルダンの事務所のほうに足を運ぶ。軽く水を浴びて、寝るためだ。
「……ふぁぁー、疲れた。もう護衛の任務なんて、こりごりだよ……」
 そしてリュンは事務所の中に入る。大きな扉をそっと開けた、そのとき。出入り口のすぐ右手、広間から物音がした。リュンは足音を殺してゆっくりと、物音の聞こえた方へ近づいてみる。そこにはソファーに座り、項垂れているラントの姿があった。
「ラン兄?」
「…………」
 反応がない。
「ねえラン兄、大丈夫なのラン兄」
 リュンはラントの目の前まで近づき、ラントの顔を覗き込む。その眼は、虚ろそのもの。表情という表情は、何もない。そしてリュンはラントの耳元で、試しに大声をあげてみた。「らーんーにーぃー!」
「――――……ッ?! お、おりゅん!?」
 ラントは肩をビクッと震わせて小さく飛び上がった。どうやら意識が、どこか遠いところまで飛んでいたようだ。「驚かせるなよ……」
「それ、ボクの台詞だよ。なんか物凄く憂鬱そうにしてたけど、何があったのよ。〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまと……なんだっけ、なんとか家ってところに行ってきたんでしょ。そこで何かあったの?」
「なんだかエレナと話してるような気分だな」
「ボクはリュンだし、エレイヌじゃないし」
「口調も似てきたか。もう中身は完全なる女ってわけか」
「そんなことないですー、ボクは男ですー」
 話逸らさないでよ、とリュンは突っ込む。ラントはハハッと笑い、そしてすぐに先ほどまでの憂い気な無表情に戻る。一体何があったのか。ラントの顔をじーっと見ていると、階段のほうから足音が聞こえた。
「〈大神術師アル・シャ・ガ〉さま?」
 階段から降りてきたのは〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまだった。そんな〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまの顔は、どういうわけか疲れきっているようにも思えた。
「〈畏怖アルント〉、あの者は眠らせておきました。後は頼みます」
「承知した」
「……どうやら、彼女は制御が利かないようです。膨大な力も、感情も。扱いにはくれぐれも気を付けるようにと、〈聖水カリス〉にも伝えておいて下さい」
「……」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまはそうして必要な用件だけを述べると、白い雪の中へ姿を溶かしていった。こんな雪の日に、どうせなら泊まっていけばいいのにと思いはしたけれども、リュンには声をかける勇気もなかった。自分のような者が気安く声を掛けてはいけない相手なんだろうなと、思えたからだ。あのラン兄だって、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまと話している時は最大の敬意を払っていたから。それは《光帝シサカ》さまと同じくらい……いや、それ以上に。
「ラン兄?」
「……」
「ラン兄、どうしたの」
「……あー、面倒臭っ……」
 そうボヤキながらラン兄は自分の頭を掻き毟り、溜息を吐く。そして椅子からゆっくりと立ち上がった。
「おりゅん、明日も俺の代わりを頼んだ。妃を宜しくな」
「え、えぇぇぇぇっ?! 嫌だよ、そんな。二日連続で店に出れないってなると絶対、姐さんに嫌味言われるよ!」
 シェリアラとの間に流れる空気はとても気拙く、リュンとしてはできれば店に行きたいのだが……。
「大丈夫だ、エレナには俺から話は付ける」
「ラン兄の言葉は、全然信用できないよ」
「とにかく頼んだぞ。というか俺も、ワガママ姫の相手を暫く休みたいんだ」
「だから!」
 じゃあなー、とラントはそそくさと逃げ出すように姿を晦まし、リュンは落胆から肩を落とす。するとラントと入れ違いになる形で、ベンスが今度は事務所に戻ってきた。
「……リュン? なんでお前が、鎧なんかを着てるんだ」
 終業し、事務所にやってきたベンスは、普段であればこんな時刻に広間に居るはずのないリュンを見て、きょとんと首を傾げている。どうやらベンスの耳には、シェリアラさまのゴタゴタが届いていなかったようだ。
「ほら、昨日のヤツだよ。ラン兄の代わりにシェリアラさまの護衛に入るようにって、キャスに言われたのー」
「担当に割り振られたのは、パヴァルじゃなかったのか」
「パヴはシェリアラさまに嫌われてるんだってさ。泣かれちゃったらしいよ。だから消去法で、ボクになったの」
「へぇ……」
 ベンスの顔は「お前にランの代わりが務まるのかよ」とでも言いたげだった。
