【第四章 ギャランハルダの踊り子】

1 酒場の乱舞姫


 日は沈み、代わりに満ちた三つ月が天に昇って光を放つ宵ノ刻サジュテ(午後九時)。荒くれ者と女誑し、それと呑んだくれがよく集うと噂の酒場ギャランハルダ。その酒場の小さな舞台の上では、跳び跳ねるように舞い踊る小さな影が一つあった。
 影が両手に持つのは、二本で対を為す宝剣〈丘陵ルズベラ〉。透明な硝子の刃が特徴的で、柄には金銀玉、色とりどりの見た目麗しい装飾が過剰なまでに施された、明らかに戦闘には向かない宝の剣だ。
 そして弧を描くように〈丘陵ルズベラ〉の硝子の刃が空気を斬り裂き音が鳴ると、呑んだくれの野郎どもからは嬉々とした歓声が上がる。「よっ、乱舞姫」と。
 乱舞姫という仇名は、宝剣〈丘陵ルズベラ〉の持ち主である踊り子の師匠であるエレイヌが付けたものだ。吹き荒(すさ)ぶ風に吹かれているかのように服や髪を乱しながら、華奢な体からは想像も出来ないほど大胆に、豪快に短剣を振り回しながら舞い踊るその様子から、乱舞という言葉が付いたのだという。
 そんなこんな、仇名の尻には「姫」が付くこの踊り子。故にギャランハルダに集う野郎どもの大半は、この踊り子を可憐な少女だと思っている者ばかりだ。
「よっ、乱舞姫! 今日も最高だぜ!」
 だが真実というのは時に非情なまでに残酷なもので、この踊り子は“華奢で可憐な少女”ではなかった。
「だから、姫って呼ぶなっつってんだろーがー!」
 立派な一人の青年であったのだ。
「乱舞姫、乱舞姫!!」
「うるせー! 黙れーェッ!」
 頭のてっぺんで結われている、柔らかな長い茶色の髪。
 くりっと大きな猫目に、緑色の澄んだ瞳。
 白くきめ細やかな肌に、桃色の薄い唇。
 そして、ある程度の大きさのある胸と、腹から腰にかけてのくびれた線。
 細く華奢な脚が描く脚線美。
 踊り子の衣装を身に纏った彼、もしくは彼女を、誰が男と思うことか。
 見た目は誰がどう見ても、華奢で可憐な少女でしかなかった。
 だが、彼、もしくは彼女が、女ではなく男であるということは紛れもない事実。上の衣装を脱がせたときに、冷酷にも床にぽとりと落ちる丸めた二つの紙玉と、全裸になったときに姿を現す、股間についた少し短めで細い男性器こそが、彼が男性であるというその証拠であった。
「乱舞姫! その尻を揉ませろ!」
「ふざけんじゃねぇーよ! それやったらぶっ殺すからな!」
「ちょっとー、乱舞姫に対して下品なことを言ってるアンタたち! ここ、繁華街カレッサゴッレンは独眼の水龍パヴァル・セルダッドさまの管轄下だってこと、忘れてないでしょうね?」
「独眼の水龍なんざ怖かないぜ!」
「そう言うとあの人、本当に来るわよ。痴漢実行犯はオマケに、その場で手首をちょん切られて、睾丸を踏み潰されちゃうんだから」
「エレナの姉御もまたまた御冗談を。カレッサゴッレンでそんなことしたら、大騒ぎになるでしょうが!」
「独眼の水龍さまは剣術だけが凄くて、王宮に引き抜かれたわけじゃないのよ。鎮圧と皆殺しと口封じと情報統制も得意だってこと、忘れてな〜い?」
「うげっ……」
「だからパヴァルに半殺しにされたくなかったら、半殺しにされるようなことをしないことね。分かった?」
 けれども、彼、もしくは彼女の心の中が、必ずしも男であるとは限らなかった。
 見た目は女、中身も女、だが性別は男。
 喜ぶべきことなのか、悲しむべき事なのか。女装ばかりさせられてきたから自然と、そうなってしまったのだ。

 あの時、ヴィディアにされるがまま着せられなければ。
 ラントに連れてこられるがまま、エレイヌに出会いさえしなければ。
 少しは今と違っていたかもしれない。
 舞台上で舞い踊りながら少年は、顔では笑みを浮かべながら、心の中で泣き叫ぶ。
 あのとき、ラン兄にさえ出会ってなければ、ボクはまだ完全な男として、もう少しまともな人生を歩んでいたのかもしれないのに!

