【第二章 放蕩の燕、獅子を追う】

1 雀と燕


 あいつは、幼馴染だった。
「……フーガル……」
 神国の中でも最も治安が悪いとされる町、水害と荒廃の都アルヴィヌ領。その中でも特段に貧しさが支配する東アルヴィヌの南端。そんなところでスザンは生まれ、孤独に育った。
 物ごころついた時には親兄弟は既に亡く、荒れた環境の中に独りぼっちで投げ出されていた。それに当時は名前も無く、誰もスザンに見向きもしなかった。何もかもから見放されたと思っていたあの頃。運命か偶然か、スザンは“フーガル”という名の少年と巡り逢ったのだ。
 フーガルは、まだ名無しだったスザンに“スザン”という名を与えた。そしてフーガルはスザンに唄を、音楽を教えてくれた。フーガルがギルウィンを弾いて、スザンが竪琴を奏でながら歌って。そうして、町の酒場や祭りやらを転々として。気が付いた時には、スザンらの後ろには〈水ノ聖獣シラン・セク〉のシクがついて来るようになっていた。
 二人と一頭は、広いようで狭い神国の中を渡り歩いた。気儘な旅の道中で音楽を奏で、小銭を稼ぎながら、時に笑い、時に泣き、時に喧嘩をしながら日々を過ごし。気が付けば二人と一頭は、そこそこに名の知れた吟遊の詩人になっていた。

 今の僕は、昔とは違う。
 食べ物にも困ることは無いし、なにより独りじゃない。

 そうであった、筈だった。
 あれから、十日ほど時は過ぎたのだろうか。
「あらスザンちゃん。起きてたん?」
 ここは、シアル王宮の〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の施設。事務所とは名ばかりで、一日の勤めを終えた時や非番の時に寝に帰る場所。どういうワケか今ここでスザンは監視という名の下に、匿われていた。
「……はい」
「やぁねぇ、もう。そんな塞ぎ込まなさんなって」
 ってゆうても、仕方ないかぁ。ヴィディアは軽く、スザンの肩をぽんと叩く。そして立つようにと片手で合図を送った。
「キャス……じゃなくて武ノ大臣さまからなぁ、あんさんのお友達の件について進展があったっていう報せが入ったんよ。そういうわけや」
 スザンを見つめる、ヴィディアの褐色の瞳。目の奥の感情は微かに陰り、そして揺れた。
「出掛けんさかい、はよ支度しなはれな」
 ヴィディアの目に浮かんだ陰り。武ノ大臣の前に赴いた先で、何を知らされることになるのか。大まかな予想がスザンの中でついた。
「……シク……」
 あの件以来、スザンの側にずっと居てくれるのはシクだけになっていた。
 他にも、人は居る。けれども皆が皆、今自分達が置かれているこの状況を呑み込むのだけで手一杯そうにも見えている。正直のところ、他人になど構っている暇は無いというのが本音だろう。
 それなのに。〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉である彼らは不思議なほど、スザンらに対して優しかった。
 本来であれば〈聖獣使いシラン・サーガ〉は彼らにとって、ただの監視対象でしかないはず。それなのに、ここまで情けを掛けてくれているのだ。それはとても有難い半面、何か裏でもあるのではないのかと疑ってしまう自分が、スザンの中には居た。
「考えてもみなかったよ、こんなことになるだなんて」
 気の向くまま風の向くまま。好き放題に歌を、言葉を紡ぎながら、それで金を貰い、そうして放蕩の旅をする。そんな自由を謳歌するただの吟遊詩人が、きっと自由の正反対に位置するであろう国の政という、お固く、なにより漠然とした、とても大きなものに巻き込まれるだなんて。一体誰に、そんなことが予想できたのだろう。
「ならば、無理に考えなければいいのですよ。無意味に悪いことばかりを考えて塞ぎ込むより、なるようになれと流れに身を任せて、臨機応変にやるというのも、吟遊詩人らしくていいのではないですか?」
 シクの青色をした瞳は、そっとスザンを見つめる。
「そんなの、できるかな……」
「あたたになら、出来ます。見知らぬ土地に入ったとき、あなたはフーガルよりも先にその土地に住まう方々と打ち解けられていたでしょう? それと同じと思えば」
「でも、王宮とサイランの片田舎じゃ話が違うよ……」
「それでも、です。いつもと同じで居れば、きっと大丈夫。あの〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉のように」
「幾らなんでも、彼女と僕じゃ天と地ほどの差があるよ。それに彼女には、知り合いがここに居るわけだし。それより、ヴィディアさんを待たせてるから、行こっか」
 たしかに彼女は、あなたとは正反対かもしれませんね。微笑むかのようにそう言うシクの声を聞きながら、スザンは一人、自分のあまりの無力さを呪っていた。