 ……悪かったな、代わりなんて勿論務まるわけもないよ。なんか気拙い空気流れちゃうし、それなのに明日もやれって言われるから最悪。本当にサイアク。
「……ラン兄のばーか」
「は?」
「ごめん、なんでもない。気にしないで」
 そうしてリュンは窓の外を見やる。空一面に広がる暗雲は星も月も隠し、絶え間なく白い雪を〈下界シャンライア〉に降らしていた。地上は白に包まれ、生き物の殆どは地中に掘った穴の中で、春の日が訪れるのを待ちわびながら少しばかり長い眠りについている。
「それにしても、ラン兄と〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまが拉致してきた人、気になるよね」
「まあ、な」
「でも拉致っていうやり方が、ちょっと強引すぎるよね」
「確かに拉致は拉致だが、表向きは保護になってるんだ。だから、保護と言え」
「だってー、どう考えても拉致じゃーん」
「お前なぁ……」
 ベンスは呆れたように苦笑する。それに対してリュンは、はニコッと笑い返した。
 そしてその次の朝、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまがお亡くなりになられたという突然過ぎる訃報が、政ノ大臣シルスウォッド卿のもとに朝一番で届けられ、王宮内が騒然となったのだった。






 〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまがお亡くなりになられたという混乱が落ち着いてきた頃。リュンはようやく、酒場ギャランハルダに顔を出せるようになった。
 その間、丸々一週間。
 七日の間、リュンはシェリアラとの間に流れる気拙い空気に、ずっと耐えてきたのだ。
 それも今日でオサラバだ。
「あー! 重圧からの解放だぁー!」
 リュンは意気揚々と白昼の中を、跳びはねるように走りながら繁華街カレッサゴッレンを駆け抜け、酒場ギャランハルダに向かった。……のだが。
「姐さん! 久しぶり!!」
「おう、リュン。邪魔してんぜ」
「あらー、おりゅんちゃん。なんだかお久しぶりって感じね」
「そうだけど、そうなんですけど」
「どうかしたの?」
「その人、誰」
「……俺、か?」
「まさか。ファロンちゃん、アンタじゃないでしょ」
「そうですよね、姉御。流石に俺のことを忘れるわけが……」
「だから、その人。誰ですか」
「だから、ファロン、ファルロンちゃんと」
「それは分かります、分かりますよ。違うんです、姉御とファロンの間の人!」
 珍しくカウンターの席に座っているエレイヌと、ファルロン。と、その二人の間には、白い髪の見慣れない人物が一人座っていた。「その、白い髪の人! 誰、誰なんですか!」
「誰って、お前聞いてないのかよ!」
 ファルロンは呆れた顔でリュンを凝視すると、白い頭の人の肩を叩いた。
「この間、ランの野郎がユライン邸から拉致ってきた」
「え、あ、お? えっと、その人が……?」
「アルダンの新入りで、俺のダチ。ユインだ」
「へぇ、あ、ファロンのお友達。へぇ〜……」
 リュンのほうに向いたその人の髪の毛は、老人の白髪のように真っ白。目は紫色だった。エレイヌから聞かされた“シャグライ”のまさにそれ。ファルロンが“ユイン”と呼んだその人物はそのときから既に顔の左半分を前髪で隠していて、右眉には傷があって、目つきは悪く、じと目をしてた。不気味だと、リュンは思った。まさに、不気味。
「……お前は?」
 じとっ。
「ボクは、リュン。〈丘陵ルズベラ〉なんだ。よろしく、です……」
「俺はユインだ。サラネムの薬師。まあ宜しくな」
 貴婦人と聞いていたはずなのに、何の手違いがあったのか。目の前に居た人物は、とても貴婦人には見えなかった。それも、ラントを上回る面倒臭い危険人物といった雰囲気を放っている。
「あの、一応ボクは、男で……」
「見りゃ分かる。それに、随分貧相なブツだな」
 ユインは、リュンの股間を指さす。可哀想に、というような視線を感じた。
「なッ……?!」
 初対面でいきなりそれとか、何この人、酷い。
 というか、服を着てるのに見抜かれた。
 反射的にリュンは、股間を手で隠す。と、ユインの隣に座っているファルロンが、ユインを肘で小突いた。
「ああ、悪かったって。そう怒るなよ」
「……」
 ムスッとリュンは口を尖らす。エレイヌは、そんなリュンを見て笑った。やめなさいよ、そのアヒル。そうエレイヌが言ったとき、ギャランハルダにまた一人、面倒臭い客が増える。
「……うっわ、パヴだ」
「よぉ、馬鹿犬。お前も居たのか」
「俺の名前は馬鹿犬じゃねぇっつーの!」
 独眼の水龍、パヴァル・セルダッドだ。何しに来たんだよ、とリュンはパヴァルを睨むが、パヴァルはリュンなんかに構うことはなく、ずけずけと店に上がり込んで来るや否や、ユインの首根を掴み、強引に立ち上がらせた。
