【序章 聖獣使い】

4 神速のリュン


「きゃああああああ?! って、これユン兄の剣じゃん! なんだよ、なんなんだよ!!」
 突然聞こえてきた悲鳴、それと怒号に、反射的にフリアはベンスの背中にしがみついた。当のベンスは外から聞こえた声に、苦い笑みを零す。うるさいヤツが帰ってきた。そんなことを考えながら。
「おりゅんが戻ってきたみてぇだな。可哀想になぁ、きっと〈獅子レオナディア〉でも飛んで来たんじゃねぇのか?」
 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、パヴァルはそう言う。そんなパヴァルを横目に、ユインは眉間に皺をよせていた。
「……可哀想に、だなんて一切思ってもいねぇクセに、何が可哀想になぁ、だってんだ……」
「なんか言ったか、ユン?」
「別に。何でもねぇよ」
 ファルロンも大口を開けて笑い転げているし、ヴィディアも苦笑いを浮かべていた。一体何がおかしいのか。フリアには全く以って理解できない。外で女の人があんなにも怒っているのに、どうしてこの人たちはこんなにも笑ってるんだろう、と。そんなことを疑問に思いながらも、ぎゅとベンスの背にしがみつく。その背中が若干汗臭いとフリアは感じたが、今はとにかく誰かに抱きついていたかった。
 なにせ三日前の朝から、自分の身に降りかかっている問題の全て、何もかもが理解できずにいたからだ。
 まず初めに三日前の朝。父・シャンと親しい関係にあるような振舞いを見せていたパヴァルという名の眼帯男に、朝一番でリシュと共に拘束されて、汚らしい馬車の中に押し込まれたかと思ったら、そのまま二日がかりで王都にまで連れていかれたのだ。
 そして王都に着いたら着いたでフリアとリシュは、ヴィディアという名の左腕が無い女に、シアル王宮敷地内にある立派な建物――〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の事務所――の中に連れてこられたのだ。そして昨日今日とでここに泊めてもらっている。
 けれども誰も、この三日の間ずっと、フリアに対して事の詳しい経緯などを教えてくれる者は居なかった。誰もが皆、適当にはぐらかし軽くあしらうのだ。ヴィディアは「うちらもよう分かっとらんのや」と言ってはどこかに逃げてしまうし、ファルロンという男も「俺もよく分かってねぇんだわ」と笑い飛ばすばかり。ベンスはだんまりを決め込んでいて、パヴァルという男に関しては「嬢ちゃんに話すことは何も無い」と嫌味な笑顔で突き放してくる始末。そろそろフリアの苛立ちも、限界に達しようとしていた。
「ちょっと、ユン兄!」
 再び乱暴に開け放れた扉。大股でドスドスと歩きながら入ってきたのは、澄んだ緑色の瞳をした、小柄な女性のようだった。長い茶色の髪は後頭部で適当に結われていて、馬の尻尾のようになっている。そして上着らしい上着というのは着ておらず、胸には粗末なさらし布が巻かれているだけだった。さらに左手には、柄には吠える獅子の意匠が施された、平べったい刃を持つ一風変わった剣が握られている。
「これって、どーいうことだよ!」
 女性のようなその人物は、持っていた剣をユインに向かって投げ捨てるように渡す。床に落ちそうになった剣の柄を、寸でのところで掴み取るユイン。その人物はユインの胸倉をぐっと掴むと、大声を上げた。
「ねぇ、ボクをどっからか分からないけど殺そうとしたでしょ? ねぇ、そうでしょ! ねぇ、聞いてるんですけど、ねぇー!!」
「違う! これには少々面倒臭いわけがあってだな、リュン」
「へぇ、どんなワケでございまして?」
「簡単に言うとだな。全部パヴ、アイツの所為だ」
 その途端。この場に居る全員の凍りつくように冷たい視線が、パヴァルへと注がれていく。だが当のパヴァルは心当たりが思い浮かんでいないのか、眉根をつりあげていた。
「ちょっと待て、ユイン。それとテメェは落ち付かねぇか、おりゅん」
「おりゅん、って呼ぶなっつってんだろバーカ!!」
「分かったから落ち着け、リュン」
 ”リュン”と呼ばれたその人物。年齢は、そこまでいっていない。フリアと同い歳くらいであろう。
「リュン?」
 聞き覚えがある、というような表情を浮かべたのはクルスム。
「そうだ、ボクがリュン。神速のリュンだ」
 首を傾げるクルスムに対し、リュンは顎を上げ、胸を張り、そう言ってのけた。
