【第二章 放蕩の燕、獅子を追う】

2 気儘な獅子


「……で、結局昨日のお店の話ってのは」
「ああ。毎晩流しが誰かしら来るから、やっぱ必要はねぇそうだ。けどよ、気が向いたときは顔出してくれって言ってたぜ。本当に必要なときは、リュンを使いに寄越すそうだ」
「あなたねぇ、そういうのって予め確認してから……」
「まぁ、気にスンナ。生きてりゃこういうこともあるモンさ」
 呆れた。この一言に尽きる。
 要するにパヴァルという男は、引きこもりがちになっていたスザンを外に連れだす口実が欲しかっただけらしい。けれども面倒ごとを嫌うシクは、付いてきていない。
 ただ、パヴァルは何故スザンを外に連れ出したかったのか。それについては本人のみぞ知る、という状態だ。いや、龍神のみぞ知る、なのだろうか。
 そして、スザンのほかにも巻き添えを食らった人物が居た。
「なんで、俺を巻き込んだ」
「ユイン、テメェは引き籠り過ぎだ。少しは日光に当たれ。そんなに紙と筆が好きなのか、お前は」
「そうだ、好きなんだよ。何か文句あるか」
「……お前な、少しは自分の仕事を……」
「キャスが仕事を振ってこないから、自由にしてるだけだ」
「お前、それが何故かを理解してるのか」
「別に。興味もない」
「お前がそれだけ、お人好しの〈聖堂カリヴァナ〉サマに信用されてねぇってことだ」
「へぇ」
「本当に興味ねぇんだな」
 一人は、フーガルを殺めた剣〈獅子レオナディア〉の持ち主である、白い髪に紫色のじと目をしたユイン。
「……それに、なんで俺まで」
「ラント。お前については、エレイヌに頼まれたんだ」
「エレナに? なんでだ」
 もう一人は稀にしかない、非番ですらない休日を有効に使おうと――要は一日中寝ていようかと――思っていた矢先に、パヴァルに首根を掴まれ連れだされたという不幸な男、ラントだった。
 ラントというのは、完全なる無彩色の瞳に、銀のように輝く不思議な髪を持った男だった。横に並ぶユインの白い髪とは、また異なっている。そんな彼の見た目を一言で表すと、“神秘的”という言葉になるのだろう。人ではない何かを感じさせるような、そんな不思議なものをラントは持っていた。
「ああ。いつまでたっても借金を返さねぇ野郎を、適当にしばいといてくれってな」
「まさか。……嘘だろ?」
「さぁな」
「さぁな、って何だよそれ!」
 それにしてもユインという人物は、スザンも呆れるほどの自由人だった。警邏という面目で外出をしているというのに、辺りに気を配っているパヴァルとは違い、最低限の職務を全うするという気が更々ないのだ。目に付いた露天商の主人に話しかけては何かしらを購入したり、なんてことない道端の野花を凝視していたりと、その行動は好奇心が旺盛すぎる子供のようにすらも見えてくる。情報収集の一環だと本人は言っているが、スザンの目には趣味の一環としか映っていなかった。
 そして、そんなユインに対して、ラントという男はそれはもう始終……不機嫌極まりなかった。延々と小声で「俺の非番を台無しにしやがって……」などと文句を連ねており、正直のところスザンはあまり彼に近寄りたくはなかった。スザンらの横を通り過ぎていく通行人たちからすれば、もっと近寄りたくないことだろう。それくらい、ラントは危ない雰囲気を醸し出していた。
 それにユイン曰く、王宮の要人警護に配属されているラントの休日というのは、年に一度か二度、あるかないかのものらしい。

 だから、その……心中、お察しします。

「……それにしても」
「ん? どうした、スザン」
「いえ、やっぱりなんでもないです……」
 眼帯男と青髪の男、それと銀髪の男とシャグライ族が一人。そんな、なんとも際どい面子で道を歩いていれば、当然のように通行人たちは道を開けてくれた。
 と、そんな中。全ての元凶パヴァルはというと。
「よぉー、繁盛してるか?」
「独眼の水竜さまのお陰で賊も出ないし、出たとしてもあっという間に討伐されちまうからね。そこそこには、繁盛してるよ」
「そうか、そりゃ良かった」
「で、なんか買っていくかい?」
「ユン、お前はどうだ」
 などと、一人でふらっと何処かへ行っては、ふらっとまた戻って来てはまた消えての繰り返しをしていた。
「え、あ、俺? ああ、そうだな。じゃあ、そのカリテレを全部貰えるか」
