【第四章 ギャランハルダの踊り子】

3 座れば牡丹


「だーかーら、今の足の運び! 全然違うってさっきから言ってんでしょうが! もっと力強く、床を踏んで蹴りあげる!! 砂漠のさらさらとした砂を踏み固める勢い、木の板で出来た床を踏んで破る勢いよ! 実際に穴を開けたら吊るし上げるけどね!!」
「は、はい!」
 アルダンに成り行きで入隊(ケリス曰く、規則に則ったちゃんとした儀式を行っていないために、この時点ではまだ正式な隊員ではなかったらしい。因みに、この時はまだファルロンとユインの二人はアルダンに居なかった)させられてから、二年くらい経ったであろう頃。名前のなかった彼は「リュン」となり、十三歳になっていた。

 その二年の間は何をしてたかって?
 それは、それは……。
 言いたくない。
 思い出したくもない。
 恥辱だ、恥辱。

 要するにヴィディアに一度女装させられてから、それがハマリ役っていうか、勝手にそんな認定をされて。それからリュンは二年の間にアルダン式に矯正され、女装が標準の姿となってしまった。
 そしてアルダンに入隊して間もなく、ラントに引き摺って連れてこられたのは、ラントの幼馴染が営んでいるという酒場だった。つまり、カレッサゴッレンの酒場ギャランハルダである。そこでラントの幼馴染、要するにエレイヌにリュンは気に入られ、気が付けばリュンはエレイヌ流剣舞の弟子ということになっていた。
 これは後にヴィディアから聞かされた話だが、ラントがリュンをエレイヌに会わせたのは、パヴァルとその月の給料を倍にするか否かを競った賭けが発端だったらしい。「リュンの動きの素早さを見れば、弟子をとらない主義を貫いているエレイヌも、リュンを気に入って一人前の踊り子に育て上げたくなるのではないか」と考えたパヴァルと、「いいやそんなことはない、あの面倒臭がりのエレイヌが、弟子を取って、そいつを一人前に育て上げるだなんていう最高に面倒臭いことをしたがるわけがない」と考えたラントが、どっちが正解かを賭けていたのだという。そう、賭けのネタだったのだ。
 そんなこんな、リュンの好きで始めたわけではない踊り子修行が始まった。そして当時のリュンにとって最も腹立たしいことといえば、同時に入隊したはずのベンスが、その能力を買われて特別待遇を受けていたということだ。あの厳しいケリスでさえも、ベンスにだけは優しかった。うるさいチビすけディダンですらも、ベンスには凄く優しかった(とはいえディダンがベンスに優しく接していた理由は後に、「ベンスがありえないほどのバカだったから、優しく丁寧に教えてやらきゃいけなかっただけ。本当の意味で優しくは接してない。僕は誰に対しても平等だよ、平等」と明らかになるわけだが)。
 そしてリュンは賭けのネタにされた所為で、本来極めたい武術はそっちのけで踊り子修行をさせられていた。けれどもベンスはそんなリュンなどそっちのけで、パヴァルから剣術指南を受けていた。悔しかったし、なにより憎かった。なんでアイツは剣豪パヴァル・セルダッドから剣術を学べるのに、ボクは駄目なのかと。
 そしてそんなことをエレイヌに愚痴った翌日。リュンはパヴァルに怒られたのだった。

『諦めろ。お前に剣術は向いていない』
『どうしてそう言えるんだよ!』
『お前の目は、ラントと同じだ。努力を嫌う、性根が腐りきったグズ野郎の目をしている。それにだ、教える俺の身にもなってくれ。育つ速度が遅いヤツの相手をするくらいなら、覚えの早い優秀な奴を伸ばすほうがよっぽど効率的ってもんだ。それにベンスのあとにはディダンが詰まっているうえに、ベンス以上に今はリスタが最優先だ。さっさとリスタを鍛え上げにゃならねぇんだよ。次がベンス、ディダン。その次が来なければお前の番になるってわけさ』
『でもリッタが剣を振り回してるとこなんて、見たことないよ』
『そりゃそうだ。リスタの剣筋はダメダメだ。下手したらリュン、お前以下かもしれん。だが体術に関しては筋がある。アイツの武器は剣じゃない、あの長くて細い脚なんだよ。リスタの蹴りは強烈だぞ? 一撃で大の男の肋骨を砕き、心ノ臓を潰して殺してみせるからな』
『でもでもでも、ボクの相手をしてくれたっていいじゃん!』
『あのな、パヴァル・セルダッドは一人しか居ねぇんだ。分身が居るなら同時進行でやってやらなくもないが、そんなものは何処にもない。それに俺の仕事は、指南役じゃねぇんだよ。仕事の合間を縫って、教えてやってるんだ。教えられる時間、人数に限界があるんだよ。そんなに剣術を教わりたけりゃ、シアル騎士団のほうに行け。ただしアルダンからの衣食住の保証は、もれなく打ち切りだがな』