 けれども、と同時に少年は思う。あの頃の荒れに荒れていた生活と比べれば、今の生活の質は格段にマシだ、と。 それに別に女装も物凄く嫌いというわけでもないし、変人ばかりではあるものの、今は仲間と呼べる人間たちもいる。そして何より、命を奪われるほどの危険をひしひしと、日常的にその肌を持って感じる、なんてことはもう何年もなかった。
 どこか能天気で幸せな日々を、非凡に送っていられる。それがどんなことよりも、嬉しかった。
 だからこそ、あの日に戻りたいかと問われれば、少年は即答するだろう。絶対に嫌だ、と。
「乱舞姫さんよ、どうしたんだい? 動きが止まってるぜ」
 目の前で少年の踊りを見ていた一人の男が、少年に対してそう言う。
「あはは、ごめんごめん。でも、なんか今日はもう疲れちゃったんだ。もう止めにしていい?」
 少年はてへへ、と舌を出し、少し面倒臭そうな笑みを浮かべる。そして雷や嵐、独眼の水龍よりも遥かに怖い、店の主の了承を得るその前に、そそくさと宝剣〈丘陵ルズベラ〉を納刀するのだった。
「いいよね、いいよね? ね、姐さんっ♪」
 カウンターの内側から、野郎どもの相手を適当にしつつも退屈そうに紫煙を燻らせているエレイヌに、少年は目配せを投げつける。するとエレイヌは目の前に居る男に、向かって独特な苦い香りのする煙を吹き付ける。そして、呆れたという口調でぶっきらぼうに言い放つのだった。
「だっておりゅんちゃん、もう鞘に納めちゃったんでしょ? 要するに、誰に何と言われようとも、もうボクにやる気はないですよっていう意思表示をしてるじゃないの」
「えへへ〜」
 少年は照れくさそうな笑みを浮かべる。喉元までじわりじわりと迫りくる、恐怖を隠すために。
「えへへ〜、じゃないの。……ったく、良いわよ。今日だけは特別に許してあげる」
 私は優しいからね、と恩着せがましく付け足すエレイヌ。姐さんが優しいだなんて、そんなわけがない。少年は心の中で、そっとぼやく。
「アンタ今、姐さんが優しいだなんてそんなことがあり得るわけないって顔してたでしょ」
「そんなことありませんって」
「いや、そんな顔してたわ」
 背の高い草木が生い茂る草むらに身を潜め、虎視眈々と獲物を狙う猛獣が如く、左右で色の違うエレイヌの瞳は少年を静かに睨み据えていた。
「酷いなぁ、姐さんってば。違うって言ってるじゃないですか〜」
 踊り子の少年リュンの頬を、玉粒ほどの汗が音を立てずゆっくりと伝う。やがて汗は、顎から滴り落ちるのだった。






 神速のリュン。それが彼の名前だった。
 裕福な者たちの家に気配もなく突然現れ、一瞬にして金品や食料を奪って、去っていく。それが昔の彼のやっていたことの全てだった。ラントには「クソガキ」と言われ、エレイヌには「薄汚いガキんちょ」と言われ、ディダンには「卑劣」だと蔑まれ、パヴァルには「ゴミに集る無能の蠅」とさえ罵られた、彼の汚らしい過去の全てだった。
 たしかに、誰かから物を問答無用で奪い取るという行為は、今思えば悪いことだと彼は思っている。下手すりゃお縄に掛けられる、犯罪行為だ。けれども、明日の食べ物が得られるかも分からないような環境で生き抜いていくためには、どうしてもするしかない必要なことだったと、当時は自分に思い込ませていた。そうでもしないと、どうしようもない後悔の念に苛まれて、自分の喉を包丁で掻っ切ってしまいたくなるからだ。
 そんな彼は、貧困層が大勢暮らす街の中、東アルヴィヌ領で生まれた。そこで暮らしていたときに、彼には名前すらもなかった。そのうえ父親は彼が生まれる前に、“烏の黒羽”という組織に奴隷として捕まったとかで顔も知らないし、母親は娼婦として考えもなくボロボロの体を売り続け、無計画に子供を産み捨てるような生活を送っていた。それもあって彼の兄弟は、彼が知っている限りでは八、九人くらいは居ただろう。けれども彼以外は、まともな食事も与えられずに、大体は赤ん坊の時に死んでいった。また赤ん坊の時には死ななくても、いずれ死んだ。餓死は勿論、通りすがりの気の立っていた男に意味もなく、ただ道端で泣いていたというだけで殴り殺されたり、まだ三歳にも満たないのに、女だからという理由で馬鹿みたいな端金で娼館に売られて、その先で死んだり、母親に殴る蹴るなどの暴力を振るわれて、挙句の果てに死んだりもしていた。