「流石、噂の天才は目の付け所が違うねぇ。でも、高いわよ?」
「高いのなんて百も承知さ。どっかのクソジジィのせいで滅多に王都には降りてこない、薬草界の王様なんだからな」
「それじゃ、お代は五ガレティグだよ」
「おいおい、そりゃ高すぎるだろ。相場は根から葉までので、質の良いのでも最高、一本につき三六〇〇ガルッデってもんだ。七本なら、二ガレティグと五千ガルッデってもんだろ?」
「天才の目は誤魔化せないもんだねぇ。じゃあ、三ガレティグでどうだい」
「いや、でも儲かってるんだろ。だったら二ガレティグでも……いいんじゃないのか?」
「……分かったよ。二ガレティグと五千ガルッデ、それでいいよ」
「ありがとー、おばちゃん。感謝するよ。カリテレがきれてて困ってたんだわ」
「……お、おばちゃん?!」
「まあまあ、ラックルも買ってくから怒んないでよ」
「それ、お隣のお店のだけど」
 パヴァルが消えたり戻ったりを繰り返しているうちに、募った怒りが頂点に達した御様子であったラント氏は、突如踵を返し、パヴァルが消えたうちに王宮へと戻って行った。
「次にランとパヴが顔を合わせたときは、一悶着起きそうだな」
 そう言いながら、去っていくラントの背を見送るユインは、嬉しそうに口元を歪ませる。けれども純朴なスザンには、具体的にどこが楽しみであるのかが理解できなかった。「楽しみ、なんですか?」
「そりゃあもう、楽しみに決まってるさ。最凶の武人である独眼の水龍パヴァル・セルダッドと、邪眼のラントだ。本気でやりあったらどうなるかって、想像しただけでそりゃ滾るさ」
「あの、僕は独眼の水龍やらジャガンやらが何であるかよく知らないんですけど。……ホントにアレですね、あなたは」
「あれって?」
「悪趣味、ですね」
「ああ、それなら知ってる」
 自覚済みの悪趣味ほど、タチの悪いものはない。
「てか、お前さ」
 紫色のじとっとした目が僕の方に向けられる。「なんですか?」
「椅子の上で縮こまることしか能がないと思っていたが、一応吟遊詩人らしく喋れるんだな」
「それ、あなたに言われる筋合いは無いと思います」
 嫌味を嫌味で返しながら、手渡された包み紙を受け取る。それは生暖かくもあり、ずっしりと重くもあった。スザンはユインから受け取った包み紙を、ゆっくりと剥がしていく。すると、そこから顔を出したのは蒸したてほやほやの、湯気をもくもくと上げているラックル(=餡まん)だった。
「で、お前さ」
「少なくとも僕は、あなたが思っていたような能無し野郎ではないですし、それに僕の名前はお前じゃなくて、スザンです」
「そんな細かい事は措いといて」
「細かくないです。失礼だと思わないんですか」
「別に」
「……」
「お前、あれだな」
「なんですか」
「下についているブツも、身長みたく小さそうだな」
「……よ、余計なお世話ですよ!」
 暖かいラックルにかぶりつく。ラックルの中には、スザンが思ってた以上の餡子がぎっしりと詰められていた。がぶっとスザンがラックルにかぶりついた時、なんともいえない熱さが舌先に襲い掛かる。もう少し冷めてから食べようかな。そう思ったスザンは、ラックルを包み紙にくるみ直した。
「それで」
「なんですか」
 突然、前を歩くユインはスザンの顔を覗き込むように振り返る。と、憐れみの視線をどういうわけか投げかけてきたのだった。
「もしかしてだが、突拍子もない噂話が大好きな吟遊詩人でありながら、あの邪眼のラントを知らないってことはないよな……?」
「知りませんよ。でもラントって人は、さっき怒って帰ってったあの人のことなんでしょう?」
 首を傾げるスザン。それを見たユインは不気味にフフッと笑う。
よこしままなこって書いて、邪眼じゃがんだ。結構、有名な話だぞ? 悪魔に魂を売ったとか何とか……」
「ああ。そういうのなら、僕はそういう話が好きな人たちとは少し距離を置いていたので。よく分かんないです」
 そういう話に通じてる奴が吟遊詩人には多いって聞いたんだが、期待外れだったか。そう呟きながらユインは、どこか不満げに眼を眇める。
 きっとフーガルなら、そういった話にも精通していたのであろう。けれども僕は本当に何も知らなかった。
 スザンは改めて、自分の無知さを悔やんだ。
「アイツが悪魔に魂を売ったとか、そんなことは信用してはいない。けど……まあ俺も、アイツとは対して変わらないようなもんだけど」