「へえ。じゃあ、あのアルヴィヌの神速のリュンってのは、女だったのか」
 対するクルスムは、場違いとも言える感嘆の声を漏らす。すると、それに反応したリュンの怒りの矛先が、パヴァルとユインの二人から、クルスムへと移ったのだった。
「ボクは男だ!!」
 リュンは胸元に巻き付けていたさらし布を、一瞬にして解いてみせる。そうして、胸元からポトッと床に落ちたもの。それは詰め物と思しき丸められた紙くずだった。そして解かれたさらし布の下には女性らしい乳房はなく、かわりに青年らしい少し華奢で絶壁な胸板があった。
「お、男……?! え、あ、じゃあ、さっきのアレは女装……?」
 戸惑うクルスム。フリアも戸惑っていた。
「どういうワケか知らないけどさ、酒場で踊り子の修業させられてるんだよね。天候みたいに気分がコロコロ変わる、呑んだくれの姐さんのご機嫌取りが大変でさ。もう嫌になっちゃうよ」
「おい、リュン。そりゃどういう意味だ?」
「どうもこうも無いよ、クソジジィ。そのまんまだよ」
「……そうか、お前はエレイヌをそう思っていたのか」
 ニタッ。パヴァルが嫌味、いや狂気の笑みを口元に浮かべる。
 イラッ。リュンは拳を構え、臨戦態勢に入る。だがその瞬間、パヴァルの蹴りがリュンの脚へと直撃した。リュンは体勢を崩し、尻餅を付く。
「何すんだよ、クソジジィ!」
「その隙だらけの構えで、俺に喧嘩売りつけるたぁ千年早い」
「ああっ、もう! なんか一々鼻に付くんですけど!!」
「口先だけは一丁前だなぁ、クソガキが。ディダンのように中身が伴っているのであればともかくだが、そうでもない出来損ないの分際で、偉そうな口を叩くんじゃぁない。分を 弁わきまえろ。少しはベンスを見習え」
「なっ、なんでベンの馬鹿野郎を見習わなくちゃ」
「ベンスはお前より、まだ少しは使える。だがお前はどうだ、リュン。まともに剣も振りまわせないその貧相な体で、一体なにができる? 踊り子という仕事を与えてやっているだけ、少しは感謝しやがれ! ……アルヴィヌの貧乏街に、戻りたくはないだろ?」
「…………」
 そうしてパヴァルが少々きつい言葉でリュンを黙らせてから、数ダル後。少しは落ちついたのか、リュンは悔し涙に潤む瞳でユインを見た。
「で、さっきのあの剣は一体どういうこと?」
「それは……」
 ことの顛末を簡単に纏めると、こうである。
 警邏という面目の下、パヴァルと共に繁華街カレッサゴッレンに買い出しに出かけていたユイン。だが人ごみを歩いていた際に、剣〈獅子レオナディア〉をすれ違った謎の男に 掏すられたのだという。
 不注意さが引き起こした、とんだ災難だったのだ。
「あんな人ごみに俺を連れていくから」
「カッレサゴッレンはいつでも、人間でごった返しているが」
「そうだけど」
「いや。それはどう聞いてもアンタが悪いよ、ユン」
「……そんな、クルスム、お前はパヴァルの味方に付くというのか」
「やめろ、そんな目でアタシを見るなよ」
 そしてリュンに剣が当たりそうになったというのは、元々〈獅子レオナディア〉には剣の名前を呼ぶと必ず呼んだ者の場所へと飛んで行くという習性があり、それを実践してみた結果に起こった事故だった。
「そんなわけだ。リュン、お前を殺そうとかそんなことは一切考えていなかったんだ」
 全部コイツの所為だ、とユインはパヴァルをジトッと睨む。
「何故、俺を睨む」
「だってお前が」
「お前が、俺の忠告を聞かなかったからだろうが。ドジなお前に王宮の宝を失くされたら困るから、貸せって言ったろうが。それを拒否したのはお前だぞ、ユイン」
「……」
「ユン」
「なんだ」
「やっぱりアンタが悪いよ」
「……クルスム!」
「俺も、クルスムに同意見だぜ」
「……ウィクまで、酷いじゃないか……」
「しゃぁねぇだろ、ユン。パヴの忠告は聞いといたほうが無難だって、俺はいつも言ってるだろ」
「テメェにだけは言われたくないな、ファン」
「ンだと!?」





「ところで、〈聖水カリス〉。お前は反省しているのか?」
「いや、だから俺に非は無いと言っている」
「キャース。もうコイツに何ゆうたって、結局は時間の無駄ちゅうもんやで?」
「おい、待て、ヴィディア」
「俺も、ヴィッデと同じ意見だ」
「……ベンス、テメェまで俺を裏切るか!」
「同じく」
「……リスタァッ! お前、誰がその命を助けてやったと!」
