【第三章 紅の華、夜半に咲き誇る】

3 愚鈍な男


 日が沈み、白昼とはまた違う活気がカレッサゴッレンに湧き始めた夕暮れ時。野郎共の喧騒を合図に、酒場の扉は赤い腕により乱暴に開かれた。
「お待ちかねの開店だよ!」
 ここに集まるものたちは、どうしてこうも派手に騒ぐのか。
「……」
 やんややんやと騒ぐ男衆の中。場違いとも思えるほど静かな、一人の銀髪の男が混じっていた。
 目深に被る笠。着崩された藍羽織り。腰に携えられた白い突剣は、髪と同じく白銀に光る。そして両腕にはめられた青い手袋。藍羽織と青手袋、それは〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉である証。と同時に、喧嘩を吹っかけようものなら独眼の水龍みたくブチのめすぞ、という意思表示であり、面倒な争いごとを避けるための服装でもあった。
「……何も変わらんものだな」
 笠から僅かに覗く、暗い影の落ちる顔。けれども、決して当人が根暗なわけではない。ただ、疲れていただけなのだ。少々扱いの面倒臭い美女の相手に、疲れ果てていた。そして今日は侍女長の粋な計らいにより珍しく、普段よりも早くに仕事から退けたのだ。
 折角のこの機会、酒でも呷るか。
 そう思い付き、昔馴染みの居るこの店に久々に顔を出したのだった。
 とはいえ、酒を呷れさえ出来れば、店なんてどこだろうと良かったのだが……まあ、どうせなら安く、美味いのがいい。とかくこの店は、安い、美味い、綺麗な女が居るという三拍子が揃っている。それに昔はここによく来ていたものだ。要するに、惰性のような、そんなものなのだろう。
 だが。
「……アイツが居なけりゃ、いいけどな」
 その“綺麗な女”というのは、わけあって手を出せない。とある水の壁に阻まれており、少しでもその肌に触れようとすれば、水の牙が首を掻っ切ることだろう。それだけは、御免だった。
「あらあら、懐かしい顔がここに居るじゃない?」
 手頃な所で空いていた席に腰掛ける。と、間も無く幾つかのビアグラスを両腕に抱えた、赤毛に雀斑の女――この店、酒場「ギャランハルダ」の女主人であるエレイヌ――が歩み寄ってくる。右は深い緑、左は淡褐色という二色の虹彩を持つその眼からエレイヌは、どこか挑発的な視線を送りつけてきた。
「お久しぶりになるわね、ラン」
「ああ、そうだな」
「あらごめんなさい。ぶー垂れ駄目ラントさん、でしたかしら?」
「……」
 相も変わらずドレスは、胸元が大胆に開け広げられた露出の多いもの、それも赤いやつを好んで着ているようだ。色合いは昔と比べれば少しは大人しいものになっているが、この女の飽くなき赤への執着には果てがあるのであろうか、とラントは考えさせられる。
 ドレスも、赤。
 髪留めも、赤。
 常に店ではめている長手袋も、赤。
 好んで飲む酒も、赤い葡萄酒。
 店のあちらこちらに施された、赤の装飾。
 だが、常に身に付けているピアスのみは、青とも緑ともつかぬ色の宝石があしらわれていた。
「それにしても、随分と長いこと顔を見せに来なかったわね」
「そうだな。忙しかったんだ」
「またまた、何を言ってるんだか」
「……?」
「パヴから全部、聞いてるんだから。自分は適当に仕事を済ませて、不備が出たら全部、手先の器用なユン坊ちゃんに丸投げしてるんでしょ? だから、暇してるって」
「別にそんなことは」
「まあ、それは良いの。お蔭さまで私、物凄く寂しかったのよ?」
「そうか? パヴァルは毎日のように顔出してるし、キーキーとうるさいリュンも居るのに」
「そうか、って……もう。ガキの頃から、アンタは平気で乙女心を踏み躙ってくれるんだから」
「暴漢をとっ捕まえて腕をへし折り、強姦魔の睾丸を踏んで潰して死に至らしめるような女を、乙女と世間は言わないだろ。女版独眼の水龍だ」
「私とパヴァルを一緒にするだなんて。酷いわね。吊るすわよ」
「そうですか」
 べーっ、と子供のように舌を出すエレイヌ。いい年したババァが何をやってるんだ、とラントが釘を刺すと、いい年してまだ若い女の子を捕まえてるようなジジィに言われる筋合いは無いわ、と逆に返された。
「シャレーイナグラの知り合いから聞いたわ。アンタ、まだ懲りずに暇さえ出来れば若い女の子を吹っ掛けてるんだって? その女癖、いつになったら治るのよ」