「来たか」
 ヴィディアに案内されて通されたのは、武ノ大臣、即ち〈聖堂カリヴァナ〉であるケリスの執務室だった。そこには似合わぬ片眼鏡を着けた男ケリスと、あの胡散臭い眼帯の男パヴァルの二人が居た。
「適当なとこに座ってくれ」
 それだけを言ったパヴァルは、どこか気拙そうな苦い笑みを口元に浮かべていた。目は、笑っていない。スザンは無言で、近くに置かれていた椅子に腰を下ろす。シクもスザンの横に膝を折った。
「〈水ノ聖獣使いシラン・サーガ・セク〉」
 ケリスは重そうな口を開きながら、その似合っていない片眼鏡を外す。
「お前の連れだったという吟遊詩人を、殺した輩についてだ」
 机の上に置かれた片眼鏡の凹んだ硝子が、窓から差し込んだ光を照らし返し、スザンの視界を白に染め上げる。堪らずスザンは瞬きをする。そんなスザンに気が付いたのか、ケリスは片眼鏡を光の当たっていない机の隅の方へと移した。
「……おっと、すまんな」
「いえ、お気になさらずに」
 スザンの視界に色が戻り、焦点が合う。目の前にいるケリスの渋い顔を、じっと見つめた。その時にスザンは、ケリスの瞳が仄かに紫色をしているということに気付く。まるでシャグライに似ている。スザンはそう感じた。
「昨晩だ」
 ケリスの眉間に皺が寄る。そしてケリスはスザンの目を一度見て、何も言わずに視線で訴えた。今から告げることを、しかと聞きうけることがお前にはできるのか、と。スザンも無言で、首を僅かに縦に振る。そしてケリスは、再び口を開いた。
「この王宮の裏で死体となっているのを、そこの〈聖水カリス〉が発見した。心ノ臓を短刀で一突きにされていたらしい。他殺だというのが、現段階での判断だ」
 スザンの目の前に出されたのは、ユインが持っていたあの剣。刀身は平たく薄く、どちらかといえば叩き斬るのに特化した剣、〈獅子レオナディア〉だった。
 これこそが、フーガルの頭を叩き斬った剣。
 忌々しい、あの剣だ。
「その場に居たという〈風雷ノ聖獣使いシラン・サーガ・キウ〉はこの剣、レオナディアで……――」
「その剣でフーガルは、フーガルは………ッああっ!!」
 親友が自分の横で、最期に上げた断末魔の悲鳴が蘇り、木霊する。
「……!」
 振り下ろされた刀身。聞くにも耐えない悲鳴が上がり、スザンの顔にはフーガルの血がべったりと付着した。辺りに響く獣の咆哮。そして自分に向けられた、血濡れた刃。女の怒号。雷電を起こしながら、鬣を逆立たせる銀色の獅子。バチバチと音がする。その光に目が眩み、視界が奪われ、気を失った。そうして意識が戻った時には、銀色の獅子の背に乗せられていて……――
「落ちつけ」
 パヴァルの乾いた温度の無い声で、スザンはハッと我に返る。いつの間にか、スザンの目と鼻の先に立っていたパヴァルは、濃紺の手袋を嵌めた両手でスザンの両肩を掴んでいた。その表情は、無表情そのもの。常に浮かべていた薄気味悪い笑顔など何処にもなく、まるで泣いた子供を往なす父親のようだった。
「戻ったか、スザン」
「あ、あの、僕……っ……」
 大粒の涙が止めどなく溢れ出ている。呼吸が早い。涙も、嗚咽も止まらない。
「仕方もない。話を切りだす時期を、早まってしまったようだ」
 ケリスは冷めた声色でそれだけを言うと、片眼鏡を装着し、手早く身支度を整える。これから、どこかに出かけるようだ。
「それでは、私は定例会議があるのでな。〈革新リボルヴァルッタ〉、ディダンの目付けを頼めるだろうか」
「構へんけど、あの子に目付けは必要やろか」
「ディダンは賢いからこそ、何をしでかすか分からん。それで〈聖水カリス〉、お前はその剣を〈獅子レオナディア〉に」
「返却しておけ、だろ? ……ったくよ、俺は雑用かってンだ」