「おりゅんちゃん、アンタ起きてるの? 魂がどっか遠くに飛んでっちゃってるような、そんな目になってるけど」
 そして、アルダンに連れて来られてから二年が経っていたこの当時。時の《光帝シサカ》、シェリラ様によるリュンとベンスの叙任ノ儀が終わり、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の正式な隊員として認められてから、一週間が過ぎていた。その時も相変わらず、リュンとベンスの待遇には雲泥の差があった。
 ベンスには叙任ノ儀が終わったその翌日に、ケリスから政ノ大臣シルスウォッド卿の傍に就くよう命令が下された。けれどもリュンには、命令らしい命令は何一つとしてなかった。パヴァルに笑顔で言われたことは、ただひとつだけ。

 今まで通り、踊り子の修行に励め。
 以上。

「なにぼーっとしてるの、集中しなさい集中!」
「はい!」
 エレイヌからは、どこか努号を思わせるような喝が飛ぶ。はい、とリュンは返事こそしたものの、正直もうヘトヘトで動きたくもないというのが本音だった。脚の筋肉という筋肉の筋一本一本が、脆くも固い木の枝のようになり、そして複雑に絡み合い、一本の巨木のように固まってしまっていて、とにかく重い。動かそうと思えば動かせるけれど、少し脚を曲げようとしただけで、脚の内側を数百の針で刺されるような鋭い痛みが断続的に襲ってくるのだ。なので正直のところ、もう動きたくなかった。だが、そんなことを、独眼の水龍より恐ろしいかもしれないエレイヌになど言えるわけもなく、リュンは途方にくれながら唇を尖らせていたのだった。
「今のアンタの顔。少なくとも承知したというようには、私には見えないんだけれども。どうなのかしら、おりゅんさん?」
「……」
 エレイヌの目は誤魔化せない。こういう時だけは、とても厄介だ。
「だからそのアヒル顔はやめなさいな。せっかくの、可愛い可愛いお顔が台無しになるでしょうに」
「別にアヒルなんかじゃないで……――ッ?!」
 右足をうっかり上げてしまった、その瞬間。雷にでも打たれたかのように、リュンの全身は痺れ上がった。そして。
「つった、攣った、攣ったああああああ!!」
 右足の筋肉、特に脹脛の筋肉がビクッと痙攣を起こす。その反動でリュンは思わず飛び上がり、床に転がり落ちた。うつ伏せの状態で、腕と左足をジタバタとさせながら、右足だけ硬直させて。いや、硬直せざるを得なかったのだ。痛くて、痛すぎて。涙で視界が歪む。そんな歪んだ視界の中、エレイヌの呆れ果てた顔だけはくっきりと見えていた。
「あー、はぁ。そういうことねぇ……。ちょっと待ってなさい」
 エレイヌは何を思ったのか、裏部屋に何かを取りに行った。そしてすぐに戻ってくる。その両手には、鎖帷子のような鎖で編まれた手袋がはめられていた。それと、もくもくと湯気が上るお湯が張られた小さな桶と、そのうえに被せられた薄手の麻布が二枚。そしてエレイヌは桶を床に置くと、桶の中に張られている熱そうなお湯に二枚の布を浸す。すると布をすぐに取り出し、軽く絞って水気を抜いた。そしてその布を、両手にはめた鎖手袋に覆うようにして巻きつける。そして湯気が立ち上るその両手で、リュンの右足に触ろうとした。
「えっ、姐さん?! なにやろうとしてるんですか、ねぇ! ちょっと、いかにも熱そうな感じに湯気立ってますけど!? ヤケド、ボク、火傷しちゃいますよ?!」
「大丈夫、そんなに熱くないから。それよりおりゅんちゃん、仰向けになって足先を天井に向けるようにして伸ばしなさい。なるべく真っ直ぐ」