「吹っかけてない。あっちから寄ってくるんだ」
「アンタだってもう三十路過ぎてんだから、そろそろ身を固めても良いんじゃないの?」
「余計な心配は無用だ、エレナ。それにシェリアラさまを、その御前で護りし盾たる十の剣が……―――」
「十の剣が一剣が、身を固めるなど恥ずべきことだ、だったけ」
 ニヤリと笑うエレイヌ。その笑顔は、どこぞやの独眼の水龍を彷彿とさせた。「……」
「それってホント、アルダンの常套句よねー。あんなに可愛かった私の妹弟きょうだいたち、ダンちゃんやリッちゃんまでもがそれを言わされるようになった時は、正直がっかりしたわ。……それとも、アンタの場合はもしかしてアレ? パヴがそう言うから、アンタも真似してるの?」
「まさか、そんなわけあるか」
「やめときなさいよ、あの人の真似なんて。嘘を嘘で塗り固めたような人なんだから、パヴァルは」
「……なんだ、その例えは」
「あの人の血が赤くないことくらい、アンタだって知ってるでしょう?」
「当り前だ」
「それに、パヴァルがなんであんなことを言うのかっていうのを理解してないクセに、そんな不釣り合いな台詞を吐かないの。ぶー垂れ駄目ラントには似合わないわ」
 むっ、と顔をしかめ黙り込むラント。その顔を見て、エレイヌまでも何処か胸糞が悪い不快なものを覚え、眉根に皺を寄せた。
「……とにかく、あんまり踊り子の子とかに手を出さないこと。勘違いしちゃってる子だっているっていうんだから」
「お前には関係のないことだろ」
「関係ないことなんかじゃないわ。……アンタと知り合いってだけで、同業者から白い目で見られるわ疎まれるわで、サイテイサイアクったらありゃしない。とんでもない厄病神よ、アンタは!」
 思わず身を乗り出し、目の前の男に大声で怒鳴り散らしてしまったエレイヌ。エレナの姉御がどうしたのかと、周囲がどよめきだす。
「……取り乱しちゃったわね」
 エレイヌは一つ、深呼吸をすると体勢を立て直す。そして舌打ちと共に、目深に被られている笠の下から覗くラントの顔の、右頬を捩じるようにして一発抓った。
「アンタの夜の噂を聞いたら、おりゅんもベンちゃんも幻滅するでしょうね」
「……アイツらだけには、絶対に言うなよ。特にベンスには」
「言いませんわよ、勿論。夢は夢のまま、少年少女の夢をブチ壊すのは私の役目じゃないし、趣味じゃないからね。そういうのはパヴァルの役目だもの。……それに、ベンちゃん。あの子はなんだかんだで誰よりも純朴だからね」
 うふふ、と意味深な笑みを浮かべるエレイヌ。
「何を企んでいるんだ、エレナ」
「ラン、明日は何時に出勤なの?」
 そう言いながらエレイヌは、酒樽の側面に取り付けられた蛇口を捻る。蛇口から零れ落ちる、ぷつぷつとした泡を放つ淡黄色の液体を、慣れた手つきで抱えたビアグラスに注いでいった。「何時って、そりゃ普段通りの明ノ二刻ゼ・ゼクテ(午前五時)だ」
「そう。……それじゃ」
「……なんだ?」
「店を閉めるまで、ここで待っててくれる? おりゅんのこととかでも話したいことがあるし」
「……」
「ねぇ、良いでしょ? 偶には私じゃなくて、アンタの方が待ってくれたっていいじゃない。そう思うでしょ、ラン?」
 リュンがよくするような、少し子供じみた、とても無邪気でにこやかな満面の笑みを浮かべるエレイヌ。その笑顔に、ラントは背筋に悪寒が走るのを感じた。
「なによ、その顔。嫌なの? 嫌だって言うなら、厄病神には今すぐにでも帰ってもらうけれど。あと、十年分のツケ、ちゃんと払ってから出てって頂戴よ。そうねぇ、ざっとお安く見積もって、七十五ガレティグと三百ガルッデかしらねぇ」
 七十五ガレティグ。その額に唖然とするラント。無論、普段からそのような額を持ち歩いているわけなどなく、今現在持ち合わせているのは精々、一ガレティグ紙幣が三枚と一〇〇ガルッデの小銭が五枚。つまり三ガレティグと五〇〇ガルッデのみ。
「それ、盛っていたり、して、ないか?」
「私が嘘を吐いてるとでも言いたいワケ?」
「…………」
「なによ、その顔」
「分かった、分かったから、残ります待ちますから、ツケに関してはあともう少し待ってくれ」