「僕も僕もボークーもー!」
「おいチビ助、お前もか」
「僕の名前はチビ助じゃないですー、ディダンですー」
「キノコ頭のチビだ、お前は」
「〈聖堂カリヴァナ〉殿ー、僕はパヴァル・セルダッドの早期の死刑執行を望みます」
「……己、チビ助……」
「てことで、ベンもリッタもダンも、ヴィッデに賛成だってさ。あ、ボクもヴィッデに超賛成でーす」
「クソガキどもがァ……」
「それより俺に対する謝罪はまだなのか」
「何故謝らなければならないんだ、俺が」
「そーだよ。ボクにもユン兄にもまだ謝罪してないんだから」
「おりゅん、お前に俺が謝る必要は何処にもないだろうが」
「おりゅんって言うな!!」
 また三人、事務所には増えた。
 パヴァルをヴィディアと共にかれこれ三十ダルほど問い質し続けている、片眼鏡を掛けたやたらガタイの良い男。彼がどうやら、ヴィディアが前に言っていた“キャス”であるらしい。
 名前はケリス・シャドロフ。彼は〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉を含む、神国が保有する武力を全て統括する武ノ大臣であり、〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の指揮官をも務める人物だ。そして賜る剣の名は、十の剣の中でも一番に威厳ある剣、〈聖堂カリヴァナ〉であるという。
「それにしても……流石、ユインというべきですかね」
 “リッタ”と呼ばれていたのは、柔らかな長髪が中性的な雰囲気を漂わせる、キリッと長く濃い眉が印象的な容貌端正の人物。その人物の名は、リスタといった。
 クルスムとはまた違う、地肌が透けて見えるほど透き通った柔らかな金髪の持ち主で、瞳は少々特異な濃紺の青い目をしている。そんなリスタはどこかの貴族、それも《光帝シサカ》と血縁のある一族の出であるらしい。故にその髪と目は《光帝シサカ》と同じく、神祖に由来するということ。だが、どこの一族かというのは伏せられているという。
 そんなリスタが賜っている剣は〈不死鳥レイゾルナ〉。不思議と透き通る紫色の刃が美しい剣である。けれども柄に彫られた鳥の意匠は、どこか不細工で薄気味悪くもあった。
「……誰がキノコ頭だ」
 ダンと呼ばれていたのは、フリアよりも遥かに年下のディダンという少年。賜る剣の名は〈道化師ジェイスク〉。その剣の名の通り、戦闘にこそ向いてはいないが〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉の中の誰よりも狡猾で老獪、世間摺れしているのだという。その才能故に、普段は大臣という肩書を持つケリスと行動を共にしている。そして何より誰よりも短気で、尚且つ子供らしい無邪気な冷酷さも持ち合わせている。末恐ろしい子供だ。
 だが、やはり髪型はキノコの傘。そして眉毛は太い。ゲジ眉だ。
「キャス」
「なんだ、ヴィディア」
「パヴの扱いなら、あとでエレナちゃんに任せれば」
「あ?」
「せやから先に〈聖獣使いシラン・サーガ〉さんたちに、事の始終を説明してやってぇな。うち含め他の人間じゃ、あんさんほど上手く説明できないからって、まだしてないんよ。ついでに、そこの意地悪な独眼の水龍さんは、意地でも何も漏らすまいとしてはるしなぁ」
 ヴィディアがパヴァルの髪を乱暴に掴むと、横目でケリスにそう言う。
「そうか」
 ケリスは全員に対して、座るようにと目で合図を送る。そして全員が何処かしらに座ったところで、彼は口を開いた。
「何処から説明するべきかな? 次期《光帝シサカ》候補のシェリアラ妃とシエングランゲラ妃、そしてシルスウォッド卿に大司祭〈 大神術師アル・シャ・ガ〉、それに仕える我ら〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉にシアル騎士団……」
「取り敢えずアタシが知りたいのは、どうして王宮にアタシら〈聖獣使いシラン・サーガ〉が集められてるのか、ってことだけさ。今は、それさえ聞けりゃいい。それだけ、教えてくれ」
 クルスムは、ケリスにそれだけを言った。
「他には、ないか」
 未だ縮こまったままのスザンは、無言で首を縦に振る。無い、という意思表示だろう。フリアも同じく、首を縦に振った。
「そうか」
 ケリスの目元が、僅かに強張る。
「……ならば、話すとしよう」