 そう、死んだ。
 結局は、みんな死んだ。

 少しでも母親――いや、ただ産んだだけのクソ女――に希望を持っていたから、少しでもそのお零れを貰おうと縋っていたから、死んだんだ。

 馬鹿みたいだ。
 だから死んだんだ。
 無残に。
 虫けらみたいに。
 ゴミのように。

 人は何故、他人を頼り、信じようとするのか。ただその日その日を生き抜くことに精いっぱいだった当時の彼には、その心理が分からなかった。信じたところで、どうせいつかは、裏切られる。それならいっそのこと、最初から他人なんて信じなければいいんだ。そう思っていた。
 だから彼は、あの母親を殺した。邪魔だったから、それだけだ。
 何故なら、彼が金や食料を取ってくれば、あの女はそれらを問答無用で彼から奪いとったからだ。母親だから当然だ、と言って。そういう時だけ、あの女は“母親”という言葉を持ち出した。そして彼が他者から命を賭けて奪い取った戦利品を、当然の如く奪っていった。勝負に勝ってもいないのに、まるではじめから勝敗はついてると言わんばかりに。

 このままではボクが死ぬ。
 あのクソ女の代わりに。

 彼はそう思った。

 そんなの、おかしい。
 おかしいんだ。
 あの女なんかよりボクのほうが優れている。
 体を売ることしか能がない雌豚より、ボクのほうが。
 それなのに。
 それなのに、ボクのほうが代わりに死ぬだなんて、絶対におかしいんだ。
 そんなのあり得ない。
 許せない。
 赦せない。
 赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない死ね。

 だから、殺した。
 そうすれば、自分が死ぬという確率が確実に減るから。
 それが、あの女の当然の報いでもあったから。
 それに殺すという行為自体は、彼にとっては造作もないことだった。
 どんなに威張り散らしてた人間でも首さえ切れば、そこら辺に転がってる虫けらの屍みたく、死んでいく。それがとても、おかしくかった。ホントに、可笑しい。滑稽に思えた。それが、愉しかった。そして必然的に、殺しという行為は快感へと、狂おしいほど醜美に歪んでいった。
 それからは殺して奪う、というのが彼のやり方になっていった。

 このシアルン神国の中でも、とりわけ馬鹿みたいにだだっ広いアルヴィヌ領。その大半を占める貧困層の暮らす町々を、彼は巡り歩き練り歩いた。道中で沢山物を奪ったし、沢山殺した。奪った金品は金に換えて、それらはいつかの為にと、誰かから奪った薄汚い小さな巾着袋に貯めていた。
 そうやって暮らし続けて、おおよそ二年の月日が経った頃。その頃には、彼の名は神国中に知れ渡っていた。

 神速のリュン
 突然音もなく現われて、必要なものだけを奪い取り、一瞬にして去っていく。そのうえ去り際には、その場にいた人間の喉首を、必ず切り裂き、殺していく。それはまさに嵐が一過したあとの惨状。それが転じて、人々はその盗人を「神速のリュン」と呼ぶようになり、彼自身も自分の名を「リュン」と、そう名乗るようになった。
 だが彼が耳にする噂の殆どは、尾ひれが盛大につけられた、とんだ作り話ばかりだった。リュンはとても背が高い壮年の男だというものもあれば、いや違う、とても小柄な白髪の老女だったとか。その度に彼は一人密かにほくそ笑みながら、嘲笑っていた。違うよ、ボクはただの子供さ、と。
 人気者は大変だ。あの頃の彼はそんな勘違いに、少しばかり酔い痴れもしていたのかもしれない。

 ボクは凄いんだよ、やっぱり。
 どんな虫けらどもよりもはるかに強い。
 大事なのはボクだけ。
 そう、至上であるボクだけだ、と。

 けれども、そんな腐りに腐りきった彼の思考回路をブッ壊す手掛かりとなった一つの出会いが、あるとき起こったのだった。