「その……ラントさんってのは、何かあるんですかね?」
 何かを思い出しているのか、ユインの右目は空中を泳いでいる。そして視線は宙を漂ったまま定まっていない状態でユインは、口ごもるようなはっきりとしない声で言った。
「アイツはー……というかアイツの剣は、不可解な力みたいなのを使うんだ。神術ともまた違う、異質なものだ。〈畏怖アルント〉ってのは、その場に合わせて姿を変えるんだ。普段は突剣みたいな形をしてるが、場合によっては槍になったり盾になったり、斧にもなる。まるで形がない、おっかない剣だ」
「へぇ……」
 何故だろう、絵空事のように感じてしまう自分が居る。〈聖獣使いシラン・サーガ〉である自分も、それと似たようなものであるにも関わらずに。
「とはいえ、普段は普通の人間とはなんら変わりはない。だからって、まあ、大したことはないけど……」
 上の空といった雰囲気でそう言うユインは、手に持っていたラックルを一つまみほど千切り、それを口に放り込む。その様子を見ながらハッとスザンは、自分がずっと握っていたラックルの包み紙の存在を思い出した。
「……冷めてなければいいけどな……」
 包み紙を剥がしてみるが、ラックルからは先程のような湯気は上がってこない。そして食べかけであったラックルに再びスザンはかぶりつくが、案の定ラックルは冷めていた。スザンは少し、肩を落とす。
「あー、もう。なんだか今日はツいてないや」
「お前のラックルも冷めてたのか?」
「ええ、完全に冷めてましたよ」
 でも冷めてても美味しいし、いい……のかな。
「おいお前ら、遅いぞ!」
 遠くの方でパヴァルが、こちらに対して手を振っているのが見える。
「日も傾き始めているしな。よし、今日のところはラントにならって、戻るとするか」
 ユインはにたりと笑う。
「あの、パヴァルさんは無視して大丈夫なんですか?」
「大丈夫だろ。パヴァルにとって王都は、だだっ広い庭みたいなもんだし」
「……それって、無視して帰っていい理由にはならないんじゃ……?」
 そしてくるりと踵を返し、元来た道を辿るユインとスザン。遥か後ろのほうでは、二人の名を繰り返し呼ぶパヴァルの声が聞こえているが、ユインが完全に無視を決め込んでいたため、スザンもそうすることにした。
「そういえば、なんですけど」
「なんだ?」
「あなたのこと、“じと目さん”って呼んでいいですか」
「そりゃ随分と失礼に値するんじゃないのか」
「それじゃあ決定。じと目さん!」
 スザンなりに努めて、嫌味にニタッと笑ってみせる。だが傍から見ればそうでもなく、ただ普通にニコッと笑っただけにしか見えていなかった。
「……パヴァルに負けじと、お前もちょっと面倒臭そうな奴だな、スザン」
「あなたには負けますよ、じと目さん」
「なんだよ、それ。まるで俺が面倒臭い奴みたいな言い方じゃないか!」
「事実、いかにも面倒臭そうな奴じゃないですか」
「……まあ、そう、だな」
 背中に手を回され、ユインに肩を組まれたかと思いきや、わしっと後頭部のあたりを掴まれるスザン。こうして並んでみると、頭ひとつ分ほどユインの方が背が高かった。
 シャグライという部族は、肌や髪、目の色素が薄い代わりに身長がとても高く、美男美女が多いと聞いたことがあった。改めて見てみるとユインは確かに高身長で、それでいてスラッと細い。それに、顔自体は悪くないのだ。無気力そうに開ききってない瞼と、顔の左半分を隠すように垂れ下ったうざったらしい前髪さえなければ、きっと美しい顔になるはずなのだ。それなのに。
「あともう一つだけ、訊いていいですか?」
「なんだ」
「左目を隠してるのには、何か意味が……?」
 一瞬立ち止まり、瞬きをするユイン。だがすぐに歩みを再開する。けれどもその顔には、焦りともつかない影が差していた。
「まあ、ちょっと。昔の傷が、消えなくてな」
「怪我ですか?」
「ああ、火傷だ。……ガキの頃だ。兄弟喧嘩で、顔に松明を投げられて。顔の左半分が、焼け爛れたんだ。それで左目は使い物にならなくなった。右目がこうして残ってるだけ、まだマシってもんだけど」
「どんな兄弟喧嘩ですか、それ」
「……そういう家だったんだ」
「そう、なんですか」
 何故だろう。それ以上問い詰めてはいけないような気が、スザンにはしたのだった。