 と言うとエレイヌは半ば無理矢理という感じに、リュンの右足を片手で掴んで持ち上げる。すると空いているもう片方の手で、右脚の足首の辺りを握る。その手にぐっと力が籠った。リュンは何かヒヤヒヤとした、嫌な予感を感じざるを得なかった。
「姐、さん? な、なにを?」
「ちょっと痛いかもしれないけれども、我慢なさい」
 じんわりと、痛む筋肉に温もりが沁み込んでいく。そしてエレイヌは眉根を寄せ、全身の力という力をすべて握力へと変換しているかのように力んだ。
 そして。
「姐さんちょっ、待っ……イッタアアアアアアアアアアア!!」
 女性らしからぬ、図太い雄叫びを上げながら、エレイヌは勢いよくリュンの足首を握る手を下へ、 即ち脹脛まで滑らせた。激痛が脹脛を襲う。そして一瞬にしてその痛みは、脹脛の筋肉から脊髄へ、脊髄から脳へ、そして全身へと伝っていった。あまりの痛さに、リュンは失神しかける。だが失神こそしなかったものの、頭の中は一瞬、完全に真っ白になった。いや、それが失神というのだろうか。……よく分かんないし、よく覚えてないけど……。
「ったく、そんなだらしのない声出さないの。アンタ、男なんでしょ? ボクは男だ!っていうんなら、これくらいのこと、声を出さないで耐えなさいな」
「だってぇ〜」
「だから、その猫撫で声みたいなのを出すな! 媚売られてるみたいで気持ち悪いじゃない」
「すみません……」
 ふっ、と一つ息を吐くとエレイヌ。そしてあの忌々しい鎖手袋を外した。
「痛みはどう? これで大分治まったと思うんだけど」
 さっきまで右足にこびり付いていたはずの、あのキツイ痛み。けれども痛みは不思議なまでに、綺麗サッパリと消え去っていた。
「姐さん凄いですね、もう痛くないですよ」
「凄いでしょ? これは昔、あんまりにも足が攣りすぎて歩けなくなったときに、パヴにやってもらった荒業なの」
 そんなことを言いながら、エレイヌはフフッ♪と笑う。けれどもリュンは、固まってしまった。
「……パ、パ、パヴ?」
「そうよ、パヴァル。あのパヴァル・セルダッドよ。なにを隠そう私の剣舞は、パヴァルの剣術を子供のころに真似したのが始まりなんだから。……そうね、なんていうのかしら。あの人の剣捌きって、時々踊ってるみたいに見えるでしょ? 《神託ノ地ヴァルチケィア》の盗賊百人斬りの時は、物凄かったわ。こそどろ相手に、水龍神さまと共に踊り狂ってんですもの。けど不思議なことにあの人、音楽に乗っては踊れないのよね……。本当に謎だわ」
「ボク、そんな凄いの見たことないですよ」
「そうでしょうね。もう二十年以上も昔の話だし。あの頃は隊商の用心棒だったから。ヴィッデも凄かったのよ? 片腕しかないっていう負い目を感じさせないくらい、長槍で盗賊をバンバン蹴散らしてたんだから」
「……え? そんな昔? 姐さん、その時って子供じゃないんですか?」
「そうよ。さっき言ったでしょう、子供のころにパヴァルの真似をしたのが始まりって。……年齢でいうなら七歳とか、そこらだったかしら」
「えぇ〜!?」
「まっ、どっちにしろアンタの集中力ももう切れてるだろうし、今日は終わりにしようかしらね」
 やった、とリュンは心の中で呟く。
「けれど、店は通常営業よ。三チグム後、きっちり店に来るように」
「はいっ!」
 なんでもそうだけど、師は物分かりの良い人を持つべきだ。
 ラントみたいな凄いけどどうしようもないクソ野郎じゃなく、かといってパヴァルみたいないけずでなく。エレイヌみたいに、とても強くて凄くて、それに加えて物分かりの良い人。
 アルダンに来たのは不幸か幸いか、今だにその判別はリュンの中では付いていない。けれども、少なくとも良い人たちに恵まれてはいるんだろうな、と感じるのであった。
 ただし、パヴァルは除く。