「いつも、もう少し待ってくれーって言って、結局払ってくれないんだから」
 エレイヌの口から次々に吐き出される毒槍が、ラントの痛いところを次々と突き刺し、抉っていく。顔が蒼くなっていくラント。けれども他の客らは、ラントのことなど気にもかけない。
「エレナ姐さん、こっちには酒まだか?」
「うるさいねぇ。乱舞姫が来ない日は、こっちまで取りに来いって毎回言ってんだろう?」
 それじゃ、ちゃーんと閉店まで待ってなさいよ。念を押した上でエレイヌは、おまけとして目深に被られていたラントの笠のつばを掴み、更に深く下げた。
「エレナ、お前っ!」
「私はあなたと違って忙しいの、文句は後でね。それか、パヴァルに言ってね」
「おまっ……!」
「あー、そっかー。ラントくんは、パヴァルが大っ嫌いなんだっけー? 私はアンタよりパヴァルのほうが大好きだけど」
「そりゃ、お前にとっちゃアイツが」
 天井から吊るされた、仄明るい光を放つ幾つものカンテラ。カンテラは徐々に暗くなりつつある酒場を、薄ら赤く照らしていた。
「さぁーて、ギャランハルダは今日も眠らないわよー! そうそう、乱舞姫は今日お休みだから、そこらへんは勘弁して頂戴ね!」
 違う、それを言うなら眠らせない、だろ。
 夜に開く赤き華、などと形容される後ろ姿を眺めつつ、あれの何処が華なのだろうか、と心の奥底で洩らすラントであった。






「あのね」
 店も仕舞い、男共も一通り追い払いがらんどうとなったギャランハルダ。机に並んでいるのは空になったビアグラス。そして一つのうつ伏せになっている銀色の頭。
「…………」
「生きてるのか、おい」
 銀色の頭をバシバシと何度も叩くも、起きる気配は全く以てない。それどころか、気持ち良さそうに寝息まで立てている始末である。
「……私は閉店まで待ってろとは言ったけど、ヤケ酒を呷って挙句の果てに寝てて良いとは一言も言ってない筈なんだけどなー」
 エレイヌは乱暴な手つきで、銀色の髪を一房掴み上げる。そして耳元にそっと、呟いた。
「七十ガレティグ、アンタのお給料から引いてもらうようユン坊ちゃんに……」
「ああ!」
 何処か世界の涯てにまで飛びかけていた魂が、ハッと元の体に戻ってきたかのように、意識を取り戻したラント。そんな彼の額をエレイヌは、指でべちんと弾くのだった。
「起きなさいよ、ラン。私は、アンタに寝てて良いなんて一言も言ってないんだから」
「仕方ないだろ、酒を飲めば誰だって眠くなる……―――」
「また寝ないの」
 それまでラントの髪を掴んでいた手を、エレイヌは離す。頭は机に、顎から落ちる。そして呻き声を上げながらゆっくりと上体を起こすラントの顔に、眠気覚ましの一発と称して左頬に一発、強烈な抓りをお見舞いした。「……どうよ?」
「目が覚めた」
「そう、それは良かったわ」
 そう言うとエレイヌは、棚から二つのグラスと一本の瓶を取り出した。そしてそのグラスに、普段は客に出すことはない秘蔵の葡萄酒を注いでいく。
「安い麦酒より、私はこっちの方が好きなのよね。アンタもどう? こいつに関しては、お代は頂かないからさ」
「アンタもどうって、もう注いでるってのは飲めって言ってるようなもんだろ」
「別に無理に飲んでもらわなくても良いんだけど」
 殺気を帯びた視線が、ラントに向けられる。
「……有り難く頂戴させてもらいます」
 エレイヌは不機嫌そうに、少々乱暴な手つきでラントの前にグラスの一つを差し出した。「それと」
「今度は何だ」
「飲み食いする時ぐらい、手袋と笠くらいは外したらどう? 流石のパヴァルだって外してるわよ」
「……そりゃ、アイツの手袋が血生臭いからだろ……」
「なんか言ったかしら」
「何でもありませんよ」
 ラントは青い手袋を外すと、それを押し込むように、適当にズボンのポケットに突っ込む。そして笠は床に投げ捨てた。
「私の前だと、アンタはどこまでもガサツになるのね」
「常に完璧ぶっているようじゃあ、精神的に参るからな」
「それとこれとは違うでしょ」
「……いや、違わない」
「……」
「…………」
「……私は、さ」
 エレイヌは弄ぶように、グラスをゆらりゆらりと揺らす。中に注がれた赤紫色の液体は、グラスが揺れる度にグラスの中で渦を巻く。美しもあり、毒々しくもあるその景色。そんな渦を漠然と眺めながら、エレイヌは言うのだった。