「そうであろう。忘れたのか」
「……テメェの寝首を掻いてやろうか」
「パヴ!」
「聞こえてるぞ、〈聖水カリス〉」
 そうして、あっと言う間にケリスは去っていった。それから暫くして、スザンの涙やら過呼吸やらは治まった。
「相変わらずだな、アイツは。要件だけ伝えて、さっさと居なくなるってのは」
「せやな」
「ヴィディア、お前も相変わらず気を抜くと南アルヴィヌの方言が出るな」
「あらやだ。これでも気を遣ってるんやで?」
「また出てるぞ」
 漫才にも思える、一風変わった遣り取りを繰り広げる二人の背を見つめながら、スザンはどこか虚しい気分になっていた。
「……」
 この数日間、ずっと胸の内に秘め続けていた怒りや憎しみをぶつける対象が、ふっと居なくなってしまった。
 心の底に澱のようにたまっていたはずの、怒り、憎しみ、恨みといった負の感情の全てが、ふっと風に吹かれて舞い広がり、そして砂埃のように消散していってしまった。それは負の感情とともに、フーガルと共に刻んできた思い出たちもどこかに追いやってしまう。過去の記憶の全ては塩の柱へと変貌し、柱は音も立てずに、静かに崩れていく。そうして残ったのは深い深い、底の無い虚無感だけだった。
「もう、スザンちゃん。だから、そんなに塞ぎ込まなさんなって。ねぇ?」
 こちらに振り返ったヴィディアが、心配そうにスザンを見ていた。その視線を少しでも感じまいと、スザンは横にずっと佇んでいたシクを見やる。だがシクは、我関せずといった素振りで窓の外を見ていた。
「混乱するのも、まあ分からんでもないが……。過去は過去だと割り切っちまって、目の前にある今だけを受け止め、試しに流れに流されてみるってのも、悪かぁねぇんじゃねぇのか?」
 対してスザンのほうへと一切向くことなく、ただニヤニヤと笑いながら、乱暴にそう言い放つのはパヴァル。一見良いことを言っているようにも思えたが、あの笑い方は投げ遣りで言っただけのようでもあった。
「……」
「スザンちゃん。あんまり真に受けちゃ駄目よ、コイツの言葉なんて」
「なんだそりゃ」
「コイツはこう見えて、血も涙もない人斬りなんだから」
「まあ、そうだな」
「そこは嘘でも否定するとこやで」
「事実だからな。否定のしようが無い」
「……これだから、あんさんは……」
 余りにも、いい加減すぎて。本当に、この人達は大丈夫なのだろうか。そう思うと、何故だか頬が綻んできた。
「そういや、お前さんは吟遊詩人だったとか言ってたよな」
 ニヤついた顔が、スザンのほうに向く。
「……そうですけど」
「知り合いの酒場でな、歌い手を求めてる奴が居るんだが……紹介するか?」
 片方しかない蒼い目が、どこか挑発めいた視線を投げかけてきている。
「はい、お願いします」
 売られたものは、実体がある物以外は買ってやるというのがスザンの信条だった。
「……」
 一瞬の沈黙。交差する青と蒼の視線。次の瞬間、パヴァルは腹を抱えて笑い出したのだった。
「面白ぇな、お前ェさん。実は胆が座ってんじゃねぇのか?」
「パヴ、まさか今の話はウソなんやないだろうね?!」
 ヴィディアが片方しかない腕で、パヴァルの胸倉をぐっと掴む。だが当のパヴァルは特に怯むような姿を見せることはなく、ニヤニヤとした笑みを浮かべたまま「まあまあ、落ち着けって」と言った。
「真偽のほどは、龍神のみぞ知るところってワケだ。んじゃっ、交渉成立。明日、その店に顔出しに行くからな。覚悟しておけよ?」
「その店って、まさかー……やけど」
「大よそ、予想通りだよ」
 やはりこのパヴァルという男は、読めない。薄気味悪いな、とスザンは思いながら、その日は終わったのだった。