「ユイン、だったな。随分とでっかくなったもんだ」
「なんだよ、お前」
 ユインはそういうと、眼帯野郎をじと目で睨む。「……まるで昔を知ってるみたいな口ぶりだが……」
「ああ、知ってるぞ。それこそまだヨチヨチ歩きの頃だから、お前は覚えちゃいないだろうがな」
「……へ?」
「前置きはこれくらいにしておいて、今からお前は、俺と町に出る。いいな」
 ニヤッと笑うパヴァルは、ユインの肩に新品らしき藍羽織、アルダンの象徴とも言うべき藍晶を掛ける。それも、有無を言わさず。
「は? お前誰だよ、先に名乗るくらいあるだろ?」
 パヴァルをそれでも睨み据えるユインは、ちょっとだけ、声を荒らげた。「それになんだよ、この羽織!」
「俺は〈聖水カリス〉のパヴァルだ。俺はお前の上官であり、メズンの知り合いってとこだな。で、その羽織は、今後お前が着るものだ。アルダンの証、藍晶だ」
「メッ……?!」
 メズン。
 その名前をパヴァルが口に出した瞬間、ユインとファルロンの二人は固まった。それこそまるで、家出をした子供が親戚のおじさんに捕まえられたかのような、まさにそんな感じの固まりかただった。
「で、ユイン。メズンから聞いた話によればお前さん、とんでもねぇ方向音痴らしいじゃないか」
「……ウソだろ、あのジジィ……」
「嫌だろうが何だろうが、王宮周辺ぐらいの地形にゃ全て完璧に頭の中に叩きこんでもらわねぇと俺が困る。今後の職務に支障をきたす。だから」
 ニタッ。嫌な、笑顔だ。
「行くぞ。ついでに馬鹿犬、お前も来い」
「俺もかよ?!」
「はぁ!? いや、行く行かないを選択する権利くらいは、あるだろ普通!!」
「〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉に、それはない」
「嘘だろ……?!」
 出た、パヴァルの常套句。エレイヌはそう呟いて、フフッと笑う。そしてリュンとエレイヌは、パヴァルに引き摺り出されていくユインとファルロンの二人を、にこやかな笑みで見送ったのだった。






「この先の結婚について? そうだな……」
「どうなんですかねぇ、私」
 酒場ギャランハルダに変な客が訪れることは、特別に珍しいことじゃない。けれども、一段と珍しい客が今日は来ていた。
「残念ながらそっちに縁はないようだな。一生結婚は出来ないだろうと言える」
「はぁ……」
「案ずるな、その代わりにとんでもない大商才があるではないか。出会いという意味での男運は悪いが、金には一生好かれ、苦労することもないだろう。それに君を何より優先して守ってくれる頼れる男には、既に巡り合っているという線が出ているぞ」
「まさかそれって、あの人のことかしら」
「あの人が誰かは敢えて聞かないでおくが、どうやら二人いるみたいだぞ。対照的であるようにみえて、根っこは同じ男だと」
「あー、思い当たる節はありますわ。けど嬉しくないというか、うーん……」
 なんとも言えないわね、と眉根を顰めるエレイヌのその目の前には、何故か〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまの姿があった。〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまの赤紫色の瞳は、エレナ姉さんの色の違う両の瞳をじーっと見つめている。けれどもその視線は、瞳のずっと奥にある何か別のものを見据えているようだった。
「思い当たる節って、誰なの姐さん」
「おりゅんちゃん、あなたがとても大嫌いな人で、私はとても大好きな人よ。酷いことを平気でするような冷酷な人けど、結局は優しい人」
「すごい矛盾してますね、その人。誰だか分かんないですけど」
 先代の〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは、心優しくもあったが、どこか近付き難い雰囲気を放っていたお婆さんだった。けれども今代の〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまはといえば、近付き難いというのは特になく、逆にとてもざっくばらんではっちゃけていて、友好的な方のようにも、リュンには思えていた。けれども、シルスウォッド卿にはどこか疎まれているようだと噂には聞いている。
「やっぱり私も一人の女である以上、そろそろ身を固めたいですし、子供も一人、いや三人くらいは欲しいんですけれども、それも……」
「無理だろうなぁ。お互いに意識はしている相手は居るだろうが、その相手に残念ながら結婚願望が全く以てない上に、子供はどんなに頑張ろうとも出来ないと出ている。諦めることだな」