「どうしてアンタがそんなに必死こいて、仕事に関しては常に完璧であろうとするのかが分からないのよ。中身は伴ってないのに」
「さあ、なんでだろうな」
 揺れる赤紫の液体に映る、揺れる自分の顔を見つめながら、ラントは青い溜息を洩らす。今まで一度も、ラントはそんなことを考えたことは無かったのだ。
「俺がラントであり、〈畏怖アルント〉であるから、か?」
「アンタは確かにラントだし、アンタに与えられた十のうちの一剣は神剣〈畏怖アルント〉よ。でも、アンタは神話の大英雄で、この国の英霊として祀られているラントじゃないんだから。白い烏の姿でこの世界に降り立ったわけじゃないでしょ? だってディア湖で溺れてたバカな少年を、偶然その場に居合わせたパヴァルが助けたわけなんだから」
「分かっているさ、そんなことくらい」
 葡萄酒を口に運びながら、気拙そうにエレイヌから視線を逸らすラント。英霊になろうとするほど俺は愚かじゃない、と呟きながら。
「でも、アンタはそれになりきろうと無理してるんじゃない? だって、前にアンタがここに来たときと比べると、今のアンタはなんだかやつれてるように見えるのよ。なんだか今にもバッタリ倒れて、消えちゃうんじゃないかって思えるくらい」
「心配して頂けるのは有り難いが、それは」
「要らん心配は却って迷惑だから不要だって? あのね、心配してるのはアタシだけじゃないの。ケリスさんもヴィッデも、心配してる。おりゅんちゃんだってそうよ? それにアンタは、パヴァルみたいな化け物じゃないの。他の人とは髪の色が違うとか、目の色が違うってだけ。私だって赤毛な上にこの瞳で、子供の頃はどこに行っても疎まれたものよ。見かけはどうあれ、一人の人間であることには変わりない。私も、アンタも。そうでしょ?」
「それは……」
「なに?」
 それは、どうなのかな。喉元まで出かけた言葉をぐっと堪え、ラントは飲み込む。
「分かってる。分かってはいるんだがな。だが、こればかりは性分だ。今更、どうしようも出来ない」
 虚ろな、色のない瞳。
 五年、六年という歳月は、今まで過ごしてきた時間と比べれば遥かに短い。けれどもその間にも人の姿は、こんなにも変わるのか。ふとエレイヌは、そんなことを思わされた。
「一応、言っておくけど」
「まだあるのか?」
 ラントは眠そうな目で、煙たがるようにエレイヌを見る。
「アンタがもし死んだ時に、ね」
「ああ」
「喜ぶ人も大勢居るだろうけど、それと同じように悲しむ人も少なからずでも居るってことを、その薄汚れた胸に忘れないよう、深く刻み込んでおきなさい」
「……」
 そこにあるものたちが変化し続けてこそ、時という概念は流れる。
 時が流れるというのは、そこにあるものたちが変化しているということ。
 そして、人は時が流れ成長すれば、大人になる。大人になるというのは、時を重ねる度に、徐々に穢れていくこと。そして、過ぎてしまった時は、巻き戻すことなどできはしない。
 過去は過去。
 今は今。
 未来は未来。
 時間だけは、誰しも巻き戻せない。
 長い年月の間に曖昧になり、淘汰され、美化された思い出を思い出すことはできても、その時に戻ることは、誰にも出来ないのだ。
「……とにかく、私はいつでもここで待ってるから、気が向いた時には顔出しに来てよね」
「……ん……」
 曖昧な返答と共に、がくりと落ちる頭。大事なところで寝やがった、この野郎。エレイヌはラントの頭を軽く小突くも、ラントの起きる気配はない。
「……七十ガレティグの件だけど、アンタがいつまで経っても払わないからって、代わりにパヴァルが全額払ってくれたんだから。もう、アンタはいつまでパヴァルにばっか迷惑を掛けるつもりなのよ。……私はもう、卒業したっていうのに」
 まっ、聞こえてる筈もないか。エレイヌはそう呟くと、店の奥から紅い毛布を取り出し、寝落ちしている男の肩に掛ける。
 今日は早めに店仕舞いをしたとはいえ、あともう少し時間が経てば、日が顔を出し始めるような時刻だ。
 さて、日が昇るまでにこのグラス全てを、洗い終われるかしら。
 エレイヌはそれまで両腕にはめていた赤い長手袋を外すと、音を出来るだけ立てぬように気を使いながら、静かに流しの蛇口を捻るのだった。