 病に倒れた現《光帝シサカ》、シェリラ。身を蝕む病魔は末期に達し、そう長くは持たないと思われていた。
 現《光帝シサカ》はじきに、死ぬ。ならば、次の《光帝シサカ》を決めねばならぬ。そうして幕を開けたのは、王座を巡る醜き後継争いだった。
 シェリラの跡を継ぐ次期《光帝シサカ》として名が挙がっているのは、二人の少女。一人はシェリラの実娘であり、正統後継者にあたるシェリアラ・シャグリィアイグ・シアル。そしてもう一人は、政ノ大臣シルスウォッド卿の娘だとされている少女、”シエラ”ことシエングランゲラ・シャグリィアイグ・シアルだ。
 そういうわけで宮中は現在、「シェリアラ派」と「シエラ派」という大きな二つの派閥として分かれているとされている。だがそれは当の少女たちを抜きにした”大人たち”が繰り広げる論争でしかあらず、当の少女たちは今も派閥のことなど知らずに過ごしていた。
 両派の間では、水面下の諍いが勃発。一つ一つは些細な口論。だがそれが積りに積って、結果的には一つの大きな混乱が出来あがっているのが現状だ。
 そして、そんな中、この混乱に終止符を打とうと――即ち《光帝シサカ》の後継を決めようと――動き出した二人組の男がいた。それこそがシエラ派筆頭である政ノ大臣シルスウォッド卿と、事実上、彼に仕える参謀役である〈聖水カリス〉パヴァル・セルダッドだった。故に、政ノ大臣直属の特務機関である〈神護ノ十剣トウィンガル・ラン・アルダン〉には、〈聖獣使いシラン・サーガ〉たちを徴収する任務が与えられたのだ。
 けれども、どうして〈聖獣使いシラン・サーガ〉を徴収したのか。その理由は誰にも分からない。
 二人の男を、除いては。
「〈聖水カリス〉、説明を」
「悪いが、〈聖堂カリヴァナ〉サマよ。秘匿事項につき、鱗片でも漏らすわけにゃぁいかねぇんだわ」
 パヴァルはそう言い、ケリスをハッと鼻で笑う。事務所内の空気がざわつく。けれどもそんな空気の中、ディダンという少年だけは呆れたように笑うのだった。カリの字の二人の喧嘩がまた始まったよ、と。
「〈聖水カリス〉。……いや、パヴァル。お前は、自分の立場を分かっているのか? 大罪人であるお前を、一体誰が生かしていると思って……――」
 ケリスは眉間に皺をよせ、高い視点から自分よりも身長の低いパヴァルを、蔑むような目で見下す。体の大きな男に威圧を掛けられれば、大抵は誰もが無条件に怯むことだろう。だがパヴァルが動じることはない。顔に張り付いた気味の悪い笑みはそのままに、ドスの利いた低い声で挑発さえする余裕をみせていた。
「その言葉を、そっくりそのまま返してやろう。ケリス・シャドロフ。お前こそ、自分の立場を分かってンのか? テメェはどうやら俺を自分の手駒だと思っているようだが、それは違う。……俺は神国に忠誠を誓う竜であり、政ノ大臣が放つ猟犬であり、断じて武ノ大臣の飼い犬じゃねぇ。それを、忘れるな」
「恩を仇で返す気か、お前は」 「恩も糞も、テメェにはない」
 はぁ、と溜息を吐いて頭を抱えるのはリスタ。そしてリスタは無言で広間を後にし、階段を上って上の階へと去ってしまう。ユインもそれに続き、消えて行った。それから他の隊員達も、各々が各自の判断で散っていく。フリアとリシュはリュンとベンスに連れられて、クルスムとウィクはファルロンに連れられて、スザンとシクはディダンに連れられて、別の場所へと避難して行った。そうして広間に残されたのは、パヴァルとケリス、それとヴィディアの三人だけとなる。当然、場に残ったのは居心地の悪いピリピリとした空気だけ。
 ヴィディアの米神には、青筋がピキッと入っていく。一本、二本、三本……と、徐々にそれは増えていった。やがて痺れを切らしたヴィディア。彼女は、まずはパヴァルの顎を殴り飛ばし、続いてケリスの鳩尾に握った拳をねじ込むのだった。
「部下の前で、みっともない醜態を晒して! 恥しいったらありゃしない!! キャス、あんさんは力不足だという現実を受け止めなさい! そんでパヴ、あんさんは論外や!! エレナちゃんに嫌われても、ウチは知らへんで!」
「エレイヌは関係ねぇだろ!?」
「ランちゃん通じて、エレナちゃんに情報が回るかもしれへんやろ? それになぁ、あんさんらはもう少し……――」
 怒りと不満を爆発させたヴィディアの説教は、その日の晩まで続く。その間、他の隊員達は上の階にて身動きの一つもとることができなかった。