 はぁー……とエレイヌは、ひどく落ち込んだような声を上げた。「私は一生幸せになるなってことなのね……」
「今がエレイヌにとって、一番幸せだってことなんじゃないの? ほら、ボクみたいな可愛い可愛い可愛い弟子に恵まれててさ。ね、そう思うでしょ」
「何言ってるのよ、可愛いのは顔だけでしょ? それ以外はどす黒いんじゃないのかしら?」
 エレイヌはそう言うと、リュンの低い鼻を指でつまんだ。「痛いですって、やめて下さいよ姐さん〜」
「また甘ったれた声を出して、胸糞悪いからやめろって言ってるでしょうに」
「すーみーまーせーんーっ」
 そしてエレイヌは、つまんでいたリュンの鼻を指で弾くようにして離した。
「それにしても。昔のクソガキからは想像もつかないくらいに、女の子になったわよねー。ランが初めてここに連れて来たときなんかは、どうしようもないほど小汚いクソガキだったっていう印象しかなかったのに、今じゃどうしようもないほど女の子なクソガキになってるし。いい加減、性別をどっちかに絞ったらどうなの?」
「それって、具体的にどういうことですか?」
「女になるか、男になるかどっちかにしなさいって言ってるの。白黒ハッキリついてないと、なんだか気持ち悪いじゃないの」
「ボクは別にこのままでもいいと思ってるんですけれど。というかボク、男ですし」
「その格好でよくもまあ『ボクは男ですし』って言えるわね。だったら男らしく、ベンちゃんみたいにビシッとアルダンの鎧くらい着こなしなさいな。あれ以上に動きやすい鎧もないわよ?」
「それについては私も同感だな」
 〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは、微笑ましげに下瞼を上げる。
「〈三日月ルヌレクタル〉らが着用しているものは随分と動きやすそうに見えるが、あれすらもまともに着て動けぬのか、〈丘陵ルズベラ〉よ」
 〈聖堂カリヴァナ〉や〈畏怖アルント〉が着用しているような見た目も暑苦しいものではあるまいし、と言う〈大神術師アル・シャ・ガ〉さま。赤紫色の瞳は、まるでリュンを憐れんでいるかのようだった。
「そうなんですよ、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さま。この子ったら、こんなスッケスケの踊り子の衣装でしか、あの素早い動きを出せないんですよ」
 エレイヌは、ユインに似たじとっとした目でリュンを見る。そして追い打ちをかけるように〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまも「そんな有様では神速のリュンの名が泣くだろうな」と言った。
 ……ボクは一体どうすればいいんだ……。
「……」
 と、そこで〈大神術師アル・シャ・ガ〉様は何かを思い出したかのようにふと立ち上がる。〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは胸元の小銭入れからざっと三百ガルッデを取り出すと、それを机に置いた。
「どうかされたんですか?」
「ああ、急用を思い出してな」
 また近いうちに来る、とだけ言い残し、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは早足で店を出る。そして外で待たせていた、一羽のとても体の大きな脚の長い黒い鳥の背に跨ると、王宮のある方角へ消えていった。
「やっぱり忙しいんですかね、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは」
「そりゃ当り前でしょうに」
「ですよね」
「前に、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまは《光帝シサカ》さまと同じくらいの権限をお持ちになられる、とかケリスさんが言ってたでしょう。でも実際は、〈大神術師アル・シャ・ガ〉さまのほうが権限は上らしいわね。傀儡でしかない《光帝シサカ》に、求める許可はないっていうのが今の王政の考えらしいわ」
「なんでそんなに知ってるんですか、姐さん」
 ふふっ、と自慢げに笑うエレイヌ。
「天下の情報屋であるこの私、エレイヌを舐めるんじゃないわよ」
 そうでした、とリュンは苦笑する。
 でもなんでだろう、胸に何かつっかえているこの蟠りは。
 確証は何もないけれど、なんでか嫌な予感しかしない。
 でも何が起こるのか、何を疑問に感じているのかが、リュン自身には何も分からない。
 いつだって、分かることはなかった。
 目の前で笑う赤毛の女性を見つめながら、そんな漠然とした疑問が、リュンの脳裏を過るのだった。